王都脱出戦【後】
「魔王の前に勇者が立ちはだかるなんて、変な冗談は嫌い」
「でも俺は戦う気がありません」
「ん、私にはある……少しだけある。うん。マールを退かしてあの女を牢屋に戻す」
「残念だけどそうはならない。姉上が弱いなんて思ってないけど、少しだけ時間を稼げればいいだけですし」
「――――私を舐めてるの?」
身の毛がよだちそうになる、おびただしい魔力の波。
戦士たちが逃げ出したくなった時でも、アインはケロッとした顔で立っていた。
相対するシャノンからすれば不思議でならない。
「変なの。マールじゃないみたい」
と、当然の疑問を抱いた。
彼女が良く知るマルクは勇敢だが、今見せているほどの強さは無い。それどころかまだ赤子の手をひねるかのように、何の苦労もなく制圧できるはずだったのに。
「別人に見えましたか?」
この余裕はいったいなんなのか。
ただ、答えは分からずとも、目的は変わらない。
「ん、見えない。けど分からないけど強くなってる。今のマールはまるで……」
まるで、はじめてカインにあったときのように感じてしまう。
今でも白兵戦となれば、確実に勝てない兄のことを想った。
「ゆっくりしてていいんですか? もうマルコたちは王都を出るころだと思いますけど」
「ッ――――だ、だめ!」
(俺が良く知るアーシェさんで助かったよ)
と言うのは彼女の性格だ。
愚直ともいえる真っすぐさが仇となって、目の前のアインが見せる気配にばかり気を取られていたのだ。
これは彼女の美徳でもあり欠点でもあるが。
あくまでも暴走していないアーシェという個人は、そう大きな障害にはなりえない、というのがアインの考えだった。
良く言えば純朴で、少し穿った言い方をすれば単純と言ったところか。
「ごめん。時間が経ったら、また、ゆっくりと話をする機会を設けようと思ってますから」
アインはそう言いアーシェを見た。
すると間もなく。
魔王城の庭園が唸り声をあげ、地面が大きく盛り上がった。
やがてその理由である木の根が姿を見せる。太さはごく普通の人間ぐらいもある木の根が数本、数十本を現れてアーシェを包み込んでしまう。
「たかが木の根ぐらいで――――え?」
魔法を使うと木の根は焼ける。
が、あっという間に次の根が現れて自分を包み込むのだ。
「きりがない……ッ!」
「ってことです」
だがアインにはいつもほどの余裕はない。
何故かと考えてみると、魔力の量が足りないことが原因かもしれないと予想した。現代で使った時に比べて、若干ながら身体が重く、気だるい。
こうしちゃいられないと思い、アインは脱兎のように駆けだした。
背にはアーシェの声が届いて止まない。彼女はアインを制止するような言葉を投げかけていたが、アインは決して止まらなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
王都近くの森には、一足先に待っていたラビオラたちが居た。
そして彼女の下にマルコとシャノンが到着したのは、今からほんの数十秒前のことだ。
「ほう……これは見事な」
感嘆した声を上げたのはマルコだ。
彼の視線の先には数体のワイバーンが居る。ワイバーンの首には鎖が繋がれ、その先には民家の一部屋分ぐらいもありそうな、木製の箱があった。
「僕が考案した乗り物だよ。調教されたワイバーンを数頭用意して、運ばせるっていう単純な造りだけどね」
と、ウォーレンが言う。
彼らから少し離れたところでは、ラビオラとベリアが居た。
ラビオラは木に背を預け、ベリアはその隣に立つ。
「……そろそろいいかしらね」
「ラビオラ様? どうかなさいましたか?」
「ここに来る前にマルクに言われてたの。二人が合流した後で、私の感覚でいいから出発の支度をしてってね。必ずすぐに自分も行くからって」
すると彼女は動き出した。
荷台にある荷物を確認したところで、ワイバーンの様子を見始める。
