【5巻記念SS】流行り病のときの彼女

 最終章の合間に挟んでしまい恐れ入ります。

 今回は2月10日に発売となる、5巻のSSを投稿します。例によって細かな事情などは気にしない方向で楽しんで頂けますと幸いです。



◇ ◇ ◇ ◇



「流行り病、ですか」



 クローネはバーラが言ったことに対して、きょとんとした顔でこう答えた。しかし徐々に理解が追い付く。ああ、例の近頃評判の病とやらに自分もなってしまったのだと。

 考えてみると最近は調子が悪かった。

 今朝だって、城を出るアインにバレないように気を付けていたくらいだ。



「しばらくの間は絶対安静です」


「……アインの公務までに治りますか?」



 答えづらそうににバーラが首を横に振った。

 予想できていた答えを見てクローネは自己嫌悪に陥る。王太子の傍仕えである自分が病に伏せている暇なんてない。頭を抱えてしまったほどだ。

 だが、すぐに閃いた。



「そうだ、アインに治してもらえばきっと――――」


「なりません」


「そ、即答ですね……」


「すみません……理由があるんです。この病は生きていれば一度は罹る病です。治ってしまえば二度罹ったという前例はございません。クローネ様ご自身のお身体の為にも、このままゆっくりと治すことを強くお勧めします」



 それを聞いてクローネは悩んだ。

 治す方が良さそうなのは理解できたものの、今回はタイミングが悪すぎる。

 自分の身体を優先すべきか、アインの公務を優先すべきかと悩んでしまったのだ。



「殿下も休んでと仰ると思いますよ」



 慮ったバーラの言葉はクローネも頷けた。



「ええ、アインならきっと……でも……」



 悩みに悩んだが、今よりもっと大切な時に穴をあける事と比べれば……。

 たとえばアインが近くに居ない時、それでいて外せない公務のときに今と同じ病に罹ったとしよう。その際に自分に指名があったとすれば、だ。



(休まないとダメみたい)



 今回は大人しく休むことが最善なのだろう。



 それからバーラは「殿下には先に私からお伝えしますから、ご安心ください」とだけ言って、クローネの部屋を後にした。

 クローネはベッドに横になり、薬による眠気に身体を委ねる。



 枕元に置いたスタークリスタルを見て、ごめんなさいと小さく呟いて。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 次に目を覚ましたのは深夜のことだ。

 寝汗で少し背中が冷たい。ベッドから起きて身体を拭こうと思ったが、ふらっと足元に力が入らない。

 熱は――――どうやら寝ている間に上がっていたようだ。

 動くのが億劫だがこのままでも居られない。

 何とかして立ちあがろうとしたところで。



『私です。入ってもよろしいでしょうか?』



 聞こえてきたのはマーサの声だ。

 城にある部屋と言うのは、すべてが宿のように部屋の中が更にいくつかの部屋に分かれている。マーサの声がしたのは、その中でもリビングに通じる扉の方からだ。



 普段の彼女なら、そこに入るにも一番外側の扉をノックしてから足を運ぶ。

 今日はクローネの事があるからか、寝室の外側に居たのだろう。



「ええ、どうぞ」



 いつもより弱々しい声で答えたところで。

 マーサは片手に水差しとフルーツが乗ったトレイを持ち、もう一方の手に着替えやタオルが入った籠を手に現れたのだ。



「マ、マーサさん?」


「あらら……お見苦しい姿で申し訳ありません。何度も足を運ぶのも慌ただしいかともいまして、このような姿になってしまいました」



 するとマーサはクローネの姿を見て、すぐに近寄った。

 彼女はトレイをベッドの横に置いて籠からタオルを取り出す。



「お着換えの前にこちらを。あとは私にお任せくださいね」



 答える間もなくクローネが着た服に手をかけて、慣れた手つきではだけさせた。

 着ていた服は籠に入れ、白く滑らかな肌を伝う汗を拭っていく。柔らかいタオルの感触が心地よくて、クローネは自然と目を閉じる。



 蕩けてしまいそうな吐息が漏れて、湯を浴びれなかったことへの不満も解消していく。



 気が付くと、いつの間にか下着まで取り換えられていた。

 香油を混ぜていたのだろう。強すぎない花の香りがほのかに香ってくる。



 胸元を押し上げるボタンが留められたところで。

 クローネは嬉しそうに微笑んでマーサを見た。



「ありがとうございました。実はどうしようか迷っていたんです」


「私は幼い頃に罹ったことがございますのでご心配なく。いつでも、今までのようにお呼びくださいね。お飲み物と、食べやすそうなものをいくつか見繕って参りました。――――後はこちらを」


「お手紙ですか?」


「はい。アイン様からお預かり致しました」



 彼の名を聞いて、寂しさがこみ上げた。

 それほど長い時間ではないが、これほど彼の声を聞けなかった日はしばらく無い。アインが公務で王都を開ける際も、今は補佐官として共に行動しているからだ。



 差し出された手紙を開けてみると、紙を出して文字を読む。

 いつもの、見慣れたアインの文字ですら愛おしく感じた。



「無理したら怒られちゃうみたいです」


「王太子から叱責されるのは避けた方が賢明ですね」


「ふふっ、私もそう思いました」



 でも、クローネが一呼吸置く。



「アインに叱られるのも嫌いじゃないかもしれません。仕方なそうに、いつもより強い目を向けられるのもやぶさかではないんです」


「あらあら。更に休むよう申し付けられるかもしれませんよ?」



 互いに交じりに、クローネは気分転換がてら軽口を言う。



「一晩でもう懲りちゃいました。それなら我慢して休まないといけませんね」




 ◇ ◇ ◇ ◇



 少し経ってからアインが王都を発った。当日、彼が窓の外から手を振ってくれて嬉しかったことをクローネはよく覚えている。

 同じく病に伏せているクリスは回復が少しだけ遅れているらしいのだが。



「――――何かしら」



 窓の外から賑やかな気配を感じてベッドを立つ。

 バルコニーに出て見下ろすと、下にある芝生の上を、何人かの女性の近衛騎士に連れられているクリスの姿があった。

 彼女も絶対安静だったはずなのだが。



 トン、トン。

 部屋の扉がノックに返事を返すと、足を運んだのはカティマだった。



「む! やっぱりクローネは大丈夫だったニャ!」



 いきなりやって来て何を言うのかと、呆気に取られてしまう。



「脱走を試みたポンコツエルフと違うってところかニャ」


「あっ――――。もしかしてクリスさんですか?」


「うむ! あんの頭おんぼろエルフは言うに事欠いて、マグナに忘れ物をしたとかのたまって脱走を試みたのニャ。ま、天才ケットシーの私が看破してたんだけどニャ」



 クリスらしさに溢れた行動だが、その言い訳はクローネもフォローできず苦笑した。



「あのネジが抜けたエルフにもクローネを見習ってほしいもんだニャ」



 すると、カティマもバルコニーに足を運んだ。

 クローネの服を引っ張ってかがませて、彼女の額に肉球を当てて体温を測る。

 十数秒もしたところで。

 満足した様子でヒゲを揺らした。



「ニャハハッ! 順調なようでなによりだニャー」



 それから、クローネの手を引いた。

 天球いっぱいに広がる青空から離れて、部屋の中に戻りベッドまで連れて行く。



「何か必要なものはあるかニャ?」


「ア「アインってのは無しだニャ」……違いますよ?」



 ニカッと笑うカティマに対し、クローネは悪戯のバレた猫のように笑った。

 形のいい唇に手を当てて本当に必要なものを考える。



「少しお腹がすいたかもしれません」


「ニャらマーサに伝えて置くから少し待つニャ。ちゃんと食べられそうかニャ?」


「はい。最近は食欲も戻ってきたみたいです」


「いいことなのニャ。じゃ、何かあったら誰でもいいから呼ぶのニャ~」



 そう立ち去っていく第一王女の背には、普段の姿からは感じられない包容力があったように思う。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 日が昇って間もない。

 その前からクローネは湯を浴びて、いつもより入念に身だしなみを整えた。

 髪の毛も、櫛を通す回数が気持ちいつもより多かった。



「――――うん、大丈夫」



 久しぶりに制服に袖を通した。

 気持ちが引き締まるし、アインだけの傍仕えという立場を全身で感じられて気分がいい。

 最後にスタークリスタルを身に着けて支度は終わる。鏡の前に立った自分の姿をよく見てから、机に置いていた手帳を胸に抱いて部屋を出た。



 部屋を出るのも久しぶりだ。近くを歩いていた騎士と声を交わすのも、日常が戻ったようで嬉しさがこみ上げてくる。



 軽快な足取りで、いつもに比べて幾分か足早に場内を進む。

 早いうちから仕事についていた騎士も、給仕も。そして執事に至る全員が彼女を見て、一秒でも早くアインの下に行きたいのだろうと悟って微笑んだ。



 階段を降りることだってもどかしい。

 けど足元に注意を忘れず、一階の大広間に到着したところでクリスを見つけた。

 傍には幾人かの騎士が立ち、二人の荷物も用意されている。



「クローネさんっ!」


「お久しぶりです。クリスさん」


「はい! やっとマグナに行けますねっ!」



 何度か脱走を試みたクリスだし、きっと今すぐにでも王都を発ちたいことだろう。

 けど、クローネも同じだ。



 胸に手を当てたクローネは鼓動が早いことに驚いた。

 今すぐにでも逢いたい。頭の中がこの想いで占領されつつあった。



(もうすぐだから)



 彼の下に着くまでもう少しの辛抱だ。

 クローネは最後にあとちょっとの我慢に努める。今日まで何週間も我慢できたんだ。あと少しだけ、もう数時間だけ耐える何て簡単なこと――――。

 でも。



(もどかしい。今すぐにでも傍に行きたい)



 結局、我慢はもう限界に近いのだ。



「少し早いですけど、もう出発しちゃいましょう」



 そう言うと、クリスは食い気味に頷いて返してくる。

 周囲の騎士たちも察して荷物を持ち上げると、城外への扉が開かれた。

 気持ちのいい朝日が二人を照らして迎えた。



 クローネにしては珍しく、クリスに先んじて歩いていく。

 朝日を帯びた彼女の横顔は煌めいていた。名画の一場面に劣らぬ華があり。



 ――――皆が見惚れるほど華憐だった。

 


◇ ◇ ◇ ◇


 明日は通常更新となります。

 アクセスありがとうございました。

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