勇者との戦い[前]

 何か、酸で溶かされたような不穏な音。

 カインが持つ大剣――その先端が少しずつ宙に溶ける。

 彼は舌打ちをして、背中から数本の幻想の手を生み出した。



 ――――が。



「ははっ! こんな馬鹿なことがありえるのか……!?」



 魔力を用いて作られたすべてが、瞬く間に白いオーラに包まれ、浄化されていった。

 問答無用、この一言に尽きる結果だ。



 一方でマルコの剣は少しも影響を受けず、セレスティーナに切りかかる。



「おかしな力だッ! マルク様ですらそれほどの力はなかったというのに……貴方の身体にある魔力と釣り合あっていないじゃないか。どんな仕掛けなんでしょうね……ッ!」


「…………」



 マルコの剣は実直で清らか。

 清流のように静かでありながら、長年の積み重ねに裏付けられた鋭い一筋が特徴的だ。

 しかしセレスティーナは劣ることなく、捌いて見せる。



 時にレイピアで流し、時に短剣を抜いて反撃を繰り出す。

 器用で手数が多く、目を見張る戦い方を繰り広げていた。



 一方のカインは茫然としながらも、周囲の様子を窺う。



「私たちの身体が重いのは、周囲の水晶のせいか」



 時折、セレスティーナの身体が鈍く光るのだ。

 それは数秒ごとであったり、あるいはマルコと厳しい凌ぎ合いを交わした後に発生する。

 マルコの身体が重くなるのとほぼ同時に、水晶もまた光を発していた。



 背後では三人の戦いを眺めつつ、アインがクリスをかばうように肩を抱く。



「アレはお姉ちゃんじゃありません……ッ。匂いも顔も、身体つきだってお姉ちゃんです! 力だって剣だって、踏み込み一つとっても振り二つで、勇者の力だってお姉ちゃんそのものですけど…………別のナニカにしか見えないんですッ!」


