楽園の覇者【中】
アインの行いを怪訝そうに、不満げにセラは見つめていた。
「お主、何をしておる」
この状況に陥ってからの行動には、何か意味があるように見えてならない。
仮に意味があるとしてだ。
どんな意味が内包されていようと彼女には関係ない。アインがどんな目的を持っているとしても、その一切が彼女にとって不必要であるからだ。
すがるように、誘われるように手を伸ばした。
幻想の手で石板を掴むアインから目を離さずにだ。
「この石板に宿っている――――かもしれない力ってのは予想がつきます」
「じゃからどうしたと言うんじゃ」
「セラさんはやり直したいことがあるって言っていた。そのために、イシュタルという女神の力を欲してここに来たんだって」
ゆえに予想できる力と言うのは。
「だからこの石板には、過去に戻れる力が封印されてるんだ」
「かもしれない。と、付くがな」
真偽を確かめるべく彼女は確かめている最中である。
だから、今はまだ不確定なのだ。
故にセラだって早く解析に戻りたいし、もう終わりにするという考えで
「問答をするつもりは無い。石板から手を放せ」
今一度の制止の言葉はいつ通りの声色をしていた。代わりに有無を言わさぬ、強い覇気を感じさせる双眸がアインを射抜いていた。
アインは返事が代わりに幻想の手に力を込めた。
石板が光り、幻想の手は脈動する。
「ッ――――」
セラはそれを見て、もう語り掛けることなく一瞬で駆けた。
二人の間に唐突に濃霧が生じる。
くだらない時間稼ぎだ。これはブラックフオルンが使う濃霧の力に他ならない。だからと言って、何か障害になるかと聞かれても全くないとしか言えない。
立ち込める霧の中。
霧は濃くてアインの姿は見えなかったが、自分が生み出した糸があるから場所は分かる。
不意に、目の前にいるはずのアインと石板がまばゆい光に包まれた。
思わずセラは舌打ちをして、鎌を振りかぶり距離を詰める。
それから。
「まだ…………ッ!」
間に合うはずだとアインに鎌を振り下ろしたのだが。
空を切り裂き、手ごたえがない。
セラはそっと目を伏せて、いつの間にか背後に居た気配に対して静かに尋ねるのだ。怒りを通り越して失望に似た感情に苛まれたままに。
「吸ったのか」
こう口にした。すると。
「ええ、吸いました」
と、アインが返す。
悪びれた様子はなく、衰えぬ闘気を抱いたまま。
それがセラの心を不快に揺さぶる。
しかし彼女もまた歴戦の猛者だ。
落ち着け、マルクが本当にそんなことをするだろうか?
冷静さを寸でのところで失わずに考える。
いくら家族のためとはいえ、気の遠くなる時間を掛けて手に入れた石板を、こんな取引のための戦いで吸収してしまうだろうかと。
霧が晴れていく。
いつの間にか現れた木の根に上の立つアインに、セラは宙に浮いたまま彼に振り返った。
「はったりじゃ」
たとえ祖父の為であろうと、アインは愚かな男ではない。
「俺が貴女の攻撃を躱せたのが証拠です」
「はっ! 攻撃を受けた未来から過去に戻り、この儂の攻撃をかわしたとでもいうつもりか?」
「俺はそう言ってるんです」
「…………はったりじゃ」
あるいは。
「大地の紅玉でも使ったか?」
「残念ですが、それも違います」
その言葉を発した後、アインは強烈な覇気に襲われた。面前の少女から放たれているのは一目瞭然。圧倒されるばかりの強者の気配に、首筋を汗が伝い胸が強く鼓動する。
「最後にもう一度だけ尋ねたい」
彼女の眼がルビーより紅く染め上げられた。
鎌を持つ腕が深紅の鱗を纏う。
「石板に宿る力を吸ったのか」
アインはつい気圧されそうになるも耐える。
シルヴァードの為という想いに加えて、意地があった。
「――――はい」
刹那、アインの真横を一閃が駆けた。
鎌の動きは見えていない。
残念なことに、目で追えることのできる速度をも超えていて、もはや反応できる範疇にない神速であったからだ。
しかし、確かに躱した。
一閃が駆ける直前に、木の根の上で身体をすっと横に逸らして。
「お主には躱せないはずの攻撃じゃったが」
「分かるんです。どう躱せばいいのか、はっきりと」
「未来が分かるから、と?」
先ほどと似た問答にアインはすぐに頷いて返した。
