生まれ故郷へ。

 王都における問題は年を経るごとにいくらでも思い浮かんだが、その中でも、次期国王となるアインの船が停泊できないことは大きな問題であった。

 故に、新たな桟橋――――桟橋と一言に纏めるには大きすぎるものの。

 巨大な戦艦であるリヴァイアサンが停泊できる規模の桟橋が新設された。



 桟橋を挟んで、現国王シルヴァードのホワイトキング。

 そして反対側に並ぶリヴァイアサンの姿は壮観で、ここ最近、更に目覚ましい発展を遂げているイシュタリカの象徴とも言えるだろう。



 工事がはじまったのはハイム戦争の後、アインがシュトロムで修業をしていた頃。

 今まさに数年経って竣工式を迎えた今日――――。

 王都はここ最近でも更に抜きんでた賑わいに包まれていた。

 イシュタリカが誇る海上最高戦力。

 海龍艦リヴァイアサンの甲板に、アインとシルヴァードが立つ。



「ハイム自治領より大会参加者を出すことにした。無論、ティグルとの擦り合わせはもう済んでおる」


「早いですね」


「どうせこうなると思っておったからな。ウォーレンに用意をさせていたのだ」


「…………」



 不満と言うわけではないが、果たして自分はそれほど分かりやすいのだろうか。

 紺碧の空を見上げ、降り注ぐ昼下がりの陽光に目を細め。

 アインはふぅ、と一呼吸を入れてから、竣工されたばかりの桟橋に集まった観衆を見る。



ここ、、からリヴァイアサンで出発していいんですか?」


「よい。そうでなくては、王都にリヴァイアサンを停泊できるようになった意味がないであろう」


「ですよね。……それで名目は激励と」


「これが落としどころである。ただ、他にも理由はある」



 と、アインを見て。



「いずれ公務としてハイム自治領へ行ってもらう予定だったのだ。かの地にいい思い出はないだろうとも、今は我らイシュタリカの一部。王族が行幸することは都市部であれば当たり前のこと。しかし今まで、ハイム自治領へは誰一人として王族が足を運んでおらんかったからな」



 孫と娘の過去を鑑みて、気を遣いながら。

 しかし責務であると譲らないで、国王らしい責任感を持ち。

 シルヴァードは長い間考えていたことだと念を押した。



 ――――ハイムとイシュタリカの関係を慮り、こうした公務をすることは特に重要であろうから。



(表向きは行幸と、戦士の激励としていけばいいのか)



 そうなれば、ハイムを経由していくことにおかしな箇所は見当たらない。

 ロックダムからの招待にはこの事情があるから寄ると返事が出来る。あくまでも自分たちの仕事のついでと捉えられぬよう返事には気を遣うべきだが、相手の面子を潰すこともなく。

 イシュタリカ側としても、必要だった仕事を進められるから一石二鳥であった。



「あとはマジョリカさんの協力で、黄金航路のことを探ればいいわけですね」


「進んで探る必要はない。異人種への施術が本当だったのか自分の耳で確かめることに加え、もしも機会があったならば、イシュタリカでの技術供与が可能か尋ねて貰えたらそれでいいのだ」