「出発ですか!? マルク様がまだいらしておりませんよ!?」
それも感覚任せなのだ。
「大丈夫よ。マルクはすぐに来るから」
「な、なぜそのように……」
「だってあの子は私との約束を絶対に破らないもの。マルクが私を信用してくれてるのに私が信用しないなんて、ただの裏切りになってしまうわ」
ラビオラは笑みを浮かべるだけの余裕があった。
「だからほら、貴女も最後の支度を手伝って。ね?」
「……かしこまりました。お任せください」
さて、王都の方は今も騒々しい。
森まで届く騒ぎの理由である一同は、不思議と気分が高揚していた。
祭りの前の楽しみというか、これまでのない高揚だ。大きな事をしようとしているアインに対し、自然と心が惹かれているのだろうか。
空を見上げてふっと笑い、マルコが口を開く。
「しかしこれらのワイバーン、どのように用意を?」
「ああ、その件だったら――――」
「我らエルフの持ち物です。マルク様のために私がご用意いたしました」
「なるほど……しかし、良いのですか? 今回の行いはイシュタリカに弓を引く行為と捉えられても不思議ではないのですが」
「問題はございます。でも我らは、あくまでもマルク様に忠誠を誓っておりますので」
そう言うことか、確かにそうだったなとマルコがほくそ笑む。
現代におけるエルフ族の長はつづけて、すぐ傍で静かにしていたシャノンを見る。
「なので貴女への疑いも気にしていないのです。ですが万が一にでも、あのお方を裏切るようなことをしたら……」
裏切るという言葉に対してシャノンが自嘲した。
「ふふっ……そんなこと、するはずないじゃない」
「あら、聞いていたよりも素直ですね。どうされましたか? まさか救われたことで恋慕の情でも抱かれたのでしょうか?」
「どうかしらね。そんな感情を抱いたことはないから分からないわ」
ただ、アインを憎からず想っていることは否定できない。
これを聞かれているわけで無いし、答える必要もないから答えなかった。とは言え牢屋にやってきた彼と手を触れた際には、その温かさに心を溶かされた気もする。
同時に彼が本当に味方なんだと、強く理解した瞬間でもあるのだ。
――――ふと、森の木々が大きく揺れた。
一瞬吹き荒れた強風の後、アインの姿が一堂の前に現れる。
「お待たせッ!」
「マルク様! アーシェ様のことは……!」
「しばらく動けないようにしてから逃げて来た!」
「ま、誠ですか!?」
驚いたのはマルコだけじゃなく、ラビオラを除いたすべての者たちだ。
「でも話はあと! 今は急いで逃げないと!」
「マルク! 貴方の言う通り支度しておいたわよ!」
「ああ、助かるよ! じゃあ早速乗り込もう!」
皆急いで荷台の中に乗り込んで、ウォーレンがワイバーンへ指示を出す。
あっという間に飛び上がり、皆を空に運んでしまう。
いつもより灯りが多い王都が離れて行く。
一同は空にいるという高揚感よりも、何とか計画通りに行ったことへの喜びが勝っていた。何人かが額の汗を拭き、久方ぶりに落ち着いた表情を浮かべていた。
「……すごい」
思わず感嘆としたのはシャノンだ。
漆黒の天球を覆う数えきれない星々に目を輝かせ、自然と一筋の涙をこぼした。
誰にも見られぬように振舞っていたが、アインとラビオラは顔を見合わせ、優しげな表情を浮かべた。
「ねぇ、これからどこに行くの?」
「
あそこなら、きっと他のどこよりも住みやすい。
加えて追手が放たれても、しばらくはたどり着けない距離にある。
「勢いで王都を脱出しちゃったし、これからどうするのか考えないとね」
「もう……本当にいきなりだったんだからね?」
「ごめんって。でも、何とかしてみせるよ」
ひとまずシャノンへの罰を撤回してもらう必要がある。
後は何よりも大切なこともある訳で。
(勝敗、どうすれば決まるんだろ)
いい加減これもハッキリさせたい。
