黄金航路編エピローグ:『何もしてないのに壊れた!』

 王太子がまた何か成し遂げた。

 イシュタリカの民からしたら慣れっこだが、祝わない理由にはならない。とはいえ、今回に限っては事態が事態とあって内容はまだ伏せられて、何かを成し遂げたという事実だけが伝えられていた。



 ロックダム沖の騒動から数日後、王城にある謁見の間にて。

 多くの重鎮に加えて今は珍しくロランも居た。彼が呼ばれたのは他でもなくて、つい数分前まで、黄金航路の研究成果についての意見交換が行われていたからである。

 そこへ現れたウォーレンが、玉座に座るシルヴァードへ報告を終えたところだった。



「異人種の件はすべて滞りなく。アイン様のお言葉通り、当然、他に治療を求めていた者へ我らに出来る限りの補助を行ったことをご報告致します」



 昼過ぎ、仕事を終えたウォーレンがやって来てアインとシルヴァードへと報告した。

 満足した様子で頷いた二人の反応を見て、ウォーレンもまた静かに頷く。



「こうなるのであれば、強引に研究成果だけでも手にしておきたかったぐらいだ」


「お爺様、さすがにそれは」


「分かっておる。結果ありきの話ゆえであるさ。……だが、それほどの事態であったというだけだ」



 依然として治療を求める異人種がいることに変わりはないのだが、その技術がもう残されていない。ベイオルフは技術を何重にも秘匿していたらしく、大闘技場の地下に残されていた施設を用いても、新たに流用することが難しかったと報告が届いているのだ。

 加えて、イシュタリカで研究に携わっていた研究所にも資料は一切残されていないという。



「してウォーレン」


「はっ、重ねて申し上げますが、国を挙げての補助に当たっております。一日でも早い治療に加えて、被害にあった異人種たちの保護に抜かりはございません」



 するとウォーレンが「そろそろ」と口にする。



「彼女をお呼びしてもよろしいでしょうか?」


「ああ、頼む」


「では――――マダム、中へどうぞ」



 呼び声に応じて謁見の間に足を踏み入れたのは、海を渡って足を運んだマダムである。

 彼女は決して重要参考人として呼ばれたわけではない。彼女が自分自身の足でイシュタリカに足を運び、城門までやってきて話があると言い放ったのだ。

 それから一日経ち、今日に至っている。



「お初にお目にかかりますわ」



 と、マダムが絨毯を進んだ先でひざを折った。

 いくらマダムとてそう簡単に足を運べる場所ではないが、会えた理由はアインが興味を抱いたからに尽きる。



「余に話があると聞いたが」


「ええ、馬鹿息子の件でお伝えしたいことがあってきましたの」



 そう言ったマダムは懐から小さな注射器を取り出した。

 中に入った液体が極彩色に光っている。



「これを」



 受け取ったウォーレンが目を細めた。



「まさかこれは」


「お察しの通り、あの馬鹿息子がつくってた精製魔力よ。それも手の加えられていない純粋なもので、本来の治療目的に使うのなら調整もしやすい代物よ」


「……どうしてこれをお持ちだったのですかな?」


「私の護衛が優秀なの。馬鹿息子のことを定期的に調べさせてたのよね」



 するとマダムは懐から新たな紙の束を取り出し、それをウォーレンに手渡して言う。



「馬鹿息子の周囲のお金の流れよ。細かい所から何をしようとしてるのかを探ってたってわけ。……ま、私ぐらいになるともろもろが手に取るように分かっちゃうのよね……才能かしら……」



 国王シルヴァードを前にしても平然と。

 不敵に振舞い彼女には確かな自信があった。



「今後の研究に役立ちましょう?」


「ああ、感謝する」



 ところで、アインはその精製魔力に違和感を感じていなかった。

 以前のような嫌悪感もなく、普通の魔力のようだったから。

 マダムが言ったように、本来の治療目的にうってつけの魔力に間違いなさそうだ。



「私はこの後、出来の悪い弟子のところに行きますわ。何かご用事がおありでしたら、そちらまで。あの子のことを手伝おうと思ってるので、またいつでもご連絡くださいな」



 あっさりと別れの言葉を口にすると、マダムはすぐに謁見の間を後にした。

 他にも尋ねられれば、こう考えたシルヴァードが何も言わず、静かに見送ってしまうほどの引き際の良さは見事なもので、アインもまた口を閉じたままだ。



 けれど印象に残ったこともある。

 去り際に、マダムが密かに目元を濡らしていたのは、きっと見間違いではなかったから。

 何があろうとも、息子への情は捨てきれなかったのだろう。



(贖罪なのかな)



