忠犬を伴い祭りへ――。

「私に言いたいこと、と言われましても……」



 以前の振る舞いがあるからか、つい身構えてしまうクローネ。

 アインと仲良くしてるという話は聞くが、以前、自身にしてきた猛烈なアプローチは忘れていない。



「ち、違う! 前の……以前の私のようなことではない! それに、私には今、想いを寄せている女性がいる!」


「そ――そうですか……なら、大丈夫……でしょうか……」



 こほんと小さく咳払いをし、クローネが一歩距離をとる。



「それで、何のことでしょうか?」


「……その、だな」


「謝罪でしたら結構ですが、ほかにも何かございますか?」


「……」



 彼女と強く言い合った場面は恐らく、イシュタリカとハイムの会談の日だ。

 それ以来、特に衝突はない。

 リリに孤児だったヘリオンを任されてからは、出来が悪かった彼女に不思議と気を惹かれ、気が付くと、ハイム自治領に連れて行けるよう取り計らったことが、ティグルにとって一番の修羅場だ。



「というより、別に怒ってるわけではありませんし、謝罪するのもお門違いではないかと」


「だが――ッ!」


「本来、王家の方から気を寄せてもらえるのは光栄なことです。私が我が儘な女で、その寵愛を受け入れる気になれなかっただけですので、どうぞお気になさらず」



 お国柄もあるが、クローネが語ることもまた事実。

 特に、当時のハイム王家の発言力は高く、彼女も生まれがアウグスト大公家でなく、例えば伯爵家などだったときには、ティグルの求婚に難色を示すことすら許されなかったはずなのだ。



「それに、今更になって私が不快だったと語るのも……私自身好みませんので」


「……悪かった。勝手に謝罪するのも違うだろうが、今日に限っては許してくれ」


「はぁ……分かりました。受け入れないなんて、それこそ私が小さくなってしまいます」


「あぁ、助かる」



 二人はこうして言い合えるなんて思いもしなかった。

 主にティグル自身の気持ちの整理のため、という一面ばかり表に出て、心なしか独りよがりな謝罪なのは否定できないが。



「人は失敗を重ね成長する。お爺様が良くおっしゃっておりましたけど、ティグル殿も、多くの経験をなさったんですね。――以前、お母様から聞きました」


「む、エレナか。そうだな、エレナにも世話になった。一度は冷遇したこの私を許し、あの未曽有の危機にあったハイムから共に逃げてくれたのだからな」


「お母様は行動派でしょうから、時には落ち着いてほしいものですが」



 クローネも似たようなものだ。なんて思ってもティグルは口にしない。

 身体中から自然と力が抜けていき、元・想い人に許されたことを素直に喜んだ。



「――一つ尋ねてもいいだろうか?」


「実はすぐに屋敷に戻らないといけないので、一つだけですよ?」



 祭りが忙しいのは同じこと。

 ティグルは頷いて了承すると、その問いを尋ねる。



「あぁ、というのも……例えばの話だが、当時の私が――」


「当時といいますと、ハイム戦争以前のということですか?」


「そういうことだ。私たちが幼かったころ……私が今の私のように、物事をもう少し利口に考えられる男だったとしたら、そなたは私の求婚を受け入れていただろうか?」


「……その質問は、ティグル殿の想い人に失礼では?」


「そうだな。だが、そなたに未練があるわけではないのだ。私が知りたいのは……アインとの距離についてだからな」



 すると、怪訝な面持ちを浮かべていたクローネも、ティグルが求める答えの意図に気が付いた。

 彼は友人であるアイン……彼の背中を追っているのだ。

 その証拠に、多少ふてくされたような顔と、密かに不満げな部分がよくわかる。



「以前よりは良かったと思いますよ。ただ、返事は確実に変わらなかったと思います」



 それに、とクローネがつづけた。



「ティグル殿は、今から数分後に世界が滅ぶと言われて信じられますか?」


「は……? な、なにを突拍子もないことを言っているのだ?」


「ふふ、そういうことですよ。私にとって、アイン以外の殿方の隣に立つなんて……少しの現実味もない馬鹿げた話なんです。どちらが先でどちらが後なんて、些細な事ですから」



 ティグルははじめて目の当たりにした。

 彼女が浮かべる自然な笑みが、本当に本当に美しいということを。

 同時に、アインという男の隣に立っていても、霞むことのない女性だと再確認したのだ



「そう言われてしまえば仕方ないな。あの男は破天荒な一面もあるが……大物なのは認めるざるを得ない」


「だいたい、私にアインの事を尋ねることが間違いですからね?」


「ほう、というと?」



 真意を尋ねると、クローネは楽しげに笑い、軽やかに振り返り背を向けて言う。



「私はアインにとってのすべての女になりたいぐらい……アインが好きなんです。私はあの方の妻になるでしょう。でも、姉や妹……そして、娘にはなれませんから」


「あ、あぁ……それは当たり前だが……」


「そんなことを悔しく感じる女なんですよ、私は。はぁ……だから今夜、アインの姉や妹になった気分で甘えてみることにします。

 屋敷に帰るまでの時間はクリスさんに譲ったんですから、それぐらい許されますよね――きっと」


「あ――ッ。お、おい!」



 なんとも深すぎる愛を語り、クローネがティグルのそばを後にする。

 残された彼は、見たことのない彼女の一面に、面食らうどころか、考える余裕すら奪われた。



「……そうか。なるべくしてなった、あの二人でなくば駄目だと……そういうことか」



 アインも強烈な一面がある。

 立ち去っていった彼女も利発で、似た点はあると思っていたが――。



「英雄に見合う女性だったということか……道理で、私が縁を持てなかったわけだが……ところで、クリスティーナ殿に時間を譲ったとは、どういう意味なのだ……?」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 場所は変わり街中の裏路地。

