【一巻発売記念閑話】オーガスト商会ができるまで。
ホワイトナイト城の一室、客の中でも最上級のそこに二人は居た。
「そろそろ儂らも自立すべきであろうな」
イシュタリカに来て数か月経つ。
老成した鋭い目つきと、口元にいくらかの決意を乗せてグラーフ・アウグストが言った。と言ってもアウグストという名は既に名乗れず、もはやただのグラーフというのが正しい。
「――えぇ。いつまでも甘えていても、何一つ好転しませんものね」
そう答えたのはクローネ。
彼女がハイム時代より可憐さに磨きがかかったのは、ここイシュタリカの環境ゆえだ。
ただ、想いを寄せる者がすぐそばにいることも、彼女にとっては大きな理由なことは言うまでもない。
「ですがお爺様? 先ずどちらから進めるのですか?」
「一先ず家だ。住まいが無くばなにもできまい」
「仰る通りです」
「生活基盤がなくば仕事は立ち行かん。なればこそ、衣食住を充実させてこその一歩と言えるのだが……さて、どうしたものか」
「その、お金は十分足りていると聞いています。お爺様には本当にお世話になっておりますが、どうしたものかというのはいったい?」
「屋敷を立ててよいものか。あるいは屋敷を買ってよいものか。この辺りは貴族との折衝があるゆえな」
ぽっとでの成金が不評でも買えばという心配だ。なら民家でも――と話しを変えるにも、残念なことに少し違う。
恐らくクローネは城に出入りすることになる、だからこそ、民家に出入りするところなんて見せたくない。
「宝飾品の売買はウォーレン殿が色を付けてくれたそうだ。仲介料などを差し引いてな」
「……頭が上がりません」
「うむ。故に世話になりつづけるのも性に合わん。何か新たな仕事を探さねばならんが、儂の年齢から言えば、出来る仕事は限られている……さて、どうしたものか」
すると。
――トントン、と部屋の扉がノックされた。
「お爺様、私が」
クローネがソファから立ち上がり扉に向かう。
開くとそこに立っていたのはウォーレンと、彼に付き従う一人の文官。
「クローネ嬢、ご機嫌よう。……グラーフ殿もよろしければ、お時間をいただけないかと」
「えぇ、もちろんです。さぁ、どうぞウォーレン様」
「はははっ……急な訪問で申し訳ありませんな。あぁ君、持ってきたものをグラーフ殿の前に」
「かしこまりました。閣下」
何のようだろうかと疑問に思う二人を差し置いて、指示に従う文官が装飾が施されたトレーを運び、指示通りグラーフの手前にそれを置く。やがて、文官は頭を下げ部屋を後にしていった。
トレーの上にはいくつかの紙の束と、革製の封筒が一つ乗せられている。
「ウォーレン殿? これはいったい?」
「大した資料ではございませんが、一度ご確認いただけないでしょうか? ささ、クローネ嬢も参りましょう」
「え、えぇ……承知いたしました……」
人のいい顔を浮かべるが、ウォーレンという男は腹の中に怪物を飼う。
大した資料ではないというが、見当もつかずグラーフの表情もどんよりと曇る。しかし、トレーの上に置かれた一纏めの紙束を見るや否や、彼の表情は引きつるように笑みを浮かべたのだ。
「これらの情報をどちらで?」
「不躾ながら調べました。いかがでしょう? お間違いはないかと思うのですが」
「――なるほど。ハイムではそもそも勝負になっていなかったというわけか」
「お爺様……? 私にもわかるようにお聞かせ願えませんか?」
「これはなクローネ。儂がここ数年まで積み上げた、ハイムの大陸における貿易図だ」
「ッ……そんなものが詳細に纏められているのですか?」
国家戦略にも近い情報だ。
金、人、資材、それらすべての流れがどうグラーフと関係し、彼がどう動かしていたのかが一目でわかる。
すなわちこの数枚の紙束程度でも、他国に売り渡せば莫大な資産となるはずで、
「御見それしました。さすが『貿易の覇者』と呼ばれたお方だ」
「懐かしいあだ名まで掘り出すとは、こちらこそ驚きだ」
それで、急にこんなものを見せつけてどうしたいのか?
