今日も賑やかな王太子邸。

 訓練場に足を運んだアーシェは閉口した。

 いつものんびりとした表情を浮かべるばかりの彼女が、今は目を細め、白い氷のように固まったマルコの姿を見て近づく。



「……この剣、貴方が渡したの?」



 アーシェがマルコが掲げる大剣を指す。



「はい。渡してすぐ、少し話してから急にマルコが――」


「私、昨日言ったと思う」


「えっと……?」


「剣をマルコに渡したら賑やかになると思うって言った。その通りになったってだけだよ?」



 賑やかとはかけ離れているのだが、と。

 アインは目を白黒させ、アーシェを呼んできたディルもまた戸惑いを隠しきれず腕を組む。



「心配しなくても大丈夫。マルコは繭の中に入っちゃっただけ。少ししたら勝手に出て来るだろうから、叩いて真っ二つにしたら駄目だよ?」


「頼まれてもそんなことしませんけど。え、じゃあ大丈夫なんですか?」


「うん。分かりやすく言うと、マルコは進化しようとしてるだけ」



 進化? 思わずアインは開口してまばたきを繰り返す。



「お城に帰る前にいいものが見れた。お兄ちゃんとお姉ちゃんに自慢する」



 アーシェはそう言うと、のろのろとゆっくり屋敷に戻る。



「アイン様、マルコ様はその、無事らしいのですが」


「……進化だってさ。どうしよっか」


「い、いやどうするもなにも、お待ちするほかないのではないかと」


「とりあえず、屋敷のみんなにこのことを伝えよっか。マルコは大丈夫だから見守るって」


「承知致しました。黒騎士から代わりで見張りをしたほうがよろしいでしょうか?」


「あー……そうだね。マルコが進化し終えた時、誰も居ないのは避けたい」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 興味津々に耳を傾けるグラーフに対し、アインはその後の話を語る。



「二日は経たなかったと思います。俺が寝てた深夜に、カーテンの隙間から朝日と違う真っ白な光が差し込んできたんです」



 すると、ベッドから飛びあがったアインは外套を羽織り部屋を出た。

 訓練場に足を運ぶと、真っ白に固まっていたマルコの甲冑の背中に一筋の亀裂が生じたという。



「アーシェさんが繭って言ってたその通りでした。亀裂が開いていくと、普通の人のような肉体のマルコがゆっくりと出て来たんです」



 磨かれた肉体は歴戦の猛者そのもので、無駄がない細身ながら筋肉質な体つき。

 鋭利に研いだように老成した顔つきと灰色の髪、漂わせる気品は忠義に生きたマルコそのものだったとアインは語る。

 その後どうなったのかと言うと。



「みんなに説明するのが苦労するかなって思ったんですけど、アーシェさんも口添えしてくれました」


「なるほど。また随分と稀有な現象が発生していたのですな」


「急いで進化したマルコの服を用意して――希望が動きやすい燕尾服だったので、城の御用人に頼んだんです。手甲を付けたままなのは、マルコ自身がそれを望んでいるからですね」


