王都脱出戦【前】
シャノンが目を覚ましてから二週間が経った。
この間、アインは特に大きな行動を起こしてはいない。シャノンはシャノンで静かだったし、何か特筆すべき事態もなかった。
こんな状況で、いつになったらライルとの勝負が終わるんだろうか。
それを疑問に思っていたアインは、この世界でのんびりと過ごしていただけだ。
何せラビオラはクローネと瓜二つでいつもと同じ感覚だったし、周囲の者たちだって、アインからすれば見慣れた者たちしか居ないのだ。
言うなれば停滞した時間の中を、ただ普通に過ごしていた。
――――しかし。
「マルク、どうかした?」
王都近郊の森の中に居たアインへと、ラビオラが語り掛けてくる。
二人はここで何かしていたわけではなくて、ただ散歩がてら足を運んでいたのだ。
時刻は昼を過ぎた頃だろうか? 二人は横たわった木に腰を下ろして、取り留めのない話に花を咲かせていたのだが、アインが唐突に立ち上がったせいで、ラビオラが不思議そうにしていた。
「王都の方で何かあったのかも」
「何か、って? 私には何も聞こえないけど……」
「俺も何か聞こえたわけじゃないよ。けど何だろ、雰囲気って言うか」
「直感みたいなもの?」
「そんなとこかも」
話が早くて助かると、アインは小さく笑った。
「それじゃあ帰りましょうか」
「いいの? 直感みたいなモノなのに」
「いいの。マルクがそう言うのなら、きっと王都で何かがあったんだと思う」
二人はこうして森を出た。
王都までは決して遠くない。時間にして十分もかからないぐらいだ。
すると、王都に近づくにつれてアインの心が不快に高鳴る。
自身の予想が正しかったことを察し、何があったのか心配になっていく。
シャノンが暴れた……この考えは抱かなかった。先日見たばかりの彼女を思えば、ここで不穏な動きをするとは考えにくい。まず彼女は、そこまで馬鹿じゃない。
では何があった? 考えてみるも、アインの脳裏には何もそれらしい考えが浮かばなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
――――王都に戻ってすぐ、町中に居る戦士たちの様子も慌ただしかった。
いや、それだけじゃない。
住民たちも怒っている様子だ。
「城に急ごう」
「え、ええ……!」
大通りを駆けて、二人は大急ぎで魔王城へ向かう。
城門を潜って敷地内に足を踏み入れると、これまで以上の怒気が漂っているではないか。
ラビオラはその怒気を浴びて、緊張から身体を震わせていた。
「大丈夫」
しかし、アインに手を握られてすぐに落ち着きを取り戻す。
「この気配は誰が……」
「アーシェさ――――姉上だよ。どうしてかわからないけど、姉上が凄く怒ってるみたい」
しかし操られているような気配はしない。
純粋にアーシェ本人の怒りのようだ。
二人は手をつないだまま魔王城に足を踏み入れたのだが、ここでもまた、戦士たちが怒りに興奮しているのが分かる。
「俺はこのまま謁見の間に行って、姉上の様子を見てくる。けど、先に俺の部屋に行こう。ラビオラはそこで待っててほしい」
「……分かったわ」
「すぐに戻るから心配しないで。何だったら、俺の部屋でお昼寝しててもいいからさ」
「もう、なぁーにそれ? 私がマルクのベッドを気に入ったらどうするの?」
「その時は仕方ないから貸してあげるって」
「私が返したくなくなったら?」
「……どうしよう」
すると、彼女は困惑したアインを見て目を細める。
口角を上げたところで、口元に手を当てて上品に笑んだ。
「そうなったら一緒に寝てくれればいいわ。――――私は良いから、マルクはアーシェ様のところに行ってきて」
気丈にも見送りを拒否した彼女は、軽い足取りでアインの傍を離れて行った。
「ほんと、クローネとよく似てるよ」
アインはそう呟いてから、駆け足で謁見の間へと向かう。
ところで、魔王城の造りは現代のイシュタリカが誇る王城とほぼ同一だ。
階段をいくつか駆け上がって城内を進む。長い長い廊下を抜ければ、謁見の間に立ちはだかる巨大な扉まですぐに到着する。
やはり、扉の中から放たれるすごい怒気がある。
空気そのものを揺らさんとする、まさに魔王が放つ圧力の塊だ。
コン、コン。
アインがノックをすると、怒気とは裏腹にいつもの声色で返事が届く。
ゆったりとした、アーシェの返事だ。
「姉上、入りますよ」
謁見の間に足を踏み入れると、そこに居たのは一組の男女。
片方はアーシェで、もう片方は見知らぬ少年だ。
「では陛下、私はこの辺で」
「ん、ありがと」
少年は去り際にアインを一瞥していく。
それは熱のこもった視線だった。
ここでは今のがはじめてだが、アインにはその気配に覚えがある。オズだ。
(どうしてオズがここに)
何をしたのか気になったが、そこにシャノンの関与は疑わなかった。
「おかえり、マール」
「ただいま帰りましたけど……何があったんですか?」
「何が、って?」
「姉上の様子を見ればわかります」
「大したことじゃない。やっぱりあの女が裏切ってたってだけ」
ふと、アインの眉が吊り上がる。
「あの女、とは?」
「……お姉ちゃんが赤狐って呼ぶことにした種族の、その長のこと」
つまりシャノンだ。
しかし裏切っていたとは聞き捨てならない。
彼女はまだ、明確な裏切り行為はしていない……とは言えないが、少なくともこんな状況になるようなことにはなっていなかった。
シャノンの行動については、アインしか知らないのだから。
「奥にある牢屋に放り込んである。もう絶対に出してやらない」
「事情が分かりません。裏切ってたってのはどういうことですか?」
「あの女、私に魔法を使ってた」
「……どうしてそれが分かったんです?」
「さっきの子が色々教えてくれたから」
オズが裏切った、そう示唆されている。
だがアインが解せないのは。
(展開が早すぎる)
これまで重用されていたわけでもないオズの言葉に、アーシェがこうまで動くだろうか。
「今日は父上と母上が居ないのに、牢屋に放り込むようなことをしていいんですかッ!」
二人は今日、少し離れた村に顔を見せに行っているからだ。
「ん、いい。この城の主は私」
「確かにそうですけど……ッ!」
「それに、急いで捕まえておかないと大変なことになってた。私が操られて、城の戦士も操られてたら……イシュタリカが壊されてたかもしれない……ッ!」
家族愛の強いアーシェのことだ、そう考えても無理はない。
彼女の言葉を聞いていたアインは目を閉じ、考えを張り巡らせる。
「他にもあった! さっきの子は、あの女が何を考えてたのか教えてくれたの!」
それからアーシェが語ったのは、シャノンがしようとしていた行動のすべてだ。
詳細に、それでいてこれまでの失敗も含め、アーシェにも覚えがあることをオズが語ったのだと。
アーシェからすれば、信じるに値する情報ばかりだったのだ。
彼女は以前からシャノンに不信感を抱いていたこともある。
(オズがシャノンを裏切ったってことだ)
「あの子だけじゃない、他の赤狐も教えてくれた」
「どういうことです……?」
「長が悪だくみをしてるんだって、実は少し前から私の耳に届いてた。他の魔物たちも覚えがあったみたいで、偶にお姉ちゃんに報告してたんだって聞いてる」
アインが知らないところで、入念な前準備が進んでいたということだ。
赤狐だけじゃない。オズは他の魔物も巻き込んで、アーシェたちが自身の言葉を信じ、シャノンを投獄するまでの状況を作り上げていた。
これはただの裏切りじゃないはず。
話をしながらも、アインはその真意を探っていた。
(あの男がこんな行動をしたのはなんでだ……何がしたい、何の意味がある)
オズの性格は知識欲に忠実ということに尽きる。
ほぼ確実に、今回もそれが関係しているはず。
では、何が彼の知識欲を満たしてくれるのだろうか。
(――――シャノンが、彼女が関係してるはずなんだ)
だから裏切って、投獄されるように仕組んだ。
となると彼女という存在が、オズの知識欲を満たすために必要な因子となる。
(まず時期が整い過ぎてるんだ。彼女が正史の流れから外れて、大人しく……なった…………)
もしかして、先日の話を聞いていたのか。
(だとするとしっくりくる。となれば元々は、シャノンがアーシェさんを操って正史の流れに至ることが望みだった……でも、それで何が満たされたんだ)
黙りこくったアインは、つい先ほどのアーシェの悲痛な言葉を思い返す。
自分だけじゃない。戦士も操られ、イシュタリカが壊されてしまったら……という言葉だ。
が、これには違和感を覚えてしまう。
(シャノンは言ってたじゃないか。今のままではすべてに影響を与えることは出来ないって)
純粋に力不足のためなのだ、と。
そうするためには。
(暴走するか、何か別の力を――――)
アインはここでようやく、真理にたどり着いたのだ。
(ああ、そういうことかよ)
たどり着いた真理は、またこれまで分からなかった情報をアインに理解させた。
正史で知るシャノンの振る舞いと、ここでのシャノンの言動がかみ合わなかった理由だ。
(黒い石……黒龍の力を使えるようにしたのはお前だったんだな、オズ)
今となっては正史で実際にどのようなやり取りがあったのか、知る由もない。
しかしほぼ確実に、この考えが答えに近いだろう。
シャノンに足りなかった力を与え、当初と違う野望と言っても過言ではない目的意識を抱かせ、現代に至ってもイシュタリカ王家を恨ませた。
(同族を実験動物みたいに使ったのか……ッ)
何処までも胸糞の悪い話だが、オズらしさに溢れる話だったのだ。
「姉上、俺が彼女から話を聞きます。なので牢屋から――」
「駄目だよ。マールが優しいのは分かってるけど……でも、これは駄目」
「お願いします。悪いようにはしませんから」
「……駄目。せめてお姉ちゃんたちが帰ってくるまでは待って」
まだすぐにでも首をはねると言わないあたり、冷静ではあるようだ。
しかしシルビアたちが帰るのを悠長に待っている気も、今のアインには到底なかった。
◇ ◇ ◇ ◇
窓一つない牢屋にも、今が真夜中だと知らせる要素がある。
例えば鳥の声であったり、シャノンであれば風の音でも判断が付く。
しかし今、そんな余裕は少しもない。
「…………ッ」
時折、牢屋の壁を虫が這う音がする。
彼女はそれが怖かった。まるで何もできなかったころを思い出すようで気が滅入り、呼吸が乱れるのを止められない。
嫌だ、出して。
そんな声を何度口にしただろう。
しかしそれはすぐに止めた。
すべては自分のせいなんだ……と。
それもそのはず、元凶は間違いなくシャノンだ。
当事者ではなかったマルクに対して恨みを抱いただけじゃない。彼を絶望させるため、アーシェを利用しようとしたことは嘘じゃない。
少なくとも、これだけでも牢屋に放り込まれておかしくないのだ。
だから間違いなく自業自得。
これには間違いがなく、アーシェの判断が間違えているわけでも非情なわけでもない。
むしろ、国を守る立場にある彼女からすれば、こうすることこそ当然であった。
軽く足を動かすと、鎖に繋がれた重りが少しだけ動く。
身体の自由はほぼなくて、魔法も何故か使えない。きっと、この牢屋のせいだろう。
牢屋の片隅で丸くなって震えてしばらく。
扉の外から戦士の声が聞こえてきた。
『いつ処刑されるんだ』
『さぁな。そうしたことはシルビア様がいなければ判断できんだろう』
国家転覆を企てたのだから、処刑されて然るべきだ。
シャノンはそのことに恐怖は抱いていない。いや、抱いていなかった。それは数週間前までのことで、今は以前に比べ、希望と言う言葉が似合う想いが心にある。
つまり、処刑されると聞いて怖れを抱いてしまっていた。
「結局……味方なんていないじゃない」
身から出た錆とは言え、もう少し明るい運命を迎えたかった。
今この瞬間だけは怖れを忘れ、自身の生涯に自嘲して涙をこぼす。
『食事を持ってきた。中に入ってもいいか?』
『……食事だと?』
『必要ないだろ、どうせ処刑される』
『駄目だ。そのような扱いをしていると、シルビア様に何と言われるか分からないぞ』
最後の晩餐とでも思えばいいか、シャノンは扉が開けられる音に耳を傾ける。
鈍い音と共に開かれる扉の外からは、一瞬だけ光が入り込んだ。それだけでも今の彼女には、天から降り注ぐ光芒のように美しく見えてしまう。
「食事だ」
もうすでに牢屋が真っ暗だ。扉が閉じられたから当然といえば当然だが、何故だろう? どうして戦士が中に居るんだ。
ああ、以前の者たちのように私を求めてか。
すべてがどうでもよくなって、目を閉じようとした刹那――――。
「…………え?」
自分の肩に、暖かなものが掛けられた。
感触から察するに服のようだ。
「持って来ておいて悪いけど、食べてる余裕はないんだ」
「な……何を……ッ」
「今の姉上には何を言っても折れてくれないし、オズ……じゃなくて、アイツとも距離を置きたい。悪いけど、すぐに王都を出た方がいいい」
震えていた手元に、暖かな手が重ねられた。
「巻き込みたくないって言ったんだけど、ラビオラが手伝ってくれてる。他にも知恵者だったり騎士だったり、すごい給仕が一人ついてくるよ」
賑やかでしょ、と彼は言った。
「父上たちが帰ってくる前がいい。だから急ごう」
「……どうして、どうして貴方がここに居るの……ッ! どうしてよッ!」
彼女は必死に嗚咽に耐え、彼の胸倉をつかんだ。
けど乱暴ではない。あくまでも、彼の体温に頼るような弱さがあった。
「貴女は確かに罰を受けるべきことをした。すべてを無条件で許すつもりは無いし、許されるものじゃない。でも俺は、今の貴女に罰を与えることは反対だ――――それに」
彼はシャノンの手を引いて彼女を立たせた。
真っ暗で顔は見えない。けど確かに、声と体温はしっかりと伝わっていた。
不意に牢屋の壁が粉砕される。
その瓦礫と煙の向こうに、鎧の騎士の姿がある。
「さぁこちらへ! このマルコが道を作りましょうッ!」
星明りと月明かりに照らされ、彼の顔が明らかになる。
思っていたよりも近く、自身の弱さを支えるように立っていた彼を見て、大粒の涙が一筋、シャノンの頬を伝う。
「それに俺は、貴女の味方だって言ったからね」
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