窺うような目線をウォーレンに向けると、彼はトレーの上を指し示す。
「契約書でございます。正直、グラーフ殿がいらしたことを陛下も喜んでいらっしゃいますので」
「……け、契約書だと?」
「えぇ、ささ……まずは内容をご確認ください。クローネ嬢も是非」
促され革製の封筒を開けると、出てきたのは上質な羊皮紙。
チラッと全体に目を通してみると、ウォーレンの名や、イシュタリカ王家の捺印が押された何やら重苦しい書類がある。
「……ふむ」
順を追って上から眺め、契約書の意味を徐々に察するグラーフ。隣に腰かけたクローネも驚きつつ、彼と同じく文字を目で追った。
やがて、シルヴァードも喜んだという意味が浮かび上がる。
「契約書の前、この説明は少し気になりますな」
「と、いいますと。御用商人らの件ですかな? お恥ずかしながら事実です。大陸イシュタルは広大で、多くの都市があるために人口も多い。ですので、わざわざ王家周辺で商売をせずとも儲けは得られます」
――だから御用商人といえる商会が無い。いや、取引のある商会はいくつもあるが、その商会を無条件で信じられるかと聞かれると答えはいいえで、ウォーレンはそんな商会が欲しいのだ。
そこで白羽の矢が立ったというわけで、
「いずれ大商会にまで成長してくだされば、宰相として大変喜ばしい。ここだけの話ですが、商談もまとまりやすそうで助かるのですが」
だが、クローネは納得がいかない。
「ウォーレン様、真意を教えてください。この契約はおかしいです」
「……む? クローネ嬢の疑問とは?」
「ハイムからやってきた私を信じられるのかということ。そして大公だったお爺様が裏切らないという保証はありません」
そこに信頼関係を築けるか疑問で、クローネは不審に思ったのだ。
「おや? クローネ嬢はアイン様のことを好いてらっしゃるのでは?」
「ッ――そ、それは……! 好きですけど、それとこれとは話が別で――ッ!」
「この件はあくまでも取引です。私は宰相として、そして陛下は国王としてグラーフ殿の価値を買っています。そして、我らがグラーフ殿に差し出すのは、こうした援助が主としたものではなく、主にクローネ嬢の未来です」
アインの隣に立つために必要なこと。それらすべてを未来とまとめ、ウォーレンがそれを取引材料に持ち出した。
「更に現実的な話をすれば、グラーフ殿が大商会の主となってくれたほうが、いずれ縁談もまとめやすい。場合によっては爵位を与える事もできますし、関りが多ければ多いほど、私の教育をクローネ嬢に施せる。いかがでしょうか?」
「だが、ただの恋心といってしまえばそれにすぎない。これで儂を信頼できるのだろうか?」
「結構です。ではもう一つですが、私がこの情報を調べ上げたのは、城勤めのエレナ殿の周辺からです」
「……クローネの母からだと? つまりそれは――」
聡明なクローネも察したろう。グラーフはあえてその言葉を飲み込んだが、万が一裏切りでもしたら、いくらでもハイムの家族に手を出せると言うことを暗に言われる。
国を捨てたのだから気にしない――とまではいえず、ハイムに残した家族に愛はある。
そもそも裏切る気はないが、むしろこうして条件を提示されるとやりやすくて、グラーフもウォーレンからの提案に頷ける。
「クローネ嬢、気の悪くなるような言葉だったでしょうが、どうかお許しください」
「いえ、ウォーレン様のしていることが正しいのです。ですので……」
すると、彼女は笑みを浮かべていう。
「お爺様、ご厚意に甘えさせていただきましょう。いかがです? この大陸イシュタルで、お爺様のお力を試すというのは」
「……恥ずかしい話だが、まだ儂の中にも熱い挑戦心は残っていたようだ。まさに力試しといったところだが、悪くない。これは決して悪くない」
「ですがいいのですか? ウォーレン様。いくら取引とはいえ、お爺様をこんなにも優遇しても」
「私が考えるのは国益です。陛下もご納得されたのならそれで十分。それに……王太子のお傍にというお方なんですから、優遇されても当然ですからな。はっはっは!」
