悪戯好きのケットシーと。

 王都を駆け巡るのは爽快だった。

 思えば馬に乗っていなくともこんなことをした記憶はないし、馬上からの風景はいつもと違い、刺激的だったと言い添えたい。



 さて、海沿いの広場は王都のはずれにあった。

 近くには小高い丘や灯台など、王都の中心部では見られない風景が広がっている。



 真正面から向かっては目立ってしまう。これは主役の二人以上にそうなってしまうのは必然だろうから、アインはこれを避けていた。

 やがて馬でたどり着いた場所は。



「ここなら広場が見下ろせる」



 小高い丘の上だ。

 大勢の客に祝福されている二人、会場はさながら立食パーティーのようで華やかだった。ただ、第一王女の婚儀に関する催し事だというのに、飾りが少ない。特に生花が少なく見えた。

 アインがそれを見て眉をひそめたのにクローネが気が付く。



「指定されたお花の多くが届かなかったの。だから大慌てで近くから仕入れたのだけど……華々しさには欠けてしまったわ」


「届かなかったって、どうして?」


「依頼を掛けた商会が魔物の被害にあったからよ。それでも輸送するって連絡は来てたけど――――」


「ああ、カティマさんなら断るだろうね」



 彼女は騒々しい性質の女性だが、それ以上の心優しい女性でもある。逆に相手を気遣い、冗談で済ませるようなことなんて日常茶飯事だ。

 何でも、今年は更に生育不良も重なっていたそうだ。

 あのオーガスト商会でも、満足のいく代替品を揃えられなかったんだとクローネは言う。



『――――ハァン?』




 と、アインの首元からマンイーターが勝手に現れ、ため息をついた。



「いきなりどうしたんだよ」


『ハッハァ!』


「……ああ、なるほど」



 自信ありげに口角を上げたマンイーター。

 その意図はすぐにアインに伝わり、彼は「じゃあ一緒に」と言う。



「ふふっ、何をするのかしら」


「それはもう、ドライアドの魔王――――暴食の世界樹らしく派手にいこうかなと」


「楽しそうな光景になりそうだわ」


「あ、今日は止めないんだ」


「こういう日は派手なぐらいでちょうどいいのよ。厳かなお式は終わってるんだもの」


「勝手な話だけど、俺も同じ考えかな」



 しかし、無から花を生み出すことは出来ない。

 無いものはないわけだ。

 アインがどうするのか眺めていたクローネだったが、すぐに察する。いつの間にか姿を消したマンイーターが彼の足元から現れて、小さな花束を咥えていたからだ。



「誰かから貰ってきたんだよね?」


『…………』



 無言の否定は若干の後ろめたさのせいだ。



「今回ばかりは俺も共犯だから文句を言えないけど、あっちについたら、誰から無断で貰ってきたか教えるように」


『――――アィ』


「ねぇ、日に日に返事の質が上がってないかしら」


「俺としては楽でいいけどね」


「ふぅん……そう」



 おもむろにしゃがみこんだクローネが指を伸ばすと、マンイーターは甘えるように花弁を押し付けた。クローネがくすぐったそうに笑みをこぼす。

 この間にアインは花束を手に、包み紙を破いて握りしめた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 会場ではあいさつ回りの貴族がとめどなく足を運んでいる。

 ディルが一度席を外したところで、カティマはララルアに声を掛けられた。



「本当に良かったの?」


「ニャァ? 何のことだニャ?」


「お花のことよ」


「……いいも何も、あんなのはどうしようもないことだニャ」



 自嘲気味に言ったカティマからは、悲壮感と共に納得している様子が伝わってきた。

 彼女が言うように、今回の件は仕方ないのだ。魔物に襲われてしまったものは仕方ないし、その状況で無理をしろなんて言えるはずもない。言ってしまえばたかが花で、カティマもそのために苦労を掛けるのは本意ではなかった。



