アフターⅠ 黄金航路II
不思議な出会いと。
バードランドへの道中は中々に仰々しかったことを覚えている。何故ならイシュタリカの騎士に加え、ティグルが共に来るから彼の騎士も居たからだ。
一週間ほど港町ラウンドハートに駐留した後で、バードランドへ到着したのは昨晩のこと。翌朝の今日、アインは皆を連れてバードランドが誇る大闘技場へと足を運んでいた。
今まさに、数年に一度の闘技大会の火ぶたが落とされたばかりであった。
――――多くの猛者はその大会に多くの感情を抱いて参戦する。
例えば、自己顕示欲。
例えば、金持ちになりたいという願い。
例えば、力試しの一環として。
歴史あるこの催し事にて頂点に立てれば、その名は大陸中――――それだけではなく、海を越えてイシュタリカにすら届くだろう。
前回はハイム戦争の余波もあり開催されていなかったこともあり。
今回の賑わいは、ここ数十年でも類を見ないほどであるという。
「すっごい賑わってる」
貴賓席に座るアインが呟くと、彼の隣に腰を下ろしたクローネが笑みを浮かべて言う。
「アインも賑やかさの一端を担っていると思うわよ」
イシュタリカの王族。
それも次期国王であり、英雄として名高いアインが足を運んだとあれば一端どころではないのかもしれない。ただ、今回はロックダムの国家元首選定の儀もあり、どれがどう影響しているのか、はっきりと言葉にできなかったからの「思うわよ」だ。
アインはクローネに対し小さく笑みを返すと。
闘技場の中央で繰り広げられている戦いに目を向ける。
確か今は、冒険者とエウロの騎士による戦いで。
見る限り圧倒的に冒険者が優勢で、あっという間に決着がつきそう。
「――――アイン」
アインとクローネが座る席からさらに一段、下がった席から口を開いたのはティグルだ。
「あの冒険者のことをどう見る?」
口調がいつも通りなのは、この辺りに座るのが身内しかいないからだ。とはいえティグルからすればそれでも口調を正すべきという考えはあるものの、それをアインが必要ないと断ずるからこその結果である。
「強いと思うよ。エウロの騎士だって熟達した剣技を持ってるのにね」
「あの冒険者の所属だが、黄金航路だそうだ」
「……へぇ」
「元来、冒険者は自由民だ。特定の地域で活動する者もいるが、奴らはその中でも一流と数えられたら海を渡ることもあるし、イシュタリカの近衛騎士に勝る実力を持つ者もいるだろう」
そう、例えば。
「マジョリカ殿とかな」
「私は元よ」
と、答えたマジョリカはティグルの隣に座っている。
「元と付こうとさして変わらんさ。私が言いたいのは、そうした連中が一つの団体に所属していると、ある種の軍団に思えてならないということだ」
「警戒してるんだ」
彼は「当たり前だ」とため息交じりに言って。
足を組み、手すりに肘をついた。
「でもハイム公が言うような冒険者はごく僅かよ」
「それも知っている。膨大な人口を誇るイシュタリカの中でも、ほんの一握りの才能と努力をつづけた者たちが近衛騎士だ。彼らに勝る実力者がそう居ないのなんて、私は何年も前にエウロで学んでいるさ」
当時、グリントを連れてエウロに吶喊したことが懐かしい。
あの時は近衛騎士ではなくディルに敗北したのだが、当時のディルは近衛騎士ではなかった。ならば近衛騎士が更に実力を秘めているのは言うまでもない。
「少なくとも旧ハイムや現ロックダムに比べれば、平均値で考えればよりよい戦力を保有しているだろう。加えて資金も潤沢だ。特に今は例の研究成果もあり、投資する者が列をなしているほどだぞ」
「だから国家元首に立候補したのねぇ」
「何が先で、どうして立候補することになったのか分からんがな――――ああ、皆もあっちの方を見てみるといい。あの茶髪の男がベイオルフ・ハーデンだ」
アインが座る貴賓席からは少し離れた、高さも下の貴賓席。
示された方角を見下ろすと、アインたちと同様に、一向として座る者たちの姿があった。その中央、茶髪の男に気が付く。
「なかなかの美丈夫じゃない」
距離にして十数メートルほどで、相手の顔つきが分からないこともなく。
黄金航路の盟主、ベイオルフはマジョリカが言ったように顔立ちが整っていた。年のころは四十台といったところで、しゅっとした鼻梁と、精悍な面持ちをしている。
身に纏うスーツは漆黒一色だったが、着ている者の品もあり、華やかさに欠けていない。
マジョリカとそしてティグルの二人がベイオルフ見ていたところ。
一方のアインは早い段階で彼から視線をそらし、自然と隣に座っていた男を眺めてしまっていた。
(…………)
特に考えていたことはない。
単純に目を引かれたというだけだ。
「ティグル」
「ん? なんだ?」
「ベイオルフの隣に居る人のことは知ってる?」
「む……いや、はじめてみるが」
それがどうしたんだと言わんばかりに、不可解そうな声色で。
ただ、アインが目を引かれた理由が分からないでもない。
ベイオルフの隣に座っていた男はカインに似て、長い銀髪をして顔立ちも整っている。真っ白なシャツに袖を通し、青いデニム地のズボンをはいた姿が爽やか。
最後には、どことなく話しかけやすそうな雰囲気を纏っているのが印象的。
それはあくまでも何となくだが、流麗な容姿と共にそうした立ち居振る舞いなことが目を引いた理由であろう。
――――ふと。
「……ッ!」
アインは彼と目が合った。
流し目で、気だるげに顔を向けてきた彼と。
「どうしたんだ?」
「……何でもないよ」
思わず視線をそらしてから、ティグルへいつもの声色で答えた。
◇ ◇ ◇ ◇
観戦を終えた後でアインは街に繰り出した。
ティグルとディルの二人を連れて。
評判の料理店へ行き、取り留めのない話をするために。
その帰りに、店内を出て豪奢な店構えの前で。
「美味しかった。また来ようよ」
と、アインが背中をうんと伸ばしながら楽しそうに言った。
バードランドの町中はこれまで行ったことのあるどの町とも違う。分かりやすく富と繁栄を象徴した豪奢な造りの店々。
宿だって、派手過ぎるのではないかと思うような建築物が多かった。
アインが行った店は大通り沿いとあって、辺りは人混みでいっぱいだ。
街行く馬車も、アインがディルを連れて居るように騎士を連れた貴族だって。
夜の帳が降りて尚、この町はこれからが本番と言わんばかりの賑わいを見せてくれる。
「馬鹿を言うな。アインがそう簡単に来られるもんか」
「分かってるんだけどね。ま、それだけ美味しかったってことで」
「……ならいいさ。店を選んだ甲斐がある」
「助かったよ。ディルもそう思うでしょ?」
「ええ、私も稀有な美味を堪能させて頂けました」
夜風に金色の鬣を揺らす彼もまた、朗らかな笑みを浮かべて感想を述べる。
誰からでもなく、三人は宿へと足を進めた。
夜の町を茶化すように、傍目に過ぎ去る夜景の中を。ゆっくりと、いつもと違って肩ひじ張ることなく散歩でもするように歩いた。
「――――あ」
「なんだ、急にどうしたんだ」
「クローネとクリスに宿へ帰る時間を言ってから来たんだけどさ」
「で、何時と言ったんだ?」
「九時かな」
「話は変わるが、私は毎日時計を合わせている。ちなみに今は十時を回ったところのようだ」
「…………針を回したら時間が戻ったりしない?」
あまりにも可笑しな一言を聞いたティグルがディルを見た。
「ディル殿、護衛をしていて苦労をしたことはないか?」
「学園に通っていた頃に数えることを諦めましたよ」
「ちょっと! 冗談だって!」
「分かってるさ。分かってるが、まぁ……そういうことだ」
やれやれ、そう言って肩をすくめる。
つづけて皆で笑い合い、夜の町に溶け込んだ。
「楽しかったんだ。だから時間を忘れてた」
「何がだ?」
「こうやって、二人と話したりご飯を食べてたことが」
「……そりゃよかった」
「ええ、私もです」
ティグルはそっぽを向き、密かに笑みを浮かべた。
こんな日も悪くないな……。
シルヴァードが言っていた半ば旅行気分でという言葉を思い出して、久しぶりにこんな時間を楽しめていることに感謝する。
何の気なしに街灯を眺めていたところ。
「すごっ、立候補者の張り紙がたくさんある」
近くに迫ったロックダム国家元首選定の儀。
その立候補者の似顔絵と、言葉が添えられた張り紙が至る所に張り出されている。
中には闘技場で目にしたベイオルフも。
彼は張り紙の絵でも変わらず精悍で、他の立候補と比べても目を引いた。
立ち止って文言に目を通していると……。
「失礼」
声をかけてきた、中年の男。
手に持った手帳を開いて、既にペンを滑らせながらアインへ尋ねる。
「怖れながら。イシュタリカ王太子――――アイン・フォン・イシュタリカ殿下とお見受け致します」
するとディルがぐっと身体を前に。
主君と男の前に立ち、アインと変わる。
「みだりに声をかけてよいお方ではない」
「やはりか! まさか本当に、このような場所で殿下とお会いできるなんて!」
男はディルを気にすることなく距離を詰め、顔を近づけた。
「警告だ。それ以上近づいたら切り伏せる」
鋭くて、冷たい言葉。
ディルの声はこの賑やかな町中でも、すっ……と風に乗った。
ほんの一瞬、辺りの者たちがしんと静まり返ったほどの。
イシュタリカの将軍として、そしてアインの専属護衛として、誰よりも相応しいという証明である覇気を孕んだ声だった。
「こ、これはこれは……失礼」
男は謝罪して距離を取ったが。
「出来ればお教えくださいませ! 殿下はベイオルフ殿を指示なさっておいでで!? 先ほど、食い入るように張り紙をご覧になっていたのを拝見しまして、いや、私は――――商会にて報道の部署におりまして――――」
これは長くなりそうだ。
無視をしてもいいが、それはそれで面倒ごとになりそうだ。
アインはディルに「いいよ」とだけ言って、男に言う。
「私は特定の誰かを支持していることはないし、ここにいるのは闘技大会を見に来たからだよ」
冷静に、誰にも肩入れしていないことを口にする。
あとは目的が闘技大会ということで、面倒な追及を避けた。
――――イシュタリカの王太子殿下だって?
