マジョリカは有名人

原作6巻とコミックス2巻につきまして、6月10日の同時発売となりました。

まだ確定ではありませんが、可能であれば発売まで週二回の更新が出来ればと考えておりますので、もしよければ更新の方をチェックしていただけますと幸いです。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 バードランドの宿は見事なもので、イシュタリカにある宿に慣れたアインからしても上等な客室が用意されていた。

 ただ、少しだけ派手さが目立つ。

 言い方を悪くしたら成金らしさが漂うというか。

 あくまでも若干ではあるが、所々が気になっていた。



「我々が考えていた以上の催し事なのかもしれません」



 宿に帰って間もなく。

 エントランスで待っていたディルが近づいてきて言った。



「相手がイシュタリカの次期国王と知って尚、あのように尋ねる価値があるということです。あるいは先ほどの記者の肝が据わっているだけかもしれませんが」



 アインは「なるほど」と返して頷く。



「我々は初心に帰り、もっと忍ぶべきだったのでしょう」


「はじめてイストへ行ったときみたいに?」



 頷いて返したディルを見て、首を振って返す。

 警戒の必要が無いとは言わないが。



「俺が大丈夫って判断してたことだから、気にしないでいい。――――それで宿の方は?」


「マルコ殿の報告によれば、特に問題なく」


「ああ、安心したよ」



 ティグルとの夕食の場に連れて行った騎士はディルだけだ。残るマルコを筆頭に、アイン専属の騎士の集まりである黒騎士に至る人員は宿に残された。

 理由は偏に、クローネとクリスのためである。

 クリスの場合は戦えるし、戦闘力は他の追随を許さぬ実力者。

 しかしながら、それでもアインは多くの戦力を宿に残していたのだ。



「ハイム公もお部屋までご案内しております」


「助かる。別れてからはすぐに?」


「はい。ところでアイン様の方は――――」


「俺は…………どうだろ、屋根の上で黄金航路の人と知り合ったぐらい」


ぐらい、、、、で済ませてよいことではありませんが」


「って言っても自己紹介はしてないんだ。日中の闘技大会のときにベイオルフの隣に居た人だったってことが分かるだけだから。相手も相手で、俺の素性を知ってか自己紹介することを避けてたし」


「ふむ、ご自身のお言葉が私にどう捉えられるかお分かりしょうか?」


「キナ臭い、胡散臭いって感じだと思う」


「満点でございます」



 ディルの反応は優しいくらいだ。

 いきなり、屋根の上で気にしていた団体の者と知り合ったと言われたら、聞いた者が部下であれば慌てるぐらいあってもいい。

 でも彼は冷静で、慣れた様子で尋ね返す余裕がある。



「詳しく聞きたいところですが」



 笑みを繕い視線を天井へと向けてから、腕時計を見て。



「先にお部屋へ向かわれることをお勧め致します」


「そうする」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 部屋に向かうと。

 そこに居たクローネは大いに不満げであった。

 いつもより豪奢なソファに腰を下ろして、膝を抱いて唇を尖らせていた。彼女はアインに目もくれず、でも、密かに一瞬だけ流し目を向ける。



「あの……怒ってるよね?」


「…………怒ってないもん」



 アインには良く分かる。

 クローネが「もん」なんて語尾を使うときは不機嫌なときか、極度に甘えたいときだと。今回はそのどちらもというのが最有力だ。



「隣、行ってもいい?」



 尋ねるも、彼女は頑なに視線を交わそうとしない。

 胸と太ももの間で抱いたアインのクッションに顔の大部分を埋めて、時折、じたばたと不満げに足を揺らすばかりだ。

 わざわざ寝室から運んできたのか……。

 考えながらもとりあえず、彼女の隣に腰を下ろしてみる。



 だが、一向に振り向いてくれる気配はない。



 帰りが遅くなったのは事実だ。だからアインは無理をして振り向いてもらおうとはせず、そっとクローネの頭をなでるだけに留める。

 少し時間を置こう。

 すぐにソファから立ち上がろうとしたのだが。



「…………えっと」


「――――」



 服の袖が掴まれていて、立ちあがるに立ち上がれない。まだこちらを向いていない彼女が、手だけ伸ばしてアインを引き留めていたのだ。



「もしかしてだけどさ」



 考えてみたら少し腑に落ちたなかった。

 相手がクローネであれば……。



「最初から怒ってなかったりする?」



 ピクッ、と彼女の身体が揺れる。

 アインに表情を悟られぬよう。

 俯き気味のままに、アインを不意に強く引っ張った。



 アインは無抵抗のままにソファに倒されてから、すぐに馬乗りになったクローネを見上げた。



「……意地悪なアインはどうしてくれようかしら」


「やっぱり怒ってるの?」


「ええ、怒ってるわ。ずっと私の傍から離れないようにしてあげたいぐらい」



 情熱的な文句を告げてから、クローネは静かに上半身を起こした。

 絹のような髪の毛が頬を掠めてくすぐったい。

 軽く身じろぎしたアインを見てから、クローネは彼の頬に両手を添えて。



「じっとしてて」



 有無を言わさず、顔を下ろす。

 二人の唇が距離を詰め、重なるまであと数センチ。

 ――――が、重ならない。

 交錯して、彼の首筋へ顔を埋めた。



「むぅ……っ!」


「ちょっと!? クローネ!?」



 大袈裟に反応したが痛みなんて皆無だ。

 首筋に埋まったクローネの真っ白な歯がアインの首筋に押し当てられる。少しの間そのままになるも、彼女はやがて満足し、顔を上げて嬌笑を浮かべた。



 火照った頬と艶めいた唇。

 さっきまで押し当てられていた歯が見え隠れする。

 べー! っと舌を出してから、アインの胸板へ全体重を預けた。余裕を装っているも、密着すれば鼓動でそれが嘘だとバレてしまう。



「やっぱり怒ってないよね」


「ふふっ……お察しの通りですけど、何かございますか?」



 ようはじゃれたかっただけだ。

 不機嫌なのではなく、甘えたかったのだろう。



「別に何も。ただ甘えたかっただけなのかなって思って」


「もう……遅れたのは本当なのに開き直っちゃうのかしら」


「ごめんってば。ちょっと調子に乗ってみただけだよ」


「ふふっ、じゃあ私が不機嫌を装ったことは無かったことにしてね。それでおあいこ、ね?」



 理由があって遅れたなら、クローネは怒ることはない。

