再臨。
所変わって、大闘技場が武舞台にて。
――――いつからか、はっきりと自覚した瞬間があった。
今の肉体を得てからというもの、最初は思い通りに動かせず何度苛立ったか分からない。訓練用の剣に怒りをぶつけ、父と母にもきつくあたったことも記憶にある。
だが、諦めきれずに訓練をつづけていくうちに――――開花した。ある日、父のロイドを相手にしている訓練のときに、ふとした刹那に開花したのだ。
『ようやく完治したか』
『父上、今のは』
ロイドの初撃を、あっさりと。
面前に迫る剛剣を軽く身体を反らしただけで躱してしまう。
『戸惑いはあったろう。しかしディル、お前はもう普通の人間ではない。その金色の鬣を見よ、カティマ様より賜った身体はまさに獅子であるぞ』
次々と迫り来る剣戟を前に、つづけて躱しながら耳を傾けた。
『身体を持て余し、完治しきっていない身体で依然と同じ立ち回りを願った――――しかし、その二つも今や消えたようだな』
日々の生活においても、少しずつ身体が慣れてくる。
そしてハイム戦争で負った傷も完全に癒え、身体が真に自身のものと化したとき。ディルは心の底からの歓喜に震え、久しぶりに嬉々として剣に手を携えた。
やがて抜き去り、攻撃に転じたそのときだった。
ディルは生まれてはじめて、父より速く踏み込めたのだ。
……当時のことが脳裏を掠めたディルが言う。
「セイ殿、残念だが」
幻影のような流麗な踏み込みを前に。
ディルは難なく身体を横へ。
攻める勢いのまま、身体を交錯させたダークエルフの戦士。横目で、信じられない光景を目の当たりにして全身に力を込めた。
いつの間にか振り上げられていた見目麗しき宝剣、王太子より賜ったその剣が。
無防備な横っ腹目掛けて……。
「ははっ……ははははははァッ!」
皮鎧に切りかかり、柔肌を、その奥に潜む磨かれた筋肉にたどり着くその直前で身体を旋転。
空を見上げ、身体に届いていた刃に剣を滑らせる。
ディルの膂力に逆らうことはせず、清流が如く体捌きで距離を取った。
「はっ……はっ……」
体制を低くしてディルを伺う。
いつだ、この一瞬でまた剣が鞘に収まっている。
「残念だが、私より速い存在はそう居ないのです」
今やロイドよりも速い体裁きは観客の声を奪った。
速く、身体が何重にも見えたほどのセイの動きがいとも容易く、息を吐くかのようにあっさりと崩されてしまったのを見て、会場が一斉に静まり返った。
「……初見で躱されたのは、これがはじめてだ」
「光栄です」
「教えてくれ、どうして止めをささなかった」
「セイ殿に防がれたからですよ」
「質問を変えさせてもらう。どうして追撃を仕掛けなかった? 貴殿の腕ならばそれで私を切り伏せることすら容易であったはずだ」
今度は答えが届かず、代わりにセイに届いたのは獅子の双眸だった。
「獅子は狩りにも全力だと聞くが」
「私は常に全力です。ただ、その全力にも数多の形があるというだけです」
尋ねても答えが返ってくる気配はなく。
また、攻撃を仕掛けてくる様子もない。
「攻め手はお持ちでないか?」
「今は攻めなくとも良いのです。それが――――」
アインのため、時間を作ることに繋がるから。
このような戦い方は不本意ではある。
しかし、この程度の感情で目的に支障が出てしまう程度の忠誠心ではない。いざとなったら誇りを捨て、教示を捨て、主君んのために、祖国のために尽くすことしか考えられない。
――――ガガガッ……。
違和感のある音が武舞台の下から聞こえてきた。
それを聞いたディルは眉をひそめ、同時にセイも剣を下ろす。
困惑した様子で貴賓席を見上げたところへ。
「セイ殿」
と、ディルが声を掛ける。
「気が変わりました」
海龍の剣を地面に付きたてて、強烈な振動を生む。
先ほどの違和感を消し去るかのように、勢いを強く。
すると、セイは急な行動にまた戸惑った。
さっきの音はディルによるものなのか、と。
この一瞬の迷いにより、相対するディルから逃れられなくなるとも知らずに。
「気が変わったとは――――なッ!?」
普段のディルを知る者からしたら珍しい、力任せの一振り。それは武舞台に向けられて、石畳を砕き、瓦礫が舞う音と共にディルの姿をくらました。
