彼の黄金。

 海龍の存在を知らなかったのかと聞かれたら、ベイオルフはそれを否定する。

 知らなかったどころか徹底的に調べ上げていたほどで、成体に関してはイシュタリカに居る学者のそれよりも遥か上のレベルと言ってもいい知識を有していた。



 それが、どうして。

 ヴァファールと海龍の戦力差を比較したことはあったのに。



「何故なんだ」



 蹂躙されるなんてもっての外。

 総数同士の戦いとなれば勝利を収めることだって出来たはず。

 だからどうしてなのか不思議でたまらない。



「急ぎ航路を。この海域を脱する必要がある」



 すると部下は急いで艦内へ連絡を取る。

 しかし状況は依然として変わらない。

 巨大な船と言えども速度は十分であるはずなのだ。

 それなのに、少しも船が動く様子はない。

 ……炉が稼働する音は聞こえていたのにだ。



「動けないのかい?」


「お、おそらくは……ッ!」


「おかしな話だ。海龍の力は十分なほどに研究していたはずなのに、動けないだって? 我々の船なら海域を脱することは――――」



 ふと。



『ガッ……ァァ……』



 そう遠くない海上に、また一頭のヴァファールが浮かんできた。

 首を海水に締め付けられるという異常に襲われて。



「――――あり得ない。海龍の力と言えど、ヴァファールを海水で屠れるほどには……」



 たった一つ、確定的なのは状況が良くないということだ。



「私は中へ戻る。主砲の元へ急ぐ」


「はっ!」


「ここは任せるよ。使える物はすべて使って奴らを蹂躙するんだ」



 そうでなくては結果は分かり切っている。

 が、海風が頬を撫でたその刹那。

 視界の端、海原の向こう側に現れた巨大な影。



「彼は一体、どうやってこの海にやって来たのだろうな」



 海龍に乗って? 考えてみたが我ながら違和感を覚えてならない。

 こう考えたところで、遠くから近付いてくるリヴァイアサンの姿は変わらないのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 実はアインもベイオルフと同じ疑問を抱いていた。



『キュル……』



 今まで見たことのない力を披露する双子を前に、一見すれば木の根の上に悠々と立っていた彼もまただった。海水を練り上げて自身の手足のように使う技なんて見たことがない。



 幼いころと比べてそれはも巨大に成長した双子ではあるが、さすがにこれは成長しすぎだろうと。

 もはや黄金航路への警戒心は皆無に近く、急激な成長への疑問だけが頭の中で蠢いた。



『ァァァアアアアアアアア――――――ッ』



 背後で鳴り響く海原を揺らす咆哮。

 一帯の海域を水の壁が包み込む様子は以前も見たことはあったが、今の高さは当時の遥か上をいっていた。

 神隠しのダンジョンが塔と化したときほどではないが、数百メートルはあるだろう。



(カティマさんも、最近は魔石の食育はしてないって言ったけど)



 どうやってこれほどの成長を遂げたのか不思議でたまらない。

 見る限りではあるが、今の双子は確実に海龍騒動の際の二頭より遥かに力を秘めている。

 となれば、自主的に強くなった。

 こう考えるのが筋ではあるのだが……。



(なにか、そう思うきっかけ、、、、があったのか)



 心にしこりが残ってしまう。

 双子がそれを教えてくれるかは疑問だし、恐らく何か直感での行動と考えるのが筋だろうが。



『グルゥ』



 ふと、アルが鳴き声を共にアインの真横に顔を運んだ。

 前を見てと言われた気がして目を向けると。



「ああ……別にあれぐらいならどうとでも……」



 放たれた魔石砲を前にして腕を伸ばしたところでアルが短く鳴いた。

 まるで、そうではないと言われているかのように。



 アルの意図が明らかになったのは間もなくだ。

 鋭い牙を露出させ、何をするのかと思いきや上下の牙を擦らせ、火花のように魔力を散らした。それは海面を波及していくと、魔石砲がアインに届くその前に水が弾けた。



 それが作り出す光景はダイヤモンドダスト。

 極寒の中でしか見られないはずなのに。



『アアアァァァ――――ッ!』



 咆哮に押し出されて、魔石砲の煌めきと相対する。

 負けるなんてとんでもない。押し出されたダイヤモンドダストが魔石砲をかき消してしまったのはすぐのことだ。



「アル」



 手招いて、腕が届く距離になったところで巨大な瞳を前にして言う。



「俺が知らないところで何を食べたの? 正直に言わないと久しぶりの教育もやぶさかじゃないよ」


『ッ――――キュゥ……?』


「いやいやいや、声変わりして何年だと思ってんのさ。今でもその声を出せたことには驚いたけど……まぁいっか」



 答えるつもりがないというよりは答えに詰まっていた様子だったから。

 となれば本能的に強くなることを求めての行動をした結果なのだ。



『ガガッ!』


『ギィイイッ!』



 不意に背後から。

 浮上と共に襲い掛かったヴァファールの声。

 だが二頭のヴァファールは自分の身体がどうなったのか気が付く暇もなく、いつの間にか、まばたきの刹那よりも速い速度で胸元に風穴があけられた。



『キュッ!』



 やったのはエルで、彼女は父と慕うアインへと得意げな声で話しかける。

 果たして双子に何があったのかは疑問であるが、これは後だ。



 ――――化け物だ。

 ――――いいから撃てッ! 相手は一人と二頭だろう!?

 ――――ああ! 我ら黄金航路、この先に待つ輝きのためにッ!



 どこまでも前向きなのは盟主ベイオルフ・ハーデンの人望ゆえか。

 遠くの声を敏くも聞いたアインはため息を漏らす。



「リヴァイアサンも近づいてる」



 ここまで止めを刺さなかった理由は単純だ。切り伏せた船に乗っている者を救うためで、人道的な面というよりかは、情報収集のためにそれをしたかったからだ。



「潮時だ」



 剣を構え直す。

 軽く、海風に従っての穏やかな動きだというのに。

 空を漂う残りの雲が霧と化して。

 そして、横薙ぎ一閃を放つと同時に――――。



 ――――トン。



 ベイオルフが乗った船を囲んだ艦隊が。

 呆気なく、そして無残にも両断されてしまう。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 窓から外の光景を見ていたベイオルフは目を疑った。

 あり得ない、信じられないと。

 アインと言う王太子の力は何処までも響き渡る名声の一端を担っており、それはベイオルフとてよく知っている。けれど、目の当たりにしたことはなかったのだ。



 災厄と語られる海龍を単独討伐した存在で、ハイム戦争を終結させた英雄。

 そして直近では黒龍と呼ばれる巨大な龍を討伐したというが、どれも自分の目で見ていない。



「盟主!」


「……ああ、セイか」


「主砲を放つのはやめるのだ! 今ならばそのエネルギーをすべて撤退に回せる! 目立たない小舟に乗り換えればなんとか――――」



 ここに来て尚、ベイオルフの心は折れていなかった。



「黄金は錆びない」


「盟主……ッ! 今はそう言うことを話している場合ではない!」


「セイ、君の尽力には常日頃から感謝している。でも違うんだ。我ら黄金航路は逃げたらどうなる? ここまで来て逃げるだなんて、今日までのすべてを無に帰すだけだろう?」


「ああそうなるだろうな。しかし、我らはもう敗「いや、まだ敗北していない」」



 食い気味に言われ、ついでに肩に手を置かれたセイはベイオルフの強い瞳を見て感じた。ここにきても折れないなんて、この男の精神はいったいどれほど強いのかと、不思議に思ったぐらいだった。



