大海のヴェルグク【後】

 勝つのは俺たちだ、強気言い切ったものの。

 今後の展開を考えると気が滅入る。

 アインが勝利を収めるために必要なのは、攻撃を受け受けつづけるということと、決定打となる一撃をヴェルグクに与えること。たったこの二つだけではある。

 ただ、その二つが辛いだけの話である。



「ッ……痛」



 今度の紫電はアインがまばたきをした刹那に、視界の外から放たれた。

 普段なら容易に防げる攻撃も、呼吸が合わず防げない。

 でも幸いなこともある。

 相手の力の正体を看破できたことにより、遠くない未来の勝利を確信できたことだ。



 新たな木の根が海上に現れ、アインの足場となる。

 ヴェルグクとの距離を詰める最中の攻撃は苛立ちを募らせられたが、現状、防ぐ手段はないとアインは考えていたため、力押しをするしかない。



 言葉にはしないが、強烈な痛みが奔る。

 横っ腹の方からツンとした焦げ臭さがする。剣を握る手を中心に、皮膚全体が痛みを訴えかけてくる。だがヴェルグクの攻撃は止まず、幾たびもアインを襲った。

 すると、ヴェルグクに焦りが見え出してきた。

 不意に一歩、アインから遠ざかるように後ろに下がったのだ。

 これまで見せなかった弱気な仕草に、この時ばかりはアインも痛みを忘れ、思わず「あっ」と口にしてニヤッと笑った。



「逆の立場だったら、俺だってそうなるかもしれない」



 怯まない相手と戦うのは難しい。

 今のヴェルグクは身をもって理解して、この間も距離を詰めるアインに畏怖した。



 ふと、ヴェルグクが『オオォォオオオオオオオオ――――ッ』と怒声を上げた。

 海面全体を襲う強風。

 奴の腕を中心にして現れた竜巻は触れるだけで腕を切り落とされそうだが、今のアインからしてみれば、敗北を意識して引きこもったようにも見える。



『――――――――』



 そして、余裕を取り戻して笑う。

 後は相手アインの消耗を待つだけ。巨躯に比べて堅実且つ消極的な一手ではあるが、これ以上ない有用な一手だ。

 これで負けないという自負を抱いているように見える。



 胸元のアレも割られないって思ってるんだろ、とアインは心の中で言った。



 恐らくだが、アレは魔石だ。

 自分の命ともいえる魔石を惜しげもなく晒すのは、常識的に可笑しな話だろう。だが偶然アインが見た通り、ヴェルグクの魔石は馬鹿みたいに硬い。

 正直なところ、今までの戦い方では割れる気はしなかったぐらいだ。



「でも、終わらせる」


『ッ――――!』


「痛っ……ぁぁ……ッ! ほんっと、防ぎようがないなーもうッ!」



 決して無抵抗というわけではないのに、どうしても防ぎきれないタイミングで襲い掛かる紫電。だがそれもあと少しの辛抱だ。

 一歩、また一歩と木の根を駆けることで、彼我の距離は更に詰まる。



 やがて。



「真っ向勝負に付き合ってもらうぞッ!」



 一見すれば考えなしの正面切ってのぶつかり合い。

 アインが剣を振り下ろすとともに、黒一色の波動が波になりヴェルグクを襲う。すると当然、ヴェルグクも紫電を放ち、風を纏ったまま拳で迎え撃った。



 両者ともに消耗が激しいが、アインの方が余力がある。

 ヴェルグクの拳を前にしても、さっきのような力は感じなかった。



『オオオォォ…………ッ!?』



 世界中を震わす唸り声はアインに傷をつけられ叫ばれた。

 拳は腕と違い皮膚が薄いからか、手ごたえもある。傷跡からは体液らしき何かもツゥッ、と浮かび、やがて勢いよく飛び散った。

 まるで間欠泉のように。



「悪いけど」



 そこから力を吸わせてもらう。

 アインが傷跡に幻想の手を突き刺し、吸収の力を使う。



(……なんだよ、これ)