身もふたもないが、アインを追って海を渡った胆力は評価されているに決まってる。
クローネは目を細めそっと息をついた。
「商会の住まいは私が選定いたします。そして新たな屋敷はロイド殿の屋敷の近くがいいでしょうな。城に関係する貴族の屋敷も近く、主に安全面なども都合がいい。更に、面倒なご近所関係なんかもございませんので」
「すまぬ、恩に着る」
「いえ、お気になさらず。後は新たな家名を検討せねばなりませんが、そちらは後程」
語り合いつつグラーフが契約書に名を記す。
魔道具のようで、文字を書き終えると一瞬ほのかに光を放った。
ウォーレンが確認し、彼が満足げに封筒に戻すと彼は言う。
「契約は交わされました。今日この日より、グラーフ殿のお力をイシュタリカのために使っていただきます」
つまり名実ともに、この日をもって二人はイシュタリカの民となった。
籍もウォーレンが用意するのだろうが、実のところ、グラーフは自身の挑戦心から気分が高揚していた。どこまで通じるか、それを試してみたくなったのだ。
「グラーフ殿には本日より、新たな客間をご用意いたします」
「む、それはいったい」
「申し訳ないのですが、この客間は贈り物として用意されたものです。なので殿方が泊まるには少し問題がございまして……」
急に何を言うのか。戸惑う二人に更に彼が言う。
「クローネ嬢、こちらのお部屋は陛下からの贈り物でございます。ただ客間としてのていもありますので、明日にでも少しばかり相応しい内装に手直しいたします」
「あ、あの……贈り物、ですか?」
アウグスト大公邸と比較できないほど素晴らしい部屋が、ただ一言で贈り物と言われると困惑してしまう。
「城で過ごす時間も増えるでしょうから、こちらは本日よりクローネ嬢個人の資産となります。城内で過ごす者のそれに税はかかりませんので、どうかご心配なく」
「……意外と外堀が埋まるのも早いものだな、ウォーレン殿」
「それはもう。陛下はかねてよりアイン様とお会いしたいと言っていたほど、いわゆる爺馬鹿なお方です。そこに大きな国益も見込めるとあれば、言い方は乱暴ですが、私もグラーフ殿とクローネ嬢を逃すつもりはありませんので」
しかし太っ腹だとグラーフが口角をあげる。
だが、これは人質のような扱いではなく、純粋にクローネを許婚のような存在としてみているのは明白。グラーフもまた、この展開に喜びを感じていた。
「しかしよいのか? 儂が現存する大商会に勝ってしまっても」
「結構です。キナ臭い商会も減るでしょうし、いいことづくしでしょう。グラーフ殿は一度も不正を冒さなかった実直なお方と調べていますので、こちらも信頼しております」
「――諜報の手段に感服だが、そうまで腕を買われてると悪い気はしない」
ウォーレンは確信していた。間違いなく、グラーフの商会は数年で大きく成長していくはずだと。
この取引は両者のためになる事柄しか存在せず、王太子の恋がこうまで昇華してくれると色々動きやすかった。
「ところで、言い忘れておりましたが、陛下はクローネ嬢のことも買っていらっしゃいます。胆力、知力、気転、器量――アイン様の隣に立つべき資格があり、真摯な想いは気持ちがいいと」
「陛下がそのように仰っていたのですか……?」
「付け加えればララルア妃もです。ですのでそうした障害はありませんので、気になさらず精進なさっていただけますと幸いですな」
それこそ本格的に許婚として考えていると言うこと。
実際、こうした部屋を下賜することや、グラーフへの格別の対応をみればそれは考えなくともわかる。
クローネは右手のスタークリスタルを撫でさすり、凛とした強さに満ちた瞳をウォーレンに向けた。
「殿下に――アインから貰ったこのバラに誓います。私のすべてを賭して努めると」
「はははっ、それ以上の誓いはありませんな」
離れ離れの時の唯一の繋がり。
ウォーレンにも伝わる説得力と共に、クローネは新たな生活の予感をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます