王太子の剣。

 遡ること数日。



 シュトロムから馬で四時間程度の距離にある小さな町。

 普段はそう多くの騎士も駐在せず、町の住民の多くが顔見知りな人と人の距離が近く、漁業が盛んな人情味あふれる田舎町だ。

 町を囲む石造りの塀は五メートルほどもあり、中に入るための出入り口は吊り上げ橋で門をくぐるのみ。



 ――が、そんな小さな町は陽も昇らぬ早朝から騒々しかった。

 王都だけでなく、シュトロムからも多くの騎士たちが足を運んでいたからだ。シュトロムからもというのは、当然、王太子アインが足を運ぶことになったからである。

 水列車が通っていないことから、一団は馬に乗った大所帯でやってきていた。



 この町にある唯一の診療所。古くから建つ石造りのそれは、歴史を感じさせるこじんまりとした建物だ。

 裏手には海が広がる小さなそこにアインは居た。



「……急いでバーラの下に連れて行って」


「はっ。承知しております」



 アインに答えたのはウォーレン。彼もまた、急いで王都からこの町まで馬を走らせてやってきている。



 二人の視線の先には、ベッドに乗せられたまま運ばれていくティグルの姿があった。

 目を開けず物言わず横たわる彼は、つい昨日まで薬剤の投与をされた形跡があると調べがついており、胃洗浄はしたが経口されていないものまでは身体から抜けていない。



 これからの治療の経過を見るしかないが、現状では全快するかすら分からない。



 やがてアインの蒼玉サファイアの瞳が虚空を眺め、ぐっと噤まれた口元が彼の無念を物語る。

 すっと歩き出して窓際に寄ると。



「イシュタリカの人々が俺に求めてるのは一つじゃない」



 と、何かをしでかそうとする前のアイン特有の覇気を露にした。

 部屋に中にはアインとウォーレン、そしてディルにエルフのサイラスが付き添って来ている。その誰もが口を閉じて言葉のつづきを待った。



「王太子としての義務、だけど海龍騒動の頃から英雄って言われるようになってから――期待されてることは普通の王太子じゃないと思う」


「アイン様、それは口実に他なりませんな。ご自身が討って出たい、その頃合いは今だと仰りたいのでしょう?」


「うん。回りくどい言い方だし、こうなるまで動けないのは俺が王太子だからってのもあるけど」



 アインが大きく息を吸う。



「俺に求められているのは初代陛下みたいな存在なんだ。言わば英雄王だ」


「……えぇ。私も同意いたします。民はアイン様に、初代陛下の逸話を重ね希望を抱いているでしょう」


「なら黙ってることはできない。みんなの期待にも応えるべきだしね」


「ただそれも口実ですな。アイン様は心の底で、自分自身で決着をつけるために民意を盾にしておいでだ」



 言葉に棘を隠しつつウォーレンは好々爺然と笑い、アインも同じく含み笑いで答える。



「止める感じのことは言わないんだね、ウォーレンさん」


「それはもう。止めて止められる方ならばそういたしますが難しい。ただ、あまりにも無策に向かわれるのでしたら、私の知恵……いえ、叡智を以て止めることもできるかと」


「えっと、矛盾してない?」


「正攻法か否かという話ですな。ではお聞かせ願いたい。アイン様はどのような策をもって行動に移るのですか?」



 行動するならそれなりの責任を持っていてほしい、ウォーレンのそんな意思が込められているような言葉だった。ただ、アインは狼狽えることなくウォーレンの目を見ると、澱みなく自信を持っていう。



「敵の最大戦力は龍二頭だけだよ。後はそう難しくないと思う」


「ふむ。我らの騎士を倒したという、旧ハイム騎士は危険ではないと?」


「そう思ってるよ。数が多くないからね」



 はっきりと言い切り、つづけてウォーレンは目を見開いた。



「ハイム戦争のように多くの獣を改造していたら――とは考えないのですか?」


「できるなら怖かったかもね。でも、カミラにそれをするだけの余力が無いのは分かってる」


「……お聞かせ願えますか?」


「赤龍に埋め込んだっていう石も強かった騎士も、俺はそれがどんなものだったのかって分かってるからね」



 そう、アインは忘れるはずも無いのだ。

 詳細をバッツの報告で、そして先日の辺境都市クリフォトの件も併せれば答えはすぐに導き出せる。



「自分を魔王になったって言い切ったエドと同じなんだよ。なら、もう無駄遣いはできなくて俺にあてがうしかないんだ」



 というのはアインが目の当たりにしたわけじゃなく、ハイム戦争後にクリスから聞いたエドとの闘いのことだ。

 黒い石を使い彼は自身を強化したという。

 だが、当時からすでに、その力を用いて強化された兵力は他に居なかった。それなら例の黒い石の数は少なく、カミラが持っている数も少ないことは容易に察しが付く。



「もう少しはっきり分かってから伝えようって思ったんだけど、ティグルが連れ去られたときのことでほぼ確定かなって思ったからさ。取りあえず、話が少し長くなったけどそういうこと。――ねぇ、ディル」


「――はっ!」


「黒騎士の団長として意見が欲しい。これまでに集まった情報から一般騎士でも対処可能かどうか、可能ならどのような状況か答えて」



 急な問いにも、ディルはその質問が来ると分かっていたかのようにすぐ答えを口にする。



「十人一組の編成が必須です。過半数を大盾で押し、仲間が飛ばされぬようにこらえて攻撃に移れば問題ないかと。単純な戦法ではありますが、対応できるだけの堅さをお約束できます」


「じゃあ、黒騎士なら?」


「我ら黒騎士、遅れを取ることがあれば剣を置きましょう」


「ありがと。ほんといつも頼もしくて助かるよ」


「はっ。身に余る光栄です」



 すると、アインが歩き出し部屋の扉を開けた。

 彼に続けてウォーレン、ディルとサイラスの二人も診療所から外に出る。



「……」



 アインが黄昏るように遠くを見る。

 視線の先にあるのは、朝の陽ざしを反射する冬の海。

 ふと、ある気配に気がついた。


「カミラにも追手を放つだけの考えはちゃんとあるんだし、ちょうどいいかも」



 それを聞いてディルが言う。



「ア、アイン様……? いったい何を仰っているのですか?」


「きっとティグルを救い出してから、こっちに追手を放ってたんだと思う」


「と言いますと、もしやどこかに敵の兵が…!?」


「そう。俺も気が立ってたからすぐに気が付けたんだけどね」



 アインが自分で不機嫌だと口にしたのは、これまで何度あったろう?

 思い出そうとしてもすぐには思い出せないディル、すぐ傍に立つウォーレンが思い浮かんだのは、ハイムとの会談が決定した際の手紙を読んだときのことだった。



 ところで、アインは海のどこを見て斥候に気が付いたのだろう。

 一同が目を凝らすが水平線の彼方にも船は無い。冬場は特に漁をする機会がなく、あっても貝類を岩礁などで漁ることが多かった。

 ふと、少し離れた海中から細かな泡が海面に浮かび上がる。



「みんなは下がれ。俺がやる」



 異論を挟ませない絶対的な態度。

 思わずディルが後ろに下がる。



「もしもこの診療所にティグルが運ばれて、俺がここまで見舞いにくるってことまで考えてたとしたら――うん、先読みは見事だけど性格が悪いよ。ティグルっていう王子が必要とかいっときながら、状況を見てこうした使い道を見出したってのなら特にね」



 ただ、カミラがそれだけの判断力と策を講じるだけの頭脳を持ち合わせているか? という疑問がある。

 これらを成し遂げられるだけの考えが出来るなら、そもそも、アインが生まれた時のラウンドハート家の騒動にも待ったがかかっていたであろう。



 しかし復讐のため、汚れ切った心で思い描いた図ならば……と思えばそう違和感が無かった。



 アインが心の内で思っていると、ついに海中から現れる大きな魔物の姿が居た。

 サァァアア――ッ、とシャワーのように降り注ぐ海水の量は、それだけで小さな湖を作れそうなほど多い。海面が水しぶきで荒れるなか、姿を見せたのは海蛇を思わせる巨大な魔物。



『ギィイイ……グガァア……ァ……ッ……!』



 全長は戦艦よりは小さくとも、現在のエルとアルよりは大きい。

 うねる身体に張り付く鱗は鉄のように金属質で、剣を抜いた時の甲高い音を奏でるばかりだ。巨大な瞳を一つだけ持つ顔つきは獰猛で、牙は二階建ての民家ほども長く鋭い。瞳の上、額には例の如く黒い石が埋めつけられている。

 皆が存在を確認してすぐ、魔物がアイン目掛けて口を大きく開け突進を仕掛ける。



『グガァァアアアア――ッ!』



 微動だにしなかったアインが振り返ったのは、魔物と距離が一メートルほど近くになってから。

 いつの間にか抜いていた剣を鞘に納め、「町に戻ろう」とだけ口にする。

 魔物は動きを止め、瞳を震わせ、そして額の石がガラスの割れるような音を出して砕け散る。



「アイン、様?」



 ディルが静かに言う。



「もう怒ってるんだ。加減をする気はないよ」


「……ま、魔物はどうなさったのですか?」



 この間にも硬直して身体全身を震わせる魔物は、アインが何かをしたのが一目瞭然。

 が、ディルが尋ねて間もなく、海が真っ二つに割れた、、、、、、、

 しかしそれだけではない。割れたのは海だけでなく、魔物そのものも身体を真っ二つに切り裂かれた。



「そんな、馬鹿な……!?」


「ッ――!?」



 ウォーレンにつづき、ディルがあまりの出来事に絶句する。二人の近くではエルフのサイラスも同じく言葉を失っていた。

 割れた海は徐々に近づいていき、巨大な波となって町に襲い掛かろうとする。



 しかし町を守るように現れる巨大な木の根と青々としたツタ。

 人知を超えた質量を誇る多くの海水を、なんの影響もなさそうに受け止めて波を消し去って見せた。



「……友達に手を出されて静かにできるほど、俺は出来た、、、人間じゃないよ――カミラ」



 そうだ。これこそが自分の仕えている主なのだ。

 アインの背中を眺めつつ、ディルは英雄王に至るであろう主君を追った。



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