包囲網。

 砂塵が収まり、観衆が見たのはヴァファールの攻撃が止められた光景だ。

 たった一人の青年の、たった一本の剣によって。



「後程……詳しく話していただきます」



 負傷の痛みに苛まれながらも。

 ディルは主君の来訪に喜び、でも、されるであろう追及については忘れずに。

 不敵に笑い、アインの背へと語り掛けた。



「お手柔らかに頼むよ」

「どうでしょう。私よりも、貴賓席にいらっしゃる方々が厳しく追及なさるかもしれません」

「覚悟してる。とりあえず少しそこで休んでて」

「――――よいのですか?」



 すると、アインが笑って肩を揺らした。



「ここから先は俺の仕事だから」



 刹那、四本の剣を弾き、驚きに声を上げるヴァファール。



『ガァゥッ――――!?』



 けれど今度は全ての腕を滾らせて。

 振り下ろされるは必殺の一撃。



『ガァァアアアアゥ!』



 ディルに向けた以上の殺意には恐れが内包されていた。生まれながらにして強者である、というのがヴァファールを見て第三者が抱く感想であろう。

 ただそれが、すぐに自らに勝る強者との出会いにより状況は変わり。

 ……気が付くと、無心で相手を殺すことのみに執心する。



 唸り、そして吠えての一撃が振り下ろされるも。



「……お前ぐらいの膂力を持つ魔物は珍しい。それが地下で育てられてたってのもだ」



 難なく、あっさりと。

 いとも容易く防がれて、鍔迫り合いさえもアインは揺るがず。



 何にせよ、倒させてもらう。



 今一度、弾かれた剣が宙で砕け散る。

 ヴァファールは二本の剣を失い、目を見開きながらも牙を剥きだした。

 そして一歩後退。

 無意識に、生存本能に従っての動きだった。



 ――――逃げまどっていた観客の足が不意に止まる。



 あれは誰だ、一体何をしたんだ?

 突然現れた強力な魔物があっという間に押されていた光景に言葉を失って、立ち止った脚に力が籠り、握りしめていた拳に浮かんだ汗は、彼の勝利を望む熱に溢れる。



『ガァァッ! アァァアッ!』



 残る四本の剣を振り回し、膂力の限りを尽くした。

 だが、余すことなくただの鉄塊。



 一本は防がると同時に砕け散り。

 また一本は振り下ろされる最中に砕け散った。そしてもう一本は木の根につかみ取られ、握りしめるように砕かれた。

 残る剣はこれで一本。



 …………奴の相手をしているのは誰だ!?

 …………知ってるぞ、あの方は確かッ。



 大闘技場の警備兵たちが武舞台に詰め寄せてくるも、皆一様にヴァファールに立ち向かう勇気はない。けれどたあ買っているアインが気になるようで、彼らの中でもアインを知る者が驚きの声をあげ、同時に、英雄と名高い彼の強さを目の当たりにして絶句する。