何の手がかりもないことが奇妙で堪らないが、ここ最近の動きの大きさに対しては、実は思うことがあった。
(少なくとも俺は負けてない)
と言うことは、現状の動きは正解であるはずなのだ。
仮にシャノンの命を奪うことが正しかったとするならば、すでにアインは敗北している。となればやはり、現状の動きは間違っていない。
むしろ負けてないと言うことは、勝利に近づいていることのはず。
かと言ってオズを倒すことも半信半疑だ。
それですむなら、言ってしまえば別に難しい勝負ではなくなる。
果たして、天才と謳われた第一王子ライルがそんな勝負を挑んでくるだろうか? 何度考えても違う気がしてならない。
(初代陛下がしなかったこと……いや、出来なかったことを成し遂げる……)
これがしっくりくるし、もう出来る事はそれしかない。
では、何がその対象となるのかだが――――アインは不意にハッとした。
(そう言うことか)
イシュタリカの歴史を考えていると、その答えにたどり着いたのだ。
もうこれしかない。初代国王マルクに出来なかった唯一のことがある。
この事に気が付いたアインは、それを成し遂げるための道筋を考えるだけで苦笑してしまうのを止められなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
王都を脱してからしばらく経つ。
すでに朝陽が昇りだし、大陸イシュタルが照らされ出した頃。
目覚めたアインは自身の頭を支える、温かくやわらかな感触に目を開けた。
「あれ?」
「起きたの? よくこんな場所で寝られるわね」
「……え!?」
目を開くと、数十センチの距離にシャノンの顔がある。
動揺して辺りを見渡すと、自分の胸元では丸くなって寝ているラビオラの姿だ。
少し冷静になってから頭の方に意識を向けると。
「膝枕してる?」
「見ればわかるじゃない」
「いや分かるけど、問題はどうしてそれをしてるんだってことなんだけど」
「……別に。寝辛そうだったから気になっただけよ」
よく見るとラビオラの頭を支えているのは、シャノンが来ていた外套だ。
「貴方にだけってのも不公平でしょ」
「……とりあえずありがと。おかげで身体もこわばってないよ」
「ええ、どういたしまして」
それから二人の間には静寂が訪れた。
周囲の者たちは皆寝ているようで、起きる気配がない。
起きているのはアインとシャノンの二人だけだ。
アインはとりあえず体を起こす。
それからラビオラに布をかけなおして、立ち上がる。すると今度は外套を脱いで、シャノンの肩に掛けて頷いた。
「朝は冷えるよ」
「私、寒いのは得意なの。魔法だってそうだったでしょ?」
「だとしても、目の前で肩を出されてると少し気になる。目線に困るわけじゃなくて、単純に寒そうに見えちゃうからさ」
「……あ、ありがと」
いいよ、短く答えてアインが荷台の端に寄る。
「もうすぐ到着みたい」
眼下に広がるのは見慣れた地形だ。
この時代では建物らしい建物は見当たらないが、ここにいると家に帰って来たという気持ちになる。
「ここが貴方の言っていた目的地なの?」
「うん。逃げるのにぴったりな、過ごしやすくて最高の場所だよ」
「ふぅん、こんな遠くのことよく知ってたわね。どうして?」
「ははっ……俺にも色々とあるんだってば」
そう言ったアインの横顔を眺めるシャノンは、思わず言葉を失った。
くすっとほほ笑んだ彼の表情に目を奪われてしまい、ただぼーっと眺めてしまったからだ。
「――――この一帯はキングスランドって言うんだ」
あくまでもそれは未来でのこと。
もしかするとマルクが名付けたのかもしれないが、アインがここに来るまでは、無名の地だったことに違いない。
だが未来で名高き王都キングスランドは、確かにここにあったのだ。
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