海上戦力

 早くもバードランド郊外を馬に乗って駆けていた集団が居た。

 黄金航路が盟主ベイオルフ・ハーデンを先頭にして一行が目指していたのは大陸最西端、以前、マダムが情報を掴んでいた港の方角である。

 少し遅れて合流したセイがたった今、ベイオルフの隣に駆け寄ってきた。



「盟主」


「よく来てくれたね、セイ」


「……正直、状況は把握できていないが」


「実は私が理解できたのも今さっきのことだ」


「ではご説明を――――おや? 相談役の姿がないようですが、どちらに?」


「この騒動が彼のせいでもあるからだよ」



 でも、と言葉をつづける。



「私は気にしていないよ。兼ねてからの計画を実行に移すのが早くなっただけとでも思えば、心はいつもと同じで静かなものだ」



 何があったのか、これからどうするのかをセイに語りだしたベイオルフは荒野の先だけを見やり、瞳には一切の迷いがない。

 たとえ、全てが明るみになった今でも……。

 そしてイシュタリカを怒らせた現状であってもだ。



「お言葉ですが」



 いくら黄金航路の力があっても、とセイが苦言を呈する。



「勝算は限りなく皆無に思えてならない。盟主、ここからどうするつもりなのだ?」


「私が何のためにあの港を用意していたと思う?」


「…………」


「多くの者たちが勘違いしていることだが、私の本命はあんな都市なんかじゃない。いずれこうなることだって考えていた。だからこそ、私は設備の多くを港に――――いや、海上拠点、、、、に用意してある」



 大陸の最西端にある港は大闘技場の地下と違って隠し切れないが、当然、部外者が立ち入ることは許されていない。

 加えて。



「ドックの内部にある船は、たとえイシュタリカの密偵であってもまだ見つけていないはずだよ」


「だが」


「だが、何だい? それでも我らの戦力が足りていないというのかな? ……セイの心配はもっともだが、そう迷子になった子供のような顔はしないでくれ」



 馬に乗ったまま、彼は流し目をセイに向ける。



「私たちだって魔石砲は持っている。イシュタリカ艦隊が保有する主砲級の代物でなくとも、数は倍以上の魔石砲をだ。そして……」



 不意に向けられたベイオルフの笑みに対し、セイの背筋が冷たさを感じた。

 ベイオルフの瞳が普段は見せない冷酷な一面を垣間見せて、戦士たちが恐れる心の奥底にある残忍さを内包した迫力のあるものへと変貌する。



「彼から受け取ったヴァファールの卵の残りはすべて海上拠点に運んである」



 まぁ、今は静かについてきてほしい。

 ベイオルフが最後に口にした言葉へと何も言えなかったセイは素直に頷いて返したのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 彼らが大陸が最西端にある港にたどり着いたのは翌日の早朝だ。

 既に連絡が届いていたこともあってか、港はすでに臨戦状態である。



 さて、港の状況は現在の港町ラウンドハートに似て、以前はこの大陸に存在しなかった技術に満ち満ちていた。端正に敷き詰められた石畳の先に位置する桟橋はよく整備されており、青々とした海原に良く映える。

