ちょっと気になること。
夜と言っても外の様子は分からない。
神隠しのダンジョン内部は青白く光る石材に包まれていて、時間は時計を見ることでしか分からなかった。
さて、クリスが目を覚ましたのは寝てしまってから数十分後のことだ。
「あ、起きた」
彼女が目を覚ました時、最初に見たのは自分を見下ろすアインの顔だ。
幼い日のアインとまた違う、成熟しつつある顔つき。
加えて、穏やかで包容力を感じさせる表情に、クリスは自然と目を奪われた。ただでさえぼーっと微睡み半分だったこともあり、彼女はそのままアインの腰に抱き着き、ふぅ、と息をつく。
アインは恥ずかしそうに振り払うことはせずに、小さく笑ってクリスを撫でた。
「まだ眠いの?」
「……違いますけど、そういうことにしておいてください」
「えっ、何それ」
「いいんです。そういうものなんです」
しかし、クリスは微睡みながらもハッとした。
こんな姿を見られるのは恥ずかしい。アイン相手なら今更だが、ここにはマルコもいるし、何ならマジョリカも居るから余計に見られたくなかったのだ。
思い出したところで、この状況を脱するのは惜しい。
けど甘えつづけるわけにもいかないと、苦渋の決断を心に決めたのと同時に。
「二人は別の場所の様子を見に行ったから今は居ないよ。魔道具で野営の支度も済んでるし、この中に居たら冒険者が来ても平気だと思う」
言われてみれば、確かに。
寝る前は床に座ったアインの膝の上だったというのに、今は一見すれば宿か何かの一室の中だ――――が、結局のところクリスはベッドの縁に座ったアインの膝の上に居て、実のところあまり変わっていない。
何はともあれ。
クリスは身体を起こしてアインの隣に座る。
「重くなかったですか?」
「逆に軽いぐらいだったけど……っていうのも少しアレか」
妙に気遣ってくるアインが苦笑して目を細めた。
「考え事もしてたから余計に気にならなかったよ」
「今日も色々ありましたもんね。共食いとか、変なスライムみたいな魔物とか……」
「それもだけど、また別の事も考えてたんだ」
すると、クリスはコロンと首を傾げてアインを見上げる。
動きに連動して、彼女の金髪が自身の膝に掛かった。
(十層のボスがあの魔物だったとして、そのボスが雑魚扱いで出てきた十一層。十二層では共食いから大きく成長したりリジェネーターもいたけど……)
はっきり言って拍子抜けだった。
もっと強い相手が出てくることも考えていたし、こうしてゆっくり休める時間がないかもしれない、とも考えていたほどだ。
だけど大したことがなかったという事実。
今も油断しているわけではないが――――。
(これなら、話に聞いていた赤龍のほうがよっぽど強敵だ)
黒龍となればさらに上の話になる。
本質的に比べるべき相手ではないのかもしれないが、神隠しのダンジョンの難易度を、勝手に釣り上げていた気がしなくもない。
しかし、しかしだ。
(この地にはあの人が――――竜人が何百年も掛ける価値があったのかな)
まず目的は聞いたことがない。
聞いたことはあるはずだが、竜人はその詳細を答えなかったはずだ。
でも分かっていることは一つだけある。
竜人は神隠しのダンジョンに来た理由を達成する直前にあり、もはや王手もかけたも同然であるということだ。
だが。
(次に会う時が今生の別れって言ってたっけ)
残念だがそれはハズレだったなと、アインは不敵に笑ったのだ。
「アイン様アイン様、何か楽しいことでもあったんですか?」
「ちょっとね」
「あー! その返事って、教える気がないときの返事ですよね!?」
「今度ね、今度今度」
「もう……そうやって教えてくれたことありましたっけ」
煙に巻こうとしているのは誰でもわかる。
相変わらずの態度だが、言うまでもなくクリスの機嫌は悪くない。
むしろ、こうしてじゃれつくのを楽しんでいるぐらいだ。
足元を動かしたクリスが、カラン、と何かを蹴る。
音のした方を見てみるとそこにあったのは、アインが吸い終えた空の魔石だ。
「もう吸収なさっていたんですか!?」
「だ、大丈夫だってば! ちゃんと保存用とは別のを吸っただけだから!」
「別に怒ってないですよ。ただその……やっぱり、アイン様はアイン様なんだなって実感しただけです」
「褒めてる?」
「えーっと……褒めてはないですね。けど、私はそんなアイン様の方が好きですよ?」
不意に訪れた静寂。
クリスもクリスで黙りこくると、自然な流れで言ってしまったことを今更になって自覚して、身体全体が熱を持っていくのを感じた。
「――――顔、すっごく赤くなってるけど」
「だ、だだだダメなんですか!? いいじゃないですか赤くなったって! 甲殻類は熱を通したら赤くなる個体がたくさんいるんですよ!」
「いやクリスはエルフだけど……」
「赤くなるエルフだっているかもしれないじゃないですかぁっ!」
なんか、もう何を言っても墓穴を掘るだけだろう。
彼女も無自覚に言っているわけではないが、抑えが効かないのだ。
首筋から頬まで真っ赤に上気させた白磁の肌。
じゃれつくために。不満を伝えるために。そして何よりも甘えるためにアインのシャツを掴み、彼の胸元に顔を押し付けながら拳を作る。
トン、トン、トン!
あまり力の入っていない拳で、彼の胸板を何度も叩く。
「……ごめん、確かに赤くなるエルフも居たみたい」
そして、アインのフォローも謎だった。
問題はそれがクリスには通用するということで、興奮状態にある彼女は「そうなんです!」と強く頷く。
勝利したと言っても過言ではない達成感があった。
ところで、この野営用の魔道具の外には少し前に二人が戻ってきていた。
二人のための寝床は別の場所に用意されているが、とりあえず報告がてらとアインのところに戻ってきていたのだ。
しかし、入れる空気じゃない。
マルコは二人の声を聞いて微笑ましそうに、そして満足げに頷いていた。
そしてマジョリカと言えば。
「…………ほんっとーに殿下のことが好きなのねぇ」
しみじみと言った。
それから、もう少し待っていようという決定をして、マルコと視線を交わしてその意識を共有したのだった。
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