「あれ、そんなもんで構わないんですか?」


「当たり前だ。どうして次期国王に冒険者へ依頼するような仕事をさせねばならん」


「言われてみれば確かに」


「面倒なことは考えず、幾分か旅行気分で行ってくればよい」


「驚きました。まさかお爺様がそんなことを言うなんて」


「近頃のアインは公務に励んでおったからな。此度の一件も公務ありきだが、羽を伸ばせるときには伸ばして構わん」



 だが、と。

 シルヴァードはアインの肩に手を置いて。

 今日までの苦労を思い返し、息を吸う。

 それから感情を込めて口を開いた。



「くれぐれも面倒なことは思いつくでないぞ」


「……信用が無いのは今更ですが、面倒なこととは?」


「普通の王族であればしないことのすべてである」



 思い当たる節が多すぎる。

 つい頬を掻いた。



「これを持て」



 シルヴァードが渡したのは目立たないピアスだ。

 微かに魔力を孕んでいるのが分かる。

 すると、このピアスが何なのかも予想が付く。



「メッセージバードですか」


「ああ、それは余の下へ何時如何なる時でも連絡が出来る。意味は分かるな?」


「火急のようがあれば連絡しろということかと」


「その通りだ」



 もっとも、火急のようなんてない方がいいが。

 彼は最後にこう添えて。

 外套を海風に靡かせ、アインに先んじて艦内へと戻っていく。

 一方、残されたアインは一人で。



「旅行気分……なるほど」



 祖父の言葉を思い返して腕を組み。

 旅行なんてしたことなかったなーと頷いて。

 公務交じりの行程ではあるが、意外と楽しめる場面も多いのかもしれないと考えると、微かに頬を緩めて腕を伸ばし、心地良い海風と陽光に身体を委ねた。



 この日から数週間後。

 アインはシルヴァードとの会話の通り、竣工されたばかりの港から王都を発つこととなる。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 港町ラウンドハートと言えばハイムの中でも歴史ある重要都市。

 その名の通り、名家ラウンドハートが代々領主を務め、国防の一端を担ってきた重要拠点の側面を併せっていたのは記憶に新しい。



 ただ、すべてはハイム戦争以前の話。



 綻びが生じはじめたのはアインとオリビアの二人が見限った時のことで。

 あのオズがほぼすべての発端であったなんて、当時は誰一人として知る由もなかった。当然、前ラウンドハート家の当主を良く知っていたからこそ、オリビアの政略結婚を認めたイシュタリカ王家ですら。



(…………)



 沖から眺める港町ラウンドハートは以前の姿こそなかったが、漂う海風は幼き日に感じたそれのままで、漂う温かさも、日差しの強さもあの頃と変わらずここにあった。



「アイン様」



 と、甲板にいた彼に声を掛けたディル。



「あと数分で到着です」


「ん、分かってる」



 自分に顔を向けない主君の横に立ち、倣って港町ラウンドハートを見た。

 彼はアインと共にハイム戦争に参戦していたから、当然、ハイムの町はいくつも見た記憶がある。けれど港町ラウンドハートに関しては実際には目にしていなかった。

 いや、実際には遠目であったり微かに見たような記憶は残されている。



 とは言え、だ。



 あの苛烈な戦争の最中では詳細に覚えられることもなかったし。

 ……結論を言ってしまえば、自分が良く知る港町ラウンドハートと言うのは、書にあった挿絵で知る程度のこと。



 ようは隣に立つアインと同じで、イシュタリカの力を受けて復興をつづけている街並みを見るのは今回がはじめてであった。

 桟橋なんかはわざわざ小さなものを造る必要もない。

 王都に先立ち、海龍艦リヴァイアサンを停泊することが可能な規模を有していた。



 ここにはウォーレンをはじめとする重鎮たちによって。

 万が一どこかしらの国と戦争状態になった場合が鑑みられている。



(前線拠点か)



