大海のヴェルグク【前】
翌日だ。
ダンジョンを探索する期限は三日と決めていたが、これには帰りの時間も含まれている。
だから臨機応変に帰り支度をする必要がある。
そうはいっても、まだ二日目だ。
少なくとも今日は余裕をもって探索が出来るわけだ。
一向は早朝から野営場所を出て階段を探し、すでに外は陽が傾きだした頃だった。
「ライル様が身に着けていたモノ……ありませんね」
「それどころか、初代陛下のもよ」
クリスとマジョリカがため息交じりにこう言った。
宝物らしきものはいくつも見つけたが、冒険者が最初に持ってきたような、ライルに関連するものは一つも見つかっていない。
見つかる気配すらなかった。
さて、階層はすでに十九層に到達している。
早すぎるということはない。なぜなら、障害らしい障害がなかったからだ。
幾たびも魔物と戦うことはあった。
けどこのパーティの障害となりえなかったこともあり、言うなれば、さして影響のない戦闘しか繰り広げられることがなかった。
カツン、カツン――――。
石の上を歩くアインの足音が響き渡る。
隣ではマルコが腕を組み歩いていた。
「アイン様は瘴気窟をご存じでしょうか」
「知ってるよ。何なら入ったこともあるし」
「おや、いつの間に」
「学生時代にちょっとね。それで、瘴気窟がどうかしたの?」
「というのもですね、ああいった場所には
「…………どうだろ?」
居るとすれば竜人だとアインは考えていた。
「主とはいわば、支配する領域の王と言っても過言ではない存在です。瘴気窟の王と称したところで荘厳さに欠けますが、奴らは確かに王でありましょう」
「やっぱり強いのかな」
「多くは面倒な魔物でございますが、アイン様の敵となりえるかと思うと頷けません」
敵になってしまえばもはや国難どころではないと、マルコは軽くほくそ笑む。
しかし一方で、アインは今の会話に何かわだかまりによく似た感情に抱いてしまう。どうして自分はスッキリしない、微妙な感情に苛まれたのか。
訳も分からず、考え込んでいるマルコの横で同じく腕を組んだ。
「王ならば最深部にいるはずですが……」
と、マルコ。
つづけてアインが心の内で。
(このダンジョンの主は竜人じゃないのかな)
どうしてこう考えたのかというと、竜人の振る舞いだ。
彼女はこの地に、何か欲しいモノがあって足を運んでいて、目的は達成する直前である。
これについては昨日も同じことを考えた。
こうした前提で考えると、竜人は神隠しのダンジョンの王となりえていない。
仮に王ならば苦労するだろうか?
少なくとも数百年かけなければならない理由がある。
ならば、王と言える存在とは思えない。
では――――。
「分かった」
しっくりきた。これしかないという答えを導き出せた。
険しく目を眇めたと思えば、正反対に晴れやかに白い歯を露出した。
この地に来てからの件を含めて。
近いうちに竜人に会えるかもしれないという期待をしたのだ。
「何が分かったのですか?」
「んー……っとね」
「おや、どうやら秘密にしたいご様子だ」
バレたか、アインは苦笑した。
だが、咎めようとせず。
マルコは静かにアインの半歩後ろを歩くばかりだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「あっ」
短い思わず立ち止ったアイン。
同時にパーティ全員が足を止めて、回廊の奥に見えた青銅色の扉に注目する。
紋様、そして彫刻。
そこいらの民家よりも高い扉に刻みこまれていたのは、何か巨大な存在を示唆する絵画のよう。存在の全貌は黒い影で分からないが、扉の大部分を占領している人型だ。
上部にはアーチ状に文字が刻印されているようだ。
でもアインには読めない。
そこで頼もしくも「珍しい文字ね」と口走ったのはマジョリカだった。
「古代イシュタル文字みたいだわ」
「マジョリカさん、読めるの?」
「少しかじった程度だけどね。何はともあれ、近くに行きましょうか」
あれは間違いなく二十層へつづく扉だ。
加えて、十層区切りに予想をしていた強力な魔物が出てくる扉だ。
一向は口を閉じ、警戒しつつ前に進んでいく。
壮大な扉の前に立ったところで一息つき、腰をクネらせて上部を見上げたマジョリカ。
「ヴェ……ル……ヴェルグク…………」
読み上げたところで頬を歪めた。
「醜い鳥か何かの断末魔かしら」
「その例えは全く分からないけど、そう書いてあったの?」
「間違ってなければね。あとは何も書いてないわよ」
「…………アイン様アイン様、不穏じゃありませんか?」
「へ、どうして」
「何かを意味する単語ではないのなら、ヴェルグクというのは名前かもしれません」
十中八九その通りだ。
しかしここで引き下がる気はアインにない。
そもそもクリスはアインが引き下がってくれるとは思っておらず、あくまでも、注意喚起の念を込めて言っただけに過ぎない。
すると、ヒールバードの魔石を人数分取り出したマジョリカが投げて渡す。
「少し休憩してから行きましょ。扉は逃げないわ」
ついでに夕食もとってしまいたい。
一向はすぐに支度をして、魔道具を取り出して一時の休息を得る。
椅子に座る。すると思いのほか足元に疲れを溜めていたことに気が付いたアイン。足をさすっていると、隣ではクリスも同じ仕草をしていた。
自然と顔を見合わせた二人はともに笑い、英気を養う。
急ごしらえというには上等な食事に舌鼓を打つ。
ヒールバードの魔石も使って、食後の休憩を長めにとった。
それから。
それからは、緊張感が漂うこともなく、暖かな紅茶を楽しむ余裕すらある始末だ。自分たちは絶対に死なないという油断ではなく、自然体で仲間に向ける信頼感が勝っている。
誰よりも最初に立ちあがったのはアインだ。
「――――行こう」
鋭い剣閃のように磨かれた双眸。
さっきまでの穏やかな雰囲気は一変し、纏う気配は比類なき強者のそれだ。
ひしひし伝わってくる強さの奔流には慣れているはずのクリスとマルコですら息を呑み、マジョリカともなれば、目を見開いて胸の鼓動を速めてしまう。
覇気と同時に漂う空気もある。
この人になら、この方になら命を預けても怖くないという確信だ。
「はいっ!」
強く返事をしたクリスがアインの隣に立った。
物怖じせず、力強い足取りだ。
少し遅れてマジョリカとマルコが後を追う。先頭を歩くアインが一人で扉を開ける様子を眺め、余談のない支度の確認をした。
◇ ◇ ◇ ◇
――――ガ、ガガガッ。
長い間動くことがなかったのか、扉の滑りが悪い。だが、アインは強引に力を込めて扉を左右に開け放った。するとアインを迎えたのは冷たい潮風だった。
海? その答えは誰も持っていない。
ところで、扉の奥につづいていたのは数十メートルほどの回廊だ。
これまでと違う石材で、年季の入った灰色の石レンガに苔が生えている。
石レンガの奥に見えてきた激浪。エウロ城付近で目の当たりにした荒波とも、決して似ても似つかない大波だった。
空は黒、灰色の雲に覆われていて禍々しさすらある。
油断せずとも雄々しい足取りのアインが前に進み、ここまでつづいていた回廊を抜けた。
すると、眼界を占領する見たこともない景色。
ホワイトナイト城を丸ごと包み込めそうなほどの高波と、王都全体を包み込めそうな竜巻。不規則に海を刺す紫電に迎えられた。
「ッ…………なんだ、ここ」
海龍との戦場がかわいく見える。
アインが辺りを見渡すと、これまでの回廊は何か民家ほどの遺跡の出口に通じていた。遺跡はまた特筆すべき点のない小島の上にあり、辺りは先ほど見た光景が広がっている。
戸惑いつつも、海上を見渡す。
見たことのない国旗を掲揚した戦艦が何隻も居た。
聞こえてくる怒号。
そして、戦艦が放つ見たこともない兵器の攻撃に目を奪われた。
攻撃の先は竜巻だが、竜巻は強烈な風を以て攻撃を弾く。
自然と足が前に進んだ。
遺跡を出て、じわっと湿り気の強い芝生の上に立つ。
「海……それに知らない戦艦」
「私も見たことのない旗です! それにあんな戦艦……イシュタリカにだってないですもん!」
視線の先の戦艦からは高い技術力が窺える。
駆使している兵器然り、イシュタリカの数世代は上をいっていそうだ。
「あれは幻覚です」
マルコが言い切った。
「魔力も質量も感じられません。間違いなく幻覚です――――もっとも、」
漠然としつつも、マルコの言葉なら信用に値する。彼はこんなところで間違った予想をするような男ではない。そして、幻覚と言った後に視線が竜巻に向けられて。
「あちらは本物のようですが」
暴風を纏う螺旋の筒が膨張した。
辺りの海面に舞い降りる紫電が一際強く、閃光を放つ。
やがて、すべてが爆ぜた。
まず強烈な水しぶきと風が戦艦を襲い、アインたちが立つ場所にも波及する。
「これぞまさに、露払いでございましょうか」
剣を抜いたマルコが空に向けて一閃。
水、風。
彼がすべてを払ったあとで一行が目の当たりにしたのは、海上に立つ巨人の姿だ。
『――――、――――――――ッ』
巨人が何か言葉を発した理解はできない。
そんなことより巨人の全貌だ。
先ほどの扉と同じ青銅色の巨躯は、リヴァイアサンの全長よりも更に大きい。筋骨隆々の体躯と、鎖骨の中央に埋め込まれた巨大な宝石。同じく両腕を彩る豪奢な腕輪だ。瞳には光がなくて、彫像のようで生気がない。
シルヴァードのように長い髭が風に揺れ、両腕を翼のように広げていた。
ふと、耳を刺す音。
たとえるならばガラスを割るような、あるいは冬場に出来た地面の氷を砕くような音だ。
(空が割れてる)
巨人の肩より上の方の景色が割れていた。それは万華鏡で見る世界のように不可思議な光景が広がっていたのだ。
すると、割れた空間から何かが姿を見せた。鉾だ。
それは巨人の体躯に勝る、長くて巨大な鉾に他ならない。
持ち手から先端まですべて深紅に染められていて、クリスはそれを見て思わず身震いした。
「マルコ」
「はっ」
「二人を頼むよ」
「――――お心のままに」
怖気ず怯まず恐れず、歩き出したアイン。
黒剣イシュタルを抜き去って巨人を見つめた。
先ほどまで竜巻があったところに、何か小さく光るものを見つけた。けど、それが何なのかは分からない。暴風と水しぶき、あとは紫電で良く見えなかったのだ。
これまで海中に沈んでいた、巨人の剛腕が振り上げられた。
鉾を掴み取ると、横なぎ一閃。
「ッ……ア、アイン様ッ!」
クリスの悲痛な声に対して、アインは「大丈夫」と短く言って笑みを向けた。
それから。海面を風のように伝う紫電の波と、これまで以上の強風が襲い掛かる。これまで兵器を用いていた戦艦があっという間に、無残にも弾け飛んだ。
馬鹿な、なんて出鱈目な力なんだ、と。
マルコの後ろに立つクリスとマジョリカが言葉を失った。
今ここで冷静だったのはマルコただ一人だ。
彼はまばたき一つせず、衝撃が到達する直前でもなお静かに佇み。
「奴はこの場の王を気取っているようですが」
何一つとして恐れることをせず。
「私にとっての王は――――あのお方ただ一人でございます」
絶対的な信頼を述べた後、この小島にも衝撃が届く。
アインはゆっくりと剣を掲げると、巨人に負けじと横なぎ一閃。
暖かな、白銀色の魔力が風になって衝撃を弾いた。
「分かった」
彼は巨人の目を見た。
すると、巨人もまたアインを睥睨した。
「お前がヴェルグクだ」
巨人は深く一歩踏み込んで、今度はアイン目掛けての縦の一振りを放つ。空間そのものを切り裂けそうな強烈な衝撃が空を揺らし、紫電と暴風を纏い振り下ろされる。
――――が。
「言葉が通じたらって思ったけど、いきなり襲い掛かって来たんだ」
鉾は空中で制止した。
「敵なら遠慮する必要もない――――ッ!」
何故か。
理由は一つ、鉾に纏わりついた木の根が力を相殺したからだ。
険しく膨張した剛腕に浮かぶ血管が震え、ヴェルグクの眉間に皺が生じる。これまで纏っていたはずの紫電と暴風は、いつの間にかその鳴りを潜めた。
だが、代わりに木の根が内側から光を漏らし、内側から焦がされ辺りに光を放ち飛び散った。
『――――、――――――――』
ヴェルグクが歓喜の声と共に鉾を振り下ろすも。
「ァァァァアアアアアッ!」
轟音。振り下ろされた鉾がアインのイシュタルに弾かれた。
すると偶然にも、弾かれた鉾と、ヴェルグクの鎖骨付近にある宝石が擦れて火花を放つ。
(嫌なもの見ちゃったかも)
苦笑したアイン。
そしてヴェルグクは驚きながらもアインを観察しだす。
『…………――――』
さて、これにはクリスも驚かされた。
まさかあの体格差だというのに、相手の鉾をアインが弾いたのかと。ヴェルグクからすればアイン何て蟻も同然の大きさのはずで、軽々と踏みつぶせる程度の大きさだ。だというのに弾いた事実に呆気にとられてしまう。
対照的に、アインは物静かに考えている。
沈黙してヴェルグクを相手にした戦い方に頭を悩ませていた。
あまり浮かない顔つきで、さっき鉾を弾いたイシュタルを見て目を細めて。何か予定と違った事実に、しっくり来ていない様子でだ。
同時に手元を見た。
皆にばれないようにしているが、実は先ほどの衝撃で痺れをを帯びていた。
「…………私とマジョリカさんは扉の外に戻るべきですよね」
と、クリスが戦力差を理解して言った。足手まといになると思ったからだ。
しかしアインは首を横に振る。
「それは間違ってる」と口にして彼女を撫でた。
「みんなの力を――――クリスの力を貸してほしい」
思いがけぬ言葉を耳にしたクリスは、こんな状況下にありながら「……え?」と力の抜けた返事をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます