ディルとの語らいと、アインの依頼。
この日の夜、涼し気な海風が吹く港地区にアインは居た。
桟橋にのんびりと腰を下ろし、隣には金色のケットシーが控えている。彼もまたカティマ同様に疲れを感じているのか、ヒゲはだらんと垂れ下がっていた。
「ディル。疲れてる?」
「ッ――疲れてなんておりません! どうして疲れることがありましょうか!」
ディルがはっとした面持ちで答えたものの、ヒゲは垂れ下がったままだ。
「いや大変でしょ、実際」
「……いえ、そのようなことは」
「俺がイシュタリカに来た時は大変だったよ。ディルは王族入りするわけじゃないけど、嫁入りする相手が第一王女なら、ディルだって色々と勉強させられてるでしょ」
思い返すと幼い頃は苦労した。
港町ラウンドハートで勉強していなかったわけじゃないが、伯爵家の廃嫡長男から、日を跨いですぐに大国の王太子になったのだ。それまでと違う勉強をして、未来の国王になるためにアインは育て上げられた。
だからこそ、今のディルが感じている苦労を知らないわけがない。
「だからさ、別に大変なことを隠す必要はないと思うよ」
そうは言ってもだ。
ディルは迷い苦笑して言う。
「とは言え」
頷いたのかと思いきや、
「アイン様との旅に勝る苦労はございません」
屈託のない笑みを浮かべてディルは言った。
一方のアインはきょとんとして、唇を尖らせてこめかみを掻く。
「反撃されちゃったよ。はぁ……未来の叔父上は厳しいらしい」
「お、叔父――ッ」
「だってそうでしょ? ディルがカティマさんの夫になるってことは、関係で言えば俺の叔父にあたるわけだし。なんかこう、悪い意味じゃないけど変な感じするね」
「ですが……私はいつまでも臣下ですので」
「うん。頼りにしてるよ」
ザァ……と森のさざめきと違う海の音。
辺りには二人のほかに誰も居ない。
この周囲が軍港を兼ねた一角ということもあり、探せば見回りか、残業していた者がまばらにいるぐらいだ。
頭上を見上げると満天の夜空。
二人がゆっくりと語らうには絶好の場所だった。
「一つ聞いてみてもいい? 答えたくなかったら答えないでいいからさ」
「ええ。どうなさいましたか?」
「カティマさんのどこに惚れたのかなーって」
決して聞くことが禁忌に触れるわけじゃない。
ただ、今日まで何となく聞くことができていなかった。
するとディルは「なるほど」と頷いて、少しの間考え込む。
好きな場所を探してるのか? あるいは、言葉を選んでるのだろうか?
いくつかの予想を打ち立てたアインだったが、答えはそのどれでもない。
口を開いたディルは笑っていた。
「例えばアイン様は、クローネ様たちに気持ちを寄せている理由――これを即答できますか?」
「おぉ……そう来るか」
アインはその言葉に強い納得感を得た。
惚れてる理由を述べろと言われても選び切れない。
そんな感情が二人の間で共有される。
月夜に照らされたディルに対し、アインは以前のディルの容貌を重ねた。
以前は純粋な人として、まさに美少年然とした姿が評判だった、グレイシャー公爵家の跡取り。
今となっては金色のケットシーだ。
だが、ケットシーの価値観で言うと、端麗な容姿は変わりないそう。それにアインから見ても金色の
(これ以上聞くのは無粋か)
二人は惹かれ合った。
アインはこれ以上を考えず頷く。
ふと。
「アイン様」
ディルは真剣な面持ちでアインを見た。
黙って顔を向けたアインへと、ディルは勢いよく頭を下げる。
「遅れましたが、お詫びいたします」
「え、は……はい?」
「主君を差し置いて家庭を持つこと。これは推奨されるべき行いではありません」
(全く気にしてなかった……)
だが笑い飛ばすことも失礼だし。
と、返答に困ったアインは水面を見つめた。
それに、ディルはそう言ったものの、第一王女の方が嫁ぐのが早いのは当然のこと。決して謝罪するようなことではない。
「――カティマさんと幸せにね」
だから簡潔にこう答える。
心からの願いで、これ以上は望んでいない。
ディルは感極まった様子で俯いた。
がしがしと勢いよく目元を拭うと。
「今の私には夢があるんです」
顔を上げ、晴れやかな表情をアインに向けた。
「いずれ私に子供が出来たとき、その子をアイン様の御子の騎士に育てたいのです」
「俺としては、義務感に囚われないで欲しい気持ちもあるよ」
「そう仰らないでください。私の傍にいれば分かるはずです。我が主君がどれほど偉大な方で、御子に使えることがどれだけの栄誉であるかと言うことに」
ディルは両手を広げ、天を仰いで語る。
「以前、カティマ様とも話したことがあるんです」
「今のことを?」
「左様でございます。私たち二人に育てられれば、アイン様、そしてアイン様の御子に仕えたくなるだろう、と」
「そう思ってくれるだけ、立派な人物であろうと思ったよ」
「ははっ、何を謙遜なさいますか」
今のアインが感じているのは照れくささだ。