 アインが一歩も引かず、それどころか圧倒する姿を見て目を疑った。



『ガァァァァアァアッ!』



 やがて、ヴァファールによる決死の攻撃。

 剣を失おうとも。

 そして圧倒的強者を前にしようとも。



 最後の剣を両腕で振り下ろし、残る剛腕でアインを磨り潰そうと殺意を込めて――――。

 しかしアインは依然として変わらずに、悠々と。

 散歩をするように距離を詰めて、剣をゆったりと片腕で構える。



『――――ッ!』



 血走った瞳でヴァファールが見たのは、自分には興味の無さそうなアインの瞳だ。

 ……いや、実際は興味がある。しかしそれはヴァファールという存在の強さにではなくて、ヴァファールという魔物がどうして地下で育てられていたのかぐらいだ。

 他種の感情でありながら、これにはひどく激昂した。

 恐怖に加え、憤怒による一振りが遂にアインへと肉薄したが。



「悪いけど」



 アインはヴァファール以上の存在を良く知っている。

 死を覚悟したぐらいの強敵は、こんな弱々しい膂力ではなかった。そう、巨神ヴェルグクは遥かに強大な剛腕を振るっていたではないかと。



「そんな細腕、、に倒されるほど柔じゃない」



 細腕というにはあまりにも剛腕。

 だが、巨神とは比較にならない。



『…………アァ……?』



 ――――無情にも。

 最後の剣は砕かれて、胸元に感じる不思議な冷たさに俯くと。



「同情はする。でも俺はここにいる人たちを守らないといけないんだ」



 いつしか鞘に納められていた剣の音が遅れて聞こえ、自然と全身から力が消えていく。

 膝は情けなくも地面について、腕もだらんと垂れてしまう。



『…………?』


「もう、起きてこないでくれると助かる」



 困惑しながらも、力なく伸ばした腕でアインを握りつぶそうとしたが、その刹那、胸元から何か、ガラスが割れるような音が響き渡る。

 最期は天を見上げて全身を痙攣させ、とうとう。



『――――ッ!?』



 視界が暗がりに覆われて、とうとう意識を手放した。

 …………巨体が横たわる巨大な重低音が町全体に響き渡り、それから間もなく歓声が大闘技場を包み込む。



「魔石を割ったのですね」


「うん、何となくあそこにありそうって思ったんだ」


「……もう驚くほうが無礼ですね。感服いたしました」



 ――――助かった! 助かったんだ!

 ――――すげえ! イシュタリカ万歳!



 つい数分前までセイを応援していた者たちの声が一斉にイシュタリカを、アインを讃える声に変貌した。二人がこれに苦笑していると、そこへ近衛騎士たちが足を運ぶ。



「殿下、お見事でした」


「我らは見ているだけで情けない限りで……」


「気にしないでいい、あれは俺が戦うべき相手だった」



 すぐに皆に答えて、つづけてディルを連れて行くように指示。



「怪我の様子を確認してきて」


「い、いえ……このぐらいでしたら、ヒールバードの魔石さえあれば動けます」


「無茶は駄目だ」


「ですが」


「ディルは十分仕事をしてくれた。命令もなしに察しろって感じの動きをした馬鹿な王太子の希望を全部かなえてくれたんだ。逆に申し訳ないぐらいだよ」



 アインはこう伝えてから、今度こそディルを連れて行くようにと言った。

 先ほどの言葉に苦笑したディルは仕方なそうにうなずいて、近衛騎士の手を借りて武舞台を後にする。



 さて、今も尚、会場中の歓声がアインへと注がれている。

 経験したことのない大歓声は少し気恥ずかしかったが、こうしたままでは居られない。大穴に下半身が落下しつつあるヴァファールの横を跳躍して、貴賓席にいるクローネたちの下へ向かった。



「お帰りなさい、アイン」


「ただいま。たくさん言い訳したいんだけど、全部後にしていい?」


「ううん、大丈夫」


「怒ってないの?」


「……もう! 怒ってるけど、それはアインが無断で独断行動をしたことによ。でも、アインはきっと正しいことをしていたんだと思う。この様子を見れば私にだって分かるもの」



 ようはアインが人助けをしていたことは察しがついているのだ。

 だが、クローネも今となってはアインの傍に立つ者としての立場もある。独断行動をしたことを無条件で受け入れることは互いの為にも悪いと思い、そのことを心の片隅に置いていた。



「アイン様」



 と、クリスが口を開く。



「ご説明は後で大丈夫ですが、私たちにはどう動いてほしいのですか?」


「取り敢えず、考えてることがあって――――」



 アインが二人に伝えようとすると同時に、武舞台の方でヴァファールが勢いよく立ちあがる。大穴の下にはカプセルに充満していた液体が流れており、それが光り、ヴァファールの身体へと流れ込んでいた。

 背中でその様子が繰り広げられたとき、アインは素直に驚いた。



(魔石は完全に破壊したのに、どうやって……?)


『ガッ……ガァゥァァァアアアアアアッ!』



 すべての腕を、貴賓席にいるアインに伸ばしたその刹那。

 大観衆が彼が隙を突かれたと思い目を覆ったと同時に。



 空が割れた。



 会場に居た皆が目を覆う強烈な風が舞い上がり、その凄惨な光景は誰の目にも映らない。

 大穴の上で上半身と下半身を両断されたヴァファールの身体は下から伸びた木の根に掴まれ、あっという間に引きずり込まれていく。



 ……次に皆が目の当たりにしたのは、大穴が木の根に埋め尽くされた様子と、その上で上半身だけを晒して息絶えたヴァファールの姿だった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 通常、イシュタリカという国はこうした場面での主権を主張することは滅多ない。

 だが今は違い、武舞台に降り立ったイシュタリカの騎士たちはヴァファールの様子を伺い、そして大穴の下に広がる空間への調査を開始していた。

 すべては黄金航路に一切の許可を取らず、有無を言わさずに。



「ハイムから連絡が届いた。人員の不足分は今日中に補えるそうだ」


「こちら、秘匿された魔道具の気配を確認。一同、状況如何では各自の判断により破壊することを許可する」



 訓練された騎士たちの動きは残った観衆には興味深く映っていただろう。どこの国の騎士とも違い、どこの国の軍勢とも比較にならぬ動作の速さと、瞬く間に行われていく些末事の処理には目を見張る。



