大海のヴェルグク【中】

 困惑した面持ちのクリスはまばたきを繰り返した。

 一方のアインと言えばいつものように穏やかな表情を浮かべ、思いついたことを耳打ちした。耳元に届く吐息が少しこそばゆかったが、彼の思い付きを聞いてクリスは「本気ですか?」と正気を疑う。



「絶対に危ない状況にはしない。俺があいつの事を抑えてるから――――」


「ちっ、違います! 私が危ないとかそういうのを考えているのではなくて……重要な仕事なのに、私に任せても大丈夫なんでしょうかって……」


「クリスに頼むのが一番だと思ったんだよ。それで、頼めるかな」


「――――お任せください。命に掛けて達成してみせますから」



 そんなことはしなくていいとアインは苦笑するも、クリスの気合の入りようは健気で、美しかった。



「アイン様、いったい何を」


「そうよぉ! 私たちにも教えてちょうだい!」



 するとアインが二人にも思いつきを伝えた。

 やはり、正気を疑われてしまう。しかしアインは本気だ。

 彼が力強く頷いたことで、二人もまた頷いた。



「よしっ……と」



 頬をパンッ! と叩いてアインが気持ちを切り替えた。

 大海を見渡してから目を閉じる。

 そして地響きがこの世界全体を襲い、ヴェルグクの周囲に太く険しい木の根が姿を見せ、あっという間に腰に纏わりついた。



「世界樹と巨人の勝負だ」



 こう言ってみるも、我ながら訳が分からない。

 それからアインは大きく跳ねた。

 海上に足が届く瞬間に新たな木の根が生まれて、また生まれて――――それを繰り返して掛けた。



 傍から見れば体格の差は圧倒的にも程があるものの、現実は違う。

 ヴェルグクは距離を詰めるアインに対し、先ほどの戦艦群と比べてさらに強く警戒していた。いやそれどころか、遊び半分の力の振るい方ではなく明確な敵意を以ていたぐらいだ。

 腰に纏わりついた木の根が、先ほどと同じように内側から光を放ちだす。

 燃え上がり、爆散したそれの合間からアインが勢いよく懐に入った。



 トンッ、ヴェルグクの剛腕を駆けあがったアイン。

 黒剣イシュタルを上段に構え、自分が思う以上に魔力を込めて振り下ろした。



「ッ……嘘でしょ」



 思いのほか、あまりにも手ごたえがない。

 剛腕に浮かぶ血管は切り裂けたものの、それ以上のダメージに至らない。筋肉を切り裂くことも、骨を断つにも至らなかったのだ。

 あまりの事実に困惑するも、それでもアインはすぐに冷静さを取り戻す。



『――――』



 見下ろすヴェルグクの頭蓋から届く声。

 不敵で、煽るような尊大さがアインの苛立ちを誘う。



『ァァアアアアア――――ッ!』



 天を抱くように両腕を広げたヴェルグクの怒声が耳を刺した。

 先ほどの傷口から、白く眩い魔力と衝撃が現れてアインを襲う。

 アインはなんとか耐えようと試みるも。



「くっ……これ……ッ」



 威力が想像以上で踏ん張り切れなかったのだ。

 剣を突き立てるも、徐々に支えを失う。



『――――、――――――――?』


「お前が何を言ってるのか知らないけど、俺が気に入らないことを言ってるんだろうってことは察しが付くよ!」


『――――』



 また不敵に笑うヴェルグクが空いた腕の先で拳を作る。

 それをアインに向け、聞いたこともない風切り音と共に振り下ろさんとしていた。

 同時に剣が腕から抜けてアインの身体が宙に舞う。そして、コンマ数秒と経たぬ刹那の間に、振り下ろされた拳が目の前に迫る。



「…………すごい強い」



 しみじみと噛みしめるように言うと、背中から八本の幻想の手を生み出す。

 一瞬の邂逅の間にヴェルグクの拳にしがみついた姿は、海龍戦を回想させた。



 だが、違う点が一つ。

 海龍と比べても更に数倍、もしかすると十数倍は強い衝撃に面食らっていたことだ。

 ギ、ギギギッ! 

