二十二章 ―黒龍と竜人―
辺境都市クリフォトにて。
大陸西側というのは、アインにとって未踏の地。
その地に最も近い場所と言えばバルトだが、それ以上進んだことはなく、そもそもとしてイシュタリカの民もそう多くが住んでいる地域ではない。
――辺境都市クリフォト。
バッツの父、クリム男爵が司令官として赴任している、王都キングスランドから水列車で丸二日はかかる距離にある。しかしながら、今回、アインは陸路を進まずにこの地にやってきた。
アインは海上にあるリヴァイアサンからクリフォトを眺め、隣に立つクリスに話しかける。
「ねぇ、帰ったらなんて謝ればいいと思う?」
丸一日もかからずクリフォトに近づいたアインが、ここに来る前でのことを思い返す。
「……陛下にですよね? 素直にごめんなさい、と言うべきじゃないでしょうか?」
「だよね。お爺様が呆れ果ててたって、ウォーレンさんが言ってたし。あとどちらかと言うと、お母様にもなんだけど」
「オリビア様も大変ご心配なさっておいででしたから……お帰りになったら、お二人で過ごすような時間をしばらく持ったほうがいいかもしれませんね」
シュトロムまでシルヴァードがやってくるわけにもいかず、ティグルを王都に送ってからは、ウォーレンが一時的にシュトロムまで同行した。
その際、多くの折衝を経てアインがシュトロムを発ったというわけだ。
「でも、みんな色々と分かってるんだと思いますよ? クローネさんなんて、何一つ動じずに「アインをお願いします」って私に言ってきたぐらいですし……」
「あれ? ってことは信用されてるって言っても過言ではない……?」
「ふふっ……物は言い様ですけど、アイン様が成してきたことは信用に値するんじゃないでしょうか」
「なるほど。じゃあ、期待を裏切らないようにしないとね」
徐々に近づくクリフォトの港。
なんとも幸いなことに、港の規模が小さくとも、停泊する船の数が少ないためリヴァイアサンで入港できる。既に肉眼でも、桟橋付近に立つ多くの騎士たちの姿を確認できた。
そのすべてが、アインを出迎えるための団体なことは言うまでもない。
(バルトに似た町って感じかな)
ただ、冒険者よりも騎士の数の方が多いのがクリフォトの性質だ。
辺境の砦――その名に恥じぬ、堅牢で背の高い石の壁が町中を囲んでいるのが印象的に映る。ここクリフォトが陥落した時は、魔物が王都近くの人里にも多く押し寄せることだろう。
そのためクリフォトは、イシュタリカの中でも特に実戦経験が豊富な騎士が集っている。
「そう言えばさ、ロランがリヴァイアサンを空に浮かべたいって言ってたよ」
「あの、アイン様たちは何を目指してらっしゃるんですか……?」
「楽しそうだなって思うけど、大変そうだよね」
「……はぁ。どうしてでしょう。ご友人にまでアイン様の影響が……」
「今回ばかりは俺のせいじゃないと思うよ」
頭を抱えるクリスの髪が海風に靡く。
「――今更ですが、良かったんでしょうか」
と、彼女は少しの間をおいて尋ねた。
「何が?」
「今回、アイン様が連れて来た戦力は決して多くありません。その分、質は最高峰ですが」
「俺、クリス、黒騎士、近衛騎士部隊、いくつかの魔導兵器とこのリヴァイアサン。十分だと思うよ」
「ですが――敵の本隊を叩くつもりだと言うのに、マルコなどは居ませんよ?」
「そりゃ、敵の本隊は俺が倒すつもりだけど、敵の本命は俺じゃないと思うしね」
「……狙いがアイン様じゃない? カミラの狙いはアイン様ただ一人だと……アイン様も仰っていたと思いますけど」
「はははっ、そうじゃなくてさ。
アインが珍しく吐いた毒に、クリスが呆気にとられる。
ただ、その言葉に異を唱えることもなく、小さく「はい」とだけ言葉を返した。
「俺を苦しませる術に関して頭がよく回る女だよ。だからさ、あの女にとっては龍だって捨て駒みたいなものだと思う」
「え、えぇっと……それはどういう意味なんです?」
すると、アインは小さく笑いクリスの頭を軽く、ぽん、ぽんとさすって歩き出す。
「
「……アイン様」
「んー? なにー?」
クリスはその内容について尋ねる事をやめた。
歩き出したアインの服の袖をつかみ、照れくさそうに、且つ色々と開き直った態度で言う。
「その、今の短かったので、もう一度お願いしてもいいでしょうか? 効果は主に、私の士気に直結してるんです」
「――そうきたか」
たとえ戦場に着く前だろうと、そう関係ない。
先日、心の内を吐露するため大立ち回りをした彼女は強かった。
アインもアインで、戦いの前の憩いの時間とでも思いつつ、彼女の頭にもう一度そっと手を伸ばしたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
砦にある騎士の本拠地。
最上階に設けられた一室にて、テーブルを挟んで数人の者たちが言葉を交わしていた。
「この度は、遠路はるばるお越しいただき感謝に堪えません! 英雄がお越しくださったと、今度息子にも自慢せねばなりませんなッ!」
そう言ったのはロイドほど体格のいい男。
無造作に生えたヒゲが雄々しく、短い髪をさっと横に流し気味の彼こそがクリム男爵。
バッツの父らしく、どこか豪快で気持ちのいい語り口調だった。
「司令官。ご子息は殿下とご友人だったかと。自慢しても意味が無いのでは?」
「むっ!? 言われてみればその通りではないかッ! では誰に自慢すればよいのだ!?」
「知りませんってば。自慢するかどうかより、殿下にしっかりとご挨拶してくださいませんか……?」
「なるほど、その通りだッ!」
彼と部下の騎士のやりとりは、アインが思わず笑みを浮かべるほど賑やかだ。
先日、龍による攻撃を受けたばかりだと言うのに、底抜けない明るさを見せつけられるのは悪い気分がしない。
「というわけで、殿下! この度は、遠路はるばるお越しいただき――」
同じ言葉を繰り返されそうになり、アインが手を差し出して制する。
「はじめまして。バッツとはいつも仲良くしてもらってます」
敬語を使うべきではなかったかもしれない。
友人の父という念が先に立ったが、次の言葉からは王太子らしく振舞ってみせた。
「では早速尋ねたい。先日の強襲の後に逃げていった方角についてと、ティグル――元ハイムの王子を連れていた奴らが逃げた方角も併せてな」
「むぅ……まさか本当に、殿下が先陣を切って向かわれるのですかな?」
「あぁ。そのつもりだ」
クリフォトで長い時を過ごしてきたクリム男爵と言えど、ハイム戦争や海龍騒動の活躍は耳にしている。しかし、彼の中では「ですが貴方は、王太子だ」という考えが先に立っていたようで。
「我ら砦を守ってきた者からしてみれば、殿下が最前線を進むことに反対です」
「お爺様が、陛下や宰相が許可をしていてもか?」
「それが間違っているのなら、正すことも臣下の務めでありますからな」
(……ほんと、バッツにそっくりだ)
物おじせず言い切った姿は清々しくもあり、クリム男爵の目線は力強く輝いている。遠足の際、バッツに諫められた記憶がアインの脳裏を掠めた。
アインはそんな人柄に答えるが如く、出せる限りの威厳を放つ。
「俺は……私は友を傷つけられて黙っているつもりはない。たとえ瘴気窟の奥深くに逃れようと、たとえ神隠しのダンジョンに潜もうと探し出してツケを払わせるつもりだ。私自身へ向けられた憎悪も関わることなのだから、私だけが後ろでのうのうと構えて待つつもりはない」
「……復讐にまつわる殺意に囚われておいでではありませんな?」
すると、アインは思わず呆気にとられた。
クリム男爵は心配していたのだ。アインという少年と大人の境に立つ存在の心に宿る、ある種のトラウマとも言わんばかりの因縁を見抜いていた。
優しい人柄として評判の王太子が、復讐の念に囚われることがないよう気を使っていたのだろう。
「これは責任だ。すべては私が取るべき責任だ。幼い頃に私が振りまいた、最後に残された責任にほかならない」
その理由は言わずとも皆が知っている。
「では結構! 英雄と呼ばれるそのお力を存分に見せつけるがよろしいでしょうッ!」
「……へ?」
「おい、例の資料はどうしたのだ?」
「はいはい、司令官。持ってきてありますよ。殿下、御前を失礼いたします」
「あ、うん……」
さっきまで止めていたというのに、急な変わりように驚かされるアインとクリス。
二人が驚く間にも、数枚の資料がテーブルに置かれた。
「男がそう覚悟を決めたのなら、外野が小うるさく言うのも無粋ですからな! 我が子にも殿下の雄々しさを教えてやりたいほどで!」
「ご学友ですし、ご子息も知ってらっしゃるんじゃないですかね?」
「一理あるなッ!」
相変わらず豪快なやりとりを見せつけられると、つづけて、配られた紙を見るよう促される。
「息子が戦ったという赤龍がこちらに戻ってきた形跡はありません。ただ、我らもある地点を境に赤龍の痕跡を失っておりまして」
「……っていうのが、ここ?」
資料の一枚目、いくつかのメモが記載される横にある近隣の地図。
山岳地帯に囲まれた川のような形をした平野、そこに赤い丸で印があった。
「川ではないみたいですが、独特の形をしてますね」
クリスの言葉にアインが頷く。
蛇行した平野は、見れば大陸部から海に向けて流れるように繋がりがある。
二人の言葉にクリム男爵が答える。
「この地域は川は川でも、水が流れていたわけではないのです」
そう言うと、彼は懐から小さな石を取り出してテーブルに置いた。
「溶岩流ですな。近場では温泉も湧き、地面がえぐれた箇所は熱を持っております」
「へぇ……温泉はいいな」
呑気に返して笑いを誘ったアインだが、内心はそう穏やかじゃない。
これはもはや、赤龍と戦うという展開は考えない方がよさそうだ。どの程度力のある龍種になるのかは戦わなくては不明だが、どうなろうと本気で戦うことに違いはなかった。
「この辺りまでは馬で半日も駆ければ到着するでしょう。しかし、山岳が険しく奥地に向かうのは難しい。ただ、ローブを着た者らが向かって行ったのは奥地です」
「急な坂になってるってことか?」
「というより、道になっていない地面や崖が多いので、回避すべき道が多いということですな」
それなら大丈夫そうだ、とアインが立ち上がり思う。
窓際に歩いていきながらも、口元に手を当てて考えていると。
「アイン様、アイン様」
クリスが隣に立ち、とんとんと肩を叩いた。
「ん? なに?」
「何か自信がありそうですけど、魔導兵器で崖を崩すなんて言いませんよね?」
「さすがにそれは無理があるでしょ……そうじゃなくて、俺の種族の力で強引に道を作っていこうかなって」
「……根っこ、ですか?」
「そういうこと」
崖の間をつなげれば通り道にもなり、むしろ、下手な人工物より自分の身体とあって安心感がある。
「色々済ませたら温泉にでも入ってから帰りたいかな。一緒に来てくれた騎士たちも労えるしね」
「いいかもしれませんね。あまり、王都の方ではお目にかかれるものではありませんし」
「でしょ。あ、当然クリスもだけどさ」
戦い前の呑気な会話からは余裕が窺えるが、コレがアインなりのリラックスの仕方なのはクリスもよく知っている。締まらなさを言及せず、彼女もアインにあわせて会話に花を咲かせる。
「い、いいいい……一緒に入るのはその、色々とまだ心の準備が……!」
「……一つ返すなら、温泉を一緒にとは言ってないと思うんだ」
まずは何よりも、騒動を早々に収めるべきだ。
アインは手持ち無沙汰だった片手を剣に伸ばし、持ち手を強く握って緊張感を受け流す。ここ最近の騒動に加え、古い龍を復活させてまで復讐を成そうとしているカミラを思い、今度こそ決着をつける時だ――と、ハイム城でグリントを倒した時のことまで思い返していた。
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