 吸収してすぐに気持ちが悪くなり、全身に震えが生じた。

 甘美な味や香りなんて少しも感じない。

 それどころか、アインの調子は悪くなる一方だ。クラクラしてきたし、吐き気もする。極めつけに手元を見れば、赤紫色に指先が変色しだしていたのだ。



「どうしてこんなことに……ッ」



 不穏な空気を感じて、幻想の手を抜きとった。

 手のひらを見ると小刻みに震えながら、少しずつ変色が治っていく。

 治るということは毒が関係している。こう考えたものの、すると絶対的な毒耐性と言われていたアインの力に疑いが生じる。



「考えるのは後だ」



 と、気持ちを入れ替えた刹那。

 大海を縦断する一際太い木の根が海中から現れて、小島とヴェルグクをつなぐ道となった。それを見たクリスたちは互いに頷き合い、木の根に向けて走る。



『アアアアアアァァァッ!』




 ヴェルグクはそれを見るや否や紫電を巻き散らそうとしたが。

 視線をアインからそらした瞬間に自らを襲った波動に、その考えを改める。



「よそ見をしてくれるならそれでいい。その時は俺が一人でおまえを倒せるだけだ」


『…………ッ!』


「人間らしい顔を見せるようになったな! 最初の傲慢さはもう見えないッ!」


『オオォァァアアアア――――ッ!』



 剛腕に振り下ろされた拳が勢いを増す。

 まるでアインに全身を焦がされる前のような覇気を放つが、威力はやはり当初に比べ劣るか。

 アインは退かず、堂々と拳を相手にしつづけた。

 数秒、そして数十秒と時間が進んだところで、彼が待望していた声が届く。



「私たちも参戦します!」


「ありがと! クリスたちは作戦通りにッ!」



 それから、木の根は更に伸びてうねりヴェルグクの背後に向かい、身体全身にまとわりついた。



「こーんな戦いがあるって知ってたら、もっとリハビリしておくべきだったかしらねぇ……!」


「王都に戻り次第、私と共に訓練でもいかがでしょうか」


「あら、素敵じゃない。その件は帰ってからでも話しましょうね」



 マジョリカとマルコの軽快なやり取りが、アインの心に安穏さを与えた。

 ふっと笑う顔には活気が戻り、先ほどの震えや気持ちの悪さも完全に鳴りを潜めた。



『――――ッ! ――――――――オォォッ!』


「このぉ……ッ! いやほんっと意味が分からないけどッ! お前は本当に強かったよ、、、、、! あの人竜人には劣るんだろうけど! それでも、あの人を抜かしたらダントツだッ!」



 今の実力でこの苦戦なのだから、こう称するしかなかった。

 しかし、今の言葉で重要なのは「強かったよ」と、すでに過去の扱いであることだ。

 何度目か分からない、勝利を確信した言葉。

 ただ今のアインはこれまで以上の自信に満ちて、強気な表情でヴェルグクを見上げていた。互いに言葉は分からずとも、ヴェルグクはアインの様子を見て苛立つ。



『ハッ――――ハッ…………オオオオオオオォォオォォォッ!』



 眩い紫電。

 剛腕にそれをまとったヴェルグクが真上からアインに拳を落とす。



「……これが最後だ」



 アインは今日一番の防御態勢に移り、木の根を背に拳を受け止めた。

 脚は軋みを上げ、全身の毛穴という毛穴から汗が浮かんできそう。血管は険しく隆起して、握力は限界を超えて、あとは気力で耐えるのみ。

 そんな彼を支えていたのは、勝利できるという確信と。



「俺の相手に手間取ったお前の敗北だよ」



 仲間の存在だった。



「クリス様ッ! ご無理はなりません!」


「いいえ! この場を任された私が頑張らなければ誰が、いったい頑張るのですか!」


「あーほらほら、クリスも力まないで仕事よ、仕事」



 木の根を駆けあがり、ヴェルグクの鎖骨まで上り詰めた三人が居た。

 皆、武器を取り出して魔石に突き立てる。しかし硬く、まったく傷がつく様子がない。

 だが。



「さぁ……あなたのご主人さまのために戦って!」



 クリスが言うと、彼女の服の裾から現れた一匹――――いや、一体。



『ヒヒッ』


「笑ってないで仕事ですよ! アイン様に頼まれたから、ここまであなたを連れてきたんですよ!」


『ハァー……ァィ』



 気に入らない様子と裏腹に、マンイーターはすぐに花弁を大きく成長させ、口元の牙を光らせた。

 ドクン。

 全身を脈動させると共に力を籠めると、下で戦っているアインが「ッ!」と顔を歪める。

 主から遠慮なしに魔力をとっていった代償である。一方のアインからすれば遠慮のない奴め、という思いもなくはないが、今は頼もしさも感じるぐらいだ。



『ヒィッヒヒヒヒヒヒヒッ!』



 アインの魔力を直接得たマンイーターの力はとても強い。

 特に牙は鋭くて、魔力もあって傷をつけやすかった。

 やがて魔石に傷がついて魔力が漏れ出すと、喜んで吸い出したのだが。



『ッ……ァァ?』



 花弁が、そして葉が萎れてしまう。

 茎は細くなり、牙も鋭さが失われた。数秒と経たぬうちにマンイーターは『…………ヒヒッ』と、最後に弱々しく鳴いて姿を消す。



「そんな、どうしてですか!?」


「調べるのはあとで! いいから、私たちの仕事はここまでよッ!」



 魔石に傷がついた、それを確認したマジョリカが言い、マルコが頷く。



『ウォオ…………――――ッ!』



 両腕を掲げたヴェルグクが強烈な風を巻き起こし、三人を吹き飛ばした。

 あっさりと宙に投げ出された三人を不安そうに見上げたアインだが、すぐに木の根を作り三人を空中で保護。

 上空のクリスと目が合ったアインは、彼女から「信じています」と言われた気がした。



 すぅ――――息を吸った。

 滾る。付きかけていた力が何処からともなく沸いて来て、瞳に力を宿した。



「その魔石」



 ふわっと、木の根を蹴って飛び上がる。



「砕かせてもらう」



 鎖骨付近まで飛び上がってすぐ、両腕で上段に構えた剣。

 後は落下して、三人がつけた傷に剣を突き立てればそれでおしまいだ。

 だが当然の権利のように、ヴェルグクもまた応戦の構えを見せた。

 剛腕で迎え撃とうとしたのだが……。



『ッ――――!?』


「ほんの少しだけでいいんだ。そのぐらいの拘束ならできるんだって、最初のぶつかり合いでもう分かってるよ」



 まただ、なんて忌々しい木の根であろうか。

 ヴェルグクの両腕はあっというに拘束されてしまって、迎え撃つも何もない。

 必死になって力を加え、紫電を奔らせて木の根を焼き焦がす。



 でも遅かった。



 両腕でアインを潰そうと振り回し、彼に直撃するほんのコンマ数秒手前。

 トンッ、あまり強くない勢いで魔石に突き刺さった剣により、ヴェルグクの動きが止まった。



(でも、このままじゃ)



 まだ思いのほか硬い。

 これでは魔石を破壊するより前に、自分の方がやられてしまう。

 では、どうするべきか。

 答えがただ一つ、勝利に至れる道が残っている。



 脈打つ腕、鼓動する胸元。

 ヴェルグクの魔石から漏れだす眩い魔力がアインに吸い取られていき、その勢いに比例してアインの身体が赤紫色に変色していく。



 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。

 頭がクラクラする。

 筋肉の繊維一本一本が痛みを溶かすような痛みを催し、視界が真っ赤に染められていく。

 息を吸うのも辛いし、指先が剣に擦れるだけで悶え苦しみそうになる。



 それでもアインは吸収することを止めなかった。



「何度でも言うよ……お前、いったい何なんだよ……ッ!」



 もう愚痴のように吐き捨てた。

 全身を覆っていく赤紫色に恐怖心を抱きつつ、だが意地と覇気を失わず。

 やがて下半身が全部染め上げられ、腰、つづけて上半身。腕や指先のすべてが染まった。残るまともな肌色委は首より上のみだ。



 すると赤紫色の上に黒く点滅する線が浮かんだ。

 線はアインの首元に向かい、浸食していく。



「勝つのは……」



 浸食は首を超え、顔にたどり着く。

 耳まで染め上げて、残る箇所は頬にあるほんの一点のみ――――。



「俺だッ!」



 ふ――――っと、浸食は止まる。

 最後にはぐらついたヴェルグクの体躯、力なく宙に放り出されたアイン。もう余り目は見えないが、風の中にあった光る何かが、アインの身体に溶け込んだ。



「アイン様…………アイン様ァッ!」



 クリスは見ても居られず、木の根を蹴って飛ぶ。

 風の魔法を用いて距離を詰めると、アインの事をぎゅっと抱きしめた。



「…………ごめん」



 彼女の暖かさに包まれた瞬間、急激に緊張感が消え去った。



「ちょっとだけ、疲れちゃったみたい」



 過剰に分泌された脳内麻薬が無くなり、瞼が重く重くなっていく。アインはそれから意識を手放して、身体から力を失ったのだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 次に耳にした音は、カチャ、という食器の音だった。

 目を開けて、辺りを確認する。

 どうやらここは飛空船にある自室のよう。

 身体を起こそうとしたが、全身が重くて思い通りにはいかない。



「まだ寝ておれ、この馬鹿者が」


「お爺様?」


「何がお爺様だ愚か者め。無茶をしおって」


「……どうしてここに?」



 ベッド横に置かれた椅子に座っていたシルヴァードを見て、アインはきょとんとして言った。



「お父様はアインが心配で足を運んだのニャ。ま、私もニャけど」


「カティマさんまで……」


「体調はどうかニャ? 五日間も寝てたんニャから、多少は回復してると思うけどニャ」



 五日間と聞いたアインがまばたきを繰り返す。

 彼はそう察しが悪いわけではない。

 ヴェルグクを倒してからの記憶がないし、恐らくそれから五日間も寝てしまっていたのだろう。



「調査は打ち切りだ」



 と、シルヴァード。



「お爺様!」


「何も言うな、もう余は決めたのだ。神隠しのダンジョンも一度閉鎖し、王家預かりのもとで管理する。誰にも文句は言わせん」



 彼はそう言うと、まっすぐとアインを見つめた。



「すでに消えた二人の情報なんて必要ない。余はアインがそれほど傷ついてしまうなら、そんな情報は少しも欲しくないのだ。……一度は許可を出した余の過ちである。もう一度言うが、故に今後の調査をする予定はないぞ」



 言い切ると彼は立ちあがり、扉を開けて外に出た。

 残ったカティマはトンッ、トンッと軽快に歩いてベッド横に座った。



「明後日にはここを発つニャ」


「そんな……!」


「アインなら分かるはずだニャ。このイシュタリカの国王が城を離れ、こんな場所に足を運ぶことの意味がニャ」


「…………」


「明日、お父様は直々にギルドに行って話をするそうだニャ。

今後は、第一層の下に現れた部、、、、、、、、、、屋を除いて、、、、、、上層への立ち入りを禁ずるってニャ。アレは、あのダンジョンは私たちが思っている以上に危険な場所だったのニャ。それは私以上にアインが分かるはずニャ」



 やれやれ、カティマは肩をすくめた。

 いつもの声色ながら、語調は少し強い。

 アインに反論の余地はなかった。



「あれ? 一層の下に部屋が現れたってのは……」


「あとで教えてやるニャ。とりあえず」



 先に話すことがあると言い、カティマが懐を漁る。



「俺のスタータスカードじゃん!」


「故あって預かってたのニャ。お父様とか他の誰かが見る前に、私が密かにこっそりとニャ!」


「……まぁ、いいけど。それで話って?」



 すると、カティマがステータスカードをアインに渡す。

 「というのもニャ」と、ある一点を見るように促して、目と伏せた。



「アインはいったい、誰と、、戦ったのニャ?」



 それから。

 ステータスカードを受け取ったアインはジョブとスキル、、、、、、、の欄を見て、絶句した。

 絶望があるわけではない。

 あくまでも、驚きゆえに言葉を失ったのだ。


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