 歯を食いしばってこらえるも、足りない。

 幻想の手が力を失いアインと拳の間でクッションの役割に回ったのは、諦めたからではなく、力負けした事実を受け入れていたからだ。



 やがて。



『ッ――――!』


「このままじゃ……ッ!」



 隕石か何かのように落下する最中、迫りくる海面を見やる。

 ただで衝突すれば相当のダメージは必至。

 ならば、その衝撃を抑えるしか出来ることはない。



 大きく息を吸い、鬼気迫る声で「出てこいッ!」と大きな声で言った。

 するとアインを包み込むように、螺旋を描いて海面に現れる木の根の数々。



「くっ……がぁっ……あぁッ……!?」



 完全には殺しきれない衝撃に襲われながらも、木の根が何とかアインを包み込む。

 状況が落ち着いたのは、木の根が数十は破損したところでだった。



「アイン様ッ!」



 と、島の方で叫んだクリスがアインの方へ行こうとした。

 しかし彼女の横に立つマルコが制止する。

 真っすぐに見つめ、強く勇気付けるように言う。



「あのお方は我らを信じてくださった! その我らがあのお方の力を疑ってはなりませんッ!」



 彼も必死にこらえているのだ。

 今すぐにでも傍に行って、何なら拳だって代わりに受け止めたかったぐらいである。でも信頼に応えないこと以上の不義はない。

 だから、自分たちに与えられた仕事をこなそうと納得していた。



「二人とも、急いで支度を! 殿下の指示でいつでも動けるように!」



 マジョリカもまた、マルコと同じく無理やり納得していたのだ。



 さて、一方でアインは呼吸を整え終えたばかりだ。

 木の根に包まれていた彼はイシュタルを杖に外に出ると、半損した木の根の上に立ち、遠くで見下ろすヴェルグクを見上げて睨み付ける。

 口の中に感じた鉄臭さに嫌気がさす。

 無作法ではあるが、咥内の唾液に混じった血液を吐き捨てた。



 荒波、紫電、強風。

 それら行き交う海上にそびえ立つ木の根の上で、身体の奥深き場所に宿る黒い魔力を思い描いた。

 すると、ヴェルグクの表情が突如として変貌した。



「誰に言い訳するわけじゃないけどさ、別に手を抜いてたわけじゃないんだ」



 あくまでも、仲間たちの安全をどう考えられるかが問題だった。

 そのため使いたくなかったわけで、今も使いたくない。新たな問題は、その使わないという選択肢の上では自分の命すら危ういという事実だ。

 そしてもう一つあって。



(使ったところで、今日までの戦いのようにはならない)



 何故ならヴェルグクが強いからだ。

 正直、あんな力を持っているとは思わなかった。

 敵と認識した時点で力を入れてきたのは分かるが、だからと言って、あんなに違ってくるものとはという感覚だった。



 ふと、横っ腹を刺すように紫電が襲う。

 見向きもせず、アインはそれをイシュタルで吹き飛ばした。



『――――――――』


「昔なら強い相手には絶対勝ちたい! とか、もっと強い相手を! なんて思った時期もあったけど、実のところ立場もあるし、そんな戦いばっかりしてたらあまりいい事とは言えないんだ」



 けれど。



「でも成長しても変わらないっていうか、さっきのお前を思い出すだけで腹が立つ。根底にあるのは負けず嫌いな性格なんだろうけど……」



 強がってみてから額の汗を拭った。そしてヴェルグクが見失うほどの速度で海上に現れた木の根を駆ける。



「剣を突き刺せないなら別の方法がある」


『ッ――――!?』



 いつの間にか目の前数十メートルにいたアインを見て目を見開く。



「前にカインさんから言われたことだ。俺は俺の戦い方があるし、剣に固執する必要もないんだってさ」


『――――、――――――――ッ!』


「だからこれで終わってくれると助かるよ……ッ!」



 言葉の後でヴェルグクの周囲に現れた漆黒の球。禍々しく、黒い雷を纏った強烈な力の奔流が、一つ、二つ、三つ……全部で六つだ。

 これはまずいものに間違いない。

 一瞬で察知したヴェルグクであるが、また面倒な木の根が腰に纏わりついている。



『ァァ……アアアアアアアアアアアアアッ!』



 必死にもがき、焼いて弾け飛ばすも遅い。

 自信を囲う漆黒に横一本に線が入る。

 ゆっくりと、あざ笑うように線が広がって現れたのは、無数の瞳だ。



 そのすべてから黒い涙が滴り、海上を黒く染め上げて――――。



「砕け散れ」



 アインの冷たく無情な一言の後で膨張し、弾けた。

 天を穿つ勢いで漆黒の光芒を成し、ヴェルグクの全身を包み込む。

 甲高い声で『ァア……』と聞こえたり、唸るように『ガァァアア……ァァアア……』と、抵抗するような声がする。

 剛腕で身体を抱いて必死に耐えている様子が垣間見えるが。



『――――――――……』



 あっという間に、無力化される。

 皮膚が漆黒の魔力にかれ、鎖骨の近くにある宝石もくすんでいく。

 漆黒の光芒の中は生き物が生存できる場所ではない。その内部の海水だけが蒸発し、深き場所の海底も抉れ、底が見えない円状の奈落だ。



 徐々に光芒が細くなる。

 その中に居たヴェルグクが空を仰ぎ見て、力なく口を開けたのと同時だ。

 ついに消え去った光芒の跡に出来た奈落へと、周りの海水がなだれ込んでいった。



「はぁ…………はぁ…………はぁ…………ッ」



 アインはこれまでにないほど、ひどく消耗していた。

 本当に遠慮なしに放った一撃だったからだ。

 海を眺めること数十秒、ヴェルグクが浮かび上がってくる気配がない。あれで本当に倒しきれたのかと、少し落ち着いた瞬間だ。



 海面が、ぼこっと大きく膨らんだ。



『ハッ……ァ……アァ……アアアアアアアアアアァァァッ!』



 血走った瞳、身体の至る所が焦げたヴェルグク。

 鉾は先ほどの攻撃で破損しているが、その剛腕はいまだ健在だった。



「……嘘でしょ」



 心のそこでは「やっぱり」という念もある。

 また、倒れていて欲しいと願っていた自分も居た。

 とは言え実際に倒れていない姿を見れば、絶望に近い、あるいは同じ系統の感覚が心を刺した。



 不意に、前触れもなしにアインの横っ腹を襲った紫電。



「まだ動けるのか……ッ!」



 アインも消耗が激しく、紫電を防ぎきれず身体に届いてしまった。

 痛い。全身を襲った熱と引き裂かれるような痛みに声を出したくなったが、必死に耐える。

 だが解せないことが一つだけあって。



(今の攻撃、どうしてこんな綺麗に放てたんだ……?)



 アインの呼吸の合間、軽く腕から力を抜いた瞬間、あとはまばたきをした刹那。

 こうした事象すべてが重なったようなタイミングの一撃には、ヴェルグクのタフさと同じぐらい驚かされた。

 偶然? そう処理するには出来すぎていた攻撃だった。あの紫電なんて強く警戒する必要のある攻撃ではなかったし、今だって同じだったのに……。



「でも」



 勝つのは俺だ。

 相手の消耗も激しいのだから、後は剣も使って倒せばいい。

 身体に鞭を打ち、また木の根を駆けるアイン。

 だが、また例の紫電だ。



「くぅッ!? ッ…………どうしてこんなに!?」



 先ほどと同じように、横っ腹から届いてしまった一撃。

 歩き出した瞬間、軸となる脚だけを攻撃されたようなタイミングだった。

 偶然というのはあまりにも必然的。

 アインは思わず立ち止って、これまでと違い必死の形相で見下ろしてくるヴェルグクと視線を交わし、この腑に落ちない感覚の答えを求める。



「お前、何をしたんだ」



 攻撃する気を捨て、防御に徹して考える。

 こうしていると先ほどまでの攻撃が嘘のように止まるのだ。

 ヴェルグクもまた消耗しているし、鉾もないから立ち尽くしてアインを見下ろすのみ。



「まさか俺がどう動くか、未来が分かって…………いや、それは違うか」



 非現実的な話ではあるが、仮に未来が分かったとしたら話が食い違う。

 だったら最初からアインの攻撃を防げばよかっただけだからだ。

 けど、しなかった。しなかったのならその理由があるわけで、アインを敵視した時点でヴェルグクはその力を使うべきだった。



 となれば、未来が分かるという話は与太話に過ぎない。



「俺の身体を動かしたり、意識を阻害したり」



 この線も腑に落ちない。

 それこそ最初から使えばよかった力だ。



 何か、今では無ければ仕えなかった理由があるはず。仮に何か力を使っているのであれば、今の、消耗した状況のアインでなければ通じない力だったはずなのだ。

 ふっ……と、アインが力を抜いた。すると。



「ッ――――またか……ッ」



 木の根の上でうずくまり、力を抜いてしまったことをアインが悔いる。

 だが、確信を持てた。

 ヴェルグクはアインに隙が生まれた際に、完璧なタイミングで攻撃を仕掛けてくる。確実にアインが防ぎきれない、通常であれば見切れない隙にだ。



 痛みはあるが、少し気は晴れた。

 ここまで来たのなら看破してやりたい。



(未来予知なんて馬鹿げた力じゃないけど、近い気はする。あと……恐らく戦闘でしか生きない力のはず、特に攻撃面でってとこだと思……う…………)



 それから、まさかとは思うがと苦笑したアイン。

 敢えて剣を下ろしてみたが、警戒は解いていない。

 だが一向に紫電は届かず、それどころか、目の前にヴェルグク本体からの攻撃も届かない。いや、攻撃してくる様子すらなかった。



 先ほどの攻撃が届いたときとの違いはなんだろうか。

 考えてみると、その違いは無意識かどうかの違い、、、、、、、、、、だけだ。



「お前、そんなズルい力を持ってたんだな」



 アインはヴェルグクの力を看破した。

 これまでは使えず、消耗したアインが相手じゃないと使えない理由もしっくりくる。

 我ながらいまだ信じがたい感じもするが、実際にある力なのだから仕方ない。



「警戒しといてよかったよ」


『――――――――、――――ッ!』


「なに信じられないような顔してるんだ、考えなしに戦うとでも思ってたのか」


『――――ッ!』


「……何を言ってるのか興味はある。けどそんなことよりも」



 ここで遂に、最初にクリスに伝えた件が生きてくるはずだ。

 振り返ったアインは、遠くにいるクリスと目が合った気がした。

 さて、彼女たちが動くのももう少し。

 アインはこれからの、面倒な戦いを想像してため息をついて。



「確信した。勝つのは俺たちだ」



 ヴェルグクとの距離をさらに詰めた。



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