赤龍殺し【後】

 漆黒の鬣(たてがみ)を風に靡かせ、赤龍に負けじと筋肉を震わせる黒馬。

 全身が鎧、それも黒馬に劣らぬ巨躯のマルコを乗せていながらも、その走りはどの馬よりも雄々しく優雅だった。



 近寄るマルコを見て、赤龍が宙で停止する。



『ガァッ――――ッ』



 警戒の度合いは海龍の双子を見た時と同じか少し弱い。

 すでに進化の途にあるエルとアルの方がマルコより強い可能性の示唆か、それとも、赤龍という炎を主力とする龍と海に生きる海龍の相性の悪さゆえか。

 なんにせよ、赤龍にとってマルコは格上に他ならなかった。



「随分と覇気がないではないか――赤龍」



 余裕、その一言を漂わせていたマルコは、その内心では一かけらの油断もない。

 忠義に生きる、これまでの経験で加減をするという意識は少しもないのだ。



 黒馬が掛けるたびに砂ぼこりが舞い、徐々に狭まる両者の距離。

 マルコの全身を奔る筋が赤黒く点滅し、手元に向けて液体を吸い上げる管のように隆起する。黒々とした鎧は傷一つなく輝いて、黒馬と一つの生き物になったかのように赤龍を錯覚させる。