「……いや驚くばかりですな。して、マルコ殿はデュラハンに進化なさったのですか?」



 グラーフが知る系統で言うとそうした進化になる。

 しかし。



「違うんです」



 アインは首を横に振り答える。



「アーシェさん曰く、『デーモン』っていう魔物らしいんです。おとぎ話にでてくるような、悪魔と呼ばれる種族の魔物です」


「ふむ、儂も耳にしたことがない。しかし悪魔と言うと力強い魔物なのだろうな」


「みたいですよ。マルコ本人も身体中に漲る力に喜んでましたから。でも、カインさんには勝てないって言ってました」


「ほうほう……しかし急な進化でしたな」


「――マルコなりの、新たな忠義の尽くし方らしいです」


「ほう? というと?」


ただの騎士、、、、、として尽くせる忠義では足りない、と」



 ならば別の道を模索するしかない。

 執事のように仕えるという道、それがまだ残されていたのだ。

 だが、鎧の身体で執事らしく仕えるというのも、格好がつかないというより何か違う。



 マルコには少し憧れがあった。

 騎士としての誇りを下げるようなものではないが、例えば自身が別の生き方を選んでいて、燕尾服を着て主君の傍に仕えていたらどうだろう? こんな憧れだ。

 やはりそれには無粋な鎧の身体が障害で、わざわざするべきことじゃない。



「あくまでも自分は騎士だって言ってました。ただ、新たな姿でやれることが増えただけだって」


「……マルコ殿らしい言葉でありますな」


「ははっ――そうなんです」



 すると間もなく、そのマルコが茶の用意を終えて足を運んだ。



「お待たせいたしました」


「マルコ殿、その燕尾服が似合っておりますな」


「これはこれは。お誉めにあずかり光栄です」



 今まで見られなかったマルコの笑み。

 ウォーレンのような好々爺然としたところや、騎士の凄みを失っていない趣深い笑みだ。



「実はマーサ殿に弟子入りしたのです」


「っていうけどマルコ。元から作法は十分だったんだし、マーサさんは言うことないってさ」


「その言葉は喜ばしいですが、私はまだまだですので」



 いずれ、アインの身の回りの世話はマルコ一人いれば十分だろう。グラーフは心の内で思うと、洗練された動作で茶を淹れるマルコを見て呟く。



「クローネの出番も少なくなりそうですな」



 するとマルコは「いいえ」と答え。



「お考えのときが来るのは、クローネ様がお世継ぎを宿された頃の話です」



 アインがえ? と驚くが、二人の尊老は気にすることなく会話をつづける。



「言われてみれば、その際にマルコ殿が身近にいてくれるのは祖父の儂からしても有難い」


「確実にマーサ殿もお力添えをくださいましょう。しかし、私は護衛としても控えることが出来ますので」


「良いことだ。未来が明るいようで何よりであるな」


「あの、二人とも? 気が早いと思うんだけど」


「――何を仰るのかと思えば。アイン様、私は十三で妻と婚儀を終えましたぞ。息子のハーレイは貴族にしては遅めの十八でしたが、その年にクローネを儲けておりますゆえ」



 今年、いや近々やってくる誕生日でアインは十六歳になる。

 一方のクローネは十九歳で、言ってしまえば、貴族の常識では行き遅れに差し掛かるはずだ。

 王族と貴族を一緒くたにすることではないものの、それを言えば、王族の方が婚姻は早い。



「アイン様は王太子の責任を理解されているであろうが……やはり臣民としては、何の憂いもないお世継ぎを求めたい」


「……っていうと」


「国が落ちるまでのハイムもまた、世継ぎの数は四人と少なかった。イシュタリカにおいては、シルヴァード陛下のお子は三人だけ。ところがそんじょそこいらの貴族であろうと、世継ぎが五人以上いることは決して珍しくない」


「グラーフ殿が仰ることは一理ございます。イシュタリカと言う大国ですので、人は多い方が良き方に向かうでしょう」



 いつの間にか世継ぎの件について話しが進んでいく。

 アインはどうしたもんかと苦笑するが、彼らが言うことが分からないわけではない。



「わ、分かってるから!」


「あまり第三者が言うことでもないかと思いましたが、いや、クローネとの間のヤキモキさせる感覚を長い間見せつけられた身としては、少なくとも、儂が生きている間にひ孫は見たいと思いますな」



 善処します。この返事も違う気がして、アインは何も言わず頷く。



「とはいえアイン様の場合は他の王族と違います。偏に、その寿命という話がございますので」


「あの、マルコ? それって」


「国王が退位するのは年齢が大きな理由ですが、アイン様にはそれが無いようなものですからね。と言うよりも、世界樹に寿命があるのかすら分かりませんので」



 ゆえにアインによる統治が長い間つづくのではないか、という話しだ。



「うーん、でも俺は多分退位するよ。子供がいるはずだから、子供に王位を渡すと思う」



 その後はどうだろう、何をするんだろう?

 近しい者たちと王都を離れ、旅行をしたりなんでも出来る時間になるかもしれない。だが、その頃になると自分の知り合いが寿命で先立っていると思うと、心がきゅっと痛んだ。



「――いずれ未来の話ですな。何はともあれ、我らはアイン様の統治とお世継ぎをお待ちしておりますぞ」



 グラーフはそう言って持って来た鞄に手を伸ばす。



「アイン様の時間をこれ以上頂くのも忍びない。そろそろ仕事の話を」



 と、彼が行ってすぐのことだ。

 広間の扉が軽くノックされ、足を運んだのはさっき話題に出ていたクローネ。



「あれ、クローネ?」


「急にごめんなさい。お仕事の話、もうはじめちゃってたかしら?」


「これからだけど、どうしたの?」


「ふふっ……ならちょうどよかった」



 すると彼女は足取り軽くアインの傍に向かい、アインの面前で手を伸ばした。



「ん?」



 何かあったのか? 

 気になったがアインは彼女の手を取り、滑らかな手触りに引かれるまま立ち上がる。



「お爺様とのお仕事の話、私がこのまま引き継ぐわね」


「あの、急にどうしたの?」


「秘密よ。いいから、アインは疲れてるんだからお休みしてて。ね?」



 驚かされたのはグラーフ、そしてマルコも含めた三人だ。



 アインはクローネに向けられた可憐な笑みに負け、彼女に背中を押されるまま歩き出す。



「休んでてって言われても……!」


「オリビア様がマーサさんと一緒にお茶を飲んでたから、よかったらそこでゆっくりしてて。大丈夫よ、心配しなくてもお仕事は私に任せて」



 やはり今日の彼女は強引だ。

 結局、アインは広間を去りオリビアの下へ向かうはめになる。

 彼が去ってすぐ、クローネはアインがさっきまで腰を下ろしていた席につく。



「お爺様」


「はぁ……急にどうしたのだ」


「お仕事の話の前に、一つご協力いただきたいことがあるんです」


「儂に協力を、だと?」



 クローネはそう言って、くすっと嫣然とした笑みを浮かべた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ところ変わって屋敷裏手。

 訓練場そばの植木と色とりどりの花々が植えられた場所にクリスが居た。



「……どうしよう」



 一つ、彼女には悩みがある。

 近々やってくるアインの誕生日について、何を贈ればいいのかという悩みだ。



「ううぅ……アイン様が欲しいもの。アイン様が喜んでくれるもの……」



 例えばアインが平民ならば話は違ったろう。

 王太子ともなれば、城や屋敷で豪奢なものに囲まれ、欲しいものはすぐに手に入る。

 アインは物欲が強い方ではないが、何かを強く欲しがっている節もない。



「どうしよう、なんにも思い浮かばない。うぅー……!」



 頭を抱えること数十分は経っている。

 そんな彼女を見かねてか、あるいは偶然見かけてなのか。



 ガサッ、ガサッ。



 近くの生け垣が不自然に揺れたのだ。



「だ、誰ですかッ!?」



 恥ずかしい姿を見られたかもしれないと、クリスは頬を真っ赤に染め上げる。

 しかし、やってきたのはそんな羞恥心は必要のない相手だった。



「ふっふっふー……私の出番だニャ!? そうなのニャ!?」



 やってきた駄猫は毛皮に多くの葉を纏わりつかせていた。



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