「……ああ、俺もそう思う」



 すると、クリスはレイピアを抜き立ち上がった。

 瞳に宿す力強さに、アインは思わず見とれてしまう。



「今のお二人になら、私の方が速さで優れます」


「多分そうだろうけど……戦う必要があるのかって話がある」



 撤退して、別の観点から調べることなどができる。

 わざわざ危険に身を投じる必要はない、そんな考えもあったのだが。



「ダメですよ、もう無視できる状況じゃなくなっちゃってますから」



 クリスはそう言って背後を見た。



「ほら、この地形が広がっていってるんです」


「――――なるほど、面倒なことになってるわけね」


「ええ、みたいです」



 地面が結晶化し、地面から突き出た水晶が更に姿を見せつける。

 加えてセレスティーナの身体に向かう光の粒は、これまで以上に量を増していた。



「私も戦います。お姉ちゃんによく似たナニカを止めないと、この地形が広がってしまうかもしれません」



 どうあっても無視できる話ではない。

 けれど、アインが一緒に戦う事を許してくれるだろうか、という不安が心のうちに生じた。

 大きくため息を吐いたアインが、彼女の頭に手を置いたのはすぐのこと。



「無理はしないこと。いい?」


「ッ――――はい!」



 戦線に加わった二人は、瞬く間に戦っていた二人を追い抜き、セレスティーナとの距離を詰める。

 途中、アインがカインと目配せを交わした。

 突き出た水晶をチラッと見て、駆けて行った。



「マルコ、悪さをしてる水晶に八つ当たりしに行くぞ」



 彼はあっさりとこの場の不利を認め、悔し気と言うよりは面倒くさそうにその場を離れた。

 連れ添ったマルコも同じ様子でありながら、アインを心配するような瞳を二度、三度ほど向けてから走り出す。



「アイン様のお身体は大丈夫ですか?」


「まぁ、正直言うと気だるいし、割と本調子じゃないけど」



 ふっと笑い、持ってきた新たなイシュタルを抜く。



「負けるつもりは無い――――ッ」



 大振りに構えられた大剣を見て、セレスティーナはこれを期と距離を詰めようと一歩、踏み出した。

 だが。



「ッ!」



 まばたき一度分の間を置き、彼女はすぐに距離をとる。

 次の瞬間、真横を通り抜けた全てを破壊する風。



「な、なんですか今の!?」


「イシュタルが強化されたからじゃないかなーって……いや、俺もこんなに強くなったと思わなかったんだけど」



 今日までこれほど振り回す機会は無かった。

 驚いても仕方のないことで。



「町ごと吹き飛ばせそうな一振りなんて聞いてないですってば!」



 とは言え驚くべきことは他にもある。

 威力を見極め、察知しよけきったセレスティーナの凄さだ。

 更に、辺りの結晶が大して破壊されていない事。

 随分と頑丈らしい。



 塔ごと壊れないかなー、なんて期待していたアインからすれば驚きに十分、驚きに値したのだ。



 二人が言葉を交わしていると、少し離れた後ろの方から聞こえた音。

 ガラスを割ったような、パリィインという乾いた音が響いてくる。



「やっぱりね」



 ニヤリ、アインがほくそ笑む。

 音が響いた後、すぐに身体が少しだけ軽さを取り戻した。

 手を何度も握って、握力にも違いを感じる。



 隣を駆けるクリスはその様子を眺め、心に決めた。



「近くの水晶も割ってしまいます! その方が私たちみんなにとって都合が良さそうですから!」



 ついさっき、一緒に戦うと言ったばかりなのに。

 彼女なりの葛藤は強かったが、今、アインのために何が出来るのかが重要だった。



「ん、りょーかい!」


「あーあとあと! アイン様も無理したらダメですからね!」



 じゃあ、私も少し暴れてきます! 最後にそう言ってクリスも離れる。

 頑丈にも程がある水晶を砕くのは大変だろうが、彼女の振る舞いは頼もしさを感じさせた。



「さって、と」



 セレスティーナ――――らしき女性を止める手段はいくつもあるが、どうするべきか。

 出来れば身体の自由を奪って話がしたい。

 それが出来るかどうかは別として、命を奪うような結果は正直、避けたい。



 一定の距離を保ち、アインが一歩進むとセレスティーナが一歩下がる。

 さっきの邂逅で剣の間合いまで見抜いたのかと、アインは天才の資質に口角を上げる。



「ここで何をしてるのか、何が起こってるのか。話を聞かせてもらえますか?」


「――――立ち去りなさい」


「よっし分かった。会話らしい会話は難しそうだね」


「もう一度だけ警告します。この場から立ち去りなさい」


「そうはいかないんだ。この領域が広がってしまうと、他の地域にも影響が生まれる。不安を抱く民は増えるし、この辺りの不思議な環境は周辺に影響を与えるはずだ」


「…………」


「無理やりにでも話を聞かせてもらう。それが駄目なら」



 トン、トン、つま先で地面をつく。

 交わされた静寂は数秒に満たない短い時間ながら、数十分にも感じられる緊張感。

 息を吐くのと同時に、アインがセレスティーナの背後をとった。



「忌まわしい力を使ってでも、話を聞かせてもらおうか」



 黒い魔力。

 されど桜色の魔力がそれを包む、なんとも毒々しい色合いの魔力がアインの手を覆う。

 まだ振り返れていないセレスティーナの首筋へと、その毒が静かに忍び寄った。

 しかし。



「さすが勇者、この力にも抵抗があるのか」



 以前、魔王すら操った歴史を持つ力だと言うのに。

 それすらも弾くとは、なんて強い能力なのだろうか。



 ふと、アインの太ももに向けての一閃。



『ヒヒィ……ヒァァアアアアアア――――ッ!』



 一閃の正体であった短剣は届くことなく、地面から生まれたマンイーターがセレスティーナごと食む。

 地上数十メートルまで伸びていき、大げさに口を動かし、咀嚼するように顔を動かした。

 アインはその様子をじっと見つめ口を閉じる。



 セレスティーナがこれで死ぬはずがない……確信だったのだ。

 証明するように、マンイーターが真っ二つに切り裂かれ、セレスティーナが地上に舞い降りる。



『ハァ…………ハッ』


「不貞腐れるなって、別にお前が弱いわけなんじゃないからさ」



 今度はアインの首筋から、小さな一輪の花として姿を見せた。

 慰めの言葉を受け、マンイーターが姿を消す。



 つづけてアインは手のひらをかざし、先ほどと同じ魔力を手元に宿す。



「その勇者の力を弱らせて、意地でも話を聞かせてもらうからな」



 これが一番、他の何よりも情報を得られる手段のはず。

 やろうとしてることに苦笑いが込み上げた。



「はぁ……魔王と勇者の戦いで、魔王が勇者を操ろうとしてるなんて……我ながら悪役じゃん……」



 けれど、もはや無視できないことも事実なのだ。

 アインは真っすぐセレスティーナを射抜いて、剣を構えた。

 するとセレスティーナが立つ床がじわっと光を漏らし、彼女の身体を包み込む。

 時を同じくして塔からは、光の粒子が降り注いだ。



 え、何それ?

 アインが様子を窺っていると、光は徐々に治まっていったが。



「貴方は実力で排除します」



 短めの一言の後、辺り一帯を白いオーロラが照らす。

 何か嫌な予感がするなー、アインが訝しそうに見つめていると。



 ドクンッ、と強く胸元が脈動し、その痛みに思わず胸を強く抱いた。


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