 此度は友人のティグルとの夕食の席で、イシュタリカとハイムの関係を思えばその時間は決して無駄にはならないから。

 普段からアインが頑張っていることも誰より知っているのもある。

 だから、かこつけてじゃれついていただけだった。



「跡、残ってない?」



 アインは第三者の目に首筋の跡が映らないか心配した。

 首筋の跡が公務中に気づかれると、おさまりが悪い。



「公務用に持ってきた服には全部襟が付いてるから安心して」



 ここまで計算済みとは恐れ入る。

 なら別に心配はいらないか。

 顔を上げた彼女はもう零れんばかりの笑みを浮かべていて、今度は場所を間違わず、、、、、唇を軽く重ねた。



 微かな吐息交じりで上機嫌な笑みを浮かべ。

 近頃は以前にも増して嫣然として、艶めかしくもある。



「クリスさんにも謝らないとね」



 クローネは寝室の方を見てこう言った。



「なんで俺の寝室に?」


「二人でアインを待ってたのだけど、クリスさんは疲れてたみたいで……」



 不満はない。

 当然、クローネとクリスの二人にも部屋が用意されていたし、わざわざアインの部屋で寝る必要はなかったから、少し気になっただけだ。



 クローネが言うには、クリスはアインを待っている間にうとうと、、、、して、舟をこいだそうだ。

 こんなに夜遅くまで待たせていたのだから、逆に申し訳なく思う。

 今回はクリスの仕事量が多かったから疲れていて当然だった。



「勝手にベッドを借りちゃってごめんなさい」


「いいよ。起こすのは可哀相だし、全然気にしてないから」



 分かり切っていた答えにも「ありがとう」と短く感謝の言葉を添えると、クローネがアインの上から動いて立ち上がった。

 部屋の外から、扉をノックする音が聞こえてきたからだ。



「誰かな」



 とアインが言うと。



『殿下ぁ~……起きてるかしらー?』



 いつもと比べて陽気な声色で言ったのはマジョリカだった。

 アインはマジョリカならと思ったが、すぐに立ち上がり寝室の方へ向かう。

 向かいながらクローネへと。



「公務用のシャツを着てくるよ」


「ご、ごめんなさい……手間を掛けちゃって」


「いいって。これこの跡はこれで嫌いじゃないから」


「……もう」



 照れくさそうにした彼女と別れ、歩いて向かった先の寝室にて。

 運び入れていた大きな鞄を開けて真っ白なシャツを取り出してから、今まで来ていた服を脱ぎ捨ててすぐに袖を通す。



 勿論、服を脱ぐ前にベッドを見てクリスが寝ているのを確認してからだ。



 規則的な寝息と、ベッドの柔らかさに身をゆだねた彼女の表情は安らかで、待たせてしまったことに今一度の懺悔の念を抱かせるのに十分。

 着替えてからアインはそっと近づき、クリスの頬に垂れた髪の毛を指先で避けた。



「んっ……ぅ……」



 軽く、ほんの軽く頭を撫でて。

 くすぐったそうに頬を緩めて声を漏らした彼女を見てからリビングへ戻る。



 すると、酒の香りが漂っていたことに気が付いた。

 ソファに腰を下ろしたマジョリカと、その対面に腰を下ろしたクローネ。アインが彼女の隣に座ると、マジョリカが開口一番に謝罪の言葉を口にする。



「急にごめんなさいねぇ、殿下」


「顔が真っ赤になってるけど、どうしたの?」


「お酒を飲んじゃったのよねぇ、こっちにいた知り合いの冒険者と顔を合わせたから、浴びるように酒を呷って来てやったのよ」


「……どのぐらい呑んだのさ」


「さぁ、どうかしら。一樽ちょっとだと思うわよ」


「えっ」



 思わず驚いたアインはクローネと顔を見合わせて、彼女も驚いていたことに安堵する。

 樽が一つ分?

 その身体のどこにそれほどの水分が流れ込んでいるのだろうか。



「もぉー! 嘘よ! さすがの私もそんなに飲めるわけないじゃないのよ!」


「だ、だよね。俺もどうかしてたみ――「ま、半樽くらいかしらね」……すげえ」



 対して変わらないじゃないか、このツッコミを寸でのところで飲み込んだ。



「そーじゃなくて、私が呑んだお酒の量はどうでもいいのよ!」



 態度は軽めながらも、アインを立てるべきところは立てるのがマジョリカである。そのマジョリカが何の約束もなしに、酒気を帯びたまま足を運ぶなんで、何か事情があるはずだ。



