つい先ほど逃げ出してしまった猫を探しています(仮)

 

 日が落ちるのも早くなり、上を見れば漆黒の天球に包まれる。

 アインは予定より少し早めに屋敷へ戻り、夜に残された公務のためにひと時の休息を得たのだが――おなじく仕事を早めに済ませたクローネが同行することとなり、密かに気を良くして頬を緩ませた。



 ――屋敷を出る直前。

 二人の目にマーサが隠しきれない苛立ちを表に出し歩いているのを見かける。



「マーサさん、どうかしたの?」


「こ、これはアイン様……実はカティマ様の姿が見えなくて……。ご公務の際中、いつの間にか窓から抜け出して町に出て行ったようでして」


「……なんかごめんなさい」



 身内の恥に顔を覆った。



「護衛も連れずに、ですか?」


「いえ、クローネ様が仰るような疑問はもっともですが、クリス様の下へ向かったようで、途中までは近衛騎士を拾っていくと……」


「あれ? ならクリスがいる詰め所にいけばいいんじゃ」


「……書置きには、『クリスが居る場所まで近衛騎士と行くニャ、祭りが私を呼んでるのニャ!』とだけございます。つまり現状、クリス様もカティマ様に引っ張られているようでして」


「つまり行方知れずということね、りょーかい……」



 給仕の彼女は懐に手を入れたと思えば、複数枚のチラシのような紙束をアインに手渡す。



「ご予定が詰まっているというのに本日のような振舞い。さすがの私も限界が近いこともありまして、つい、このような物を手書きでご用意してしまいました。いかがでしょう? 似顔絵にも自信があるのですが」



 ――「逃げてしまった子を探しています。お見掛けの方は是非、最寄りの騎士までお伝えください」

 表題からして舐め切っていたが、マーサの怒りが限界突破してるのは、彼女の青筋や黒い笑みを見るだけでも分かる。

 下には大きめにカティマの似顔絵が描かれており、公務の最中に姿を消した旨などが端整な字で書かれており、町中に配るべきという気分にアインが浸る。



 隣に立つ婚約者の彼女を見れば、完全に承諾はでき兼ねるが気持ちはわかる――という想いがアインに伝わった。

 困ったように笑い小首を傾げたその姿に、第一王女への敬意は残っていたのだ。



「マーサさんって絵が上手なんですね」


「ありがとうございます、アイン様。カティマ様のことは何度も描いたことがあるので、結構慣れたものなんですよ?」


(なんで何回も書いてたんだろ……)



 隠された黒い歴史は気になりつつも、アインはその紙を数枚懐にしまった。



「警備してるはずの近衛騎士に配ってくるよ。近衛騎士相手ならカティマさんも恥ずかしくないだろうし。――というか、公務から抜け出して遊びに行ったんだから説教が必要だ」


「……えぇ、是非よろしくお願いいたします」




 ――やがて屋敷を出て少し歩いたところで、隣を歩くクローネがアインの顔を覗きこむ。



「本当にいいの? カティマ様に怒られないかしら?」


「怒られたら、その倍は怒り返すし、マンイーターに見張らせて公務させることになるよ」


「……さすがにそれは逃げられなさそうね」


「でしょ?」



 警戒に歩く彼の隣で、今日ばかりは仕方ないとクローネが頷き、彼女は自然とアインと腕を絡める。

 公務に向かうのに逢引のようなのはいかがなものか。だが、腕を絡めた彼女はそうしたところは弁えているため、大通りに出た際には適切な距離を保つはず。



 護衛にはマルコが居る。

 気を利かせて姿をみせないが、一言「マルコ」と言えば、彼はまばたきの間に隣にやってきて膝を折ることだろう。

 月明かりに負けじと輝くシュトロムの星を一瞥し、アインは次の公務先について語る。



「ねぇ、最後に楽な公務を残してくれたのって」


「私が調整したの。お屋敷の近くで帰りも早いし、最後ぐらいは楽をしてほしかったから」


「……おかげで助かったよ」


「ふふっ。私は王太子殿下の補佐官だもの」



 二人が歩く先にあるのは果樹園。

 言葉と裏腹にこじんまりとした実験的な果樹園で、植えられた木々は両手で数えるぐらいしかない。植えられたすべての木々がアインの言葉、、を受けており、成る果実は市販のそれと大きさも味も段違い。