石礫が宙を飛び、武舞台に生じたいくつもの影。影を移動する金色の光。
刹那、真横に現れた獅子の声。
「このような戦い方で相手をすること、心よりお詫びします」
真摯な謝罪に偽りはなくて、顔を見ると悲痛な面持ち。
しかし横薙ぎ一閃。
彼の剣には一切の情が込められておらず、かまいたちが首筋に肉薄。ふっと感じた熱でセイは気圧され、その足は意識とは別にディルから離れていく。
「私が何故……ッ」
自覚に至らぬほどの、寸でのところで生まれた生存本能だ。
剣を握る手よりも脚が軽い。
「今度は逃がしません」
つづけて、会場中に鳴り響く強烈な地響き。
わざと音が鳴るように石畳を踏みしめただけの、演技交じりの踏み込みだ。
こうしている間にも下から聞こえてくる音は増してくる。
すべては自分によるものだ。
ディルはそう会場中に知らしめるかのように、わざと音を立てる。
「これがイシュタリカのッ! かの獅子将軍の剣かッ!」
石礫、砂塵を縫って近づくディルへ。
「だが私も一人の剣士だ」
「セイ殿、貴方の心意気は嫌いではありません」
「私もそうさ! その秘められた剛剣に惹かれてしまう!」
山脈を流れる川のように流麗な剣技を見せるセイだが、悉くをいなされて。
剣を弾かれ、重心が崩され。
たちまち敗者の末路へと誘われる。
――――セイ様が……ッ!?
――――嘘だろ、あいつが追い詰められるなんて!
歓声の声も徐々に驚きに染まっていき、彼が向ける末路を想像した。
見るも圧倒的な力の差に、呆然と。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、一方で貴賓席の一角では。
「盟主」
黄金航路が盟主、ベイオルフ・ハーデンの下を尋ねた幹部が居た。そしてベイオルフも馬鹿ではない。先ほどの音が何を示しているのかを悟り、イシュタリカの将軍が引き起こした音ではないと理解した。
若干、彼がここに至るまで遅かったのには理由がある。
相談役と呼ばれる彼が居る限り、あの地下空間で騒動が起きるはずがないと思っていたのだ。
「ああ」
「地下より連絡が。ヴァファールが強引に起こされてしまったそうです」
「……
「存じ上げません。ただ、賊の侵入も許しているようでした」
「くだらないな」
そう言って彼は立ちあがった。
「賊の人数はどれほどだ」
「一人です」
「なるほど、余計にくだらない話だ」
綻びが生じるとしたら、相談役の男が心変わりするときだけと考えていた。
そして、その綻びが生じている今は――――。
「箱舟へ向かう」
幹部にそう告げて、席を立った。
ジャケットの内ポケットに手を差し込んで、金で作られた指輪を取り出して指にはめる。
武舞台を見下ろすと。
「セイ、君なら私の意図を察してくれるはずだ」
今まさにディルの前に倒れようとしていた彼へと不敵に笑んでみせたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
さて、ディルも時が近いことを察知していた。
音はもうほぼ真下から聞こえてきて、激しい振動は自分が動いていなくとも会場を包み込んでいる。もはや十数秒と経たずして何かが起こる。
それは膝をついたセイを見ていても分かったことだ。
「……まさか手を抜いていたのはッ!」
ディルは何も答えず彼から顔を反らす。
徹底的に警戒心を高め、近づいてくる気配にだけ集中した。
「何を知っているんだ……ッ! 答えろッ!」
「私に命令できるのはイシュタリカ王家の方だけです」
「くっ――――」
そして、遂に。
「ッ……なるほど、想像以上だ」
地面から天を穿つように伸びた巨大な剣、それがディルの身体を紙一重で突き抜けた。
やがて武舞台の床が盛り上がり、太く逞しい腕が現れ姿を見せた。
大きさは……とてつもない。陸上でこんな生物を見た経験はそうないが、体高は小型の戦艦ほどもありそうな巨大な魔物だった。
現れた上半身。金色の体毛に陽光が反射して、地上に現れたところで六本の腕を広げて雄たけび。
