ステータスカードと、少しの休息。

 トンッ、と背中を揺らした衝撃。

 アインに抱き着いたクリスが、落ち着かない様子で身体を少し、揺らしていた。



「――――心配かけちゃったね」


「ほんとですッ! 急に霧に包まれちゃうし……霧の中に入っても、どこにもアイン様たちがいなかったんですからね!?」



 なんだそれ、そんなことになってたのか。

 つくづく経験したことのない能力だったな、と、アインは軽くため息を吐いて塔を見上げる。

 いつの間にか不快感は消え去り、身体の不調もおさまった。



 クリスは姉のことは尋ねようとせず。



「…………カイン様とマルコですが、霧が出て間もなく地面に膝をつきました」


「今はどう? 大丈夫?」


「はい、辛そうですが、自力で立たれてましたから……」



 首だけ傾けたアインの視界に、崩れ去った多くの水晶が映った。



 水晶に加え塔から魔力、あるいは何かの供給を受けていたのは一目瞭然。

 セレスティーナは自身が扱えた以上の力を使っていたはず。

 傷を負ったアインがその証明であり、マルコ、そしてカインにまで影響を与えた。

 天敵と言える属性を持とうと、ここまでの戦果は通常であれば有り得ない、とアインは強く確信していた。



 ふと、クリスの手元にアインの血液が垂れた。



「……え? コレって」


「怪我しちゃっただけだから、大丈夫」


「なんにも大丈夫じゃないじゃないですかッ! ど、どうしてこんな大怪我を!?」


「レイピアで貫かれちゃったからだけど」



 それ以上に答えようがなかった。

 今では痛みが治まっていて、身体の頑丈さが身に染みる。

 ケロッとした態度で言ったアインに、クリスは涙目できつく抱き着いた。



「どんな罰でも受けます――――ごめん、なさい」



 彼女は謝罪の言葉を口にして、身体を弱弱しく揺らす。

 誰のせいで怪我をしたのかは察しがついたし、それなら自分が謝らなければと考えたのだ。

 しかし。



「アレはセレスティーナさんじゃないよ。あるとしても、精巧に作られた偽物って言葉が正しいと思う」



 そう言って、先ほどの会話を思い返す。



「自分のことを仮初って言ってた。俺がシャノンの、赤狐の力を使ったときに、最後は良く分からない言葉を残して消えちゃったんだ」


「消えた、ですか?」


「そう。霧になったと思ったら、俺の身体に入り込んできたからさ」


「……私の魔石は要らないって言ったくせに、姉のことは吸ったんですね」


「え、ここで嫉妬するようなことある?」



 あまりの乙女らしさに、アインは思わず振り返った。

 しかし、クリスが抱き着いているせいで彼女の身体とは向き合えない。



「あははっ……冗談です」



 こんな時にクリスが冗談を言うとは。

 とは言え彼女も不安だったわけで、緊張の糸が切れてしまったのだろう。



「疲れちゃった?」


「そんなはずないじゃないですか。アイン様はもっと疲れてるんですよ」


「クリスの場合、精神的にって前置きが付くけどね。俺もまぁ……うん、それなりに疲れたけど」



 直近で言えば、黒龍戦ほどの疲れではない。

 セレスティーナは確かに強敵だったが。



「これでへこたれてたら、なんで強くなろうとしたんだって話だし」



 すると、アインはクリスの手をほどいて振り返る。

 憔悴しきった彼女は俯いていて、アインは優しく笑みを浮かべ、手を伸ばした。

 伸ばされた手は髪の毛を静かに撫で、言葉はいらない。

 小さく「ごめんなさい」という声が聞こえたが、アインは答えず、撫でつづけた。



「本当はもう少し様子を見て回る予定だったけどさ、それは取りやめよう」



 しかし空が暗くなってきた。

 夜だろうと空を飛ぶのは問題ない、ロランはそう説明していたが……。

 朝になってから王都に帰っても遅くない。

 アインは心に決め、クリスの手を引いて歩き出した。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 王都――その城内に敷設された、診療室の一角。

 貴重な治癒魔法の使い手のバーラがベッド横に座り、上半身に包帯を巻いた、王太子アインの治療にあたっていた。

 俯せに寝たアインの背中に、彼女の眩い魔力が注がれている。



「みんな大げさだってば……」



 翌日、すぐに王都へ帰ってきた飛空船。

 明らかに何かあったのだ、それを察知して城内は騒ぎに陥った。

 けれども、アインやクリス、マルコの皆を見ても異常がない。

 異常が見つかったのは、アインがポロッと傷のことを漏らしてからだった。



「――バーラ、余の馬鹿孫の様子はどうだ?」


「へ、陛下!?」


「そのままでよい。で、どうなのだ?」



 唐突にやってきたシルヴァードからは、呆れた様子がありありと伝わる。



「深い傷ではありましたが、殿下のお身体はすでにほぼ回復しておりました。なので私は、傷跡が残らぬようにと治療を……」


「……ならばよいのだ。苦労かけたな」



 さて、シルヴァードが居住まいを正して言う。



「そなたの振る舞いに深い感謝をしよう。――――して、少し時間を貰いたいのだが、よいか?」


「え、あ……はい。お言葉のままに」



 二人に頭を下げて席を外したバーラ。

 彼女が座っていた場所に、代わりにシルヴァードが腰を下ろした。

 大股を開き、太ももの上に肘を置いて頬杖を突く。



「随分と頑丈なようだな、アイン」


「自慢なんです。昔から風邪一つひきませんでしたし」


「毒素分解による影響もあろうがな」


「――――否定はしません」


「できるものか馬鹿者が。クリスから聞いたが、随分と無茶な戦いを繰り広げて来たそうだな」


「チクられた……」


「もうよい、下手な前置きはよすとしよう」



 シルヴァードの双眸が細められた。



「これはマルコから聞いたことだが、セレスティーナの姿をした者が斃れてから、周囲の地面が元に戻ったと言うのは誠であるな?」


「ええ、全体ではありません。けど塔の周囲近く以外は元通りでした」


「まったく、余の想像の範疇に無いことだらけではないか」


「奇遇ですね、実は俺も何です」


「……結果的にアインを派遣したのが正しかった、というわけか」



 結果は結果であるものの、シルヴァードは納得したくなさそうだ。

 そりゃ、王太子を派遣しなければならない事態は、国王としては避けたいに違いない。

 ヒゲをさする仕草に哀愁が漂う。



「ステータスカードを」


「はい?」


「ステータスカードを見せよ。余に、今すぐにだ」


「別にいいですけど……急ですね」



 アインはベッドに横になったまま、すぐ傍に置いていた外套の懐を漁る。

 手に取ったステータスカードをまずは自分で見た。



 ◇ ◇ ◇ ◇


  繝槭Ν繧ッ繝サ繝輔か繝ウ繝サ繧、繧キ繝・繧ソ繝ェ繧ォ


[ジョブ] 繧ィ繧、繝ヲ繧ヲ繧ェ繧ヲ


[レベル] 839


[体 力] 29411


[魔 力] 2335


[攻撃力] 1848


[防御力] 2953


[敏捷性] 1572

 

[スキル] 繝ヲ繧ヲ繧キ繝」


 ◇ ◇ ◇ ◇



「…………え?」と言葉を漏らし、まばたきを繰り返した。

 目元をこすると。



 ◇ ◇ ◇ ◇


 アイン・フォン・イシュタリカ


[ジョブ] 暴食の世界樹


[レベル] Unknown


[体 力] ask


[魔 力] ask


[攻撃力] ――


[防御力] ――


[敏捷性] ――

 

[スキル]暴食の世界樹、孤独の呪い、魅惑の毒


 ◇ ◇ ◇ ◇



 何かの間違いだったのか、元通りだ。

 怪訝な様子で眺めていたシルヴァードへと、そのままステータスカードを手渡した。

 彼もまた、ステータスカードの異常がないことを確認すると、小さく息を吐いてカードを返してくる。



「勇者の力でも吸ったのかと思ったが、杞憂であったか」


「ちなみに吸ってたらどうしてたんですか?」


「どうもせん。魔王と勇者は共存できるのか時になっただけだ」



 明らかにそれで終わるはずがないが、アインはそれならばと目を細めた。



「ひとまず、次の調査までは時間を置こうと思う」


「ええ、それが良いと思います」


「であろう? 一応、例の結晶化は止まったわけで、範囲も狭まったわけだ。アインが行く前に、今度は研究者たちを派遣することとした」


「じゃあ俺は――――」


「とりあえず、あの二人の婚儀まで静かにしているのだぞ?」


「……ですねー」



 アインは枕に顔を預け、疲れを癒すように目を閉じる。

 その様子を眺めていたシルヴァードは、心の内で、アインへの感謝とねぎらいの念を募らせた。



「そう言えば、マルコはどうでしたか?」


「どうってことない。カイン様と同じく、立てるようになってからは何の問題もなかったそうだ。一応、バーラが診察もしている」


「なら安心しました」



 あとはクリスの心のケアだったが。



「オリビアが言っておった。クリスのことは私に任せてください、とな」


「お母様が?」


「ああ。余もオリビアが適任だと思う。オリビアなら、クリスの心に残った衝撃を取っ払うことは容易だと思うが」



 確かに、言われてみればその通りだ。

 アインは素直に頷き返す。



「何も心配することはない。アインはアインの成すべきことを成したのだから」



 優しい言葉に、思わず瞼が重くなった。

 どっと押し寄せた疲れにより、いつの間にか意識を手放す。

 最後、シルヴァードはバーラを呼び寄せ、治療の再開を依頼する。

 頭を下げられたバーラは、声に出さず身振りでその仕草を止めたのだった。


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