しかしセラはまだ怒りだけを抱いているようには見えない。それがアインにとって、憎らしく感じるほど不満だった。
するとキッと目を見開いて手をかざした。
それから強く握りしめると、その拳を振り上げてセラに向けて踏み込む。
応戦しようとしたセラだったが、一瞬、視界が水に覆われた。
「これは……ッ!」
湖の水が視界を遮った。
水の壁に囲まれた状況だが、これはただ水が壁になっているだけではない。セラが手を伸ばして触れると、指先が鋭い痛みを催したのだ。
――――まるで水の刃じゃな。
恐らく、いや間違いなくアインが持つ水流の力による壁だ。
今のアインが使うことでこれほどの強さを持つとは、つい感心してしまう。
「とは言え、切れぬほどではない」
鎌を横なぎ一閃、まばたき一回よりも早い間をおいて背後から迫る剣。
「はぁぁぁあああああッ――――ッ!」
今まで以上に気合の入ったアインの声につづき、黒剣イシュタルがセラを狙いすます。音よりも速く、雷光より速い剣筋が黄金を覆い迫る。
セラは迫る気配に目を閉じ、この一瞬で判断した。
「鎌では間に合わんか」
しかし、余裕がある。
次に鳴り響いたのは擦れるような金属音だ。
「ッ…………鱗で!?」
「驚くことはない。儂は竜人じゃぞ」
セラはニッと笑っていたが、鱗は砕け散った。
これで傷一つ付かなければ笑うしかなかったものの、これなら、とアインは息を吐いた。
「何か腑に落ちんな」
小さく呟いたセラはそれがどうしてか分からなかった。
何故か今の攻め合いがしっくりきていないのだ。
ちょっとした違和感と言うか、何か整合性が取れていない気がしてならない。だが、今はアインの対処が最優先と意識を変える。
また、鎌を振る。
今回もまたアインは躱してしまう。
見えていないはずなのに、簡単に。
「可笑しいな! 可笑しなマルクッ!」
楽しそうに笑いながら口を開くと、鋭い牙を露出して見せた。
「躱せるくせに貧弱な剣じゃなぁッ!? どうしてじゃ!? 儂がどう動くのか分かっているのなら、なぜ儂に傷一つ付けられん! どうして儂の鱗を砕けた時に安堵した!」
苛烈を極める攻撃の嵐がアインを襲う。
だがしかし、いずれも直撃することはない。
「そんなの! 攻撃と防御では勝手が違うからに決まってます!」
「ほぉ! これは不思議なことを言う! お主には『絶対攻撃』もあるじゃろうに!」
「…………くっ!」
「ではどうして当たらん!? 儂に致命傷を与える事が何故叶わんのだ!」
「それは――――ッ!」
時を遡れる者がどうして追いつめられるか、それも可笑しくてセラは堪らなかった。
すると、彼女の太ももをアインが深く切り裂いた。
深紅の鮮血が鈍く浮かび、それから勢いよく飛び散る。
「ああそうじゃ! お主にはそれが出来たはず……なのにしなかった!」
セラは怯むことなく鎌を振り、アインが躱す。
だが今回は余裕がなく、鎌は彼の顔に切り傷を生んだ。
息を切らしてアインが距離を取る。そのアインに追撃を仕掛けると、次は余裕をもって躱したではないか。
すぅ……。
大きく息を吸いアインが呼吸を整える。
もっと強く、もっと速く。
渇望する力に限りはなくて。
絶対にセラを倒したい。
更に濃くなった魔力はセラから見ても見事であった。
惚れ惚れしてしまうほどだった。
「良いものを見た」
セラの感嘆とした声。
「たばかりの詳細はそのあとじゃ。今はただ、お主の強さに対して真摯であろうと思う。儂が知る実力者たちに劣らぬお主の誇りに対し、儂は儂の強さを持って応えよう」
涼やかで爽やかな、一陣の風が辺りを巡った。
するとセラが、鎌を両手で愛おしそうに抱いた。刃から横一列に糸が姿を見せる。糸はクリスタルをそのまま加工したような煌びやかさで光を反射している。
「『権能の糸』」
幾本もの糸が風に乗り宙を舞う。
「これはそう呼ばれていた。まぁ、欠陥も目立つがの」
「……それが貴女のスキルなんですか?」
「うむ。儂が生まれ持ったスキルはこれだけじゃ。後は必死に覚えた強さばかりじゃが……細かい話は不要であろう」
アインは素直に頷く。
あれこそ、彼が一番に警戒していたセラの力に他ならない。