腕と同じ数の剣を掲げ、全身を覆う筋肉を震わせた。
やがて地下から全身を乗り上げて、声高らかと。
『フゥ――――ガァァッ…………ッ』
低い声が空を揺らし、会場に押し寄せた観客たちの度肝を抜く。
あれはなんだ、疑問に思っていると魔物がベイオルフを見た。彼は先ほど嵌めた指輪を見せつけて、口の端から覗く獰猛な牙に動じずに。
「我らの邪魔をさせないように」
とだけ、簡潔に伝えて去って行ってしまう。
所変わってイシュタリカの貴賓席には、リリがやって来て「あいつは私たちが捕縛してきます」とだけ言って、マルコの前から立ち去った。
本来であればマルコが向かえたらいいのだが、彼には守るべき対象が居る。
いざとなったら逃がしてもいい、それぐらい彼女たちの護衛の方が重要だから。
『ギィァァァァァアアッ!』
もう一度、今度は先ほどより大きな雄たけびで。
魔物、いや、ヴァファールが武舞台に居たディルを見た。
頭上から振り下ろされた二本の剣が彼を狙いすます。
背後を見るといつの間にかセイの姿がない。
「大丈夫だ」
自分の仕事が終わるまで、あと少し。
迫り来る剣を見て地面をけり、飛び上がったところでヴァファールの剣を叩く。
ふっと静かによろけたところで安堵して、地下に広がる巨大な空間を見た。
「まったく……また変なものを発見されていたんですね……ッ!」
下から感じる主君の気配に微笑んで、力を使い果たすつもりでヴァファールを止める。
残念なことに、この少しの鬩ぎ合いで勝てない相手なことは分かっていた。
そのため時間稼ぎに努めれば十分なはず。
ああ、そのはずだったのが、すぐに頬が引きつってしまう。
「――――黄金航路も趣味が悪い」
六本の腕を大きく広げ、剣を伸ばした姿は太陽のよう。
腕が光り、ヴァファールの頭上に巨大な光球が生まれて。
びし、びしと肌を叩きつけるプレッシャー。強烈な風が会場に吹き荒れ、光球に向けて風が吸い取られていく。
出し惜しみはせず、必殺の一撃を。
分かりやすい殺意を前にして、ディルはそれでも笑っていた。
大技のせいだ。お前は時間を使いすぎている。不敵に笑うや否や。
『グゥウッ!?』
会場の外から伸びた太く、そして険しい六本の木の根。
外につづく大通りのように太いそれが、あっという間にヴァファールの腕を縛り上げた。
「その趣味の悪さは、あのお方の怒りを誘うのに十分すぎた」
かつて、このバードランドの周囲を黒い霧が覆ったことがある。それを見た者は一様に魔王が来たのだと言ったが、結末は援軍に来たイシュタリカの王太子であった。
だが、事情をよく知る者たちはそれを聞いて笑うという。
なぜならば間違いではなく、正しい感想であったからだ。
ヴァファールも感じていることだろう。
何か、圧倒的な強者が近づいている気配を。そして、自身の六本の腕に纏わりついた、太く険しい木の根へと、生まれてはじめての恐怖を感じているはずだ。
『グゥゥウウウウ…………ァァァアアアアアッ!』
しかし、ヴァファールは何とか一本の腕の自由を得た。
何故か光球は小さく、木の根に吸われていってしまったが。
面前のディルへ、殺意を込めて剣を下ろすことはできる。
「ぐっ……ぁぁ……」
純粋な体格差によるものか、ディルは受け止めるも壁際に吹き飛ばされる。全身に奔る痛みに眉をひそめたが、同時に「私の仕事はここまでだ」と、今日一番の、晴れ晴れとした顔で言い放つ。
ともに横たわった剣に目を向けて、主君への忠心を再確認して。
するとヴァファールは自由を得た腕を振り回し、木の根を切り裂いて腕を解放した。今一度、目の前の男を切り裂くために。今度は四本の腕を使い、同じ本数の剣を重ねてディルへと振り下ろすのだ。
けれど、それは彼に至る直前で止まる。
町中に響き渡る強烈な金属音のあと、ヴァファールの腕が何かで止まってしまう。
ディルは視線の先に、主君が掲げる黒剣イシュタルを見た。
「――――ごめん、遅くなった」
そして、再臨する。
このバードランドへと、魔王がもう一度姿を見せたのだった。
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