【SS】何らかの特典候補だったSS:逃げられたら追いたくなる話
原作の1~4巻(電子版)がbookwalkerさんやamazonさんにて半額セール中ということで、時系列が少し前の、お蔵入りしていたSSを掘り出してきました。
(文字数など、いくつかの理由で断念)
またSSということで、例によって、細かな齟齬などがあってもスルーしていただけますと幸いです。
◇ ◇ ◇ ◇
逃げたら追いかけたくなる、というのは多くのことに通じることだと思う。
水中を泳ぐ魚が逃げたら目で追ってしまうし、他にも、カティマが何かを隠して逃げ出したらすぐさま捕まえたくなってしまうほどだ。
――――これはつい先ほど、後者の事件があったから考えていたことである。
カティマを捕獲したアインはため息交じりにシルヴァードの元へ連行し、彼女への折檻を依頼してからはや数分後のこと。
アインは今、気分転換でも……と思って城内を歩いていた。
なんてことのない、特筆すべき点のない昼下がりにだ。
「……あれ」
彼女を、クリスを見つけたのは偶然だった。
非番だからか私服姿の彼女は城に入って来るや否や、何とも嬉しそうな顔で歩いていた。
「クリスさん、楽しそうだね」
「ッ……ア、アイン様! いえ、そのようなことはありませんよ!」
「そんなに笑ってるのに? あ、何か買ってきたんだ」
彼女は両腕で嬉しそうに紙袋を抱きしめていた。
「これはその……」
紙袋の中身が理由で喜んでいることは間違いなさそうだが、視線が落ち着かない。
明後日の方向を向いたり、隠すように身体をよじったりと忙しなかった。
「新しい剣を買ってきたんです!」
「え」
「城下町でいい剣を見つけたので!」
「……なるほど」
果たしてその嘘でごまかせると思ったのかは大いに疑問だが、隠したい事実ではあるようだ。しかしそんな紙袋に剣なんか入れて、嬉しそうに抱きしめて歩いている方が問題に思える。
当然、その事実を指摘することはないが、笑み繕うには苦労した。
「じゃあ、ごゆっくり」
「はい! では失礼しますね!」
なにがごゆっくりなのか、これまた自問自答したくなるがこの際だ、置いておく。
去り行くクリスは軽快な足取りで去って行き、アインはその後姿を合点のいかない表情で見送った。
「…………分からん」
とは言えあまり詮索するのも悪い、と思い気分転換に戻る。
「少し散歩してこようかな」
ついでに中庭に行ってみよう。誰かいたらそこで話をしていればいいし、居なくても、少しの気分転換の後で自室に戻って仕事をすればいい。
アインはこう考えて、再度足を動かしたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
が、中庭に行ってすぐにやめることにした。
マーサが給仕たちへ何かを教えていたようで、その邪魔をすることを嫌ったのだ。
となれば、気分転換になる場所はあまり残されていない。
そこで思いついたのが、城の裏手にある砂浜だった。
「んー」
潮風が心地良い。
誰も居ない砂浜は閑散としていているが、気分転換には悪くなかった。
アインは手ごろな岩に腰を下ろし、砂浜をじっと眺めだす。
……波を見ているだけなんだけどなー。
不思議と落ち着いてくるのはどうしてなのか。
誰か研究していないかな、と気になった。
「――――ふふっ」
不意に上機嫌な声が聞こえてきた。
先客でも居たのだろうか?
岩を立ったアインが声のした方向を見ると、そこには一際大きな岩が鎮座する。
あの陰からか。
足を運んでみると、そこには――――。
「…………あ」
居たのはクリスだった。
足元には先ほどの紙袋を開いて置かれていて、甘い香りが漂ってきて止まない。
彼女の手元にはその正体が握られている。
それこそが、先ほど隠していた正体に他ならないのだが……。
「別に隠すほどのことでもないのに」
アインは思わず苦笑した。すると、その声を聞いたクリスがハッと顔をあげてアインを見る。
「ア、アイン様……いつからそこに……」
「今来たばっかりなんだけど……えーっと……」
邪魔をしたことについては大変申し訳なく思うが、そんなに驚かなくてもいいではないか。
クリスは同時に、一瞬で顔から首筋まで真っ赤に染め上げていく。
手に握っていた食べかけの菓子パンをそっと背後に隠すが、時すでに遅し。
じーっと視線を向けていたアインに気が付き、彼女はすっと後ずさる。
「こ、こここ……これはですね! 城下町の査察に行ったときに気になったものでして! 何というかその! そう! 甘すぎて子供の歯に悪くないか調査をして――――」
自分でも無理のある理論と気が付いたのだろう。
「急用を思い出したので失礼しますっ!」
脱兎のように砂浜を駆けだして、アインから勢いよく距離を取る。
この際、何がどう恥ずかしかったのかは別だ。
「どうして逃げたし……」
置かれたままの紙袋を持ち上げてみるとまだ温かい。きっと焼きたての菓子パンだったのだろうし、美味しそうに食べていたのだから、ここでお預けなんて可哀相だ。
「クリスさん!」
「ッ――――ど、どうして追ってくるんですかぁっ!?」
「まだ残ってるし! あとどうして逃げるのさ!」
「急用なんです! 急用を思い出したんです!」
「その理由も無理があるって!」
ところで、この砂浜は決して広くない。
特別狭いわけではないが、城の裏手ということもあり、制限が付く。
ようは、あまり逃げ場はないのだ。
「…………よし、追い詰めた」
「ななな、なんでそんなに強気に追いかけて来たんですか……!?」
「大した理由はないんだけど、さっきも似たようなことがあったからかもしれない。まぁ、それはいいから、ほら」
逃げることを諦めたクリスは紙袋を受け取り、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「邪魔をしちゃったのは悪いと思ってるけど、どうして逃げたのさ」
「……だって」
軽く、羞恥に声が震えていた。
しかし観念して言葉をつづける。
「恥ずかしいじゃないですか……我ながらウキウキしてた自覚はありますし、近衛騎士団長の私が菓子パンを買ってウキウキしてるなんてなんかこう、恥ずかしさの極みと言いますか……」
また、自室ではなく砂浜で食べていた理由も単純で。
単に彼女は、ピクニック気分で居ただけだそうだ。
「一個貰ってもいい?」
「へ? いいですが……はい、お一つどうぞ」
「ありがと、じゃあ早速っと」
するとアインはさっさと砂浜に座り込み、海を眺めながら菓子パンを口に運ぶ。
「美味しいね、これ」
「有名なお店のものなんですよ。ただ、いっつも売り切れなんです」
計画的な行動だったことを暴露していることには気が付かないのか、クリスはアインの隣でしゃがみこんだ。
やがて、はむ、はむと菓子パンを齧りはじめる。
「多分さ」
ふと、アインが口を開く。
「魔石を食べる王太子より目立つことなんて、ないと思うよ」
「ぷっ……ふふっ、もう、なんですかーそれ」
「近衛騎士団長だからってのは気にしないでいいと思うって話。俺なんて、大食堂に行くと毎日毎日頬を緩めて楽しんでるしね」
彼は自分を肯定してくれている、そして、大丈夫と言ってくれている。
この事実に心が温まり、自然と頬が緩んでいった。
「もう一つ、いかがですか?」
「なら、遠慮なく」
そう言って自分を見た彼の表情は嬉しそう。
不思議とさっきまでの羞恥心は嘘みたいに消えていた。
いつの間にか、彼との時間を楽しめていたのだ。
「これは賄賂です。私がここで菓子パンを頬張っていたことは秘密にしてくださいね」
「まさかこの歳で汚職を経験するとは……」
「ふふっ、どうします? 食べちゃいますか?」
すると彼は手を伸ばして、微笑みんで「取引に応じることにしたよ」と言った。
「これでアイン様と私は共犯者ですね」
「牢屋に入ることにならなければいいけど」
「安心してください、私も一緒に入って差し上げますから」
菓子パンを頬張りだしたアインの横顔を覗き込んだあと、やがてクリスも菓子パンに口をつける。
――――目の前に広がる海の景色が先ほどと比べて輝いて見えたのは、錯覚なのか、それとも別の要素によるものなのか、その正体は分からない。
しかしただ一つ。
彼の隣でゆっくりとした時間を過ごすことが幸せなことは、言うまでもない事実であった。
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