 彼らの下を尋ねようとした黄金航路の者たちはいた。当然だ。近くには琥珀宮があるし、文句を言いに来たくて当たり前だったのだ。

 しかし、声を掛けられなかった理由は一様に気圧されていた空に尽きる。

 加えて――――。



「マルコ様、当闘技場の管理を請け負っていた者たちを連れて参りました」


「お尋ねするのは任せます。殿下もそのように申しておりました」


「はっ! では我らの方で――――」



 これはまずい、と思ったのは黄金航路の幹部である。

 本当であればベイオルフについてこの町を離れたかったのだが、出遅れてしまい、今から逃げるにも逃げられない状況に陥っていた者だ。



「待つのだ、何の権限があって我らの者に尋問をしようとしている!」



 勇気を振り絞って言ったのだが、誰一人として彼を見ようともしない。



「琥珀宮の周囲はエウロの協力もあり滞りなく。すでに全方位を警戒しております」


「とてもいい仕事です。エウロには感謝の言葉を忘れないように心がけてください。……さて、私はこれよりロックダムの方とお話をしに参りますので、ここは……」



 任されようとしていた近衛騎士へと。

 先ほど勇気を出した男が近づいた。



「聞いておるのかッ!」


「申し訳ありませんが、公務の最中ですのでご遠慮ください」


「……公務だと?」


「当案件はすでに我らが携わる問題となっております。形はどうあれ殿下に剣を抜いたあなた方の戦士の件もそうですが、最下層に監禁されていた異人種の件は見過ごせません。これより我らは我らの方に基づいて黄金航路へといくつかの要望を致しますので、ご理解を」


「ッ……何の権限があってッ!」



 彼が暴れだしそうになったところへ、ここまで姿をくらましていたリリが現れて騎士へと告げる。



「そこのキミキミ、みんなに伝えて欲しいことがあるんだ」


「はっ、何なりとお申し付けください!」



 返事を聞いたリリの態度が一変する。

 厳かな、凛としたものへと。



「宰相閣下の認可が下りました。私の報告をもって、ベイオルフ・ハーデンの身柄を拘束することが第一任務となります」



 実質的に、黄金航路を敵とみなしたとされる言葉であった。

 つまり国王シルヴァードが許可をしたと同意である。

 初代国王ジェイルの言葉に異を唱えることなく、すべてはイシュタリカの為であるという大義名分のもと、今この時より騎士たちは剣を振るうことが許された。



 すると、膝を震わせた男の後ろから騎士が近寄った。



「東部流通顧問殿ですね、申し訳ありませんがご同行を」



 男は成すすべなく連れていかれ、リリと騎士はその様子を見ながら。



「というわけだから、ロックダムのことは任せます。宰相閣下は明日の夜、王都より港町ラウンドハートへと参られますので、そのつもりで努めてください」


「はっ!」



 ――――さて。

 黄金航路の末路が確定した今、場所は変わって大闘技場の入り口付近にて。

 多くの観衆が帰る最中、そのど真ん中が騎士たちによって道が作られていた。そこを身支度を整えながら歩くアインがクローネと話す。



「影がベイオルフの後を追ってるわ」


「大陸西方に大急ぎで向かってる。これであってる?」


「……どうして分かったの?」


「マダムの話だよ。あっちの方に何か港を造ってるって言ってた話を思い出したんだ」


「ええ、恐らくそこへ向かってると思う。影たちは尻尾を掴むために捕まえてないと思うから、あとは彼らが調べ終えてから騎士を派遣しましょう」


「駄目だ。もしかしたら手に余る」



 ヴァファールという巨大な魔物を見た後では、少し戦力が足りていないように思えたのだ。



 周囲の者たちは二人の様子を見ながら、ある者はあの二人が次期国王夫妻かとつぶさに語って、別の者は先ほどのアインが見せた戦いっぷりを思い出して畏敬の念を抱く。

 一様に興味を抱いて、二人を見ながらも騒々しさを漂わせていた。



「俺が一人で突撃するわけじゃないんだけど、少し準備しておきたいことがあるんだ。手伝ってもらえる?」


「ふふっ……断ると思う?」


「勿論、思ってないよ」



 ――――二人は顔を見合わせて笑い、周囲の者たちを驚かせた。


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