最初に見せつけられたのは過去の世界から帰った後、王都に戻り、シルヴァードと城の屋根で語り合った後だ。
あの日、確かに不思議な強さを感じ取ったことを覚えている。
「お主は何もできずに敗北する。儂の前で膝を折り抵抗すらできずにな」
「俺が素直に負けると思いますか」
「思わん。じゃが、この力を前にしたら別じゃ。一切の抵抗が意味をなさず、儂に生殺与奪を委ねることしか出来なくなる」
「石板の力を使っても――――」
「それが本当なら別じゃったな、ってところじゃよ」
すると、セラが二本の糸を手に取った。
「儂が糸を消せば元に戻る。だからそう恐れずに」
ツッ――――、糸があっさりと引き千切られ。
「跪け」
短い言葉がアインに宣告させた。
何を馬鹿な。そんな命令を聞くはずがないと言うのが至極当然の考えではあるが、アインの身体は言うことを聞いてしまったのだ。
意識とは別に、両足が力を失ってしまって。
「…………え」
両腕に残された力で剣を支えに中腰になった。
だがそれが許されたのも数秒だけだ。セラがもう二本の糸を握り、それを引き千切ったところで両腕からも力が抜けてしまう。
こんなの、意味が分からない。
どうにかして力を入れようとしても入る気配はない。
強烈な痺れだけが感じられるだけだ。
「諦めよ」
「……嫌だ」
「無駄じゃ。儂がこの力を使った時点で、お主は勝つことが出来なくなった」
ゆっくりと宙から降りたセラが木の根に立った。
彼女は鎌を逆さに構え、向けてくる。
アインはそれを突き立てられた瞬間に思いついて、幻想の手で直撃を防いだ。が、身体の支えが一切ないこの状況……これまでと同じようにはならない。
そのまま、何の抵抗も出来ず宙を舞った。
「かっ――――はぁ…………!?」
鮮血交じりの唾が口から漏れる。
力なく九の字に。やがて衝突したのは小高い丘陵の上で、芝生の柔らかさなんて関係のない勢いで衝突した。
「諦めよ」
今一度の問いに対し、アインは首を横に振った。
衝撃で身体から空気が抜けて、声が出せなかったのだ。セラはアインの答えに呆れた様子でため息を吐き、一本の糸を握り締めて引き千切る。
「もう、諦めよ」
また向かってくる鎌の柄。
アインはもう一度、幻想の手で耐えようと試みたのだが出せない。
すると先ほどの事を思い出す。セラが引き千切った糸が、幻想の手を使う力を奪った、または消し去ったようであると。
宙を舞う中で苦笑した。
まさに、本当に勝ち目がないとはこのことなのだ。
次に衝突したのは空を舞っていた浮き島だ。
眼下を見れば何百メートルも飛ばされていた事実に我ながら笑いがこみ上げる。ふらっと落ちだして、地面に直撃しそうになった直前、片手をかざしていたセラの力に受け止められた。
「儂の糸は『縁』を司る」
「はっ………ぁ…………くっ…………」
「縁が切れれば力は失われるのが道理。手足との縁を失い幻想の手も失った。残された力もいくつかあるが、お主が使おうとした力のすべてを儂は断ち切ろう。何故か
「俺は…………まだ…………ッ」
「ほんに、大した精神力であるな」
どうしても諦めさせたいセラは言う。
「あのたばかりも、気に入らん手法であったが悪くない」
石板の件だ。
「本当は吸っていないのであろう? 気が遠くなる時間を過ごした儂が求めた石板の力を、お主が自分の家族のためだからと言って吸うはずがない。では不思議なのが儂の攻撃を躱せたこと。そして、躱せたときに粗末な攻撃しか出来なかったことじゃ」
何か言いたそうにしているアインに対して、セラはそれを手で制する。
静かにしていろ、そう言わんばかりに。
「『絶対攻撃』は儂から見ても稀有な能力じゃ。ならばどうしてそれを使わないという話にもなるが、大前提が変わればそれが分かる。たとえばお主が石板の力を吸っておらず、自分の力で儂の攻撃に対応した場合じゃ」
「…………ッ!」
「お主、絶対攻撃で儂の意識を把握しておったな?」
アインは答えずにぎゅっと唇を噛んだ。
「絶対に当たる攻撃を逆手に、儂が攻撃する意識を探っておった。じゃから儂に攻撃らしい攻撃が出来なかった。そうじゃな?」
彼女は自信を持って言った。
これ以上ない、これ以外にないという答えのつもりで。
