夜の語らい。
この日の催し事は賑わった。当然だ。伏せていたと告げられていた王太子が現れ、派手に新郎新婦を祝ったからだ。
ところで、例によって楽しい時間はあっという間で。
やがて王都に夜の帳が下りて、一帯が夜の暗闇に包まれた。
しかしこの頃はいつもに比べて灯りは多い。
というのもやはり、婚儀によるお祭り騒ぎの影響だ。
城内もまた賑わっている。
特にパーティの日程が組まれていたわけではないのだが、関係なしの賑わいだ。
一年に数回、パーティ会場に早変わりする上層階の広間にて。
(――――幸せそうだ)
と、アインはバルコニーの手すりに背を預けて呟いた。
視線の先の大広間は、いつもと違い貴族のいないパーティの様相を醸し出している。騎士や給仕、そして文官に至る全員が、主役の二人を祝っていた。
アインは今、火照った身体を覚ますためにバルコニーに足を運んでいたのだが、少し離れたところから見ていても、何て楽しいことだろう。外にいた時に比べ更に自由気ままに喜んでいるカティマの姿なんかは、シルヴァードが思わず涙を浮かべるほど輝かしい。
彼女の隣で微笑んでるディルを見ると、二人の仲の良さが窺えるようだった。
不意にアインは地震の胸元に手を当てる。
そこは魔石が宿る、異人種によって重要な箇所だ。
(変わんないような……何か居るような)
思えば眷属のスキルを用いてからというもの、シルビアやカイン、そしてマルコたちの気配を身体の内側から感じることはない。
だが、今は少し違う気がしている。
(居るなら居るって教えてほしいもんだけど)
救えなかったと嘆いた彼女がいるのなら、と。
あくまでもライルの言葉を信じるならばといったところだが。
例の忘れられない経験を想えば、彼女のことを忘れる事だって出来やしない。むしろ、自信の過去を知った今からなら、以前と違うことを話して、聞きたいことだってあった。
しかし、それはまだ難しそうに思えてならない。
不意に。
「アイン様、お飲み物のお代わりはいかがですか?」
静かに足を運んだマルコ。
彼はアインが頷いたのと同時に、持っていた水差しを傾けた。
アルコールの入っていない果実水が注がれたところで、アインはすぐにグラスを呷る。
さて、彼にも何か言うべきだろうか。
数百年もの間、マルコが魔王城で待っていた理由の一端は自分である。一つはカインから下された命令であるものの、仕えるはずだった主の帰還も待っていたのだ。
つまりその忠義に応えるべきか、否かだ。
少なくともマルコは多くを知っていて、しかし口を開かなかったという事実がある。
「色々と難しいな」
「おや、どうかなさいましたか?」
「少しだけね」
だが迷った挙句、語ることはやめた。
マルコが分かっていて何も言わなかった意思を尊重し、今のアインという存在の自分を尊重した。それに何か余計なことを口走ることが、マルコの忠義に無粋な真似をするかもしれない。
心に決めたアインは体の向きを変えて、眼下に広がる城下町を見た。
(まるで……)
まるで、あの世界で見上げた星空のように煌びやかな景色だ。
今は見下ろしているから真逆だが、同じ感情に浸れたことが面白く感じた。
分かり切っていることだが、アインは当時の記憶を思い出しているといったことはない。アインが心に抱いた感動というのは、用意された世界での経験によるものだからだ。
とは言え不思議と回顧の念が逡巡する。
魔石という個人に宿った古い記憶なのか、あの経験はすべてが幻ではないと戒めるように。
すると――――マルコはアインの背を見つめ、気が付いた。目の前にいるアインの姿に、過去の情景を重ねて目を細めたのだ。
それから、震えを抑えた唇で声を発する。
「勇者のお力が完璧に目覚めたようで」
「え?」
「見ればわかります。何があったのかは察しがつきませんが、伏せる前と別人でございます」
「……自分では良く分からないけどね」
そう言うと、マルコが笑みをこぼす。
「振り返らずに耳を傾けていただけませんか」
「どうしたのさ、急に」
「さて、何故でしょうか。どうやら語るべきは今と思えてならないのですよ」
「……いいけど」
「では――――」
マルコには珍しく、深呼吸をしているようだ。
心を落ち着けようと目も閉じて、それから夜空を見上げて静かに頷く。
「私が忠心を捧ぐのは『名』に対してではございません」
まだ抽象的でわからないが、彼はつづける。
「仕えるべき名というのは王家そのものであり、イシュタリカという名そのものです。これは国に仕えるということと同時に、その名を冠する王家への忠義の証です。ですが私には、その上に『存在』が来るのです」
