ハイム公は仕事が出来る男。

 


「彼女はお前にしか扱えないということが、私は昨晩良く分かったのだ」



 午前の仕事を終え、自虐的に笑みを浮かべつつ頬杖をついたティグルが、シュトロムにあるカフェテラスの一席に座りそう言った。

 昼食は軽めに野菜や肉が挟まったパンや暖かなスープ。寒空のしたでわざわざ食事をしているのは、道歩く者に対してのサービスに他ならない。



「えっと、大丈夫だった? 言い負かされしてない?」


「……私を何だと思ってるんだ、まったく。とはいえ私では彼女に勝てないのも事実だが」



 聞く者によれば悪態でも、アインとティグルの二人ならそうはならず、和やかに苦笑しつつ休憩時間を過ごす。

 周辺には、護衛として多くの近衛騎士や黒騎士も立つが、二人の会話は聞こえないよう気を使われている。

 ティーカップを手に持ち足を組みなおすティグルは、切れ長の眼つきと端正な口元がどこか悩まし気で、自然と彼もまた高貴な血筋を引いていることが周囲にも伝わる。



 ――アインが彼の洗練された仕草をみていると、おもむろにティグルが話題を変えた。



「一つ尋ねてもいいか?」


「ん、なに?」


「……陛下はなぜ、妻を一人しか娶られていないのだ?」


「お婆様に一途だったからって聞いてる。もう一つ言えば、家臣が不安視してたってのも聞いてるけど」


「ははっ、だろうな。実際、アインが来なければ時期国王の座も空席だったのも事実だ。何故尋ねたのかと言うと、イシュタリカのような大国で、どうしてそれがまかり通ったのかと不思議に思ったのだ」


「あー……お爺様が押し通したんじゃない?」


「それもそうだろうさ。でなければ許される事でもないだろう」



 すると、ティグルは古い身の上話を語る。



「今は亡き父上とは大違いだったようだ」


「……ラルフ王の妻は多かったんだっけか? あんまり気にしたことないから知らないんだよね」


「明確に妻と言えるのはそう多くない。おそらく十人程度のはずだ」


(多いじゃん)


「だが、そうだな……妾のような関係の女性なら、三十人以上は居たと思うぞ」


(十分多いじゃん)



 聞けば、第一王子も女好きだったのだ。父王の血を深く受け継いだのろう。

 それを言えば、ティグルはむしろシルヴァード寄りで一途だったとも言える。



「私の母は第五王妃で立場は低かった。ゆえに私は、幼い頃から他の王族に負けぬよう振舞ったつもりだ」


「……まぁ、昔ウォーレンさんから聞いたことあるよ。ティグルが次期国王として有力だろうって」


「それは有難い。だが、他の王族がぬるかっただけでもある。おかげで次期国王候補筆頭になり、色々と自由にさせてもらったさ。例えばエウロでお前と会った時のこととかな」


「暴走王子事件か」


「……その言い方はやめろ」



 アインもいわば暴走王太子の事件は多かったからか、素直に引き下がる。



「少し話がそれた。私が何を聞きたかったのかと言うとだ、アイン、お前はどうするんだということだ」


「俺が? 何をどうすんの?」


「いや、だから私が聞いているのだが……はぁ。要はアインは妻を何人娶る気なんだということにきまっていよう」


「――正直言って、王族だから一人だけ娶るのは駄目ってのは自覚してるし、国に対しての不義理なことは分かってる。でも、今まで俺はクローネのことしか考えてきた無かったから、急に言われても見当がつかないよ」


「ん、一人いるだろう? クリスティーナ殿ではだめなのか?」


「……え?」



 想像以上に呆気にとられたアインを眺めつつ、ティグルはこの馬鹿めとため息をつきカップに口を付ける。



「え、ではない。むしろ彼女以上の適任は居ないだろうに」


「……」


「良く考えてもみろ。アインとの相性もよく、長い付き合いだ。夫を立てるだけの器量もあり、こういってはなんだが見目麗しく華もある。何が不服なんだ?」


「い、いやいやいや……不服とか不服じゃないとかじゃなしに、そんなこと考えたりなんか――」


「何故だ?」



 そう聞かれると少し困る。

 だが、深く考えるとあるトラウマに似た思い出が脳裏を掠めたのだ。

 自分でも、あぁ……そのせいかと頷き、ティグルの目を見てそれを語る。



「多分だけど、ラウンドハートでのことが密かに忘れられないのかも」


「……? ローガスのことか? それとも、グリントのことか?」


「どっちかっていうと、第二夫人だったカミラのことかな」



 今もなおどこかに逃げているという話の、グリントの母だ。



「第一夫人と第二夫人に差がでてしまうこと。俺はこれが受け入れられないんだと思う」


「ふむ、思っていたより大した問題ではなさそうだ」


「はぁ? いやいや、どう考えても難しいと思うんだけど」


「夫のアインが差を付けなければいいだけの話だろう?」


「そりゃ当然だけど……でもさ、もしも王妃同士で――」


「クリスティーナ殿とクローネ……いや、もうクローネ殿と呼ぶが。二人の仲が悪いのか?」



 そんなことはなく、むしろあの二人の仲は親友のそれに近い。

 ティグルの言葉に腕を組み、アインが目を閉じ首を横に振り答える。



「これは私の予想だ。あれほど嫉妬深く町娘に近い感情を持つ令嬢なんて、きっとクローネ殿ぐらいなものだ。さらに言えば、そんな彼女が許容できる相手というのも、おそらくクリスティーナ殿ぐらいなものだ。分かるか?」


「……ティグルって頭いい?」


「茶化すな。私は冷静になれば決して馬鹿ではないぞ」



 若干悔しさ交じりの言葉にアインが笑い、残っていたパンを口に放り込む。すると、荒々しく咀嚼して水を一気に飲み干した。



「だが、アインも同じく筋を通す男ではある。お前はクローネと共にいるばかりなら、決して他の女に対し異性としての感情は抱かんはずだ。性的な感情であれば知らんが、少なくともお前も一途だ。王族の癖に面倒なことにな」


「え、なんで急に貶されてんの」


「民を落ち着かせるのも仕事だろ。私も今ではイシュタリカ王家の民なのだから、次期国王に陳情するぐらい許されるさ」



 陳情じゃないだろ、その態度に突っ込みたくあるがアインはそれに耐えた。



「できうる限り、全てを盤石にしろ。権利もそうだが後継もそうだ。いついかなる時に、ロックダムやエウロが敵対するとも限らないぞ?」


「……考えたくないけど、間違ってないね」


「まぁ、ほぼあり得ない話だ。むしろあり得るとしたら、私の子がイシュタリカに牙をむくぐらいではないか?」



 ハイム戦争の仇討ちを考えないかということをティグルは言った。

 元からハイムが大陸でもっとも力ある勢力だったのもありが、更に今ではイシュタリカの技術流入もされている。

 故に自治領として維持されているのだが、今は無きハイム王家の後継がどうするかは分からない。



「ティグルにその気があるの?」


「私に自殺願望は無い。万が一イシュタリカに対抗できる国に成長できたとしても、それは数百年後の話しだ。しかし、その万が一を思うのなら、我らハイム自治領を統一し、私という血統を散らすべきだ」



 話しは徐々に変わり剣呑な言葉もではじめた。

 だが、ティグルのそれはあくまでも脅しなんてものではないことを、アインは良く知っている。



「なんだかんだティグルって優しいよね。いちいち警告してくれるんだから、俺さ、今のティグルとならハイムでも仲良くできたと思うんだけど、どう?」


「……知らん。過ぎた話だ」


「照れなくてもいいのに。でも、警告は受け取っとくよ」



 そう答え、アインは機嫌よく立ち上がる。



「そろそろ行こうか。午後の公務も手伝ってもらわないと」


「待て、だから私の血のことは――」


「――初代陛下は大陸を統一した。俺がそれを真似る気はないけど、既にハイム自治領として存在してしまった場所を、自分たちの都合で落とそうとは思わないよ」



 甘いことを言うな。

 ティグルが口を開きかけたところでアインがつづけた。



「俺はきっと、あと数百年は生きると思う。……もしかすると、千年を生きたエルフより長寿かも。あるいは魔石を吸えるかぎり死なないかもしれない。だったら、ティグルの血筋もまとめて見守っていくよ」


「……はぁ。分かった分かった。それなら我が子が生まれてつづいたとき、アインに処罰を一任すると書に残すとするさ」



 残された茶を飲み干し、ティグルも椅子から立ちあがりアインと肩を並べた。二人の様子を見ていたディルが近寄り、アインがディルに手洗いに向かうといい席を外す。

 やがて、残されたティグルはディルを見て、どうしたものかと黙っていると、



「ティグル殿はもしかすると、次期イシュタリカ国王の気持ちを変えさせた男として、後世に名を遺すかもしれませんね」



 と、目を細め口角を上げた嬉し気な表情で言ったのだ。



「ん? それはいったいどういう意味だろうか」


「足を踏み出せた方が報われ、新たな恵みを大陸イシュタルが授かるだろうということですよ」


「……まったく、この国の者たちがいう言葉は難しい。またいずれ、さきほどの弁のようにウォーレン殿に学ぶとしようか」




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