 離れた箇所でバッツが見守るなか、ついにマルコが剣を構えた。



「いったい、どうやって空に居る赤龍を倒すって言うんだ……?」



 マルコの武器は剣だ。

 上空に浮かぶ赤龍との距離は、決して剣の間合いで届くわけもない――が、あくまでも人知が関与するところまでの話。

 ハイム戦争に参加し港町ラウンドハートへ向かった騎士ならば、カインという、自分たちでは理解の追い付かない剣の実力者の事を知っている。



 固唾を飲んで駆ける皆を傍に、



「見下ろされるのは好みじゃない……まるで私が、貴様に仕えているようでいい気分ではないからな――ッ!」



 彼らしい言葉を口にし、薙ぎ払うように横へ剣閃を放つ。

 風を切り、あたりの砂ぼこりが舞い上がり巨大な三日月を模した。

 その迫力はカインやアインに劣っていようとも、洗練、老成された剣はどこか雅やか。バッツや騎士らはその光景に思わず見とれてしまう。



『ガァ……。――ッガ……ァ……ッ!?』



 目に見えぬ剣筋が空を切り裂き、上空の赤龍の翼に到達する。

 片方の翼の翼膜に傷をつけられた赤龍は、生まれてはじめての身体の不均衡さに驚き、身体を傾け高度を下げる。

 するとマルコは手元に込める力を更に高めた。



「暴れまわりブレスを吐く余裕はないはずだな? そのために今まで消耗させたのだから……さて」



 分厚い蹄が地面を踏みしめる音が赤龍に近づきつづけ、ついにマルコにとっての間合いに入る。

 赤龍はまだ上空数十メートルにありながら、すでにマルコが数歩でも進めば剣で攻撃できる絶対的な間合いだ。

 マルコはそこで手綱を引いて黒馬を止めると。



「私は昔、貴様よりも巨大な鳥を相手に戦ったことがある。戦い方は単純だ」



 地面に降り、カシャン……と鎧を擦らせ空に飛んだ。

 言ってしまえばただのジャンプではあるが、体躯に宿る力強さであっという間に赤龍の高さへと到達する。



「こうして身体にしがみついてしまえば問題ないだろう? 優雅ではないが、忠義のためにそれを捨てねばならんときもあるのだから」


『ガァアアアアアアッ――――ッ!?』


「剣で突き刺されたのもはじめてだろうが……私も、空を飛ぶ龍とこうして戦ったことは過去にない」



 翼をはしる軟骨に剣を突き刺したマルコはそこを足掛かりにしがみつく。

 そのまま翼に腕をかけて上がると、赤龍の巨躯の背に少しずつ近づいたのだ。



「う、うぉおおお……マジかよアレ……!?」



 遠めに居るバッツにも分かる。

 あんな戦い方、自分たちには絶対に不可能だ。鍛え上げられた騎士であろうと、振り払おうと死に物狂いの赤龍の力に勝てるはずもない。



「やっちまえ旦那ァッ!」



 耳のいいマルコはその声を聞き笑う。



「勿論……加減なんてする気はございません」



 足場は悪い、だが上段に構えた剣はゆるぎなく赤龍の首筋をみやる。