 肩を並べて歩くのは、アインとクリスの二人だ。そして、二人の後ろを、ディルや幾人かの近衛騎士がつづいている。

 ――しかし、前を歩く二人の雰囲気はいつもと違い、少しばかり剣呑だ。



「ですから……! だめなんですってば!」



 クリスが声を荒げると、



「いやいやいや、これぐらい前からしてたと思うけど……」



 アインは冷静に窘めるように言った。



 ところで、一同がこんな道を歩いているのは、公務を終えて移動中だからだ。

 わざわざ人通りが少ない場所を選んだ理由はただ一つ。主に、アインが居て人混みが集中することを危惧したから。



 二人の言い合いを眺め、近衛騎士がディルに語り掛ける。



「……ディル様、止めなくてよろしいのですか?」


「どういう意味で止めろと言うのだ? アイン様がお忍びで夜店に行きたいと言ったことか? それとも、クリスティーナ団長のアイン様への態度をか?」


「強いて言うならば、そのどちらもではないかと思いますが」



 近衛騎士が心配そうにする理由は簡単で、喧嘩する様な言い合いをする二人なんて、今まで見たことがないからだった。

 しかし、ディルは特に心配する様子もなく冷静で、



「そもそもアレは喧嘩ではないさ。私にはそう見えるよ」



 と、どこか見守るような口調で返す。



「ですが、クリスティーナ様のご様子が……」



 アインに意見を語る彼女の姿は、いつもと比べて距離が近い。いや、顔が近くて、アインを止めようとしている本気度が窺える。

 更に声を荒げそうで、いい加減止めるべきという気持ちが近衛騎士たちに募った。



「正直言って、私も女心について詳しいわけではないが、カティマ様から色々とご指導いただいていてな」


「……女心、ですか」



 きょとんとした顔の近衛騎士に、ディルが半笑いでそのご指導を語る。



「そうだ。曰く、クリスティーナ団長は素直になれない性質で、「誘い待ち」をする悪癖があるとのこと。無意識だろうとのことではあるが、いわゆる寂しさを感じると不貞腐れる面倒な……今のは私の言葉ではないぞ? カティマ様のお言葉だ」


「カティマ様のことですから、容易に想像がつきますよ」


「それは助かる」



 ともなれば、解決策となるであろう言葉は一つ。

 アインもそろそろその言葉を言うはずだ――ディルが予想して間もなく。



「ねぇ、クリスが心配してるのって。俺の護衛とかってことでしょ?」


「当たり前ですっ! 相手を炙りだろうとしてるときに、わざわざ一人になる必要はないですもんっ!」


「ッ――あぁ、もう! だったら!」



 加熱する会話に耳を傾けながらも、ディルや近衛騎士はアインに護衛は要らないなんて片時も思わない。

 彼は他の誰よりも強く、正直言って護衛なんて要らないが、あくまでも万が一を危惧するのは一流の騎士らしいと言えよう。



「……アイン様は夜店が好きだからな。以前、マグナに行った時もお忍びをなさっていたものだ」



 ディルのため息はすぐさま虚空に消えていき、響き渡るアインの声を聞き彼の次の言葉を待つ。



「はい、クリスのローブ! ……これでいいよね?」


「あ、え……? えっと、私の分のローブがあるのは……?」


「カティマさんからの助言だよ。クリスは反対するだろうから、むしろ巻き込んでしまえって朝に言われた」



 その時、ディルはこれが計画的犯行なことを察した。

 仕組んだのはカティマで、彼女はお節介のような方法でクリスに手を貸したのだ。

 また、今までお忍び用のローブを二人分持っていたアインに対し、半ば呆れてしまうところで――。



「その……つ、つまり、私がアイン様と一緒に行くということですか……っ?」


「あぁ。それなら文句ないでしょ?」



 ディルや近衛騎士からすれば文句がある。

 クリスは強く、彼女がただアインだけを守るために振舞うなら、十分すぎる戦力だ。

 とはいえ、先日のアインの出張も二人だったことを思えば、大して問題視することはできない。



「……え、えぇ。それなら大丈夫です、きっと……はい」



 しずしずと、隠しきれない嬉しさを表情に重ねつつ、彼女は受け取ったローブを羽織りだす。

 ただの忠犬ではなくなった彼女は、小さな所作一つとっても女性らしい仕草に富んでいた。



「アイン様。夜店に行きたがらなかったので、てっきり今日は諦めていたのかと思ってました」


「……えーっとね?」


「計画的犯行でしたか。まさか、カティマ様にご相談までしていらしたとは」



 苦笑したディルに同じく苦笑し返すと、アインもクリスに倣いローブを羽織った。

 つづいて笑みを浮かべ、久しぶりの夜店に笑みを零す。

 そんなアインに顔を近づけると、声を小さくしてディルが言う。



「はじめから、お一人で行く予定ではなかったんですよね?」


「ま、まぁ……前に約束してたからね」



 アーシェが漏らした夢の内容の件だ。

 一緒に買い物に行くと、アインはそう約束したのは記憶に新しい。



「ついでになんか店でも見てくるよ。あまり遅くならないうちに帰るから」


「承知いたしました。では、お気を付けてお帰り下さい」



 迎えに行くなんて無粋なことは申さずに、ディルは近衛騎士を連れて離れていく。

 やがて、残されたアインとクリスは顔を見合わせて言う。



「それじゃ行こっか」


「ッ――はい!」



 それからクリスは、更に肩を1,2cmほど近づけて、アインと肩を並べて歩き出した。



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