「これだけ祝福されてるのに文句を言うなんて、それこそ不躾な王女だニャ!」



 辺りを見渡すと、多くの都市から訪れた貴族たちばかりだ。

 これらは普段のパーティでは見られない、華々しい光景と言っても過言ではない。



「貴女の美徳は私も誇らしく思うわ、けど」


「べーつに気にすることじゃないニャ。これまでの催し事で、派手なことはたくさんしてきたしニャ」



 とは言え一つ一つが重要な催し事で、生まれてこの方王族だったカティマからすれば、口惜しく思うことは避けられていない。

 だから大丈夫なんだ、と彼女が気丈に振舞っていると。



「あ」



 と、近くに居たクリスが声をあげる。



「そっか、クローネさんの姿が見えなかったのって……こういうことだったんだ」


「む? どうしたのだクリスよ」


「陛下は分かりませんか? 地面に生い茂る芝生が喜んでるんです」


「……さっぱり分からん」



 すると。



『ハハッ』



 シルヴァードの足元から現れたマンイーターが、彼の手元まで伸びて声をかけた。

 つづけてマンイーターはクリスに近寄り、彼女の指先にまとわりつく。



「アイン様らしいですね」


「ま、待てクリス! どうしてそ奴マンイーターが!」



 間もなくだった。

 周囲の地面から草花が伸びだすと、一斉に大きな蕾を宿す。

 ふわっと風に乗る香り。少し離れた海で飛び上がった海龍の双子。陽の光が一段と増したように感じるほど、辺りのトーンが一段と高まっていく。



 カティマも座る席の周囲が、一段と多くの花々に包み込まれた。



「まぁ……ふふっ」



 周囲の様子にオリビアも合点がいった。

 こんなことが出来る人物なんて、自分が愛する彼しかいない。

 零れんばかりの笑みを浮かべた彼女はそれから、手元にあったグラスを口元に運び、小さくおかえりなさいと呟いた。



「これはまさか」



 つづけてシルヴァードも気が付いたようだ。

 周囲を取り囲む花々は、いつのまにか華やかなアーチを成した。中心に腰を下ろすカティマへつづき、煌びやかで目を奪う、心まで奪われそうな逸品にだ。



 するとカティマの下に慌ててディルが戻ってくる。

 彼は何も言わずに手を差し伸べて、カティマのことを立ち上がらせた。



「あのお方らしいよ」


「――――ええ」



 カティマの方が震えていた。



「ただ座っているなんてもったいない。共に歩いて、会いに行こう」



 二人は他の誰にも語り掛けずアーチに向かう。

 今日まで見たことのない、花の香りに包まれた大きなアーチだ。極彩色とまではいかずとも、色とりどりの花が作り上げた道は、一級の庭師も嫉妬する出来栄えだ。



 歩き出した二人に気が付いて、客がその動向を目で追った。

 だが、不意に海を泳ぐ双子が大きく飛び上がり、水しぶきを上げて虹をつくる。

 ため息が出そうになる壮大な光景に、皆の視線が自然と集められた。

 双子は敏く注目をばらけさせたのだろう。



 カサッ――――と。

 芝生をゆっくりと歩く音がした。二人分の者に加えて、前から歩いてくる音も重なった。

 その人物は静かに現れて、二人の前で足を止める。



「遅れてごめん」



 短くも、感情のこもった一言だった。

 彼はそう言い、持っていた巨大な花束を差し出した。



「…………かー、来るのがおっそいおっそい甥っ子だニャァ」


「ごめんって」


「大好きな私が結婚するからって、実は悲しくて寝込んでたんじゃないかニャ?」


「今日だけは折檻するのを我慢してやる」


「ふん! 遅刻したくせに偉そうなやつだニャ!」



 彼女は花束を受け取って、それを顔の前に運んだ。

 するとつづけて、ディルが口を開く。



「お身体の方は如何ですか?」



 彼はいつものように気遣ってきたが、足を運んだ人物、アインは首を横に振った。



「俺のことは大丈夫」



 あくまでも主役はディルとカティマの二人だからだ。

 想いを汲んだディルが目を細め、小さな声で「感謝します」と礼をした。笑ったアインはそれから、肩を揺らしたまま黙ってしまったカティマを見た。



「そのままでいいから聞いて」


「…………」


「二人にはたくさん苦労を掛け――――」


「あー、そういう言葉はいいニャ」


「カ、カティマ様!」


「勘違いするんじゃないニャ。アインの言葉が必要ないんじゃニャくて、別の考えがあるからいらないって言ったのニャ。それと以後、公の場であっても私に様を付けたら怒りますよ」



 すでに尻に敷かれているのか。

 いつもの調子を取り戻した彼女を見て、アインが目を細めた。



「ま、何が言いたいかというとだニャ」



 カティマはそう言って花束をよけた。

 露になった顔。涙をぐしぐしとハンカチでふき取って、ほんのりと赤く染めた目をアインに向けた。アーチや海にかかる虹に負けず、晴れやかで明るい微笑を浮かべていた。



「――――来てくれて、本当の本当に嬉しいのニャッ!」



 アインが来てくれたことに安堵し、喜ぶ。

 言葉にせずとも分かる想いを共有して、家族アインの来訪に感謝したのだった。



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