地面に横たわるアインはそんな彼女を見上げて、何とか不敵に笑って「いいえ」と言う。
「俺は貴女がどんな攻撃をしてくるか分かってたんですよ」
「…………ハッハッハッハッハッハッハッ! どこまでも強情な男よ! ああ、儂はお主のそういう性格が愛おしくすら思えるくらいじゃ!」
「だったら、勝たせてくれませんかね」
「ふっ、馬鹿を申すな。逆にそろそろ負けを認めぬか」
だがアインは例によって首を横に振り。
「貴女を相手に『絶対攻撃』なんて……
セラに聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
静かな足音で彼女が近づいてくる。
もう本当に最後にしたい。穏やかな足取りからはその思いがひしひしと伝わってきて止まない。
やがて、これまでのように襲い掛かる衝撃。
当然、木の根や水、その他、使える力のすべてで対抗しようと試みたのだが、どれも使える気配がしなかった。
幻想の手が使えなかった時点で気が付くべきだったのだ。すでに魔王アインのスキルが使えないという状況なのだろう。それが意味することは、アインが持つスキルのほぼすべてが使えないという意味である。
(…………笑えてくる)
吹き飛ばされる様子は塵のよう。
一度でも勝てると思った自分が馬鹿だったんだ。
心はもう折れる寸前で、反撃する活力にも終わりが見える。もっとも、残されていたところで出来るかどうかの問題もあるが。
何度も地面に衝突してから、衝撃が止まる。
背中に感じた自然の気配は例の木だ。湖のほとりに位置する一本の木に背を預けていた。
はぁ、はぁ……。
息を整えるくらいしかできない。
後は近づいてくるだけのセラの足音を聞けるだけだ。
顔を上げる力ですら、使うのが億劫になるくらい。
「もう、諦めよ」
今一度の問いに対して、アインは首を横に振る。
注視しなければ分からない弱々しい動きだった。
ふと、辺りを灼熱が包み込む。
「祖父のためとはいえ、お主は
美徳ではあるがなと添えられて、彼女の手元で
世界中を包み込む灼熱はこれまでの二回と比べても強大。
セラの気持ちが込められていた一撃は、抵抗できないアインへの手向けだった。
「目が覚めたとき、お主は飛空船の中にいる。何も恐れず儂とのことはすべて忘れよ。いずれ儂もここを立ち去る身……すべて夢であったと思えばよい」
その身勝手な言葉に文句の一つでも言いたかったが、その元気がない。
迫りくる炎がスローモーションに映った。
これが敗北か、そう思うと悔しくて涙が出てきそうだ。
だが。
(諦めたくない)
土壇場でも諦めきれず、敗北しかけている自分に苛立った。
でもどうしようもないのだ。
とは言え、アインは最後まで心が折れる事は無かった。気力が尽きて気を失うまで、何か出来る事はないかと考えつづけたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
業火が舞う時間は終わった。
アインの身体はこの世界から消滅しているはずだった。
そう、しているはずだったのだ。
「――――ッ!?」
セラは木の根元を見て、絶句した。
片腕を伸ばして、いつの間にか傷が消えたアインがそこに居たからだ。
彼の手を包む光る彼のものではない魔力と、彼の身体からは
まさか、
いやそんなことができるわけがないのだ。
何故ならそれらの力はセラによって断ち切られているから。
では何故だ。
セラは自分が口にしていた言葉を思い出して、ハッと気が付かされた。断ち切れなかった理由にも気が付いてしまう。
「儂の力を魅了し、奪ったな」
セラが問いかけたのは、アインが持つ彼のモノではない魔力に対してだ。
魔力は答える様子がなくて、彼の腕を支えるだけだ。その魔力はアインに語り掛けるように、彼の腕を優しくさする。
それは鼓舞しているようにも見えた。
今もなお意識を失ったままのアインだが、すぐにでも目を覚ますことだろう。
セラは自覚した。
自分が与えた力ではあるが、我ながら面倒な力を与えたもんだと。
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