イシュタル諸島

 さて、シルヴァードの本気度は他者が思うそれ以上だった。

 まさかロイドまで連れてきてるとは、と驚いたのはアインだが、そのロイドだけを連れてギルドへ向かい、宣言通りの行動をしてみせた。



 その際に、供をしたロイドはギルド長が渋ると思っていたが。

 実は二十層の件は冒険者たちにとっても迷いの種だった。というのもあの階層の海を渡る手段がなく、二十一層へ行くにはどうすればよいのか? と答えが見つかっていなかったからである。魔道具を持ち込む、あるいは魔法を用いて――――など、いくつかの選択肢はあった。

 だがあの王太子が苦戦したという情報が、他の何よりも二の足を踏ませていた。



 アインが目を覚ました日の夕方のこと。

 彼の身体が少しずつ調子を取り戻し、歩けるようになってきた頃のことだ。



「魔石が拒否反応を起こしてたんだ。だから殿下の身体は変色して、意識を手放すだけの影響に苛まれてしまった……って感じかな。あくまでも殿下の言葉通りならね」



 診察に来ていたセラがソファに座って言った。彼女の対面にはアインが腰を下ろし、後ろには帰ってきたばかりのディルも居た。



「へぇ……俺の魔石がってこと?」


「そ」


「はじめて聞く症状だけど」


「そう? イストで行われていた実験ではしょっちゅうだったはずだけど」



 言われてみればそうかもしれない。

 頷いたアインはこれまで脱いでいた上着を着直して、ボタンを閉じていく。

 納得した姿をみて、仮面で顔を隠したセラが椅子から立ち上がった。うんと背を伸ばしてから、扉の外へ向かて歩く。



「じゃ、ボクはこの辺で」


「今日はありがと」


「いいのいいの。お金はもう貰ってるしね」



 彼女はドアノブに手をかけ、軽快な足取りで去っていく。

 するとこれまで黙っていたディルがアインに近寄り。



「これを」



 と、数枚の書類を手渡す。



「私から小言を言うことはありませんから、先にこれをご確認ください」


「……後から怒ったりしない?」


「致しません。幾度となくアイン様がご無理をなさる姿を見てきましたし、何か言ったところで変わらないでしょう。念のために、これは嫌味ではありません。ただ、私はそんなアイン様のために出来る事をするだけですから」



 ディルはそこまで言って笑った。

 たかが十年ほどの時間では本来培えない信頼関係。

 しかし、二人の間ではこれが普通だった。



「本題に戻りましょう。そちらの報告書は読まれずとも構いません」


「え」


「というのも、すべてアイン様のご推察通りだったからです」


「あぁー、そういうことか」


「齟齬を正すために僻地まで足を運ぶ必要はありましたが、大した隠蔽はされておりませんでした。大金をはたけば出来る程度の、特に手回しもない程度の隠蔽でございます。果たして隠すつもりがあったのかと、疑問を抱くほどの話でした」


「だろうね」



 詳細を語らずとも、実は最初からそうだろうと思っていたことだった。

 念のために報告書に目を向けたアインは、満足げに笑う。



「イストで行われていた実験ってのも、人工魔王の件だと思う」


「あれは機密のはずでは?」


「だから、あの人は隠すつもりがないんだよ」



 頃合いを見計らうように、コンコンと扉がノックされた。

 すぐにアインが「どうぞ」と言うと、現れたのはクローネとオリビアの二人だ。

 それを見てディルがアインに頭を下げると。



「私が参ります」



 彼は扉を開けに行き、そのまま彼女らに気を使って退室した。

 入れ替わりに現れたオリビアとクローネはすぐにアインの傍に来て、対面に座ると思いきや彼の両脇を占領してしまう。



「どうだった?」



 心配そうにクローネが尋ねてきた。



「ちょっとおかしな魔力を吸っちゃって、魔石が拒否反応を起こしてたんだってさ」


「……もう平気なの?」


「大丈夫。心配かけてごめんね」



 クローネもまた、ディルと同様に慣れたものだ。

 しかし心配なものは心配で、大丈夫と言った彼の手を握り吐息を漏らしてしまう。

 ほっと落ち着いて、いつもの彼女らしらを顔に取り戻しつつある。



 彼女の反対側からは、オリビアがアインの事を見上げていた。



「無事で良かったです。アインが勇敢で素敵なのは変わりませんけど、あまり無茶はしないでくださいね」



 オリビアは決して「やめて」とは言わない。

 多くの感情がごちゃごちゃしていたのもそうだが、それがアインのための言葉かと思うと、どうにも頷けない感じがしたからだ。

 どこまでも慈しみに満ちていて、見惚れそうになる聖女の笑みだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 神隠しのダンジョンの第一層。

 その地下に出来たという新たな場所は、これまでと違った雰囲気に包まれていた。



 まず、一言でにまとめると書庫だ。円状の書庫は天井が高く、壁沿いに螺旋階段がつづいている。

 壁一面の本棚には数えきれない本が収められている。

 これまであったダンジョンの石材は一切なくて、まるで貴族が住んでいそうな豪奢さがある。

 ここにはつい最近まで人が住んでいたような痕跡もあった。



 まず螺旋階段を下りた最下層には暖炉が置かれていて、その前には木製の安楽椅子が二つ。暖炉は誰が手を付けなくとも火がともされていて暖かく、揺れる橙色の灯りが周囲を照らしていた。

 暖炉の周りに本棚はない。

 絨毯の上に雑多に落とされた本や服、あとは木製の食器ぐらいだ。



 ――――時刻は夜の九時を回ったところ。

 この場所に、アインはディルを伴って足を運んでいた。



「冒険者が本を運んだりはしてないんだ」


「ギルドが止めているらしいです。貴重な本であれば扱いは注意が必要ですから」


「なるほどね」



 どうしてアインが地下に居るのかというと、ある提案のもとでの行動だ。

 今、第一層にはシルヴァードやロイドが居る。ギルドの担当者を引き連れて、まだ話をしている最中なのだ。そのシルヴァードたちが仕事を終えるまでという条件でアインはここにいる。

 名目としては、本棚の調査だ。



 勤勉なアインなら何か情報を得られるかもしれないと。

 明後日に迫る王都への帰還前、最後の一仕事としてシルヴァードから許可を得ている。



「聞いていた通り、魔物が一匹もいないし気配もない」


「ええ、冒険者たちも困惑していたと聞いておりますよ」



 しんと静まり返ったこの階層は、さながら神聖な場所のようにも感じられる。

 何か、神隠しのダンジョンらしくない。

 たとえるのは難しいが、ここは温かみのある空間だ。

 暖炉のあるなしによるものではなく、この場を作り上げた者の人となりというべきか、穏やかで優しげな何かが伝わって止まない。



 どうしたもんか。

 床に落ちていた本を一冊、アインが手に取った。



「――――読めない」



 全く分からない文字だったが、マジョリカが読んだ古代イシュタル文字に似ている。

 問題と言えば、アインには読めないことか。

 竜人やライルたちの情報が少しでもあれば……そう思っていたのだが、難しそうである。



「私も本を集めて参りますので、アイン様はここを離れないでくださいね」


「ん、ありがと」



 ディルがアインの元を離れていく。

 その彼の背を眺めていたアインは安楽椅子に座り、暖炉を眺めた。

 暖かい。

 心地よい暖かさがじわっと伝わってきた。



「椅子は二つ……誰か、二人分ってことだろうけど」



 やはり人が住んでいたのだろうか? 仮にそうだとして、竜人の他に誰かであろうか。

 考えても答えは出ず、アインは暖かさに心を溶かすばかり。



(――――あれ)



 不意に見つけた、暖炉の奥にある鍵穴。

 あんなところに鍵がある? さすがにアインも不思議に思った。

 思わず椅子を立って近づくが、手を入れるとさすがに火傷してしまいそう。

 火を止めてもいいのだが、と思い立って間もなく。



「常識的に考えて駄目だろ」


「おや、なにが駄目なのですか?」


「わっ!? ……びっくりするから急に話しかけないでって」


「申し訳ありません。ところで、本をいくつか見繕ってまいりましたが」



 ディルはそう言って本を床に置いた。



「読んでみよっか。読めるかどうかは別として」


「少しでも情報があればよいかと」



 二人はそう言って手ごろな本を見繕い、手に取ってから安楽椅子に腰かけた。

 すると。



「アイン様! その胸元で光っているものは……ッ!」


「――――え」



 不意にアインの胸元が光り、驚きを誘った。

 勢いよく椅子を立ったディルが駆け寄ろうとするも、その動きは唐突に止まった。一瞬で氷漬けにされたかのように、前触れは一切なしにだ。

 勿論、その様子を見て何事かとアインは驚く。



「ディルッ!」



 立ちあがったアインがディルに駆け寄ろうとしたその瞬間。

 アインの胸元から、手のひらに収まる小さな鍵が現れて宙に浮いた。

 鍵はゆっくりと動き出して、暖炉の中へ向かう。最奥の鍵穴にたどり着くと誰の手も借りず鍵穴に刺さり、カタン、小さな音を上げて回った。



 それから暖炉の火があっという間に消えて、奥につづく道が現れる。



「…………今のって」



 もしかしたら、ヴェルグクと戦ったときに見た光なのか。

 あの戦いで鍵を得て、地下に現れた書庫で使うアイテムだった。

 何やら無視できない因果を感じたアインは、それよりもとディルに触れる。だが、彼は本当に動く気配がなく、空いたままの瞳はまばたきをする様子もない。

 時間ごと止められたような、見たこともない症状だ。



 それから、アインはディルを持ち上げようと試みるも駄目。

 螺旋階段を上り外に出ようとするも駄目だった。

 数十分待っても、数時間待っても助けが来る気配も誰かがやってくる気配もない。



「進んでみるしかないのか」



 意を決して暖炉の中に行くと、奥にあったのは小部屋だ。

 平民の家にありそうな特筆すべき点のない広さをした部屋だった。



 ただ、それでもアインの目を引くものはある。



 ここもやはり暖炉の外と同じく良い造り、良い調度品の備わった部屋だ。

 一人分が寝るのにちょうどいいベッドが置かれていて、隣にはこじんまりとした机が一つ。机の上にはアインが両手で抱えるほどの、少し大きな石板が立てかけるように置かれていた。

 後は一冊、職人の技が光る革表紙の本がある。



 机に近づいてみる。

 近づくまでは服を掛けてあるのかと思った椅子が、少し事情が違ってみた。

 椅子の上、そして机の上に袖が掛かったままのそれはローブだった。肌触りが良い、蒼に金糸を用いた美しいローブだ。



「変なの……誰かがこの机で寝落ちしたような」



 そして寝落ちした者だけが消えて、ローブだけ残されたような感じだった。

 よく見るとローブの中に浮き出たものがある。

 アインが手を伸ばしてローブを捲ると、そこにあった物は空の魔石だ。



「そやつはそこで息絶えたのじゃ」



 と、背後から届く声。



「数千年に及ぶ厳しい生活の中で力を失い、死した後、魔石そのものもまた息絶えた。シルビアのそれとは違い、彼女、、の魔石は力を失ったのじゃ」


「…………この人は、彼女って言うのは一体誰なんですか」


「イシュタルという神族じゃ」


「イシュタル?」


「左様。神族の中でも特に希少種と呼ばれる、時を司る女神じゃった」



 声の主が更に言う。



「本を手に取ってみよ」



 言われるがまま手に取ると、本の表紙はやはり読めない文字だ。

 苦笑したアインが「読めませんけど」と言えば。



「そこには『記録:巨神、、ヴェルグクについて』と書かれておるのだ」



 アインは静かに耳を傾けた。



「神族というのは面倒な性質を持つ。それは他者により命を奪われた際に、自我を失い暴走するという面倒な性質じゃ。ヴェルグクもまた例に漏れず、戦いに敗れて自我を失った――――ま、厳密には死す直前に暴走することで、完全な死を避けるための強化措置じゃな」


「…………」


「その後、自我を失ったヴェルグクはギルドにより討伐が決められた。しかしそれに異を唱えた者がおる。それが女神イシュタルじゃ。二人は恋仲にあったからの。さて……イシュタルはヴェルグクが元に戻ることを信じていたが、そんな前例はないと言ってもよい」



 彼女の声が徐々にアインの背に近づいてくる。



「じゃからイシュタルは逃げた。ヴェルグクを連れ、この遠く離れた誰も住んでおらんかった島に来た。ギルドの影響が薄いこの地まで逃げてこの砦を立て、恋人を治すために研究を重ねることにしたのじゃ。それからしばらくの時が流れ、この地はイシュタル諸島と呼ばれるようになった」


「貴女が口にしていたイシュタル諸島っていうのは……」



 これこそが起源であるということだ。

 予期しなかった情報を聞いてアインは驚きながら、以外にも冷静だ。



「お主、神殺しにまで至るとはの」



 ステータスカードに書かれていた文字を言われ、アインは苦笑いを浮かべて頭を掻く。



「貴女の頼み事ってやつも。あとは目的ってやつも含めて色々尋ねたいことがあって」


「ふむ」


「なんにせよ、正体を隠すつもりは全くなかったようですけど」



 と、アインはここでついに背後の声に振り返る。



「アレは幼名じゃ。近しい者はあの名で呼ぶ」



 なら問題ないと踏んだアインの前で、彼女は静かに仮面を外す。

 髪の毛が銀色に変わっていき、これまで聞いていた声も変化した。

 やっぱりな、笑ったアインが彼女を見て言う。



「はじめて貴女個人のことが分かった気がします――――セラさん」



 彼女は、セラはくすぐったそうにコロンと首を傾げた。

 目を細めて、頬を掻きながら口を開いて。



「その名に「さん」と付けられるとこそばゆいのう」



 何とも力の抜ける言葉を返したのだった。



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