「えっと、存在って」
「…………名前には誇りが宿りましょう。歴史がありましょう。多くの価値があり、ある偉大な方の名はこの国の皆にとっての自尊心でもある」
しかし。
「ですが私にとってさらに大切なのは、その名を掲げる存在そのものです」
だからマルコの忠義は揺るがず。
「故に我が忠義はただ一人――――
「それって――――ッ」
「どうかご理解ください。私は名前に仕えているのではなく、貴方様という存在そのものに惹かれ、身命を賭して奉公しているのだと」
すると彼はアインが振り返るのと同時に、ゆっくりとこの場を後にする。
マルコにしては珍しく、アインに何も了解を取らずに離れていった。
一方で、残されたアイン。
彼は自信の手をおもむろに胸に当て、魔石に意識を向けた。
「ははっ……」
純粋な忠義に胸をうたれ、心まで熱く滾っている。
筆舌にしがたい、何とも幸せな気分だ。
(この感情をどう表現したらいいだろう)
心の内で言葉を投げかけてみると、不意に「自分で考えなさいよ」と声が返ってきた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇
更に夜が更けた。
城内にある小洒落たサロンに、四人の男性が足を運んでいた。
「ディル、グラスを持て」
「へ、陛下!? 陛下が私に酌などと……ッ!」
「こういう時に気にするものではない。アインの誕生パーティになると、ロイドのグラスに余が継いでやることだってるのだぞ」
「……父上?」
「そのような目で見るな、人目がないときだけだ。アイン様の誕生日を共に祝ってもよいではないか」
言ってしまえばシルヴァードとロイドの関係だから出来ることだ。
付き合いは相応に長く、気心が知れている。
公私はしっかりと分けている二人だが、こうした気軽さは今更のことだった。
「別にいいんじゃない?」
「アイン様まで!」
「いやだってさ、お爺様とロイドさんのことなんて今更だし……むしろ、この二人がガチガチの主従関係にあったら笑い話みたいだし」
「む、それはどういう意味であるか」
「詳細は置いときますけど、お爺様は常にガチガチのロイドさんを見たいですか? ってことです」
「…………」
「陛下、その目線は何ですかな?」
「いや何、窮屈になりそうだと思っただけだ」
そのやりとりに四人が一斉に笑い声をあげた。
示し合わせたようにグラスを持ち上げて、キンッ! と小気味良い音を奏でる。
皆が一斉にグラスを呷り、テーブルの上に置いた。
「しかしディルよ、カティマの仕事は今まで通りでよいとのことだが、王家を気遣わなくてよいのだぞ? 何なら研究所ごと閉鎖してもよいのだが」
「恐れながら陛下。そのようなことをしては、私でも彼女の暴走を止められなくなりますが」
「うむ、それは困るな」
「それに、生きがいを奪うのは私の本意ではありませんから」
ディルは照れながら言うと、目線をそらしながら頬を掻いた。
「カティマは良き夫に恵まれたようだ。こうなってみれば、二人の子が生まれるのも楽しみに思えてならん。あの暴走娘が二人になるようなことは避けたいが、それはそれで……悪くないかもしれんな」
「あるいは、ディルのように騎士を目指すかもしれませんな」
「ですね。やがてご誕生なさるであろうアイン様のお世継ぎのため、剣を磨くのも良いかと思います」
「え、俺の?」
「どうして呆気に取られているのですか……近い将来、アイン様の婚儀もあるというのに」
言われてみればその通りで、遠くない未来となるだろう。
シルヴァードが生前の退位を宣言するまでも遠くないし、となれば明らかに、こうした流れになるのが常であるからだ。
「ごほん……どうせなら、ここにカティマさんたちも呼べばよかったのでは?」
「分かりやすく話題を変えたな――――照れることでもあるまいて。あ奴らはあ奴らで集まっているようだぞ。少ししたらララルアやオリビアたちも合流すると聞いている」
「あ、ああ……そうだったんですね」
するとアインはおもむろに飲み物が入った容器を手に取った。
皆のグラスを見て口を開く。
「とりあえずお代わりでも」
話題を変えた理由だが、照れくさかったからというのが一番ではない。
単純に今の主役はディルなわけで、彼の話を聞くべきだと思っていただけだ。……と、心の内で言い訳をして、仕方なそうに自分を見つめる三人のグラスに飲み物を注いだ。
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