 シュトロムの特産とするための果実の管理は、オーガスト商会やシュトロムの有力者が関係する。



 屋敷がある通りは他に目立つ建物もなく、主に一本道で貴族の屋敷が並ぶ地域に繋がる。

 端正に並べられた他の通りと違う石畳を進み、夜の散歩のような時間をただ静かに過ごした二人は、やがて貴族街の通りに出て、少しはずれにある目的地に近づく。



 王都では初雪が降る今日、肌をさす寒さは二人が身体を寄せるのにぴったりの口実。

 近頃は以前より開き直って距離を近づけることがあるが、こうした理由があるとやはり心強い。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 果樹園での公務と言うのは、ここで採れる果実を他の都市から足を運んだ貴族に振舞うためのもの。

 アインの許可なしでは採取できず、普段は、クローネが彼の代役として許可を出していたが、今日ばかりは祭りであり、アインも余裕があるため彼自身が足を運んだ。

 王太子自ら――というのはいまさらで、その立場の前に、今では領主の肩書が生きる。



 仕事を終え、二人を残し皆が去った。

 バルト苺の木にアインが幻想の手を伸ばし、一つの果実を空に飛ばす。



「はい、どうぞ」



 手に取ると、それを隣にいるクローネへと差し出した。



「……勝手にとってしまってもいいの?」


「結局は俺の持ち物――みたいなものだしね、せっかくだからひとつ食べて帰ろっか」



 この誘惑は甘美でクローネを惹き付ける。

 彼女は両手で幸せそうに包み込み、そっと口元に運ぶと艶めいた唇を押し当てた。一口食べて目を一瞬見開く。二口目で頬を薄く赤らめ、三口目には蕩けたような吐息を漏らす。



「美味しそうで何より」


「……もう!」


「別に恥ずかしがらなくてもいいのに……って、あれ」



 ふと、アインが果樹を見上げて気が付いた。

 不規則に葉が揺れ、何かが生物がいる気配に気が付く。



「何かいるみたい」


「え? 木の上にってこと……?」


「うん、なんだろ」



 カサ、カサと乾いた木の葉の擦れる音につづき――。

 ”ふふっ、あははっ!”

 幼い少女と思われる声が二人分届く。木の上からその声が? 訝しむアインの下にその答えが下りてくる。



「嘘つき世界樹さまだー!」


「それに嘘つきピクシーもいる!」



 肩口に衝撃が走ったと思えば、アインの両肩が小さな少女に占領された。

 木霊。エルフの里で懐かれてしまい、クローネ曰く、アインが暴走した際に近くにいたという存在。



「うわっ……久しぶりだけど、どうしてここにいるの?」


「わかんなーい! お姉ちゃんに聞いて!」


「お姉ちゃんもわかんない! でも、世界樹さまがいたからこの町で遊んでた!」


「……なるほど」



 一年以上見てないはずだ。

 隣でバルト苺を頬張っていたクローネも、思わず二人の木霊に手を止める。



「くんくん!」


「くんくん……!」


「な、なに? 急になにを嗅いでるの――」


「ドリアードだッ!」


「すごい! 人間って嘘ついたピクシー、ドリアードになった!」



 すると、今の言葉にアインの表情が一変し。



「前者は良く分かんないけど、ドリアードのこと知ってるの?」


「お姉ちゃんも知ってるよ!」


「私知ってるよ! ドリアードは世界樹さまの家族なんだよ! すごいでしょ!」



 なるほど、分からん。

 相変わらず言葉足らずというかなんというか、彼女らの説明が難しいのは以前と変わらず。

 アインはクローネと顔を見合わせ、「家族」の言葉に苦笑しつつ喜ぶ。



「そういえば、シルビアさんに木霊のことも聞いてみればよかったかも」


「あ、言われてみればそうね……。何か教えてくれたかも」



 仲睦まじい二人を傍目に、木霊の姉妹が空に飛び立つ。

 どこまでも自由で神出鬼没なのは、きっとこれからも変わらないだろう。



「ねーお姉ちゃん! シルビアって名前聞いたことあるよ!」


「私もある! 誰だっけ!」


「んー……覚えてない!」



 果樹に上った木霊は腕を組み、小枝に腰かけ足をばたつかせた。

 手持ち無沙汰なのはしばらくつづく。

 パンッ! 手を叩きお姉ちゃんが妹を見た。



「思い出したー! ママが連れてたよくわかんない女!」


「私もわかった! ママが魔法教えてた小さい女の子! ママと同じぐらい小さい女の子!」


「……でも、もうずっと居ないねー、ママ」


「うんー。ママどこか行っちゃったもんねー」



 悲壮感溢れる掛け合いながら、二人はアインが実らせた果実を頬張り頬を蕩けさせる。

 どこまでも能天気に、おいしー! と元気に顔を見合わせた。



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