「逆にここを超えれば我らの勝利だ。届かぬはずだった牙がイシュタリカに届くようになる」



 そうだ、言葉自体は間違いではないのだ。



「皆も良く聞いてくれ。今日という日は、我ら黄金航路の第一歩だ。世界の歴史に名を刻む最初の一日だ。ここにいる皆が開国の祖となり、私が造る国の偉大なる柱だ」



 恨むべきはベイオルフの饒舌っぷりで、彼が中途半端ではないカリスマ性を秘めていたことだろう。

 ただ、ここにいる者は一人もそのカリスマ性を疑っておらず。



「……勝算はあるのだな?」


 反対していたセイもまた、ベイオルフの願いに心が傾きつつあった。



「あるさ。この船の主砲は特殊で、従来と違って連射が可能なんだ」


「それでどうするのだ」


「ヴァファールをすべて使い、生き残った戦艦ともども波状攻撃を仕掛ける」


「使う、とは」


「ここで果てることは予定にはなかったが、ヴァファールには我らの壁となってもらう。なんとかして一瞬の隙を作り、我らの砲撃を届かせるのみだよ」



 主戦力と言ってもいいヴァファールを犠牲にするという大胆な判断には多くの者たちが絶句したが、次の瞬間にはベイオルフの顔を見て頷き返す。

 彼ならば、彼の言葉なら大丈夫。

 こう、強く信じさせられていたからだ。



 しかし。



「ッ…………!?」



 一足遅かった。

 主砲はアインの剣により真っ二つに切り伏せられ、船は彼の心ひとつで沈められる直前である。

 すべての想いは崩れ去り、計画も悉くが瓦解したのだ。



 だが船内は活気に満ち溢れていた。

 ベイオルフの声の影響は消え去っておらず、船員たちもまた勇敢に言う。



「まだ方法はある!」


「そうだ! 研究区画の魔力を放つことだって出来るんだ!」



 頼もしさを前にしたベイオルフが口を開く。



「私は今から生き残ったヴァファールに命令を下してくる。皆、今宵は共に勝利の美酒に酔いしれよう……ッ」



 この声のあと、彼はセイを連れて部屋を後にした。

 向かう先は船内に設けられた自室だ。



「不思議だな、貴方と居ると勝てそうに思えてきてしまう」


「不思議なもんか。事実さ」


「思い出したよ、私はそう思わせられる貴方の強さに惚れたんだ」


「これからも同じさ、我らは勝利を収めるのだから」



 いくつもの渡り廊下を経て、船員や戦士とすれ違うたびに一人一人を激励して。

 やがて、たどり着いたのは船の隅に大きく作られたベイオルフの部屋だ。

 金属が目立つ船内でも、ここだけは目の前に真っ赤な絨毯が敷き詰められ、扉は職人の技が光る重厚な木材による巨大な扉である。



 ベイオルフが扉を開けて中に入ると、中央には対面のソファが一対置かれている。

 寝室や執務室は中で分かれており、ここはエントランス部分にあたっていた。



 ――――彼が、銀髪の男がそこに居たのだ。



「貴様……ッ!」


「セイ、待つんだ」



 剣を抜こうとしたセイを止め、ベイオルフは心に苛立ちを感じながらも静かに近づく。



「キミがここにいるとは考えてもみなかったが、要件は何かな?」



 あくまでも冷静に尋ねたつもりなのだが。

 銀髪の男は座ったまま、顔を向けることもなく口を開く。



「残念だよ、ベイオルフ」



 口を開くや否や問いには答えず。



「君が最期に見せる輝きが見たくて来たんだが、失望したよ」



 唐突に姿を見せた銀髪の男は冷たい声で。

 心底、冷めきった様子で口にする。



「僕は君を好ましく思っていた。君は僕が見てきた中で他の誰よりも人間らしく、弱者であることを自覚して強くなろうとしていた。それが美しくて、君という弱者を愛さずにはいられなかったんだが……底が見えてしまった」



 負けじと冷酷な声で返すのはベイオルフだ。



「底が見えたのはキミの方だろう」



 対面に腰を下ろし、不敵な笑みを浮かべて相手をした。



「私に興味があると言っておきながら、キミは私を裏切った。ああ、別に裏切ること自体はよくあることだし、気にしていないんだ。けどね、キミはそんなことをしておきながら傲慢だ」