「話の腰を折って悪いけど、酔ってない?」


「二樽くらい飲めば酔うわよ。だから今はシラフみたいなもんよ」


「……分かった。それで、何か用事があったんだよね?」


「そう! それよ! さっき言った冒険者ってのは私が世話をしたことのある元ひよっこだったのよ。今ではすっかりいっちょ前になっちゃって、それなりに評判の子みたい」



 ここまで聞けば、アインとクローネも話が読めてくる。



「今は黄金航路に所属してるらしくて、色々と話が聞けたのよね」


「――――やっぱり」


「ついでに約束も取り付けて来たわよ」



 自信満々に、逞しい胸板を曝け出すように腕を組んで言う。



「例のベイオルフ殿との席を設けてもらうことにしたわ」


「展開が早すぎない?」


「私もアインと同じく気になりました。……その、イシュタリカにも名を轟かす団体の長だというのに、そう簡単に約束が出来るものでしょうか?」


「二人の疑問はもっともよ。ただこの約束は私から提案したものではないの。あちらから、この私と話がしたいって提案してきたんだから」


「マジョリカさんと?」



 不思議に思うアインと対照的に、クローネはすぐに気が付く。

 マジョリカの肩書を思い返して口を開き。



「イスト大魔学の名誉教授、ですか」


「さすが未来のお妃様ね」


「お褒めに預かり光栄です。――――それでは今日お会いしていた冒険者の方というのも、マジョリカさんが足を運ぶことを知り、既にベイオルフ殿に話を通していたということでしょうか」


「そうね。ま、こっちとしては話しが早くて助かるわ」



 話し合いの場なども決まっている。

 四日後にこの町で開かれるパーティにしたそうだ。

 ところで、その場には兼ねてよりアインも足を運ぶことにしていた。アインは直接顔を合わせたことはないが、ロックダムにて司令官を務めていたレンドルという男がイシュタリカに感謝しており、その礼もしたいと言っていた場がそのパーティだ。



「マジョリカさん」



 クローネが遠慮がちに言う。



「何かしら?」


「四日後のパーティにはお爺様も出席なさる予定です。もしよければ、ベイオルフ殿とお爺様が顔を合わせないように計らって頂けないでしょうか」


「噂には聞いているわ。グラーフ殿とベイオルフ殿は因縁があるのよね?」



 因縁と言っても商売という戦いにおいてグラーフが敗北したことはない。

 どちらかというとベイオルフの母のことだ。その母を裏切ったベイオルフとグラーフが顔を合わせることをクローネは良しとしていない。

 隣にいたアインはクローネの心情を慮った。



「任せなさいな。私の魅力でベイオルフ殿を釘付けにしてあげる」



 ふっ、とマジョリカの胸元で魔石が光る。

 相変わらず独特なファッションだが、今はその奇抜さが悪くない。

 三人が笑みを浮かべていると。



『うぐっ……』



 寝室の方から聞こえた情けない声と小さな衝撃音。

 何とも言えない様子で苦笑いを浮かべたクローネがアインに目配せをすると、彼はすぐに頷いた。

 そしてマジョリカもまた事情を察する。

 ……アインは立ちあがってマジョリカを見た。



「当日はマジョリカさんの頼もしさに甘えさせてもらうね」


「ええ、任せてちょうだい」


「助かる。じゃあ俺はクリスの様子をみてくるよ」



 アインは一つだけ予想した。

 今、寝室にいるクリスがどうなっているのかを。

 そしてその予想は的中するのだ。



 珍しく寝相が悪かったのかベッド横に落ちた彼女。少し赤くなった額を抑えて辺りを見渡していたのを見て、まだ慌てたままの彼女へ声を掛ける。



「えっ……あ、あれ……? 私……」


「どうしてここで寝てたんだろ、って感じかな」


「アイン様っ!? いつの間に……じゃなくて! どうしてわかったんですか――――ッ!?」


「そりゃ分かるって」



 分からないわけがない。今更過ぎるのだ。

 くすっと軽く笑みを浮かべるままに距離を詰めて、地べたに座ったクリスの前にしゃがみこむ。

 若干、乱れてしまった髪を手櫛で整えてあげながら。



「おはよ、よく眠れた?」



 そう言われて、つい頬を上気させて俯いてしまったクリス。

 だけどしゃがんだアインのシャツを弱々しくも掴んで。



「……枕、お借りしてもいいですか?」



 以前と違い、素直に甘えられることを証明してみせたのだった。



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