 すぅ……っと深く呼吸をしたのもつかの間、自身の力で作られる大剣を少しの手加減もなしに突き刺した。

 しかし。



「む」



 マルコが感じた不可思議な硬さ。

 見立てでは自分の攻撃力で十分のはず――だというのに、突き刺さった剣はそう深くない。

 耳に届く『ァァァアアアアアアッ!』赤龍の声は確かに悲痛に満ちていたが、マルコはこの一撃で首を切り落とすつもりだったのだから。



「そうか、貴様は魔力を吸うことが出来るのだったな」



 マルコの剣は物質ではなく、あくまでも魔力を媒体とした剣。

 以前、自身の頭をアインに献上したが、そうした体躯とはまた別の話。



「とはいえ、そう問題ではなさそうだ」



 魔力が奪われたのも感じた。ただそれ以上にダメージが大きいのだ。

 圧倒的優位は決して変わらずマルコにあり、赤龍は死の恐怖に全身を猛らせる。



「恐らく貴様と私の相性は悪い。つまり、アイン様と黒龍は最悪に近かったのであろう……だがアイン様は勝利なさっている、私が全身で感じている。なればこそ――」



 マルコの全身が魔力に満ちあふれる。



「この私が苦戦することは不義だ。貴様が息絶えるまで剣を振ればいいだけのことッ!」



 再度振り上げ、更に勢いよく振り下ろされるマルコの大剣。



『ガァッ――――ァ――――ガァァァアアアアアッ!』



 吹き出す血潮に怯まぬ一突きに。



『グゥウウウッァアアアアアアアアアッ!』



 決死の振り払いに左右されぬ二突き。



『ガァ……ァ……グェェアアッ……ッ』



 最後に、主君への忠義を果たさんと力を込めた三突き目だ。



 赤龍の首筋から噴き出す赤黒い体液は増す一方で、マルコによってつけられた傷跡で首の骨まで露出した。

 口元が弱々しく震え、赤龍の瞳から光が消え瞼が徐々に閉じられる。

 もはや落下するように高度を下げ、羽ばたく力は皆無と言っても過言ではない。



 地面に衝突する少し前、マルコがとどめの一撃を振り上げる。



「団長は天を割る。この私にそのような芸当はできないが……」



 今日一番の力が込められた両手が青紫色の魔力を放つ。

 月明かり眩い夜空の色を思わせる、バッツが見たこともない純粋な魔物ネームドのオーラだった。



「代わりに披露しよう。この私は大地を割ることぐらいなら出来るのだ――ッ!」




 額に生える枝分かれした二本の角を目掛け、一直線に振り下ろされたマルコの大剣。

 首筋に刃が届くと同時に、赤龍が轟音を立て地面に落下した。

 ただ、その轟音が赤龍の落下によるものだったのか、マルコによる剛剣が波及させたものかは不明だ。



「ッ――おいおいおいおいおい……!?」



 遠くではバッツが、そして彼に率いられる騎士のすべてが呆気にとられた。

 地面に追突した赤龍の首が向いた方角、頭から離れた箇所の地面が深く抉られた地割れ。濃霧のような砂ぼこりが収まって間もなく、赤龍の巨躯の隣に立つマルコこそが勝者なのだ。



