研究成果と。
間もなく、部屋の扉がノックされる。
「ッ――誰だニャ!? お父様以外なら入ってもいいニャッ!?」
「……なんだこの猫」
強烈な意思表示だ。
ただ、仮にやってきたのがシルヴァードだった場合、今の言葉は無視されるだろうが。
カティマも分かってるはずだが、言わねばならない性なのかもしれない。
『カティマ様、私です』
「ニャーんだクローネかニャ……お前も半分ぐらい敵ニャけど、入っていいニャ」
「え、えぇ……失礼します」
苦笑して執務室に足を踏み入れたクローネ。
彼女もまた、この一年半で更に魅力的に成長していた。
少女らしさが徐々に消え、オリビアのような艶やかさが増している。だが、可憐さが消え去ったということではなく、彼女の笑みは常にアインを魅了する。
歩き方、そして指先の動きまでが洗練され。
英雄と謳われる王太子の婚約者として、誰もが認める才色兼備。
真紅のワンピースを難なく着こなし、白銀と
アインの隣に腰を下ろし「お帰りなさい」と口にして、零れんばかりの笑みを湛えた。
「ただいま。クローネはどうしてここに?」
「私は陛下に頼まれていたことが――」
「ニャんだニャッ!? やっぱりクローネは敵だったのニャ!? 半分じゃないのニャ!?」
「ごめん、気にしないでつづけていいよ」
「……陛下に頼まれて、カティマ様の進捗を尋ねに来たの」
「ニャアアアアアアアアッ!?」
ガンッ! ガンッ!
と、カティマが不満げに机を叩く。
王女らしさの欠片もない。
「別に一周してるんだし、そんな慌てなくてもいいんじゃ」
「気持ちの問題だニャ!」
なんて理不尽なことだろう。
アインはため息を吐き、隣に居るクローネにごめん、と口の動きで伝える。
「でも、いつの間に一周もされていたんですか? その、我ながら、たくさんの資料をお渡しした気がするんですが」
「んなもん決まってるニャ。私は勉強するとき、最初は徹夜から入るっていう信念があるのニャ」
「自信満々に言われても訳が分からないんだけど」
「知らんニャ。私の勉強方法って思っておいてくれたらいいニャ」
だが、一夜で終わるような分量ではない。
「四徹ぐらいかニャ。一通り流さないとやる気にならないからニャー」
身体を存分に痛めつける方法はどうかと思うが、その根性だけは立派にもほどがあった。
なんだかんだと、カティマは王族としてふさわしい努力が出来る人物だ。
振る舞いに問題があろうと、発言が王女らしくなかろうと。
どんな貴族より努力することができて、時には命を投げ出す覚悟で困難に立ち向かう。
クローネは進捗に安心したようで、安堵した声で言う。
「私が問題ないと判断したら休んでいい――陛下はそう仰っておりましたよ」
「ッ!? 外に出てもいいのかニャ!?」
「ええ、でも城を出るときは護衛を連れて行ってくださいね」
「ニャアアアア! こうしちゃいれんニャ! 大通りの出店を制覇するぐらいの勢いだニャ!」
するとカティマは逃げるように去っていく。
去り際に見せた顔は、今日一番の輝きを浮かべていた。
残された二人。
家主が消えた執務室。
俺たちも部屋を出ないと、そう考えたアインが立ち上がる。
不意に、座っていたクローネがぐっと手を引いた。
「どうし――」
どうしたの? 尋ねる前に唇が重なる。
小さな吐息と甘い香りがアインの鼻腔をくすぐり、脳を溶かされそうな甘美な感覚に浸った。
時間にすると十数秒か。
「アイン……ん……っ……」
貪るように求められた後。
離れてからアインが見たクローネの表情は幸せそうだった。
目じりはトロンと垂れ、頬が軽く上気している。
くすっと笑み、少し恥ずかしそうに小首をかしげた。
「自分からしたのに照れたの?」
「……私がこういうことに慣れたとでも思った?」
クローネはそう言って立ち上がると、アインと腕を絡ませる。
彼女の胸元がアインの腕に密着した。
アインの腕に彼女の鼓動が伝わってくる。
「慣れるのは無理だと思うの。アインが素敵だから」
珍しく、いや時折言われることはあったが。
こうして直接的に伝えられると、アインもさすがに照れくさい。
照れ隠しにクローネの腕を一度だけ強く引いた。
執務室を出て、そのままの格好で廊下を歩く。王族が住まう階層とあって、ここまで来てしまえば騎士が立っていることもなく、しんと静まり返っている。
「クローネって、午前中はシュトロムに行ってたんだっけ?」
「ええ。アインはここ数週間行けてないものね」
「お爺様の手伝いが忙しくてね。覚えることだらけだよ」
「ふふっ、未来の国王陛下だもの」
近頃の公務はシルヴァードに付き従うことが多い。
仕事らしい仕事は少ないが、代わりに覚えることが多く、一度で理解しなければならないことだらけだ。
「あっちでは何かあった?」
「ううん。いつも通り平和だった――あ、一つだけ気になる話があったの」
彼女は上機嫌に笑い、しかしアインに言い聞かせるように告げる。
「教えてあげる。でも予定を無視してシュトロムに行きたい、なんて思ったらだめよ?」
「……りょーかい」
「もう、返事までの間が空きすぎじゃない」
確約できないのは性格ゆえだ。
だが無理は言わない、だから許してほしかった。
「それでそれで? 何があったの?」
「分かったわ。教えてあげる。あのね――」
◇ ◇ ◇ ◇
ところ変わって、同時刻のシュトロムだ。
街の片隅に設けられた大きな研究所、そこに併設された工場によく似た建物内。
そこに漁師が持つ船より二回り大きい船があった。
船の前に立つ三人の男女が居た。
「教授ッ! 教授ッ! ついに……ついに完成したんですね!」
と言ったのはロラン。
自慢の犬耳と尻尾を元気に揺らし、白衣を着たルークにじゃれついた。
ルークと言えば、学園時代はアインたちの担任をしていた男だ。
「あ、あぁ……まさか本当に完成してしまうとは。これが感無量というものなのだろうな」
二人の視線の先にある船はただの船じゃない。
黒龍の素材を用い、最新の技術を乗せて作られた飛空船だ。
一隻目はテストを兼ねている。
だから外観はあまり気を使ったものではなく簡素だ。
そのため、一見すればただの船に見えるはず。
しかし言うまでもないが、イシュタリカの長い歴史の中でも、他の誰も到達しえなかった特別な技術の塊だ。
その証拠に、船は数十センチほど宙に浮いていた。
「……すごく眠いわ」
そう呟いたのは銀髪のエルフ、シエラだ。
当初は黒龍の素材について助言役として来たはずなのに、どうして別のことまで手伝っているのだろう?
彼女が抱いた疑問への答えは簡単だ。
なぜなら彼女はとても頭が良く、発想の鬼ロランの補助をこなせたからだった。
「ご、ごめんごめん! シエラにも付き合わってもらってたもんね……」
「あのね。私たち、もう三日も寝てないのよ? なのにどうして貴方たちは元気なのよ」
「だって飛空船だよ!? 空を飛ぶんだよ!?」
「ああ。ロランが言う通りだ。優雅に空を飛ぶ船が出来たのだから、寝てなんていられるはずがない」
「あーそうね。貴方たちってそういう人種だったものね」
半ば呆れたように言うと、シエラは弱々しい歩きで研究所の方へ向かって行く。
「ロラン、いつも通り貴方のベッドを借りとくから。私が起きて来るまで入ってこないでね」
「分かった分かった。部屋は好きに使っていいからさ」
「……じゃ、私はまた後で戻ってくるわ。貴方たちも寝たほうがいいわよ」
彼女の背中から漂ってくる空気。
例えるならば、商会に十何年も従事して来た受付嬢のようだ。
こなれすぎており、お局と言うには少し違う。
「で、ロランはどこで寝るんだ?」
「え? ボクは飛空船の中で寝ますけど」
なるほど、そう来たか。
さすがのルークも苦笑した。
「毛布ぐらいは持っていくんだぞ」
「分かってます。あーでも楽しみだなー……あと何個かの試験が終わったら、王都に持っていってアイン君にも見せてあげないと」
と言ってすぐ、ロランは大きな大きな欠伸を漏らす。
ふと、彼の白衣の懐から、丸められた紙が地面に落ちた。
「何か落ちたようだが」
「あ、ほんとだ」
「なんだそれは? 透けて見える絵を見るに、何かの設計図のようだが」
待ってましたと言わんばかりにロランが笑みを浮かべる。
「飛空船が出来上がったら、ボクの人生の集大成として作りたかった船があるんです。これはその船の設計図なんですよ!」
「ふむ……見てもいいかな?」
「はい!」
ルークが紙を広げると、そこに描かれていたのは巨大な建築物だ。
だが、ロランは確かに船だと言った。
建築物の形は縦長だ。そしてそれは宙に浮いている。
渦巻きを横から眺めたときのように尖っている。頂点にはいくつもの翼のような物が付けられていて、傘のように本体を囲っていた。
加えて多くの兵器らしき存在もある。
作り話に出てくる天使のようで、どこか龍にも見える不思議な外観だった。
「これが船だと?」
「そうです。リヴァイアサンを超える重量を誇り、さらに巨大で、半永久的に空を飛べる飛空戦艦です。ボクが考える理想をすべて詰め込んだ結果、この形にたどり着きました」
まだまだ夢物語のような話だ。
しかしロランが言うと、いつしか実現しそうな気がしてならない。
「いずれ黒龍の素材すべてを使って作りたいんです。それで、ボクが死ぬ前にアイン君に渡したい――これが今のボクにとっての目標です」
「……悪くない。聞いていて夢のある話だ」
ふっ、と笑ったルークは更に尋ねる。
「船の名は何という? 君のことだ、もう決めているのだろう?」
するとロランは晴れやかな顔でルークを見た。
彼の想いには少しの迷いもない。
努力で多くを成し遂げて来た
「勿論です。この船の名前は」
ロランが覇気のある声で言う。
「この船の名前はバハムート。――黒龍艦バハムートです」
と。
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