二十四章 ―戻った平穏とアインの誕生日と―

燕尾服のデーモン。

 執事という存在はどこの屋敷にもいておかしくない。それが貴族の家ならば当然のように存在し、彼ら執事の仕事ぶりで家の格を判断されることもそう少なくないのだ。

 それはイシュタリカでも同じことだが、シュトロムにあるアインの屋敷では少し事情が異なる。

 あくまでも執事と言う存在が使用人として幾人か務めているものの、いわば、屋敷の主人付きの執事という存在はいない。



 アインの屋敷で使用人を束ねる役割を務めているのはマーサだ。

 幼いオリビアの面倒を見て来た使用人の中では重鎮で、王都の城内でも上から二番目の地位にある。

 屋敷にいてはアインの手伝いをすることもあるが、本来の執事がするような仕事はしていない。



 だが、アインにはクローネがいた。

 アインと恋仲にありながら、傍仕えの立場の彼女こそが執事に最も近い存在だ。



 ――しかし。

 生まれは大公、育っては国中の陸運を支えた大貴族であったグラーフは一つ思うことがあった。



「殿下のような方に執事がいないのは問題であるが……」



 アインがシュトロムに帰ってから一週間が経つ。

 少しずつアインの誕生日の支度などが進む中、商会の用事で足を運んだグラーフが呟いた。



 昼下がり、重要な客が足を運んだ際に主人を迎える信頼に厚い執事。

 グラーフの場合、数十年来の付き合いであるアルフレッドが居たがアインは居ない。強いて言うならば、マルコと言う老騎士が迎えに来ることがそれに近いが彼は騎士だ。



 決してアインに対して不満があるわけじゃない。

 しかし、どこか小さなところから、アインが貴族に舐められることは気に入らない。

 いずれ人材を紹介するべきか? いや、王家に対し無礼であろうか。



 戸惑うグラーフが屋敷の中から使用人が現れるのを待って数十秒。



「――お待ちしておりました。グラーフ殿」



 グラーフの下に足を運んだ一人の老紳士が居た。

 短く整えられた灰色の髪、鼻の下に生えたひげは丁寧に整えられ、黒一色の燕尾服を優雅に着こなす。

 立ち居振る舞いは見事なもので、思い返すと、クローネを連れてイシュタリカに来た際、城の使用人らに驚かされた時の新鮮な気持ちがよみがえった。



「広間にてアイン様がお待ちでございます。さぁ、どうぞ中へ」


「う、うむ……」



 ふと、グラーフは老紳士の腕に目を奪われた。



「……手甲、か?」



 老紳士の右手を覆う漆黒に艶めく重厚な手甲。左の手元は純白の手袋で覆われ、胸元に手を当て頭を下げる仕草は見事なものだった。

 グラーフは尋ねる。



「見事な手甲であるな」


「光栄です。我が主よりいただけた力の発端、お誉めにあずかりこれ以上の喜びはございません」


「ほう。主より――つまり殿下に授かった代物であるか」


「仰る通りです」


「その手甲はさぞかし名の知れた鍛冶師の品であろう? ムートン殿であるか?」



 すると老紳士がははっと笑った。



「こちらは自前でございますので」



 と。

 合点のいかないグラーフはとうとう、アインが待つ広間の扉前に立つ。

 答えらしい答えを得られぬままだ。



 部屋の中で待っていたアインがソファから立ち上がる。



「グラーフさん。来てくれてありがとうございます」


「いや、儂の方こそ世話になるばかりですな。今日もよろしく致す」


「あははっ、それじゃ早速お話をさせてもらいますね――マルコ、グラーフさんにもお茶を」



 マルコはどこにいる? グラーフがそう思ってすぐ。



「畏まりました。アイン様」



 隣に立っていたはずの老紳士が答えた。

 アインと返事をした老紳士の間で視線を忙しなく往復させ、老紳士が去ってすぐだ。



「で、殿下ッ!? 今の執事がマルコ殿だと……ッ!?」


「はい。そうですよ」


「あっさりとお返事なさるが……いや、少しの間足を運ばぬうちにいったい何が……」


「……実は急な話なんですが」




 ◇ ◇ ◇ ◇



 時は遡り、アインがアーシェに礼を述べた日の翌朝だ。

 石畳を敷かれた訓練場にて、呼び出されたディルとマルコがアインの前で膝をついている。




「ディルにはこの剣を。いつもありがとう」


「ほ、本当によろしいのですか!? これほどの名剣、私のような騎士が――」


「俺の大切な騎士なんだから、そう卑下しないでほしいんだ」



 下賜するならば相応しい舞台があるかもしれない。

 例えば城、その謁見の間なんかは他のどこよりも相応しいだろう。

 しかし言い方を変えれば、シュトロムの屋敷は今のアインにとっての城だ。



「なんと軽い剣でしょう……それに切れ味も」



 流麗な動きで剣を振って感触を確かめたディル。

 振り下ろした石畳は、剣閃によって切り裂かれた。



「我が家宝に、生涯の誇りでございます」



 こうまで言われるとアインも気恥ずかしいが、喜んでくれたなら何よりと言葉を返した。

 ディルは鞘を腰のベルトに携え、受け取ったばかりの剣を添えた。



 次にアインが手に取ったのは大剣、これを渡す相手は勿論マルコだ。



「マルコにも受け取ってほしい」


「……恐れながら。私はそれほどの名剣を頂ける功績を成したと思えません」



 二人の剣を作ろうと決めたのは、赤龍討伐などが成し遂げられる前だ。

 今では、マルコならば赤龍討伐などの褒賞として扱えるのだが、彼は大したことじゃないと固辞する姿勢を見せる。



「褒美らしい褒美を与えていなかったのは、イシュタリカ王家として謝罪するべきかもね」


「アイン様……? それはいったい――」


「旧王都で数百年も城を守っていてくれたこと、だよ」



 マルコがカインより受け取った指令書は、マルコが数百年もの間ずっと持っていた品である。

 その後、全てをしったアインが足を運んだ際に、任務の終了を告げられるまでずっとだ。

 マルコにとって褒美らしい言葉はいくつも贈られたといえ、やはり上に立つ者としては形に残る褒美を与えたいという想いがある。



「イシュタリカ王家として、俺個人からもマルコに感謝してる。数百年の仕事に対する褒賞としては弱いから、また今度別の何かを渡すつもりだけど……でも、この剣はマルコに受け取ってほしい」



 真剣な瞳、透き通った穢れのない双眸がマルコに向けられる。



「――ッ」



 受け取らぬ恥は受け入れられない。主君の心意気を知らずして何が忠臣か。

 仕える主を持つ者の至高、下賜される武具はすべての誇りに勝る――忠義に生きる騎士マルコは、生まれてこの方感じたことのない緊張を全身に帯び、震える両手を掲げた。



「この老躯、これほどの喜びに耐えうる言葉を持ち合わせておりません」



 ならばこれまで以上を欲する。

 マルコの甲冑を走る筋が膨張し、青緑色のエネルギーが突如として流れ出す。感極まった、そんな安いものでは決してなく、これまで以上の忠臣を尽くさねばという彼独特の感情だ。

 今日という日までの忠節が、霞むだけの何かを示さねばならないと。



 掲げられた両手に向け、新たに打たれた大剣が与えられる。



「……マ、マルコ?」



 刹那、さきほどまで全身を震わせていたマルコの動きが止まる。筋を奔るエネルギーもまた鳴りを潜めた。



「アイン様ッ!? マルコ殿が――ッ」



 マルコの全身が徐々に凍り付くように白く変貌する。

 ガチッ――カリッ……。氷に水を掛けたときを思わせる乾いた音。



「ディル! 急いでアーシェさんを! 早くッ!」


「はっ!」



 慌てて走り出したディルに目もくれず、アインはマルコの様子に目を細めた。


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