 道を違えたとはいえ相手は息子で、今の状況でも筋を通すべきと考えた。

 グラーフによると発言とは裏腹に責任感があり、彼女を慕っていた者が多かったという理由も分かる振る舞いであった。

 ここでアインは先日のことを思い出して頬を歪める。



「すみません、俺がもう少し気をつけていればベイオルフも……」



 謝罪の理由は黄金航路との戦いにおける、幕切れの件について。



「アインのせいではないぞ」


「ええ、黄金航路の船は自爆なさったのですから、アイン様の責任ではございません。リヴァイアサンからの報告にも一帯を包み込む、強烈な黄金の波動によりすべてが灰燼と化したとか……」



 当時のことを思い出したアインは目を伏せる。



(どれほどの魔力を爆発させたら、あんなことが出来るんだ)



 セラとの戦いは比較の対象外だから置いておくが、あれほどの衝撃を体感したのは黒龍との戦いのときぐらいだ。

 アインが人道的な扱いを心がけていたのにも関わらず、周囲の戦艦も、ヴァファールの生き残りも一瞬で藻屑と化したほどの破壊力だった。

 距離が近ければ、あのリヴァイアサンも軽傷では済まなかったと予想もつく。



 ――――さて。

 すぐ傍のアインが緊張感のある考えごとをしていたにもかかわらず。



「……ロランよ」


「は、はいっ! なんでしょうか……!」



 ロランは違っていて、彼の様子を見たシルヴァードは仕方なそうに頬を緩めた。



「ウォーレンの手元にある物が気になるのだろう?」


「それは……研究者として、技術者としても気にならないとは言えませんが……」


「繕うでない。それだけ尻尾が揺れておれば余にもわかる」


「も、ももも申し訳ありません……!」



 言われて見てみれば、確かに揺れていた。

 謝罪した今も変わらず上下左右に。



「お爺様、ロランに預けてみるのはどうでしょうか」


「余もそれを考えていた。カティマの研究室に運び、あ奴と調べてくれぬか?」


「い、いいのですか?」


「ああ、当然だ」


「ッ――――ありがとうございます! できるだけすぐに戻っ、、、、、、、、、、てきますので、、、、、、!」



 遠慮がちに尋ね返すもシルヴァードの快諾を前に笑みが零れる。するとウォーレンと共に席を外し、二人は地下の研究室へと向かって行った。

 アインはロランの後姿を眺め、やがて思い出したように言う。



「奴らが相談役と言っていた男はどうなったんでしょうね」


「さてな。知恵者ならば、海に沈んでいてくれれば好ましいが」



 ここでロイドが口をはさむ。



「バードランドからの報告によれば、そ奴も港に向かったとのことです。相談役と呼ばれるほどの男でしたら、誰もが置いていく判断はしないかと。琥珀宮に残った者らもそう申しておりましたな。つまり私の予想は奴も海に沈んだ、でございます――――が、アイン様は頷けないご様子ですな」


「何となくだけどね。あの男は不思議な感じがしたからさ」


「不思議とは、たとえばマジョリカ殿のようにでしょうか?」


「それ、マジョリカさんに聞かれたら怒られるよ?」


「冗談でございますとも。……ですが、アイン様が気にする相手と言う事実には私も興味が惹かれます。一度会ってみたいものですが……いや、会う機会がない方がよろしいようですな」



