一つ目の騒動の終わりと忠義の騎士の理解。
「俺たちはもう終わりだ! なんにも知らなかったっていうのに、どうしてこんなことに……!」
まさにこの世のすべてを悔いるような言葉が響く。
「どうしろってんだ! 王家にも……それにあのオーガスト商会にも睨まれて、これからどう商売をしていけってんだよ! なぁ!」
「アイン様、あの男はもしかして」
「イスト交易商会の商人……だろうね」
逆恨みに騒動を起こしたというのが自然な予想。
ただ少なくとも、会頭ではなく末端だと思われるが、人質に取った女の子はとばっちりだろうか? アインがそう考えていると、
「頼む、金が欲しいのならいくらでも払う! だから、どうか私の娘を放してくれッ!」
一人の男が娘の父を名乗り前に出た。
「……オーガスト商会で見たことがある人だ。なるほど、だからあの女の子を狙って」
「そういうことですか。王家に何もできないからと、わざわざ弱者である小さな子を……ッ。 早く助けましょう!」
クリスの速さなら、後ろに回ってしまえば男が気が付く前に倒せるだろう。
状況を慎重に把握しつつ、アインが小さく頷き返す。
――だが、
「こんな祭りなんて……血に汚れてしまえばいいッ!」
何を思ったのか、男は少女を地面に向けて放り投げたのだ。
恐らく、もう捕まることを当然と理解しながら、最後に血を流してやろうと考えたのだろう。
「おいてめぇ! いい加減にしろ!」
「そうだそうだ! その子を放せってんだよッ!」
勇敢にも駆け出す二人の男性は、様子を見にきていた出店の店主。
男気をみせ一歩を踏み出し、少女を踏みつける男に駆け寄ったのだが、
「くるんじゃない! この……店も持てない貧乏商人がァッ!」
大きく振りかぶり、ナイフを勢いよく放り投げたのだ。
そしてそれは偶然にもアインが立つ方角に一直線――気が付いたクリスは舌打ちをして、アインを守るように前に立つ。
当たり前のことだが突き刺さるはずがない。
クリスほどの、いや、近衛騎士ほどの実力でもあれば手甲で容易に防げるはずだからだ。
しかし、そんなクリスの肩口をアインが掴む。
「えっ……ア、アイン様ッ……!?」
「あのさ、俺がさっき言った、守られる側なのがうーんってのはね……クリスを信用してないって意味じゃないんだ」
その言葉は半分以上がため息で構成され、気だるく、アインが嫌気を感じてるのが分かる。
伸ばした手はそのままクリスの肩をぎゅっと抱きしめると、彼女を自身の胸元にきつく近づけた。
「何かあった時に俺が前に立てれば、俺自身の責任で助けることが出来るからってこと」
信用していてもなお、自分が行動しなければ気分が悪い。
動かず何か起こった時に、アインは自信が後悔することを自覚しているからこその想いだ。
アインの胸元に押し付けられながら、クリスはローブを押し上げるふくらみをアインの胸元で歪め、胸の高鳴りが彼に伝わらぬよう必死に祈った。
やがて、飛んできたナイフはアインの数センチ手前で止まる。
地中から生まれた青々しいツタが、ナイフを縛り上げて止めたのだ。
「帰る直前にこんな振舞ってのも、なんとなく俺たちっぽいよね……まったく」
周囲の者はアインにナイフが突き刺さると思い目を閉じていた。
が、開けた瞬間、アインの前に現れたツタの存在に驚きを隠しきれず、一様に目を見開き口を閉じる。
アインはフードを取ると、乱れた前髪を片手でさっと流す。
「……見過ごせない。王太子の名で拘束する」
ギョロッと不気味にアインの瞳の奥が光る。
真っすぐに商人の両目を射抜き、彼は得も言われぬ恐怖を感じながら後ろに倒れ、震える足と腕を叩き後ろにズリズリと下がった。
だが間もなくして、彼は後ろに何かあることに気が付き振り返る。
「え、あっ……何が……」
それは子供の背丈程度に姿を見せた木の根。
どうしてこんなところに木の根が? 疑問に思いながらも目を細めると、そばの商人にしか見えない程度の、小さく細く隙間が木の根に空く。
木の根が動くことすら普段なら見かけないほどだ。
魔物かと予想したところで、更に目を凝らすと木の根に空いた隙間から――。
【ギィ……ィイ……ァァ……】
いくつもの蠢くグロテスクな瞳に見つめられ、そこから涙のように漏れた一筋の黒い水滴を見て、商人の全身から汗が出た。
人間が見ていいものではない。それどころか存在していいのかと疑問符すら抱く、それこそ神への冒涜とすら取られてもおかしくない思いが、商人の脳裏をただひたすら反芻するのだ。
「っ……あ……ぁぁ……」
生存本能に従いアインが立つ方へ逃げたのだが、お仕置きはここまで。
地中から数本のツタが生まれ、商人の首をしめて意識を奪うと、手足を縛り動きを失った。
「な、なにがあったんだ……?」
「今のは……って、それよりもッ!」
商人が捕縛され女の子の父親が駆け寄る。
頬に傷は負っていたが、それ以外は無事なようでやじ馬も安堵する。
つづけて、一連の流れをしてみせた男に目を向け、あのアインがやったということに歓声が上がった。
「……皆、私の警備が行き届いておらず、このようなことになってしまい申し訳ない。屋敷に戻り次第、新たな警備体制を急ぎ発令するので、今少し私に時間をもらえないだろうか――ッ!」
不安視していた民はあっさり気持ちを変えた。アインという英雄がこの場に居て暴漢を倒し、すぐさま次に何をするかと約束したのが大きい。
一時はどうなるかと思われた騒動も終わり、今では「殿下! 殿下!」とアインを称えだした。
「あの娘には俺の名前でお詫びもしないといけないかな……少し軽率だったのかもしれないし。って、クリス? どうしたの?」
一方のクリスは、ある想いで心がいっぱいだ。
こんなときに不謹慎だろうが、抑えが付かないのは近頃常に自覚していること。
フードを深く被りなおして俯くと、真っ赤に染まった顔と潤んだ瞳を密かに反らす。
「ご、ごめんなさい……大丈夫です……! ただその、色々と自覚しなおしたというか……」
そう答えた彼女の指先には、ドライアドの――ドリアードの種族としてのツタが短く姿を見せていた。
クリスが必死に両手で抑えていると、徐々に消えていくことにほっと一息つく。
「……やっぱり――好き、なんです」
小さく小さく呟いたのは、まだアインに聞こえないでほしいという気持ちの表れ。
それでも呟いてしまったのは、もうすでに我慢できないからに他ならない。
呟いて間もなく、まさかの人物が足を運んだ。
「ッ――アイン様!」
「って……マルコ!? どうしてここに……!?」
「力を使われたようですので、館から大急ぎで走ってまいりました……っと、なるほど……こういうことですか」
屋敷までは歩きで十数分はかかるはず。
どんな速さでやってきたのか、むしろ気が付くのかとアインが彼の凄さに笑う。
状況を一目で把握したマルコは不愉快そうに声色を変え、倒れた商人に数歩近づいたのだが、
「む? 失礼、クリス様」
彼はおもむろに立ち止ると、若干驚いた様子で言う。
「もしかすると、貴方様が身体に宿しているその力は――」
「マ、マルコ殿ッ! だめ、だめですから……まだ言わないでくださいッ!」
恥ずかしそうに顔を赤らめたクリスに対し、マルコは上機嫌に答える。
「……貴方様の血統を思えば、前々から呼び方を変えていただきたく思っていました。ですが、今回の件で決まりです。どうかこれからは私のことを、マルコと呼び捨てにしていただけますと至上の喜びにございます」
今回の件という言葉が意味することは簡単すぎた。
クリスは顔を真っ赤に染め上げ、唇をぎゅっと閉めて頷き半分に俯き返す。
すると、両手でもじもじと太ももの部分のローブを握りしめた。
「えっとマルコ? 何の話……?」
「いえ、臣下として、とても喜ばしい話だったということでございます。……では、私はあの男を詰め所に運びますので、お帰りはどうぞお気をつけてくださいませ」
いつもの彼なら、帰りも同行するというはずなのに今日はどうしたのだろう。
アインは不思議に思いながら、彼に商人を連れていくことを任せクリスに振り返る。
「帰ろっか。警備について見直す必要も出てきちゃったし……」
「……分かりました。ですが、少し隣に立てそうにないので……一歩後ろを歩いていてもいいでしょうか?」
「え、いいけど……うん、わかった」
帰り道の雰囲気は良く分からなかったというのが、アインの感想。
人通りが少ないところに差し掛かると、フードを深く被り直し、クリスはアインのローブの背中を弱々しくつまんでいたのだ。
(摘ままれてる……)
だが、なんとなく指摘せず、アインはどうしたもんかと不思議な気分のまま、屋敷の手前で彼女が手を離すまでそのままで歩いた。
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