 やがて自然と舞い上がった歓声の声によって、バッツは大口を開け白い歯を露出させる。



「はーっはっはっはっはっ! なんだありゃ……旦那ってやつはほんと……なんて強い騎士なんだよ……ッ!」



 皆が馬を走らせマルコが居る方角へと向かう。

 マルコもそれを止めず、皆がやってくるのを赤龍の傍らで待つ。

 間もなく、近づいたバッツが口を開く。



「旦那ッ! すげえもの見させてもらったぜッ!」


「それはなによりです。いやはや、優雅ではない剣でしたが……相性というのは仕方のないもので」


「なに言ってんだっての……それで、赤龍はもう死んでるってことで?」


「勿論です。もはやこの亡骸から命というものは感じらません。アンデッドの私が言えば信憑性も高いでしょう?」


「ははははっ! そりゃ確かに、言うとおりだ」


「では、皆で少し休憩にしましょう。その後、この亡骸を本国へ運ぶために用意を」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 マルコが派遣されたことが大正解だった。

 無事に赤龍討伐が終了し、討伐隊が休憩をとりながらも歓喜に沸いて間もなく。

 赤龍の傍に立つマルコがある一点を眺めて腕を組んでいた。



「旦那?」



 何をしているのかと気になってバッツが尋ねる。



「何を見てるんで?」


「……額にある黒い石ですよ。少し、いえ……私にとっては多くの因縁がありますので」


「因縁……?」



 それ以上を語らぬマルコから視線を反らし、バッツも赤龍の額を眺める。

 頭の大きさは自分たちが両腕を広げるよりも巨大で、先日のときよりも大きく成長している赤龍。



「割ってもいいのですが、果たして、何も気にせず割ってよいものか迷っているのです。何か面倒な――ハイム戦争のころのように、瘴気でも漏れ出したら面倒ですので」


「瘴気が漏れるってのはヤバいと思うが……割った方がいいものなんで?」


「経験上、確実に破壊した方がよいものと理解しております」


「……なるほどなあ」



 深く語られぬことに加えそもそも内容の察しがつかず。

 バッツは頬を軽く掻いて小首を傾げた。腕を組んでマルコの横顔を見たと思えば、横たわらる赤龍の間で視線をうろつかせる。



「一応、拘束系の魔道具も閣下から受け取ってるんですが」


「やめておきましょう。あくまでも物理的に、決して魔力を介さぬやり方で縛る方が良いでしょうから」


「んじゃま早速、全身縛り上げていきますか……と」



 そろそろ休憩を終わりにもちょうどいい頃合いだろう。

 バッツが声を上げ、地べたから腰を上げた騎士たちが赤龍を取り囲み、鎖や綱などを用いて全身を縛り上げる。

 ふと、バッツは気になった。



「別にあの黒い石に何かあったからって、赤龍が生き返るなんてことはないんですよね?」


「……」



 静まり返ったマルコから漂う気配にバッツが息を飲んだ。



「私は適切な答えを持っておりません。ただ、あの黒い石が赤龍の自由を奪い、言うことを聞かせるための道具なことは分かっておりますが」



 意識を取り戻すかもしれない、この意味で言えば可能性はあるとしか答えられないのだ。

 現在の赤龍は、ハイム戦争当時のハイム騎士のように死兵のような存在ではない。ではあと一段階、狂ったように息を吹き返す可能性は捨て去れず……。



「一度縛り上げるのを中止にします。皆には距離をとっていただき、私が奴の黒い石を破壊いたしましょう」


「ああ、分かったぜ。じゃあみんなに伝えて――」


「当然ですが、バッツ殿にも離れてもらいますので、そのおつもりで」


「……あー」



 マルコに背を向けたバッツは苦笑した。



「俺の装備だったら瘴気程度なら耐えられるんだ。下級とはいえ貴族だし、父上から贈られた装備はそれなりに高級品だからさ」


「なりません。仮に瘴気に耐えられたとしましょう。万が一赤龍がなんらかの意思を持って暴れた時、私がバッツ殿を守り切れる保証があるとは限りませんよ」


「そんなことは気にしちゃいないさ。俺だって、陛下――それにアインに頼まれてここに来てる」



 英雄願望とまではいかずとも、バッツの心に宿った猛々しい心は鳴りを潜めない。

 マルコは察した。

 こうした態度と言葉を発する相手と言うのは、力づくで言い聞かせるしかない。とは言え、若い騎士の心を潰してよいものかと迷いを募らせる。



「俺はまだアインになにもしてやれてない。頼むよ……旦那」


「しかし、功を求めるために不相応な危険に身を晒すことは、ただの蛮勇でしかないのですよ」


「かもしれないな。けど、俺がこんなことからも逃げてちゃーよ、父上にだって顔向けできないんだ」


「聞くところによると、クリム男爵の器は大きい」


「……旦那。俺は逃げたくない。騎士として、そしてアインの友人として恥ずかしいことはしたくねえんだ」


「決して恥ずかしいことではないかと。バッツ殿はまだ成長途中にあるのですから」



 いくら言い聞かせても頑ななバッツ。

 やはり、当身でもして意識を奪っておくべきだろうか? それぐらい、バッツの意思は強い。



「俺は命がなくなることも覚悟してここに来てる。だってのに、おんぶにだっこで全部頼んでちゃ……な」


「軽々しく命を捨てる何ていうものではありません。それが許されるべき状況ではなく、バッツ殿はまだその立場にないのだから!」


「ッ――けど俺は騎士なんだ!」


「……」



 痛いほど気持ちが分かる。もし、もしも自分が同じ立場だったら同じことをしただろう。

 マルコは口を閉ざし、少しの間考えた。



「……何かあればアイン様が悲しまれる、しかし」



 この時間も無駄で、早く距離を空けて黒い石を破壊したい。

 結局、マルコは少しの迷いの後に承諾してみせる。



「約束を守っていただきます。私から離れないこと。今だけはこの言葉を、陛下の言葉より重い言葉として受け止めていただきたい」


「お、おお? いいのか!?」


「はぁ……私も甘いということです」



 するとマルコはバッツの肩に手を置いた。



「何かあった時は――年配が若者を守ればいい。それだけのことでしたから」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 間もなく、他の騎士たちはバッツとマルコから相当の距離を取った。

