キレた。

「師匠――ッ」



 記憶のほぼ残されていない幼少期、まだエルダーリッチですらなかった頃の自分を拾った恩人。彼女を模した光に目を奪われシルビアが声を絞り、漏らした。

 幼い少女の姿の彼女は鎌を振り上げると、警戒した多くの者たちにそれを振り下ろす。

 すると、少女を中心に広がる水の波紋のような真紅の光。



「ちょ、それはまず……ッ」



 シルビアの全身に奔った恐れ、予感に彼女は慌てて杖を構えた。

 間に合って、そう強く願い自らを囲むように作り出した魔力の膜、薄黄緑の半透明のそれが彼女を包み込む。この間にも波紋がローブの男たちを、元ハイム騎士たちに向かって広がるばかりだ。



 やがて、逃げることもせず波紋に触れたローブの男が地面に倒れると、彼の身体は風に煽られ、まるで砂漠の砂のように散っていく。

 以前、シルビアがハイム戦争の際に使った技と効果が良く似ていた。



「命を奪う魔力ッ……まさか本当に師匠がここに‥…!?」



 彼女が驚きの声を上げると。



「お、おい! 逃げろ! 逃げろ!」


「逃げるってどこに……!? 殺せ! 魔物に決まってる!」


「殺すも何もあの光がッ!」



 男たちの狼狽え、恐怖を帯びた声色から必死さは伝わる――が、それらすべて間もなく静寂を取り戻す。しんと静まり返った森の中、木の上でシルビアの杖を持つ手が痛々しい。



「たかが振り下ろしただけなのに……私の守りをあっさりと貫通してしまうなんて」



 そんな魔法を使える相手なんだ。師匠はそれほどの存在だった。

 手元にそっと息を吹きかけたシルビアは、痛みを忘れ木の上から飛び降りた。

 すっと優雅に石畳に立つと、ほぼ同時に周辺の木々がざぁっ……と不気味にざわめいて葉を散らす。シルビアの視界の端に移るそれらの木々は、濃い茶色の全貌が腐ったように毒々しく色を変えている。



「師匠、私です。シルビアです……!」



 久しぶりで語り掛ける言葉が見つからない。

 だが、きっとシルビアという名を聞き彼女はきっと振り返ってくれる。そんな予想に応えることはなく、少女は相変わらず全貌を光で覆われている。

 答え届かぬまま、シルビアが少女の背中を見つめて十数秒。



 少女の身体から唐突に放たれる、先程と同じ波紋が無防備なシルビアに浴びせられた。



「ぁ……そん、な……どうして……?」



 死に至らなかったのは彼女自身の生命力ゆえか、それともアインとの繋がりから得られる無尽蔵の魔力のせいか。

 何にせよ、シルビアは瀕死に陥りながら目の前の少女を見つめ、少女の全身が光の粒子となって宙に散るさまを眺めてから瞼が力を失っていく。



 後は前のめりに地面に倒れ、治療もなければ死を待つのみ。

 もしかすると、アインとの繋がりによって命を繋ぎとめられるかもしれないが前例はない。後のことはまさに神のみぞ知る話となるだろう――だが、シルビアの身体は地面に倒れる前に止められた。



 ふと、沈黙と共に訪れた春を思わせる草花の香り。

 光に覆われた身体ではない、月明かりに照らされ薄く全貌が見えた少女。



「すまぬな。あの魔法ではここの気配までは覗えんかった。まさかお前が居ったとは」


「……」


「儂の邪魔をした奴らに罰を与えたいだけだったのじゃが、悪いことをしたのう――ほれ」


 草花の香りと共に、暖かな手のひらがシルビアの額に押し付けられる。



「ではなシルビア。またいずれ話せるじゃろう」



 それから間もなくシルビアは宙に浮かべられ、死した木の陰から現れた白い狼に乗せられる。「いけ」と言われ白い狼が駆けた。

 風が吹き、見送っていた少女が忽然と姿を消す。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 旧王都、魔王城の一室でシルビアが目を覚ました。

 彼女が辺りを窺うと、ここがカインとの寝室と分かり身体を起こす。



「私、どうして……」


「目が覚めたか」


「カイン? 私、どうしてここに? 確か元王子の捜索に向かったはずなのに……そ、そうだわ、師匠のような光に出会って……!」


「あぁ、そうだな」



 カインが水差しから一杯の水を汲みシルビアに手渡す。

 落ち着いた様子だが、カインの表情からは安堵しているのが分かる。

 漆黒一色のベッド周り、隣に置かれたアンティーク調の古い椅子に腰かけた彼は、大きく大きく息を吐いてから口を開いた。



「痛みはあるか?」


「……な、無い……みたい。ねぇ、私はどうしてここにいるの、一体何があったの……?」


「手元の感触はどうだ? 後はそうだな、目が見えないとか変な症状はないか?」


「ないわよ――! だから、何があったのか説明を――ッ」


「いいから少し黙ってろ。夫をどれだけ心配させたと思ってるんだ……この馬鹿が」


「なっ……い、痛いじゃない」



 カインがシルビアの手を握ったと思えば、ぎゅっと握りしめられ若干の痛みだ。答えが届かないことへの不満もあったが、心配かけた自覚はあるため彼女も黙り込む。



「アインが言っていた。シルビアが倒れたと思われるとき、自身も気を失いかける程の立ち眩みにあったとな」


「ッ……アイン君が……? って、アイン君が言っていたって……アイン君がここに来ていたの!?」



 シュトロムから旧王都の距離、必要な時間を考え申し訳なさが募った。



「あぁ。三日前にな」



 すると、シルビアが「嘘……」と声を漏らす。



「何日寝ていたと思っている。今日でちょうど一週間だ……ったく」


「私が一週間も寝ていた、ってことなの?」


「だからそう言っているだろ。死にかけて、城まで狼に送られて来たんだぞ? いったい何があったのか、私の方こそ聞きたいぐらいだ……」


「お、狼にって……」



 混乱がつづき頭を抱えたシルビアは、意識を失う前のことが事実だと察した。

 分からないのは城まで送られた手段だったが、狼がわざわざ遠く離れた旧王都まで、しかも魔王城まで連れてくるはずもない。何かの意思がどこかで働いているのは察しが付く。



 師と仰ぐ存在がシルビアを助けたということだ。



「とりあえず伝えることがある。シルビアが寝ていた一週間の間にティグル、例の元王子の事だが、彼は既に保護された。偶然にもカミラと遭遇した騎士らが必死の救助にあたったとのことでな。まぁ、騎士の犠牲もいくらかあったようだが」



 良かった。彼女がほっとしたのもつかの間。



「無理やり言うことを聞かせようと薬でも使ったようで、彼はまだ目を覚ましていない。目が覚めても何か障害が残る可能性がいくらかあるらしい。カミラを筆頭にイシュタルの西側に進んでいるようで、道も悪いからか追うのにもなかなか苦労しているみたいだな」



 それは何と痛ましい話だろうか。

 シルビアは、自身が持つ知識で協力しなければと思う。



「他にも多くのことがあったが……もう一つ、大切なことを伝える必要があるな」


「ま、まだあるのね」


「そりゃ、ティグルが保護されたところで敵との距離も詰められたからな。状況は大きく変わっている。王太子だから慎重になんて周りに言われるより前に、あいつはウォーレンが唸るだけの計画を立てたそうだ。まぁ、民もあいつの英雄としての側面を理解しているからか支持しているようだ」



 カインはこれから言うことでシルビアを驚かせないよう、両手で彼女の手をそっと覆う。一呼吸置いて小さく頷き、二呼吸置いて苦笑し、三呼吸目で唇が動く。





「単刀直入に言おう。ティグルがカミラに害されたことで――アインが本気でキレた」



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