勇者との戦い[後]

 何が起きたのか探る前に、気が付くと目と鼻の先にセレスティーナの顔がある。

 アインの腹部を狙いすましたレイピアが、魔石砲より速く突きを放った。



 ――――『実力で排除します』



 先程の言葉がアインの脳裏をかすめ、ほぼ反射的に身体をひねる。



 躱した、が。

 服を掠っただけで肌を切り裂き、息をつく暇も無く二撃目を放つ。

 更に躱すも三撃、四撃――――と止まらない。



「今……忙しいんだよッ!」



 痛みが全く引かない胸元を握りしめたまま、アインが剣を横に薙いだ。

 風圧、風に乗った刃がセレスティーナに襲い掛かり、彼女は人知を超えた速度で防御に移る。

 最初から攻撃がくると分かっていなければ出来ない。

 自然とそう感じさせるだけの、天才としての資質を目の当たりにさせられる。



 それに、なんだこの痛みは。

 少しも引かないじゃないか。

 それどころか、痛みは増す一方だ。

 今が戦いの際中でなければ、膝をついて目を閉じたいぐらい。



 しかしそうしてもいられない。

 アインはセレスティーナの立ち位置を確認しようと、脂汗を拭い辺りを見渡した。

 すると。



「勇者って、こんなこともできるのかよ」



 苦笑いを浮かべ、吐き捨てるように言った。

 辺りは深く白い霧が立ち込めて、視界が悪い。

 真下にも霧が浮かび、雲の上に立ってるように錯覚した。



 遠くから「アイ――――様!」と、小さくもクリスの声が聞こえる。

 アインの下に駆けつけようとしているのだろうが、それがかなわない状況のようで。



「差し詰め、魔王討伐の舞台ってとこか」



 霧に触れると皮膚に痛みが奔るし、痺れも生じたのだ。

 それが辺り一帯に充満しているとなれば、一言で最悪と表現できる。



「挙句の果てには、根も何も出せない。身体も重くなってきてるか」



 笑いすらこみ上げる。

 力を封じられたのがほぼ確実で、圧倒的な不利。

 セレスティーナが実力で排除すると言ったのは、決して誇張でもなかった。

 だが、それでもだ。



 アインは少しの悲壮感も漂わせることなく、痛みに耐えて胸から手を離した。



「これで俺を倒せるって、そう思って排除するって言ったんだろうけど」



 少し、頭に来た。

 初対面で俺の何を知ってるんだと。

 自然とイシュタルを握る手に力が入る。



 黒い魔力が負けじと白い霧を掃い、アインの腕を覆う。



「驕るなよ――――天才ッ」



 もはや手加減不用の本気の踏み込み。

 セレスティーナの懐に入り、下から勢いよくイシュタルを振り上げた。



「ッ――!?」


「いなすのか……すごいな。けど」



 一歩、神速で退いたセレスティーナ。

 だがこれで終わりじゃない。

 アインとの間合いは変わらず。



「退けられると、それが許されると思っていたのか」



 追撃が振りおろされる、が、これもセレスティーナはギリギリで流す。

 しかし手元を襲う衝撃が完全には消えず、痺れを催した。



 キッとアインをにらみつけるも、意に介さずアインは剣を振る。



「排除します」



 あまり多くは語れないのか、セレスティーナが言葉の後に短剣を放り投げた。

 投擲は寸分の狂いもなくアインの眉間を狙う。

 それをアインは開いた手で掴み取り、間を置くことなく投げ返す。



 一瞬の攻防のあと、短剣は頭上に大きくはじけ飛んだ。

 白銀のレイピアが空を突くと、アインの胸元に届く衝撃波。



 アインは「チッ」と軽い舌打ちを漏らして、唇を噛む。



 舌打ちの合間すら見逃すことをせず、セレスティーナが今度は弓を手に持っていた。

 いつの間に、というか何処に持っていた?