「そうかい?」


「ああ、傲慢以外の何物でもない。低俗ですらある」


「…………」



 すると、銀髪の男が天井を仰ぎ見て目元を片手で覆ってしまう。



「あっはっはっはっはっはっ! そうか、私は傲慢で低俗なのかい!」


「おかしなことでもあったかな」


「考えは自由だ。それが世界に存在する皆の権利で、誰にも犯すことができない聖域だと思う。故に私はベイオルフのことを否定しないし、受け入れよう」



 そして彼は立ちあがり背を向けた。



「私に憧れてくれた君は穢れを知らない少女のように可憐だった。私の話し方を真似して、考え方も似ていく様を見るのは達する、、、以上の甘美に浸れたよ」


「…………何が言いたいんだい」


「大したことじゃないさ」



 ふっと立ち止り、ベイオルフに振り向いて。



「ただベイオルフ、君の本質は劣等感に苛まれた少年だったってだけさ」



 ここでついに船が揺れた。

 窓がないから外の様子はわからないが、アインが新たな一手を放ったのだろう。



『盟主! 奴らの船が――――ッ! リヴァイアサンが攻撃をッ!』



 魔道具を通して聞こえてきた緊急連絡にため息が漏れる。

 前方にいる三つの敵と、後方から近づくイシュタリカ最強の戦艦。

 ここにきて銀髪の男と時間を使っていたせいではない。

 言うまでもなく、こうなることは誰もが心の奥底では察しがついていたことだ。



 船が揺れ、進水してきた音が響き渡る。

 もう長くない時間を経て沈むだろう。



「魔王の定義というのは常々議論の種だった。ここ数百年の定説は多くの種族と意思疎通がとれるということが大前提になる」


「……キミは一体、何を話しているんだ?」


「ヴァファールが負けた理由さ。ようは純粋な水龍に魔王の因子を持つ個体は存在しえないんだ。だが、同種の中にもネームドとされる強者は生まれてくる。数十、数百、そして数千の個体の中に生まれる突然変異とも言うべき強者がね。……彼らの成長速度は人知を超え、一日経つだけでも見違えるほどだよ」



 前置きのない唐突な説明ながら、強く興味がひかれる。

 これが平時で、何もなかったときならば。

 美酒と美食をテーブル一杯に並べて、朝まで尋ねたくなるテーマであった。

 でも、今はそんな余裕がない。

 ベイオルフは銀髪の男が助力をする気がないことを悟り、同時にけじめをつけるべく毅然とした口調で言う。



「私は常々、裏切り者には強い罰を与えてきた」


「そうだったね、良く知ってるよ」


「幹部にもそうだ。重大な間違いには罰を与えてきたのに変わりはない。もう分かるはずだよ」


「私を始末したいって、君はそう言ってるんだね」



 その言葉からほんの一瞬過ぎたところで、銀髪の男が来た白いシャツをセイの剣が貫いていた。

 深紅の鮮血が舞い、絨毯を濡らす。

 彼は唇の端から血を漏らして、されど笑ってベイオルフを見ている。



「相談役、貴方の魔力は良く知っている」


「そう強くないってことをかな」


「そういうことだ。そして、剣技に優れているわけでもなく、貴方は類まれな頭脳を持って我らに助言を与えていた存在であることも」



 この銀髪の男が戦ったことはなくて、そもそも、漂わせている魔力だって決して濃くない。ようは戦闘要員ではなく、参謀役であるのだ。

 だからこそ、こうもあっさりと胸元を貫かれていたのだ。



「久しぶりに、一つだけ、、、、死んでしまったよ」



 合点がいかないのは彼に余裕があり、微塵も事切れる気配がなかったことだ。



「何故……どうして死なないのだ……ッ!?」


「さぁ、どうしてだろうね」


「それに……どうして貴様の魔力が増しているッ!」


「体質なんだよ、稀有なことにね」



 彼はそう言ってからセイの剣を握り締め、そして砕いた。

 するとあっという間に振り返り、唖然とするセイの胸を自身の腕で貫くのだ。



「ぁ……え……?」



 驚いたのはベイオルフもそうだ。

 驚きのあまり、ソファに腰を下ろしたまま目を見開いている。



「ベイオルフ」



 血に濡れた片腕をかざしながら彼を呼んだ。



「死、とは何かって考えたことはあるかい」


「……死、だって?」



 汚れていたはずの片腕を包み込んだのは黄金の魔力。ベイオルフが見惚れるほどの見事な輝きに包まれて、あっという間に腕を浄化した。



「せっかくだ、最期に私が思うことを話しておこう」



 黄金に染まった魔力は輝きを増し、比例して圧を増していく。

 部屋を揺らすのはそのせいで、船全体もまた、そうだ。



「私にとっての死は人を裁けなくなることだ」



 兼ねてより、彼は裁かれる際に人の本質が見れると口にしていた。

 関係している事実は明らかだった。



「身体が動かなくなろうと、意識を失おうと。それは死ではなく大したことじゃない」


「くだらない問答だ。死はいずれも終わりでしかない」


「それも一つの結論さ。――――これはとある国の言葉で私も感銘を受けた言葉なんだが、ベイオルフも覚えておくといい。この言葉によると、死にはもう一つの意味があるらしくてね」



 黄金が部屋中を包み込んでいく。




「人生は夢と同じ概念であり、死はその夢から覚める唯一の方法なんだそうだ」




 ベイオルフの視界が黄金に包み込まれていく。

 ……すべてを浄化する、肌を灼く輝きに。

 彼は意識を失うその直前に、銀髪の男が呟いた言葉を耳にした。



『君の夢はもう、覚めるんだよ』



 ――――と。



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