 停泊した戦艦はイシュタリカのそれと比べれば若干小さかったものの、数十隻は並び壮観だった。



「…………これほどとは」


「セイは来たことがなかったな、ここから我らの海上拠点へ向かうよ」


「船に乗って、か?」


「いいや、あちらのドックの中にある巨大船そのものが海上拠点さ」



 するとセイはベイオルフが向けた手の方を見た。

 そこにあったのはバードランドの大闘技場に劣らず巨大な建築物だ。

 一見するとただ四角い石の壁が出来上がっているようにみえるが、きちんと見渡すと周囲を取り囲む鉄骨や多くの魔道具による灯りが目を引いた。



 後は海沿いに造られた巨大な金属のシャッターであろうか。

 アインが良く知る王立キングスランド学園における、一組の教室に入るための扉に似て、紋様や飾り付けがされた豪奢なシャッターだった。



「ヴァファールはどこに?」


「あっちだ」



 と、今度は海原を指さしたベイオルフ。

 一方で、目を細めるがそれらしき姿を見つけられないダークエルフの戦士。



「この先にある北西の海にはヴァファールの卵を持たせた戦艦が展開されている。――――十八隻に及ぶ我らの最高戦力がね」


「ッ――――驚いた。相談役からそれほどの卵を受け取っていたとは」


「ああ、大闘技場での培養が成功できた時点で研究拠点を移していたからね」


「だが分からない。私が見たヴァファールは海中での戦いに適応できるとは思えないんだ。はっきり言って、戦艦を増やす方が有意義だったのではないだろうか」



 だが、その点も当然抜かりはない。

 あくまでもベイオルフは冷静で、尚且つ自信に満ちた面持ちは崩さず。

 優雅にほくそ笑むとセイの肩に手を置いて。



「奴らは私たちが思っている以上に柔軟な生物だぞ」



 こう言ってから馬を降りる。



「ついてくるんだ。我ら黄金航路の神髄、セイの目にも焼き付けほしいからね」



 彼がドックに向かう後ろ姿には、確かな自信が漂う。

 それにはセイも黙って従い歩いた。



「直ぐに出航するが、いいかい?」


「あ、ああ……構わない」


「どうしたんだ、いつもの覇気がないな」


「……どうしてだろうか自分でも分からないが、困惑しているんだと思う」


「困惑?」


「――――いいや、何でもない」



 口にしなかったがセイはベイオルフを信じ切れていなかった。

 イシュタリカを敵に回す状況は彼は予定しておらず、突き詰めれば、地下研究施設に居た異人種の中にイシュタリカの者が居たことも知らなかったのだ。

 いくら国籍を失っているとしても、理由を踏まえればイシュタリカが動いてもおかしくないだろうに。



「して盟主……ここに来るまでに言っていた計画というのは?」


「教えるよ。我らの船の中でね」



 とにかく迅速を貴んだベイオルフに連れられるままにドックへ向かったのは間もなくだ。

 小さな町一つは収まりそうなほど大きなドックの中には劣らず巨大な船が鎮座する。

 これが動くのか?

 セイの疑問に敏くも気が付いたベイオルフが言う。



「心配はいらないさ。極限まで軽量化を重ねている」



 曰く、イシュタリカが誇る海龍艦リヴァイアサンほどの性能はない。同じ性能にしようとすれば必要な素材が一つも用意できないし、ただ沈没を待つだけの鉄塊だ。



「私は私だけの国が欲しい」


「…………む?」


「言っていただろう、私の計画さ。私は私の国が欲しいんだ。いくら成功したところで私は所詮、商人に過ぎない。諸国に影響力があったところで、それまでなのさ」


「分からない、それがどうして建国理由になる」


「王になれば――――皆が私を認めてくれるからだ」


「もう一度言うが、分からない。もう誰もが盟主ベイオルフ・ハーデンを認めているのに」



 するとベイオルフがふっと笑って、珍しく哀愁を漂わせる。

 目元の端を緩やかに下げて。

 口角は片側だけを自嘲するように上げた。



「同じ商人でいてもグラーフには勝てないんだよ。そう、誰もがそれを認めない。――――それこそ」



 船に向かって歩きながら、セイに聞こえないほど微かな声で。



「私の母もそうさ」



 悲哀と憤怒に心を蝕まれつつも、彼は握り拳に力を込めたのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 この周辺の海域はロックダム領海でもあった。

 つまり、目的での北西の海はロックダム沖であり、本来であれば黄金航路と言えども無断で横切ることはおろか、留まることは以ての外だ。



 しかしロックダムは海戦力は特筆するほどではないとあって、周囲の海原は静かなもの。



 ベイオルフが海上拠点と言った巨大船を取り囲む二十隻の戦艦群の並びは壮観で、乗組員をはじめとする戦士や研究者のほぼすべてが自分たちの力に酔いしれていたぐらいだ。



「見ていたまえ、アレがヴァファールという魔物が柔軟な理由さ」



 周囲の戦艦が不意に揺れたと思いきや、戦艦と同じ数のヴァファールが海上に姿を見せる。巨大闘技場で猛威を振るった巨大な魔物が二十体も。

 更なる戦力を前にして、セイは図らずも唾をのみ込み目を見開いた。

 そして、ヴァファールが泳げている理由を見て口にするのだ。



「相談役の助言なのか」


「ああそうだ。ヴァファールという魔物は成長段階にあれば魔石により身体つきを操作できるんだ。たとえば、海の魔物の魔石を与えつづけることにより、今のようにヒレやクラーケンの足を身に着けることだって出来る」


「…………なんという光景だ」



 少しばかり気味が悪い。

 生物というものは長い時間を経て変化をつづけていくものだと理解していたが、それが、こんなにも簡単に。まるで粘土細工をするかのようにして姿が変わるとは思ってもみなかった。

 戦力として十分な存在なことは大いに理解できた。

 ただ、不気味さが鳴りを潜めないだけなのだ。



「さぁ――――我ら黄金航路の守護者たちよッ!」



 ベイオルフが船頭に立って腕を広げると、海中を漂う二十のヴァファールへと命じる。



「この先が我らの新たな拠点だッ! その力を振るえッ! 黄金が海の中でも輝けることを証明するんだッ!」



 するとベイオルフの手元で何かが光る。

 隣に居たセイはそれが命令に使われる魔道具であると悟りながら、それ以上の興味は抱かない。今は海中を漂うヴァファールが何をするかに気を取られていた。



 やがて、その興味に応えるかのようにだった。

 ヴァファールが一斉に動き出し、六本の腕に握られた六本の剣が海中で微かに光を反射。

 一頭のヴァファールが海上に戻ったと思えば剣の先には魔物が突き刺されており、他のヴァファールは浮上と共に数体の魔物の死体を浮かべた。



 海の魔物と言えば陸の魔物と比べてさらに強力で苦労する相手――――だというのが常であるが、まったくの生涯になっておらず、ただただ蹂躙するばかり。



「さぁ、進もうか」



 ベイオルフは皆の大歓声を一身に受けたままに。

 今一度の号令を口にした。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 荒れ狂う海はどこまでも暴力的だった。海原に住まう魔物ですら深い海中で息を潜め、純粋な自然の暴力に対して無力であると言ってもよいぐらいだ。

 急に天気が崩れたせいで、海原を撫でる風もまた強い。



 されど、数十隻に及ぶ艦隊は我が物顔で航路を進む。

 いずれも技術の結晶たる兵器を積み、全体を魔物の素材に加え、人口的に開発されて間もない素材で覆われていて堅牢。

 荒波に嵐、それに魔物。

 何に襲われても恐怖を感じる事なんてなかったのだ。



 ――――先頭を進む船、その甲板に立つベイオルフは確かな感情に身を震わせる。



「黄金は力……この考えに間違えはなかった」



 強烈な雨と風を浴びながら両腕を翼のように広げて語る雄弁さ。

 威風堂々とした立ち姿に漂う誇りに皆が息を呑み、彼についてきたことへの喜びと、これからの未来に強い期待を抱かせられる。



 彼の声は、魔道具を通じて各船へ届けられていた。

 一帯の船が揺れているのは波のせいか、それとも彼の言葉に応じる歓喜の震えか。

 なんにせよ、この海域を我が物顔で進む自分たちのことが、神か何かのように思えてきてならない。魔物だけでなく、自然的驚異ですら意に介さずにいられるという事実が、偏に心を昂らせていたのだ。



 また、周囲を警護するヴァファールにも絶対的な信頼があったからだ。

 ヴァファールは逃げようとする魔物まで追いかけて剣で貫くほど好戦的でありながら、主であるベイオルフにはひどく忠実だ。

 これこそがベイオルフの自信の一端で、海上戦力はイシュタリカにも劣らぬと自負していたのだ。



「辺りの霧が濃くなってまいりました。ロックダム沖でこの濃霧は珍しいのですが……」


「構わないよ。さぁ、進むんだ」



 ベイオルフは部下の報告に手を挙げて応える。

 たかが霧であると。

 注意を払うべきは味方同士の衝突だが、その心配はしていなかった。



 しかし、不意に波がなくなった。最初から波なんてなかったと言わんばかりに、忽然と。



 辺りを見渡すこと数秒。

 率いていた艦隊と自分の船、それを取り囲んだ濃霧の檻。



「度々申し訳ありません……ッ! わ、我らの船が一隻も進めず……どうしてか分からないのですが……水の流れが我らの進行を遮っているようで……ッ!」


「艦隊の進行を? 魔物でも現れたのか?」


「それすらも分からないのです……ッ! どうか船内一度船内にお戻りください!」


「大丈夫、我々の戦力なら何も心配することはない」


「ですが……」


「万が一何てあり得やしない。アレがある限り、我々の海上戦力は絶対に――――」



 そう、心配なんてする必要がなかった。

 だというのに。



『ガァァウゥゥッ!?』



 荒れた海原に木霊したヴァファールの悲鳴。

 決して雄叫びなんかではなくて、明らかに悲痛な声だった。

 すぐに声がした一帯が鮮血により赤く染まっていく。



「…………状況確認をするんだ」


「は――――はっ!」



 こうしている間にまた一頭……。

 そして三頭目が悲鳴を上げ、海上に力なく浮かんでしまう。



 万が一何てあり得るはずがなかった。

 この計画のために費やした年月、そして資金は途方もない。だが、それだけではなく入念な支度に予断は無かったし、これ以上ない最高の計画だったから。



 しかしそれはもう昔のことである。

 正面の海から、とある男の声が聞こえてくるまでのことだったのだ。



「――――こんにちは」



 いくら辺りに波がないと言えど、ちっぽけな人間の声が届くという異常。だが船尾に立つ二人の耳には確かに聞こえてきたのだ。

 目を向けると、いつの間にか数十メートル先に現れていた太い木の根。

 そして、その上に腰を下ろした一人の男の姿がある。男は海面を見下ろしていて素顔は見えない。ただ、雨に濡れた濃い茶髪が艶っぽく首筋に付着していた。



 彼を見て、船尾に立つベイオルフは無意識に全身を震わせる。

 震える自分に理解が追い付かぬまま、生存本能に従って指示を出すのだ。



「あの男に向けて魔石砲を」



 なぜそのような過剰攻撃を? 隣に立つ男がそう呆気に取られていたのを見て、彼は激昂する。



「早く放つんだッ!」


「は……はっ!」



 両脇を守るように進んでいた二隻の戦艦が主砲を放つ。

 ただ一人、目の前にいた男に向けて。

 極彩色の光と波動、そして衝撃波で大波が生じて圧倒的な暴力となって襲い掛かる。さながら歴史に残る戦争のように、すべてを跡形もなく消し去ろうとする殺意の塊だ。



「何故だ。どうしてあの王太子が…………ッ」



 指示を出した後で男は固唾を飲んで見守った。あれなら絶対に大丈夫だと。心から信じて、心からの安堵を得られるであろう数秒後を懇願して。



 だが、つづいて空を見上げ、割れた雲を見てしまったときに願いは叶わなかったと理解した。



「俺たちも」



 そういった男はいつの間にか木の根の上で立っていた。

 魔石砲の連撃に一切の傷を負わず、平然として。



 言葉につづいて剣閃が海を駆け。

 両脇を進んでいたはずの戦艦がまばたきの合間に両断された。

 刹那の衝撃が強風となり海面を撫でる。



「俺たちも、海上戦力には自信があるんだ」



 木の根に立つ男はやがて、水で濡れていた髪の毛を手櫛で乱暴に掻きあげた。陽光の下に素顔を晒し、心地良い海風を浴びながら船を見る。



「エル、アル」



 そこへ、海原が揺れて現れたのは巨大な二頭の海龍。



『…………キュルゥ』


『…………』



 一頭、姉のエルだけがアインの傍にある木の根に顔を置き、彼のことを見上げて声を上げた。

 そしてもう一頭、弟のエルはアインの背後で体躯を宙まで伸ばして存在を主張。鳴き声は上げず、ベイオルフが待つ戦艦群を鋭い双眸で睥睨する。



 ここで気が付く。ベイオルフはアインの背後に現れたエルの口元から滴る血液を見て、ヴァファールに何があったのかを理解した。



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