知識欲の境地にて。
では、なんだと。アインは静かに目を閉じた。
通常であればほぼ確実に気が動転してしまうところでも、彼はそんな様子を少しも見せることはなかった。
「貴方は強い人。嘘とも真実とも尋ね返さないなんて」
「こんなところで嘘をつかれるとは思ってないよ」
「へぇ、そう。なら何を考えて目を閉じたの?」
「情報を整理したかったからだよ。……それと、近すぎるって」
あくまでも優しくシャノンを押しのけ、ベッドの上に運んだ。
すると彼女は今の扱いが気に入ったのか、ご満悦だった。
「とりあえずハッキリさせたいことがある」
「どうぞ?」
「…………貴女の狙いは最初から俺だったのか? 貴方を救えなかったドライアドの血を引く俺なのか?」
ふふっ、とシャノンが艶美に笑って頷いた。
「イシュタリカを狙ったわけでもない。姉上を狙うどころか、父上でも母上でもない。あくまでも俺という個人を恨んでいたのか?」
「当たり前じゃない。だから私はこの国に来た。あの日、貴方を見つけたデュラハンが保護してしまう前、私はどうしてあと数分早く来て、命を奪わなかったのかって後悔したの。彼らが築いた国のことは知ってたわ。これほど大きな国だもの……知らない方が嘘ね」
結果としてイシュタリカが狙われたということなのだ。
ベッドの上に座ったシャノンはアインの声を聞き、上機嫌に足を揺らしている。
匂い立ちそうな美と違った、無邪気な可憐さで微笑みを浮かべていた。
「先に貴方の居場所を奪ってやろうと思ったの」
「だから俺には手を出さず、姉上を操ろうとした」
「素敵、本当に頭が良いのね」
「茶化すなよ」
「別に茶化してなんかないのに。……後は分かるでしょ?」
やがて辿る流れは言うまでもない。
旧王都が崩壊の一途を辿るだけだろう。
「貴女がされたように俺からも家族を奪い、居場所を奪おうとした。自分を見捨てたドライアドへ復讐も、その忘れ形見の俺にしてしまえば
「前半は正解。でも……国ごと使えるわけないじゃない。私にそんな力があると思ってるの?」
「え」
「いくら私の力が強いといっても、この国の民の全員を好きに操れると思う? どれだけの数が居ると思ってるのよ」
「いや……それじゃ、なんで……」
どうして未来ではそうしたのか、新たな疑問が生じてしまった。
この後のシャノンに何が起こるのかは、残念なことに窺い知れない。
「もしも私の力が何かに影響されて、強さを増したら出来るかも。それこそ以前のように、力を暴走させるぐらいじゃないと不可能よ」
「分かった、それは俺の勘違いだったみたい」
つまり当初のシャノンは、イシュタリカそのものに何かをしようとしていたわけじゃない、とも思える言葉だった。
これ以上聞いても情報は増えないだろう、アインはそう思って話を戻す。
「もう村の人たちには復讐したんだし」
「そうね。最後に残ったのは貴方――――マルクだけ」
「なるほどね、ようやく動機が分かったよ。で、どうする?」
「どうするって?」
そんなの決まっている。
「まだ俺に復讐して、命を奪いたいと思ってるのかどうかだよ」
「思ってる、って言ったら?」
「別にどうもしないよ。けど、姉上たちに手を出すことは許さない」
「ならどうしろって言うのよ」
「俺だけを狙えばいいだけだろ。ナイフでもいい。魔法でもいい。いつだって俺の命を狙いにくればいい」
「ぷっ……ふふっ……本当は馬鹿だったの? そんなこと言って――――」
不意にシャノンは、俊敏な動きでアインに抱き着いた。
すると彼が腰に携えていた剣を器用に抜いて、あっという間に胸元に突き付ける。
……しかし、一向に血潮が舞う様子はなかった。
「どうして避けないの」
「止まると思ったからだよ」
「嘘、どうせ反応出来なかっただけでしょ」
「じゃあ嘘でもいい。でも、貴女は確かに剣を止めたんだ」
「…………意地の悪い男」
シャノンは吐き捨てるように言い、剣を放り投げた。
つづけてベッドに身を投げてうつぶせになり、枕に顔を埋めてしまう。
「私がしてきたことは逆恨みとでも笑えばいいわ」
「違う。全部を恨んで当然のことだった」
「じゃあ何? 力を暴走させてただけの私は無罪ってこと?」
「それも違う。それは開き直っていいことじゃないけど、貴女が悪いことじゃない」
「訳の分からないことを言わないで頂戴」
「……すべては巡り合わせと運が悪かったからだ」
アインの言葉にシャノンが無情を覚えた。
「馬っ鹿みたい……なら私には、存在価値なんてなかったも同然ね」
モノ扱いされていた時も涙を流したことはない。当時はあくまでも、どうやって復讐してやろうかという念に駆られていた。
だが今は、弱みを見せてしまったせいで瞳から涙が零れてしまう。
アインを前にして毒気を抜かれるどころか、自分のこれまでを一蹴されたようで、絶望していたのだ。
「無価値だったなんて思わない。それに、これからは今までと違うんだ」
強く優し気な声色に、シャノンの涙が勢いを弱めた。
「俺が味方になる」
「本当に馬鹿ね。私は貴方を殺そうとしてるのに?」
普通なら怖気るような台詞にも、アインはひるまなかった。
「関係ない。貴女がイシュタリカの民でいてくれるなら、俺はずっと貴女の味方だ。この世界が敵になったとしても、貴女を裏切ることはしない」
彼はいったい、何を言っているんだ。
急な言葉にシャノン思考が停止してしまう。
耳障りの良い麗句に酔いしれていたのだ。
「ばっ、馬鹿じゃないの! 私が貴方の家族と殺しあったらどうするのよ!?」
「二人とも止めるよ。俺にとってイシュタリカの民は皆が家族だ。だから貴女もイシュタリカの民で居てくれるなら、俺の家族に違いはない」
「……そんなの詭弁じゃない」
「でも事実だ。俺はそう思ってるんだから」
アインは詭弁でなければ、綺麗事を言ってるつもりでもなかった。
これまでの生涯での経験と自負があり、振る舞いに裏付けられた強い自信があったのだ。それは決して軽くない。
気持ちが伴った言葉により、シャノンは反論の言葉を失ってしまう。
「……
「好きにしてくれて構わないよ。けど俺はそれでも味方でいる」
「もう一度言ってあげる。馬鹿じゃないの?」
言われなくても百も承知だ。
「それこそ、好きに言えばいい」
また何度目か分からない静寂が訪れる。
シャノンは枕に顔を埋めたままで、アインは椅子に座ったまま。
この時間は体感で言うと数十分の長い時間だったが、実際は十秒も経っていない。
膠着したこの場を動かしたのは、シャノンの「今日はもう疲れたわ」という、終わりを知らせる言葉だった。
◇ ◇ ◇ ◇
時を同じくして、城を出た一人の少年が居た。
片方だけの眼鏡と手に持った鞄。そしてオールバックの赤髪が特徴的な優し気な顔つきの少年だ。
彼はもう一方の手に持って居た黒い石を、空に掲げて笑みを零す。それからすぐに、鞄の中に大切そうにしまい込んだ。
「おや、珍しい男がいますね」
と、少年に声を掛けたエド。
城門の片隅に背を預け、腕を組みながら少年に目を向けた。
「今持っていた物は? また変な実験の産物ですか?」
「長のためを思って要した物さ。ただもはや、長が進んで欲することはないだろうが」
「母のため? 命令されていたわけではないのですか?」
「さて、どうだろう」
少年は惚けて肩をすくめる。
「ひどく残念だ。やがて死にゆくか弱い獣を見るが如く、なんとも心に虚しさが宿る結末となってしまってね。つまり私は嘆いているんだ。多くの知識を得る機会が失われたことをね」
「何が言いたいのです?」
「今のがすべてさ」
とは言え何も情報らしい情報は語られていない。
するとエドは少年から興味を失い、城の中へ戻っていってしまう。
二人は別れ際に。
「そちらはあの本の虫ぐらいは接しやすくなるべきですね。まぁ、私が言うことではないでしょうが」
「助言はありがたく頂いておくよ」
と、言葉を交わして互いの道に戻った。
城下町に出たところで少年は、魔王城に目を向ける。上の階層……シャノンがいるはずの部屋を見て口を開く。
「長はいい標本だと思ったんだけど」
少年は心の内で、それまで考えていた
間もなく、新たな考えに口角を上げる。
「
彼はそう言って、鞄の中から黒い石を取り出した。
すると少しの苦笑の後、少年の身体が小刻みに震えた。
顔は上気し、悦楽に浸ったような蕩けた表情を浮かべていた。知識欲を収めるのに、これ以上の喜びはあるだろうか。
「そうか、長がイシュタリカを裏切る必要はない。今まさに長は、心の弱さを吐露したばかりなのだから……なら」
逆にしてしまえばいいだけのことなのだと。
「彼女がこれまでされていたように、周りから裏切られてしまえばいいだけだ! 心を許しかけたところでの変化はきっと――――」
必要な要素はいくらでもある。
それもまた甘美な知識となろう。
「いい。信じかけた相手から裏切られる……そこに投与するのも――――」
少年は――――若き日のオズはこうして笑った。
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