 今の話に限ってはこれに尽きた。



「何にせよ、しばしは調査をつづけねばなりませんな、陛下」



 加えてアインが気にしていた魔道具のこともある。あの仕掛けがされた魔道具がイシュタリカにも輸出されていたらという問題はまだ解決しておらず、今も調査はつづいていた。



 うーん、とアインは悠然と背を伸ばして声を漏らした。



「疲れたのか?」


「勝手なことをしておきながら、実は少しだけ疲れました。身体がっていうよりも、心がですが」


「自業自得な一面もあり、されどアインの働きは見事なものだった。追加で休みを与えるから、しばしの間は急用に努めるのだぞ」


「あれ、いいんですか?」


「そもそも、此度の一件は休暇のはずだったであろう。相変わらず独断専行気味の行動は目立ったが、我らが民のためであったならば致し方あるまい」



 それが潰れたから追加でということだ。

 しかし、アインからしてみれば、自分から首を突っ込んだという念が拭いきれない。

 さすがに悪い気がしてしまう。



「おお、思い出したことがある。実は例のレンドルとかいう男から謝辞が届いておった。アインも読むか?」


「じゃあ遠慮なく」



 シルヴァードが懐から取り出した手紙を受け取り、さっと中身を取り出して目を通す。

 まとめるとこうだ。

 国家元首選定の儀は一度延期となったが、現状のままであれば、自分が選ばれそうであるということ。

 黄金航路から資金を受け取っていた有力者たちも露になってきたことで、叩けば埃の出る者が一斉に牢に運ばれたとのことだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 つらつらと綴られる文言に目を通していると、謁見の間の扉が開かれる。



「ただいま戻りました」



 現れたのは地下研究室から戻ってきたロランで、彼は何故か試験管を手にしていた。謁見の間を出てから十数分ほどの短い時間しか経っていないが……。

 そんな彼の後ろには、カティマが妙に居心地が悪そうに歩く。



(……んー)



 直ぐにアインは考えを改める。

 カティマはどうしたもんかと迷っているように見えたのだ。



「どうした、カティマまでやってきて」


「いや……あのー……お父様……何ていうかそのーだニャ……」


「何だ気味の悪い。お主が言い淀むと恐ろしさすら垣間見えるのだが」


「一理あるかもしれニャいけど……どっちかっていうと、恐ろしいのはこの狼男の方なのニャ……」


「訳の分からぬことを申すでない。して、ロランが手に盛っておる試験管はなんだ?」



 だがカティマは何も答えず、隣を歩く狼男ロランの横っ腹を肘で打つ。



「もう全部任せるニャ」



 投げやりな態度なんて珍しい、アインがそう思った矢先のことだ。シルヴァードの面前にやって来たロランは傅いて、伸ばした腕の先に試験管を持った。

 そして、ごく当たり前のように、普通の声色で言うのだ。



「作ってきました」



 と。

 さすがのシルヴァードであっても悟れぬ言葉数の少なさだった。



「……すまんが、意味が良く分からん」


「ロラン、俺も良く分かんないんだけど……」



 二人に指摘されてハッとしたロランはバツの悪そうな顔で、次に口を開くと「申し訳ありません!」と慌てて謝罪をしてから咳ばらいをして。



「さっきの精製魔力を解析して作ってきました!」



 キョトンとして、目を点にしたシルヴァード。



「お父様、ようはこう言うことなのニャ」



 何でもウォーレンに連れられて現れたロランは開口一番、カティマに所望する魔道具の存在を尋ねたらしい。訳が分からぬままカティマはあると答え、ついでに必要という素材を用意した。

 数分の間、魔道具の前で唸っていたかと思いきや。



「いきなり「分かりました!」って叫んでから、魔道具を動かしてその魔力を作ったのニャ」


「前々から考えていた理論の応用です。最後の一つが分からなかったんですが、注射器に入ってた精製魔力を調べて理解できたので、そのまま作ってきました。……似ている技術をバハムートにも使ったことがあったので」



 ここでついにシルヴァードが頭を抱える。

 喜びより先に、この急展開っぷりにこうするしかなかったのだ。



「今度は別の意味で理解が追い付かぬ……何がどうなっておるのだ」


「お父様、ようは欲しかった技術が手に入ったってことだニャ」


「知っておるわ! 余の理解が追い付かぬのは、問題だったはずの件がこの十数分で解決したからであるぞ!」


「ニャァァ……そういわれても、まさかロランがあっさりと作っちゃうなんて私も想像してなかったのニャ……置いてけぼりなのは私もなのニャ……」



 ウォーレンさんが居ないのはそういうことか、同じくロランの規格外っぷりに苦笑したアインが頬を掻きながら声に出さず呟いた。

 年単位、ついでに言えば多大な資金を投じてやっと得られる成果だったはずなのに。

 それが何故か、ロラン一人であっさりと片付いた。

 だからウォーレンはすでに忙しなく働いているはずだ。



「ロラン、褒美に何を望む」


「あ、ボクはこの技術の権利に興味ありませんので、出来ればそのー……バハムートの予算を増やしていただけると……」



 こう告げたロランへ、シルヴァードの返事はすぐに届く。

 またも多少投げやりに、大盤振る舞いに。



「……予算ぐらい構わん。何なら、爵位と土地もつけてやろう」



 やはり投げやりな感じが漂うシルヴァードへと、ロランは反射的に「全部予算でお願いします!」と返したのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




「美味しいじゃんコレ」



 夜、自室で執務の最中にアインが言う。

 机に置いていた試験管をぐいっと口元に運ぶという、第三者からすれば良く分からない光景を作り上げた後、満足した表情で口にした。



「それって飲み物なのかしら」


「違うと思う」


「良かった、私の認識が正しかったみたい」



 呆れ気味のクローネがどこか諦めた様子で言うと、ソファに座ったまま足を組みなおす。

 表面上は分かりにくいが、眠そうだ。

 他の誰よりも彼女を知るアインからすれば、疲れを貯めていることがすぐに分かる。



「なんか果実水みたいな感じだった」


「そ、そうなのね……でも温そうよ」


「実はそれだけが残念で、冷やさないと駄目かなって思ってたところ」


「普通に果実水を飲むのじゃダメなの?」


「…………」


「ねぇねぇ、ダメなのかしら?」


「つづきの議論はまた今度ってことで……うん」



 言い返せずに逸らすように答え、彼は机に向かい直してペンを握った。

 一方、すでに仕事が終わっていたクローネは彼の仕草に微笑む。


「手伝うわ」


「大丈夫だって、これは俺の仕事だし」


「でも」


「あと少しだから大丈夫だよ」



 時折、察してくれと思うことはあった。

 例えば今回のように一緒に居る時だ。

 仕事をやめろとは言わないし、思ったこともない。だから手伝うことで彼との時間を共有して、仕事が早く終わればゆっくりできるという事実に向けて頑張りたい。



 昔、はじめてバルトに足を運んだときの喧嘩がいい例だ。

 成長した二人はあのようなことで喧嘩をすることはもうなかったが、一緒に居るとき、甘えたい気持ちが心に宿るのはどうしても抑えられない。



 だから、偶にはちょっかいを出したくもなる。



「…………じー」



 彼の机の傍まで行って、隣で無作法にも膝立ちになって机の上に顔を乗せる。

 横顔を眺めていると満足してしまいそうになってしまうのが口惜しい。



「な、なにかな?」


「ううん、何でもないの」


「何でもないって割には……ま、まぁいっか」



 しかし隣にいる自分に顔を向けないことには少し不満だ。

 彼も彼で、ちょっとした遊び気分で意地を見せる。

 クローネと目を合わせた時点で負けと言わんばかりに。



「…………別にいいもん」



 手持ち無沙汰そうに指を遊ばせて、彼に伸ばそうとしてそれを止める。

 さすがに邪魔だ。こうして既に邪魔をしてしまっているのだから、これ以上の邪魔は……と心が止めていた。何にせよ今更なのだが矜持が許さない。

 まず、彼の仕事内容はクローネも把握している。

 別に急ぐようなものではなく、彼女でも出来る仕事だからこうしてちょっかいを出せていた。



 けれど、抗いきれない想いがあった。

 彼の横顔を見ていると、どうしても満足してしまう。



「…………ふふっ」


「急に笑って、どうしたの?」


「ううん、何でもない」



 簡素なやり取りにも幸せを覚えてしまい、不思議と目がトロンとしてきた。

 静かだからこそ聞こえる彼の息遣い。ペンを滑らせる音。稀にキッ、となる椅子の音だって。どれもこれも心地良く感じてしまう。



「ねぇ」



 そして、これは無意識だった。



「んー? なにー?」



 常日頃から想っていても、このタイミングで言うつもりがなかった言葉が口から漏れる。



「大好きなの」



 不意の発言に、アインは思わずペンを手から離し。

 誘われるように彼女を見てしまう。

 今の言葉が自分を見てもらうための餌ではなかったことぐらい、すぐに分かる。彼女を見れば心からの、自然と漏れ出した言葉なことぐらい察しがついた。



「あっ…………やっと見てくれた」



 絹糸のようなシルバーブルーの髪が頬にしな垂れかかって、トロンとした瞳は熱を持ってアインを見上げる。枕にした両手の上に乗せられた顔は、ほんの少しだけ上気していた。



 すると、伸ばしてしまったアインの手に反応して、クローネの指先から現れた細く青々とした蔓。

 アインに根付き、種族そのものが変化してしまったことの証明が現れて、同時に、アインの指先からも蔓が現れて絡み合う。

 曰く、最近は自分の意思でも少しだけ出せるとのことだ。



「こっちを向いてくれたから私の勝ちね。手伝ってもいい?」


「やっぱり勝負だったのか……」



 クローネは上機嫌に言って立ち上がり、アインの後ろに回って部屋の外へ向かう。

 絡み合っていた蔓はいつの間にか消えていた。



「頑張りすぎても身体を壊してしまうわ。軽食を貰ってくるから、少しだけ一緒に休憩しましょ」



 でもその足は途中で止まってしまう。

 トトトッ、と軽快さを孕んだまま彼の後ろに立って声を掛ける。



「ねぇねぇ」



 アインがすぐに振り向くと。



「……んっ…………ふふっ、行ってきます」



 彼女と、静かに唇が重ねられた。

 去り際に漂う花の香りと、唇にわずかに残った彼女の熱。

 脳まで溶かされそうな圧倒的な華を前にして、アインは彼女が部屋を出ていくその瞬間までぼーっとその後姿を見送った。



「頭、冷やしてこよ」



 軽食を持ってきてくれるそうだし丁度いい。

 なんて丁度いい。これは決して自分が負けたわけではなくて、休憩したかったからだと心の内で無駄な言い訳を何度もした。

 手はバルコニーへつづくガラス扉に伸び、外に出ると涼しい夜風が頬を撫でる。



 消え去らぬ余韻のままに、何の気なしに思い出したことがある。



 ――――そうだ。



 こう思って懐から取り出したのはステータスカードだ。

 ヴァファールの魔石は戦いのついでに吸ってあったし、何か新しい力でも手に入っていないかと思ったのだ。

 でも期待はしていなかった。

 妙に身体付きが変わる特製はあっても、それが使えたところで特に……と思えてならない。



 けれど、アインはステータスカードを見て驚くことになるのだ。

 新しいスキルがあったわけでもなく、以前と違って数字が表れたわけでもない。

 だけど確かに、アインが驚くべき変化があったのだ。

 両手に持ったステータスカードを夜空にかざし、間違いでないことを確認しながら、微塵も予想したことのない事実を前に絶句する。



「…………」



 やがて正気を取り戻したかのように口を開くが。



「ス…………ステータスカードが壊れたッ!?」



 ――――驚愕の声のその先にあるステータスカードは名前やスキルに至るすべての欄が消え、代わりに真っ白な紙面の中央に、見慣れない文字だけが刻印されていたのだった。

 

 





◇ ◇ ◇ ◇ ◇




今回で黄金航路編は終わりです。

次話からは間章を挟みつつ、引き続き物語は進んで参りますので、これからもお付き合いいただけますと幸いです。


おまけ『ベイオルフ生存ルート』


――――――

 漂っていたのは香しさだ。

 砂浜に吹く穏やかな海風にそれが入り混じり、微かに郷愁を感じさせる物寂しさを孕んでいた。

 そこで白い丸テーブルを構えて茶を嗜む一人の老女。



「ほらほら言ったじゃないの、私の読みもまだ捨てたもんじゃないわねぇ」


「マダムは相変わらずだな。驚いたよ」


「もっと褒めなさいよ、何を微妙な顔してんのよ」


「いや、母だからこそなのかと思っただけだ」


「余計なことは言わないでくれる? どうだっていいじゃないの」


「なるほど、これは失礼した」



 海原に漂う船だったものの中に。

 一つ、木片に身体を預けたままに漂着した者が居た。

 マダムはそれを気だるげに指さした。



「アレ、取って。テキトーでいいわよ、テキトーで。あんな馬鹿を丁重に抱き上げてやる必要はないわ」


「マダム……それで死んだらこっちが困るだろうに」


「知らないわよ。それで死んでもあの子自身の責任じゃない」



 命じたマダムは男が海に向かうと同時に目じりを下げた。深々とため息もついて、紅茶の入ったカップを置く動きはゆっくりと、いつもの力強さがない。



「ほんっと」



 心の底からの、嘆き交じりの声で言う。

 


「男ってどうしてこーも馬鹿ばっかりなのかしらねぇ、馬鹿馬鹿の馬鹿よ」



 すると空を見上げ、目を細めるにすべてを留める。

 呆れるほどの青空を前に。

 彼女はもう一度「馬鹿よねぇ」とだけ呟いたのだった。

――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る