――――まさか、誰か候補者を支援に?
――――気になるな、聞いていこうか。
立ち止っていたアインは目立つ。
ティグルだって見た目はよく、服装だって一目見て分かる高級品だ。そして、金色の鬣を靡かせるディルだって、ただでさえイシュタリカに居ても目立つのだ。
小声で「ティグルを頼んでいい?」
こう聞くと、ディルは「畏まりました」と短く答える。
次の瞬間、都合よく夜空に花火が待う。
「…………で、殿下は何処に……!?」
彼がアインから目を離したのは一瞬、一呼吸未満の短い時間だけだ。
だというのに、気が付いたらアインが居ない。目の前にいたディルとティグルの二人も、男を気にせず人混みへと歩いていく際中だ。
「お待ちください!」
慌てて一歩を踏み出したが、二人に追いつくことは叶わず。
彼は絶好の機会を逃したとため息をついたのだった。
一方で、アインはその様子を頭上から見下ろしていた。
手ごろな宿の屋根上へ、裏路地から壁を駆け上がって足を運んでいた。
あと少しだけ落ち着いたら帰ろう。
こう考えて夜風を浴びていたところへと――――。
乾いた拍手の音が鳴り響いた。
「君はすごいね、惚れ惚れする動きだった」
称賛の声を送られて、アインはその声へ振り返る。
するとそこに居たのは。
「貴方は確か」
「覚えていてくれたんだね。どうやら目が合ったのは気のせいではなかったらしい」
闘技場でベイオルフの隣にいた銀髪の男だ。
「俺は――――」
「いや、互いに名乗るのはやめておこう。名乗ったことで態度を変えなければならないかもしれないし、このまま気持ちよく風を浴びてはいられないかもしれない」
「え、ああ……そういうことなら……」
「代わりにそうだね、握手でも」
初対面でこんなやり取りをしたことはないが、アインは銀髪の男に言われるままに手を伸ばして、彼と手を交わす。
銀髪の男は見た目には細身であるが。
やはり男と言うべきか、手元はごつごつしていて男性的だ。
「――――ッ」
すると銀髪の男が一瞬だけ目を見開いた。
だが気のせいと言わんばかりに、すぐに笑みを浮かべる。
「君とはまた会える気がするよ」
「機会があれば会えるかもしれませんね」
「ははっ。そうだね、機会があれば」
不思議と距離が近かったが、嫌な気持ちは抱かせない。
絶妙な距離感と口調によるものだろうか。
穏やかでいられて、まるで聖職者を前にしているような気分に陥る。
「貴方はどうしてここに?」
「特に目的はなかった。今日は風が気持ちよさそうだと思って、思い立って家を飛び出した。だけどこうして君と会えたから、きっと天啓でも得たのかもしれないね」
彼は風に銀髪を靡かせて、気持ちよさそうに目を閉じる。
……なんだろうかこの空気は。
初対面の、それも色々聞こうとしていた黄金航路の関係者を前にして、アインはこの不可思議な出会いを前に困惑していた。
しかしその中でも、思い出して時計を見る。
(まずい)
もう十一時近くじゃないか。
予定を大幅に過ぎた帰宅は好ましくない。
「もう落ち着いたようだ」
と、銀髪の男。
「え?」
「君は大通りが落ち着くのを待っていたんだろう? ほら、見てごらん。もうさっきの騒ぎの余波なんて残っていないさ」
確かに落ち着きを取り戻しているようだが、見抜かれたことが少し気になる。
「俺って分かりやすいですか?」
「相手を分かろうとしたら、このぐらいなら簡単に分かることだ」
「……なるほど」
そういうもんだろうか。
何にせよ、そろそろ宿に戻らなければ。
銀髪の男に何か聞く気にはなれなかった。ティグルやマジョリカが居た方がいいし、ここで下手な接触は出来ればしたくなかったぐらいである。
「また機会があったら。……俺はこの辺で」
「ああ、また会えたら」
出会った時と同じで唐突に。
アインはあっさりとした別れの後、大急ぎで宿への帰路についたのだった。
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