 赤龍の亡骸の傍に立つ二人はいくつかの打ち合わせをし、マルコが宙に剣を召喚する。



「瘴気で気分が悪くなったら言いなさい。私が急いで吸収しますが、間に合わなければ走って逃げるのです」


「お、おう!」


「では早速、破壊することに致しましょう」



 剣を突き刺すように構えたマルコは、言うや否やすぐさま剣を前に押し出した。

 パリィン、ガラス片が飛び交うような音と共に、黒い石があっさりと破壊される。



「……」



 目を細め見守るバッツが中腰で構えていた。



「旦那、なにも起きねえみたいだが……」


「いえ……やはり仕込まれてたようだ」



 辺りの空気が竜巻上に吸い込まれる。その先は赤龍の額だ。

 バッツは特に感じなくとも、マルコは身体から魔力が吸い込まれていくのを感じ、大剣を振り下ろすために構えた。

 だが、その次の刹那。



『ハッ……ハッハハハッ……ハァ、ハァ……イィィィイイイイイ――』



 耳をつく鳴き声にバッツが咄嗟に耳を覆った。

 赤龍の雰囲気は何かに狂わされたように奇妙な声で、



「バッツ殿ッ! 離れるのですッ!」



 マルコが大声で指示を出すほど、それなりの活力にあふれていた。

 慌てて走り出したバッツだったが――不運なことに、床に散らばっていた鎖に足を奪われる。



「なっ……うおわッ!?」



 次にまばたきをした時には、バッツの身体が宙に浮いている。

 鎖は既に赤龍の身体に巻き付けられていたのだ。

 瞬く間に羽ばたき空に向かう赤龍を見て、マルコも力を込めて空高く飛ぶ。



「バッツ殿、大丈夫ですかッ!?」


「お――おう! まだ生きてるぜッ!?」


「それは結構だ……!」



 バッツは鎖につかまり宙ぶらりんになり、マルコが翼膜をよじのぼり鎖を引く。

 もうすでに、鎖を切って地面に落ちてよい高さにはない。



「俺、高いとこ苦手だったみたいだ……ッ」


「軽口を叩けるのなら十分です! さぁ、まずはこっちにッ!」


『イィイイ……ハァ……』


「うお――ッ!?」



 うつろな瞳の赤龍は何を思っているのだろうか。

 身体中からどす黒い空気を漏らし、辺りを我が物顔で飛びはじめる。



「瘴気……バッツ殿!?」


「大丈夫! 父上からいただいた装備でなんとかなるらしい! 心配かけて申し訳ない!」



 強風がバッツの身体を強くあおったが、鎖を腕に巻き付けたバッツが何とかこらえる。



「あまり気は乗りませんが仕方ない……魔石を割りますッ!」


「魔石を!? 赤龍のか!?」


「ええ! 本当はアイン様に献上したかったのですが、こうなってしまっては優先順位が違う!」


「分かった! なら俺も――」


「バッツ殿はここで……いやしかし、ここでしがみついているのも……ッ」



 目に見えないところにいられるより、多少の危険があろうと自分の隣にいてもらうほうがいい。

 判断したマルコが近くから鎖をもう一本引き寄せ、強引にバッツの胴に結び付けた。



「……いいですか。一切の恐れを捨てるのです」



 マルコの言い聞かせるような頼もしい声。



「これよりバッツ殿は、この私と共に、ある異名を得るために武勇を披露せねばなりません」


「異名……?」


「そうです。現代のイシュタリカにおいて、他の誰も持ち得ていない特別な異名を……!」



 マルコの先導のもと、バッツが赤龍の背中を四つん這いになって進む。

 腰に携えていた剣を抜いて分厚い鱗に差しながらだが、もうすでに刃こぼれしだしており頼りない。

 こんな魔物がいたのかと、内心ではまだ恐れを抱いていた。



 今、マルコが語る言葉は明らかにバッツを勇気づけるためのものだ。

 蛮勇を望むそれではなくて、現状、何よりも重要な言葉選びに努めている。



「”赤龍殺し”――」



 ふと、バッツが生唾を飲み込んだ。



「赤龍の額は分厚い骨と皮膚、いくらかの鱗で覆われています」


「あ、あぁ!」


「ここまで来たのなら考える必要は無いでしょう――ッ。これまで募らせた思いごと、右手に持った剣で突き刺してやるのです」



 赤龍が飛び交うゆえの強風に頬をあおられながら、バッツは目を見開き頷き返す。



「この面倒な龍に、俺も何か仕返してやらないと気が済まない……ってな!」



 手元の隠しきれない小刻みの震え。

 しかしそれも間もなく、マルコに手を重ねられ収まった。



「それまでにしておきなさい。武者震い、、、、もすぎれば手元が狂いましょう」



 優しい嘘にバッツが笑い、頭へつづく首を再度進みだす。

 数十メートルもないというのに、まるで多くの山脈を超えるような威圧感、緊張感だ。

 一歩進み、鎖の感触を確かめて安堵する。すぐさま足を進め剣を鱗に突き刺す。



「くっ……はぁ、はぁ」



 足腰が重い。

 自分のものではないかのような辛さ、不自由さだ。