 海龍艦リヴァイアサンが停泊できる港であれば――――。

 間違いなく、ハイム戦争以上の魔導兵器も装入出来るから。



「よっし……」


「どうかなさいましたか?」


「何でもないよ、色々学んでたとこ」


「……は、はぁ」



 現実的なことを心のうちに留めておいて、徐々に近づく街並みに心を向けた。



 ――――さて。

 海龍艦リヴァイアサンはイシュタリカに存在する戦艦の中でも、一番の規模を誇る巨大戦艦。それが桟橋に停泊する光景は人々に多くの感情を抱かせた。

 驚嘆、畏怖、そして崇拝に似たものだ。



 戦争の際に避難して生き延びた民の中には、アインが去った十数年前を知る者もいた。

 今はイシュタリカの影響もあって戦艦も見慣れていたが。

 それでも、当時はじめてプリンセス・オリビアを見たとき以上の驚きを抱いたのは言うまでもない。



 アインは甲板から町の様子を見ながら、ほっと胸を撫で下ろす。



「あまりにも歓迎されなかったらどうしようかと思ってた」


「ご安心を。イシュタリカ王家に対する感情はそう悪い方に偏っているわけではございません」


「ティグルからは歳をとった人ほど悪感情を持った人が多いんだってさ」


「……怖れながら、そればかりは仕方ないことかと」


「ああいやいや、別に嫌だって話じゃないんだ。事情はどうあれ俺たちは戦争をしてたわけだしね」



 こうしていつも通りの様子で言葉を交わしていたところ。

 炉が停止する音が一瞬だけ鳴り響き。

 勢いよく水をかくスクリューもまた停止して、進水速度が緩やかに変わる。



「そういえば」



 移動しようと思った刹那、ディルが口を開いた。



「王都を発つ前、城内で陛下が何か耳打ちされていたと聞きましたが」


「あれは大したことじゃないよ」



 それは今朝。

 王都を発つ前の時の話だ。



「俺の命を奪える者に心当たりはないけど、次期国王として品格に欠けた行動はとらないように、って念を押されてたんだ」


「……品格に欠けた、つまり暴走するなということですね」


「相変わらず信用がないみたい」


「当たり前です」



 これほどはっきりと答えてくる部下は彼ぐらいなものだ。

 笑みを零すアインはつづけて、若干目を細めた。



「今日の私はこの船に立っているからこそ、海龍騒動のことも常に考えておりました。とはいえ同時にアイン様の勇敢さも再確認致しましたが」



 これが互いのらしさと頷ける余裕はある。

 だけどシルヴァードが言うことも分かっていたし、心境としては互いに難しい。

 ただ、他の皆も分かっているのだ。アインならば――――と、救世主に似た存在に想いを寄せて、初代国王と重ねてしまう。



「アイン様は初代陛下のようなお方ですから」



 それを言われ、アインはもう一度苦笑して見せたのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ 




 同じ頃。

 イシュタリカから遠く離れたバードランド。

 更に西側へ街道を下り。

 エウロへの道に差し掛かる直前にある小さな村で。



 青々とした芝生が広がる小高い丘の上に建てられた、小さな屋敷の庭園へ。

 足を運んだ老戦士の手には一通の封筒。

 彼はそれを、庭園で茶を嗜んでいた壮年の婦人へと渡した。



「マダム、手紙だ」



 老戦士は白く染まった無精ヒゲのままに。

 古びた皮鎧を身に纏って、年波を感じさせぬ堂々とした姿勢で足を運んで口にしたのだが……。



「いつも通り燃やしてちょうだいな」



 声を掛けられたマダムという女性。

 彼女は居にも介しておらず、目もくれずに答えた。



「いいのか?」


「当ててあげるわ、どうせバードランドの商人かどこかの貴族か何かよ。私の力を借りたいとか言い出して召し抱えようとしているの。いわば私の身体目当てね」


「…………予想は外れてるが、燃やしておく。それと最後の言葉は頭脳目当てと言うのが正しいが」


「細かいことは気にしない方がいいわよ、お財布が寂しくなるから」


「誰かの格言か」


「私よ」



 何とも言えない緩んだ空気が二人の間を漂って、筆舌にし難い複雑そうな表情を浮かべた老戦士。

 やがてマダムは「何にせよ、燃やしてちょうだい」こう答えると、これまで飲んでいた茶を口に運ぶ。

 しかし間もなく。

 彼女は予想は外れていたという返事を今更になって思い出して、背を向けて歩き出した老戦士へと声を掛ける。



「待ちなさいな」


「ん?」


「誰からよ、その手紙」


「燃やしていいんじゃなかったのか?」


「カァーッ! これよね、貴方って四十六年前からずっとそれ! 細かいことを気にしてるから老いるのよ! ほぉーらごらんなさい!? おヒゲもまぁ白くなっちゃって!」


「月日が経てば誰でも老いるだろうに……それに細かいのはマダムも同じだ……」



 仕方なそうに。

 老戦士は戻って手紙を渡す。



「懐かしい男からだ」


「私が付き合っていた男かしら」


「マダムは旦那様としか付き合っていなかっただろう。その旦那様だって十数年前に亡くなっているが」


「冗談よ。どれどれ……あら」



 彼女はついに手紙を開けて、目を細めて懐かしむ。

 ハイムを出て、イシュタリカに渡っていたという話は知っていた。そしてイシュタリカで立ち上げた商会が成長して、今では大きな影響力を持ったことも。



出来の悪かった弟子、、、、、、、、、からじゃない」


「それで、なんだって?」


「この騒々しいバードランドへ来るそうよ。立派になっちゃってまぁ……えっらそうに功績なんか書いてきちゃって」



 すると。

 マダムはすっと椅子を立ち、茶の入ったカップを勢いよく呷る。



「私が屋敷を出るなんて何年ぶりかしらねぇ」


「いいのか? ベイオルフも顔を見せると思うぞ」


「あんな馬鹿息子なんてどうでもいいわよ。グラーフが来るって言うのなら、私も顔を見せてあげなくちゃかわいそうじゃない」



 こうして彼女は高笑い。

 心地良い風が草花の香りを運ぶ。

 覚えのあるハイムの方角を見てから、紅の塗られた唇をニヤリと吊り上げた。

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