これほど直接的に湛えられると、さすがに照れるのを止められない。
「やれやれ」
と肩をすくませてくすっと笑う。
相変わらず、自分に仕えてくれている騎士はすごい騎士だ。仲間に、そして臣下に恵まれていることをひしひしと感じる。
「さてと」
アインが満足した様子で立ち上がる。
二人は肩を並べ、城への帰路を歩きだす。
「そろそろ帰ろっか。遅くなりすぎても怒られちゃうし、ディルも勉強があるんだよね」
「い、いえ! 私のことはお気になさらず……!」
「駄目だって。今のディルの仕事は勉強することだよ」
「……護衛の任務を外れている事、大変申し訳ありません」
「大丈夫。――でも不思議なんだけどさ、今、俺の護衛って一人も居ないんだ。黒騎士たちもディルたちの婚儀の件で色々仕事が詰まってるし、クリスもそれなりに忙しいみたいだし」
苦笑したアインは思う。
ついに護衛を付けない判断をされてしまったのかと。
とは言え、半分は冗談だ。
シルヴァードは決して油断するような男ではないし、今回の場合は慌ただしいからという理由がある。
婚儀の件が落ち着き次第、すぐに護衛は戻ってくるはず。
「陰にウォーレン様の手の者がいるようですが」
聡く気が付いたディル。
以前は気が付けなかったその気配も、今の実力なら容易であった。
港の端、住宅街に差し掛かったところでアインが立ち止まる。
「俺はちょっとムートンさんのとこに寄ってくるから。また明日ね」
「失礼ですが、ご乱心されてますか?」
「え……?」
「はいそうですか、と答えて別れるはずがございません。お付き合いいたしますから」
「い、いいってば! 別に大した用事じゃないし、ディルの勉強の時間だって」
「なりません。お供いたします」
当たり前のことだ。
アインは今、護衛が居ないこともあって少し感覚が鈍っていたのだろう。
結局二人でムートンの工房へ向かう。
住宅街となれば人はそれなりに歩いている。
普通に歩く王太子を見て、王都の民は驚いたり、慌てて膝を折って頭を下げた。
気にしないでくれ、手を軽く振って口の動きで伝えてしばらく。
数分で到着したムートンの工房には灯りが付いていた。
「ところで何の御用が?」
「すぐにわかるよ。実は前々から依頼してた仕事があるんだ」
と言って、アインは工房の扉をノックした。
『おうおうおう! 誰だこんな時間に!?』
『ししょー! 食べながら話すとおかずが飛んで……ッ!?』
『あぁん!? なんだてめぇ! 好き嫌いはすんなって言ってんだろうが!』
『ち、ちが……そうじゃなくて!』
今日もにぎやかだ。
アインは動じることなくドアノブに手を掛ける。
「開けていいみたい」
本当にいいのだろうか。
困ったように小首をかしげたディル差し置いて、アインは工房の扉を開けて中に入る。
「ムートンさん、連絡貰ったから来たんですけど」
「あぁん!? 殿下じゃねえか! それならそう言えってんだよエメメ!」
「ししょー! 私は関係ないと思うんです!」
「ってわけだからよ、適当に座ってくれよ」
ムートンとエメメの二人は食事中だったようで、工房に置かれた丸いテーブルには多くの料理が並べられている。
魚、肉、野菜、まんべんなくあったが量は十人前はくだらないだろう。
アインは返事を聞き、ムートンたちの向かいの席に腰を下ろした。
「よっしゃあああ! エメメ! 例のあれ持ってこいやッ!」
「おっす! 持ってきちゃうっす!」
ばさっ! ばさっ! 翼を大きく羽ばたかせ、エメメが工房の奥にある炉へ向かった。
ほどなくして運んできたのは小さな樽だ。ただし普通の樽ではなく、外見には彫金といくつかの魔石を施してある、異様な樽だ。
「殿下の剣の加工なんか目じゃない苦労だったぜ」
「ありがとうございます。早速ですけど、中を拝見してもいいでしょうか?」
「いいぞ! でもこぼすんじゃねえぞ!」
すると、ここでディルがアインに尋ねる。
「……アイン様。これが依頼していたという?」
「そ。お爺様の退位が決まった年から頼んでたんだけど、やっと出来たみたい」
間違いなく武器に属するものだ。
一年以上前かの計画だったのかと、察したディルはため息を吐く。
「それ以上お強くなられてどうするつもりですか?」
「あー……どうしても
「ぎゃ、ぎゃふん……」
談笑している二人へと、ムートンは大口を開けて笑いかけた。
「がーっはっはっはッ! そいつの中身を使って殿下の剣を強化するってわけだ! いやー苦労したぜ?」
ムートンは巨大な骨付き肉を片手に陽気な声色。
骨付き肉を掲げ、満足そうに呟く。
「しっかしまぁ。ほんとーに苦労したぜ……黒龍の頭蓋、それにマルコの抜け殻を加工するのはよ」
その言葉を聞きディルは絶句した。
まさかその新たな素材をアインの剣――イシュタルに使うのか?
戸惑うディルの横。
アインは樽の蓋に手を掛けた。
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