 何十秒? いや何分、何十分も歩いただろう? 感覚が薄れ察しがつかぬまま、なんとか後頭部にたどり着けた頃には全身の疲労に膝が震える。



「よく頑張りましたね……バッツ殿」



 その声はまさに神の救いだった。

 一足先に上り終えたマルコに手を借り、バッツもまた額に足を置く。

 鎖は赤龍の胴体に繋がっているためバランスは良くない。それどころか、ここで足を踏み外せば宙に吊られること間違いない。



「ここからどうするんで!?」


「決まってます! 剣を持って額に突き刺す――これだけです!」


「そりゃ……分かりやすくて最高だ!」



 剣を突き立てて間もなく、ここでようやく赤龍の強い反撃が届く。

 首を上下左右に激しく振り回し、額にいる二人を地面に落とそうと必死さをみせた。



「もう高所の恐怖は慣れてんだよッ! どうせ振り払われても、お前の胴に戻るだけなんだからなッ!」


「ええ、その意気だ……!」



 バッツは鱗の隙間に指を差し込み身体を支えた。

 力強く剣を振り続けるマルコの横で、こうして耐えるだけなことが悔しさを募らせる。

 だが余裕が出来たところで、彼もまた剣を振るう。



「このっ! おら! さっさと魔石を出せってんだ……ッ!」



 ガン、ガンッ――打撃音が鳴り、徐々にバッツの剣の刃が潰れていく。

 マルコに比べ弱々しくとも、一度マルコに落下させられたことで思っていたよりも剣が通る。



 魔石が姿を見せたのは、それから数分も剣を振り下ろしてからのことだ。



「見事な魔石だ。これほど美しい紅を持つ魔石ははじめてみた」



 と、マルコが魔石を見て感嘆とした声を漏らす。

 二人用のベッドより更に大きく、中に炎のように蠢くオーラが特徴的な赤龍の魔石に、バッツも当然目を奪われる。



「遠慮は無用です! ただひたすらに剣を振り、この真紅の魔石を破壊すればいいッ!」


「任せとけって旦那! それが一番得意なんだ!」


『アァアッ……!?』



 赤龍がより一層勢いよく頭を振ったのも少しのことで、徐々に勢いは収まりだす。

 マルコは知っていた。どうして大人しくなってきたのかは単純で、魔石に瑕がついて身体を動かす活力が足りなくなってきているのだと。



「もっとです!」


「おうッ!」



 魔石にある二本だったヒビも伸び、合流し、更に根を張るようにヒビを広げた。

 すると、溢れ出る血潮の代わりに暖かな魔力が飛び交う。

 特にマルコが顕著に感じ、その力を全身に浴びる。



「これは……なんと甘美な力だろう」



 魔物が強くなる一番の方法。

 他者の魔石の力を吸うことに他ならない。



「私の力はアイン様の力――ッ! いかんなくこの力はいただきましょう……!」


『ガァッ……ェェァアアア……ヴォァ……』


「俺も負けてられねえ!」



 もはや死に体だった赤龍は、黒い石を経由して得た意識すらもはや薄い。

 本当の死を迎えるということ。誇り高き竜からしてみれば、自身の意識とは別に利用されている現状を脱することは、言い方を変えれば救いと称することも出来るはずだ。



「もう十分だろッ! 壊れちまえ……よぉおおッ!」



 魔石が完全に砕け散る。

 そして、最期の一撃はバッツの剣によるものだった。



『ア……アァァ……』



 赤龍の最後は全身から力を失い、手足や翼を脱力させ地面に向けて落下していく。

 やりきった、自分は赤龍の魔石を破壊してやった! これまでにない達成感を抱くバッツ。



「よし、よしよしよしよし……! これで終わりだッ!」


「その通りです。やりましたな――バッツ殿!」


「ああ! ……っていっても、旦那が殺しかけてた奴に、剣を振り下ろしただけなんだけどな……」


「いいえ、称えられるべきはその勇気だ。こうなる危険がありながら、バッツ殿は戦うことを望んだのだから」



 するとマルコが手を差し出した。

 バッツがその手を握り握手を交わす。



「あー……こんなに全身が疲れた経験なんて……今までに……」


「バ、バッツ殿?」



 手が繋がれたまま、バッツは唐突に意識を失った。

 いや、疲れ切ったことと、緊張が途切れたことで身体が休息を求めたのだろう。

 問題なのは場所が空中で赤龍の額の上ということだが、力を失ったバッツの身体はマルコに支えられた。



「はは……はっはっは! アイン様の場合、ご友人まで只者ではないということですか……! いいでしょう、後のことはこのマルコが承ります」



 そう言ってマルコはバッツの身体を背負った。

 今度こそ終結、そして今度こそ、赤龍討伐は終わりだ。



 主君は今、何をしているだろうか?

 マルコは着地する支度をしつつ、遠く離れたところにいるアインへと想いを馳せた。



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