 疑問は一瞬で消し去った。

 アインは放たれた矢を躱し、距離を詰める。



「どれもこれも、なんでそんなに腕前が天才的なんだよッ!」



 詰めるまでの間、放たれた矢は合計で八本だ。

 眉間、首、手首、核――――それらすべてを寸分の狂いなく突く弓撃。

 全てを対処したアインもアインではあるが――――。



「ッ……風よ」



 攻撃の手は止まず、アインの足元から生じた小さな台風。

 容易く片足のバランスを奪い、イシュタルを支えに立たざるを得なくなる。



「魔法もか、貴女はつくづくッ」



 天才なんだな! 言葉を飲んで攻撃に備えた。

 迫りくるレイピアが反射する光に、アインは真っすぐ腕を伸ばす。

 目を見開いて、受け入れる体制をとった。



 やってみろよという意思を乗せ、攻撃を待ったが。



「ッ!」



 セレスティーナは、アインが生み出した魔力を見てレイピアを引いた。

 どんな天才でもこの毒が怖いのだ。



 さて。

 双眸を細めたアインが考える。

 どうやって勝つべきかと。

 けど最終目標は、彼女から情報を聞き出すこと。

 だがこの劣勢をどう処理するべきか、今はこれが何よりも悩みの種で。



 魔力切れを狙う? 一瞬どうかと思ったが、無理な気がしている。

 塔や結晶から何か光を見に浴びていたあたり、魔力の供給を受けている気がしてならない。

 すでに一定の距離まで退いたセレスティーナが、レイピアに風を纏わせた。



「アレは真正面から受け止めたら痛そうだ」



 痛いで済めば楽なものだろう。

 笑って、空を仰ぎ見る。



「よし」



 でもやることは変わらない、アインが重い身体に鞭を打つ。

 迫りくるかまいたちに立ち向かい。

 頬を切りつける風を浴び、鞭を打った身体で駆ける。



 不意に、セレスティーナの姿を見失った。



「え――――」



 霧に同化して、あっという間にアインの視界から姿を消す。

 まるで最初からいなかったかのように消えたのだ。



 アインが何処に、と呟いた刹那。



「排除します」



 耳元で聞こえた声に、アインは完全に虚を突かれる。

 こんな経験は久しぶりのことで、思わず力ない「嘘だろ」と言う声を漏らした。

 やがて、レイピアが左腕を深々と貫通。

 アインは久方ぶりに感じた強い痛みと熱に、小さくうめき声をあげた。



 勇者が戦いやすいだけの舞台と、セレスティーナという張本人。

 きっと、彼女と戦う場合はこの舞台を整えさせてはいけないのだろう。

 今頃になって理解したところで遅いが、仕方ない。



 傍から見れば窮地に他ならない。

 が、アインにはやはり、悲壮感なんて少しも漂っておらず。



「消耗戦ほど情けなくて、無意味なことはないか」



 一方的に相手のいいようにされるばかりで、正直言って冴えない戦いだ。

 外で不安そうにしているクリスを想い、イシュタルを握る手に握力を込める。



 ところで、すでにセレスティーナは霧と同化していた。

 もう一度不意を突いた一撃を放つはず。

 アインはその不意を探ることをせず、脱力した身体で攻撃を待つ。



「――――」



 目を閉じ、すぅっと大きく呼吸した。

 五感を研ぎ澄まして、自らも霧と同化する勢いに。



 無抵抗の様子を見てか、セレスティーナの攻撃が先ほどに比べて遅い。

 早くしてくれ、じれったくもアインは冷静にじっと待つ。



 そして遂に攻撃が訪れた時、レイピアはアインの胸元に突き付けられた。



「待ってたよ」


「ッ!?」



 セレスティーナは言葉らしい言葉を発することなく、唐突に振り返ったアインに驚く。

 一方のアインは突き付けられたレイピアに手を伸ばして、先端を握る。だがレイピアの勢いは止まらず、されどアインの手によって先端が肩口を貫通した。



「いっ…………つぅ……ッ」



 言葉にするよりもかなり痛かったが、耐えてレイピアから手を離さない。

 これまで以上に身体に鞭を打ち、距離をとろうとするセレスティーナに手を伸ばす。

 彼女も当然、危機を察知しレイピアから手を離した。

 距離をとりながら矢を放つものの、アインはそれを避けようとせず、腕で受け止めながら距離を詰める。



 なんとも強引な手段だが、ひるむことのないアインとの距離が、ついに腕一本分まで狭まった。

 そして、アインの腕にまとわりつく例の魔力。



「苦労する戦いだったよ……ほんとにッ!」



 相手を殺すだけでいい戦いなら、もっと楽だったはず。

 今回の場合は相手が相手で、話を聞きたいことに加えクリスの姉を斃したくもない。

 だからこその手加減ではなかったが、限られた戦い方には苦労した。



 すべての苦労と痛みを無きモノとするため、アインの手がセレスティーナの右腕を握りしめた。

 じわっと流れ出る魔力が彼女の身体全体に流れ、目元から力を奪い去る。



 十数秒も経つと、戦う意思が全く見えなくなるまでに至った。

 だらんと腕を垂らした彼女を見てから、ここでアインはレイピアを肩から抜き去る。



「ぐ……ぁ……はぁ……あー痛い……とてつもなく痛い……」



 痛いと弱音を吐いて気を紛らわす。

 腕に突き刺さった矢も勢いよく抜いて、一瞬の痛みに耐えてからセレスティーナを見た。

 間違いなく毒が効いている。

 当然だ。なにせ魔王にも効く強烈な毒なんだから。



 話を聞いた後、解毒しても静かでいてくれたらいいなー。

 淡い期待を抱いて口を開く。



「セレスティーナさん? でいいのかな。取りあえず、話を聞かせてもらいたい」



 彼女が本物であるかは分かっていないからこその、窺い方だ。



「お――――した」


「え?」


「お見――――でした」



 小さく、聞こえづらい彼女の声。

 聞き直したアインが一歩距離を詰めると、



仮初、、は去り、いと尊き御身を称えましょう」


「いや、だからさっきから何を言って……ッ!」


「御身が望まれた証も還る。仮初に与えられた命はこれで終わりです」



 饒舌ながら、言葉の意味は少しも察しがつかない。

 これで終わりですと言った後、彼女はクリスを思わせる、柔らかで暖かな笑みを浮かべた。

 すると、周囲の白い霧がアインの身体に溶け込んでいき。



「なにを……ッ!?」



 セレスティーナの身体もまた、雲散していく。

 その霧までもがアインの身体に溶け込んでいくと、セレスティーナは最初からいなかったように姿を消したのだ。

 いくらか塔に向けて光の粒子が去っていったが。

 代わりに、身体中に漲る力からは、これまでとは違うオーラを感じてならない。



 まばたきを繰り返し、何があったのか訳も分からないアインの耳に、クリスの必死の声が届く。



「アイン様ッ! アイン様ァッ!」



 ……一先ず合流しよう。

 戦いは終わった。

 訳の分からない事つづきだが、確かに戦いは終わりを迎えたのだから。

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