パーティ会場へ。
「あ、あの……私、本当にこの格好で……!?」
魔王城を後にする日の昼下がり。
城の外ではすでに馬車が用意されており、アインは一人で乗り込んでいる。
怖気づいた声を出したクリス――彼女はシルビアと共に、そのアインが待つ馬車へ向かっていた。
「えぇ、そうだけど。何か問題あるの?」
「……騎士の欠片もないのですが、こんな格好でパーティを共にするなんて――」
「いらぬ誤解を生んでしまうかもしれないって?」
「……はい」
言ってしまえばアインは未婚。ただ、クローネという存在が学生時代から身近に居り、常々、任務の度に仲睦まじい様子を晒している。
王太子は補佐官と良い仲にあるという噂の中、そこにやってくるクリスという存在。
というのも、今日の彼女は騎士服なんてものは着ておらず、重ねて髪型も違いがあった。
服装は真っ赤なドレス、髪型はいつものように真っすぐに下ろしているが、まるで貴族令嬢を思わせるような上品なカールが施され、嫌味が無い程度に宝飾品で着飾っていた。
第三者からしてみれば今日のクリスは、付き人や護衛というよりは、アインとパーティを共にする賓客と言える出で立ちで、アインとの仲を疑われることは必至のはず。
クリスが懸念しているのはこれで、勝手な行動? あるいはクローネに悪いことをしているのでは? という考えで内心が占領される。
「その考えは間違いないわ。でもね、それが悪いことっていうのなら、アイン君に責任があるのよ」
「アイン様に、ですか?」
「えぇ。だって私とカインへの招待の代理だもの。私たちは夫婦で、主従関係なんてものは
「で――ですが、私たちは立場が……!」
代理を務めるのだから、参加する形態も違って当然だ。
シルビアは当たり前だろと言わんばかりに、軽い態度で匂わせた。
ただ、クリスがその言葉を受け入れるのはまた別で、
「何も心配しなくていいの。私は自分の言葉が詭弁だと思ってないし、それに、ずるい言い方をしてしまえば、現国王たちも、私の願いを無下にすることはないはずだもの」
国で誰よりも重要視されている初代国王の血統。シルビアはその母でカインは父だ。
シルヴァードがそれを軽視するはずがなく、彼女の代理を務めるためなら……と認めさせる自信があった。
「他の貴族は女性を連れて来てるのに、アイン君だけそうじゃないってのも、少し体面も悪いでしょう?」
「それを言うなら、私が騎士服でも問題な――」
「あるわ。騎士を連れてることと婦人を連れてること、近衛騎士団長がこの違いを分からないはずないわよね?」
「む……むぅ……」
「別に何も心配しなくていいの。帰ってから何か言われても、私が強いたってことにすればいいから……ね?」
と言われようとクリスの責任感は強く、そう責任転嫁したくない。
内心ではもう行くしかないと分かってるため、強く言い返していないだけだった。
「ほーら、笑って。こんなに可愛くて綺麗なんだから、胸を張って、アイン君と一緒に楽しんでらっしゃい」
そしてとうとうやってくる。
クリスが魔王城を出て、馬車に乗りこむ時間だ。すでに乗っているアインを待たせるわけにもいかず、彼女の歩く速さは自然と増す。
「……少し強引だったかもしれないけど、楽しんで来てほしいのは本当なの」
シルビアがクリスの前へ立ち、髪の毛や化粧、宝飾品を手で微調整する。
その時の表情は何とも優し気で、無条件で甘えたくなるような、そんな包容力に満ち溢れて温かい。
「私はクローネさんのことを
「はい。私もそう思います……」
その言葉を聞き、クリスは自分では太刀打ちできないと俯く。
しかし、シルビアはその真逆の意見だ。
「でもね、私はクリスさんが負けてるとは思わない。アイン君を笑顔にできて、他の誰より近くで守ってきて、あの子のために命を投げ打ったこともある――大丈夫よ。貴方が隣に立つことに文句を言う人がいたら、私が罰を与えてしまうから」
「あはは……シ、シルビア様の罰は重そうですね」
「えぇ、重いの。私が大切に思ってる人を悲しませるなんて、世界中の誰にも許さないわ。……さ、もういいわね」
最後にそっとクリスの頭を撫で、満足げに頷いて背中を押した。
彼女は手をかざして大きな扉を開き、そのすぐ外にある馬車に向けクリスを進ませる。
「またいらっしゃい、クリスさん。貴方ならいつ来てもいいのよ」
いつもと違いドレスは少し歩きづらい。
雪は魔法で溶かされたのか、馬車へつづく道だけ石畳が露出している。
クリスが魔王城を出てすぐ、カインがアインと何かを話していたのだろう。彼は馬車を離れ、城の中へと向かって来ている。
「悪くないな。シルビアの趣味に付き合わせたみたいで、苦労を掛けた」
「い、いえいえ……ッ! むしろ、こんなに手間暇かけていただけて……って、趣味……ですか?」
「あぁ。昔はよく、アーシェを着飾って遊……楽しんでいたからな」
お茶目というか、自由というか。
そんなシルビアも想像しやすくて、クリスはつい笑みを浮かべる。
「そうだ。アインの前でもそうやって笑ってやれ。別にアインの機嫌を取れとは言わないが、楽しめることは楽しんだ方が得だぞ」
「……頑張ります」
彼はそのまま石畳の道をゆずり、クリスを馬車へと進ませた。
すれ違いざまに「アインを頼む」と言われ、「はい」と同じく小さな声で返した。
しかし、彼はふと立ち止まり、速足で戻って馬車に近寄る。
「カイン様、どうかしたんですか?」
「考えてみれば、ご婦人が自分で馬車の扉を開けて入るというのも、格好がつかないと思ってな」
剣の王がする馬車へのエスコート。それも初代国王の父にあたる人物で、なんと豪華なことだろう。
彼は馬車の扉に手を掛け、城の執事が霞むような所作で促した。
クリスはその仕草に遠慮しそうになったが、徐々に開かれる扉からアインが見えてくることで、強い緊張との板挟みになってしまう。
しかしそれも間もなく、
「大丈夫だ。胸を張れ」
シルビアと同じ言葉で背中を押され、一度深呼吸をすることで落ち着きを取り戻せた。
二人はどうしてこんなにも言葉に説得力があるのだろう。不思議に思うが、それ以上に落ち着けたことに感謝してみせる。
「ありがとうございました。今回の訪問で、私たちは多くの情報が得られました」
「はは、それは何よりだったな」
彼の銀髪は寒風に吹かれて揺れる。
クリスが知る銀髪は、エルフの里にいる幼馴染のシエラが印象深いが、彼の銀髪は人間離れした美しさだった。
馬車に乗る際に自然な流れで手を貸され、クリスはそのまま馬車へ乗る。
「アイン様。その……お待たせ……しました……ッ」
王太子としての正装に身を包んだ彼の前に腰を下ろし、真っ赤なドレスに倣い、ほんのり紅く染まった頬でそう言った。
――その一方で、アインは遅れて来たクリスを見て驚かされる。
彼女が派手な色合いの服を着るのは初めて見るし、パーティ向けの衣装とあって、大きめの空いた胸元や、首元を彩る宝飾品。加えて、彼女の金糸のような髪の毛が可愛らしく、それでいて豪奢に巻かれているのも印象的だ。
どこから見ても魅力的な婦人――あるいは貴族令嬢で、パーティや夜会では注目の的になるのは一目でわかる。
「えっと、クリス……だよね?」
つい、戸惑いから確認した。
「も――もちろんです! いつもと恰好は違いますけど、シルビア様にしていただいて……」
とはいえアインは分かっている。
こういうとき、特にクリスの場合は初めに言うべき事ががあることを。
「えっと……こないだも驚いたばっかりなんだけど、すごく似合ってるよ――綺麗だと思う」
残念ながらアインが使える語彙力は、こうした場面で言えばそう多くない。
ただ、彼の周囲の人間は、彼が嘘を言うような人柄じゃないことは理解しており、クリスは特に理解が深い。アインの目線が揺れて戸惑ってるのは、今日の姿を見て素直に綺麗だと思ってくれたことだと、それが良く分かるのだ。
「あ……あのあの! 振る舞いに問題がありましたら、どうかご指摘いただければ……」
常識として理解はあるし、これまで何度もパーティ参加の経験はある。が、純粋に女性として共をするなんて初めての経験だ。
「大丈夫だよ。俺もパーティが初めての経験ってわけじゃないし、男がしっかりエスコートできれば、女性に負担はいかないと思う」
「言われてみればその通りです……でも、アイン様って何人ぐらいエスコートなさってきたんですか?」
「え、三人しかしたことないよ?」
一人目はクローネだろうと、クリスは思った。
つづけてオリビアが二人目なことは知っているが、三人目は誰だろうか? 疑問に思ってそれを尋ねる。
「クローネさんとオリビア様、もう一人はなんというお方なんですか?」
「駄ね……じゃなくて、カティマさん。昔、まだ俺の身長が高くないときに手伝ったことがあるよ」
「カティマ様でしたか……道理で」
魔石がある右胸に手を置き、知らない第三者ではなかったことに安堵する。
唇を綻ばせ、どこか艶めいた様子で吐息を漏らした。
「まぁ次の機会があったらディルに任せるかな……うん」
「もー、いいんですか? 勝手にそんなこと言っても」
「実際こうするしかないよ。だって、俺がエスコートできるわけじゃないし、そうすると……ほら」
消去法でもあり、互いの仲を踏まえても最善なのは、ディルが彼女のお世話係に任命されているため。
国王シルヴァードのお墨付きなのだから、誰も文句は言うまい。
すると、二人が会話をしているなか、馬車が静かに進みだす。
「アイン様」
「ん? なに?」
「……さっきまでは遠慮してたんですが、申し上げにくいことに、今は少し違うんです」
「違う……?」
二人になってアインに褒められたからか。もしかすると、心の中で無意識に覚悟が終わったのか。
根底にあるのは分からずとも、クリスには徐々に募りだした想いがあった。
「アイン様の隣でパーティに参加できることが、嬉しくて……楽しみで仕方ないんです」
困ったように笑う彼女はいつもと変わらず美しい。
ただ、今日はそれがさらに女性らしく、言い方を変えれば女の子のようで落差がある。
アインも感想を反芻するが、主となるべき言葉が見当たらない。なんとか一言で思いついたのが、
(――なんか、クリスらしいな)
あまり見せることのない彼女らしさもその一端。
例えば、はじめてイストに行った時の帰りの水列車内。
例えば、彼女を置いてバルトに行った時の帰りのパーティ。
例えば、エルフの里を目指した時のちょっとした遊び。
この全てと同じように、クリスの中身はどこまでも純粋だ。
感情表現が豊かで、アインの機微に聡い、一人の女性に違いない。
「本当はこんなこと考えたらいけないんだと思うんですが……」
「――そんなことないよ。せっかくのパーティなんだから、クリスも一緒に楽しもう」
だからまず、細かいことは抜きにして楽しもう。
せっかくシルビアから貰った機会なのだ。そうしないと損じゃないか。
アインは笑い、クリスはきょとんしたした顔の後に破顔した。
◇ ◇ ◇ ◇
バルトの町についたのは数時間後。
ちょうど夕暮れの時間だが、冬のせいか日が沈むのも早い。
既に辺りは暗く、今日の天気は小粒の雪が降り注りそそぐ程度で過ごしやすい。
「――あちらにいらっしゃるのは、他の誰よりも重要な賓客だ。皆、くれぐれも失礼が無いように」
「はっ!」
数人の騎士が声を上げ、アインとクリスが乗る馬車に近寄った。
乗っているのは魔王城に住まう二人のはず。主のライゼル伯爵の重要な客であり、騎士の自分たちに失礼があってはならない。
大きな伯爵邸には馬車がすでにいくつも並ぶが、二人が乗った馬車は一番の客が向かう場所、邸宅入り口の手前へと案内された。
希少な魔物が引く馬車は美しく、周囲に恐怖を与えることはない。
結晶馬はここ冒険者の町バルトの貴族なら、良く知っている存在だった。
馬車が停車すると、周囲の貴族も足を止めて見守る。自分たちよりも重要な賓客を前に、それを素通りするなんて到底許されない。
ある者は馬車に見とれ、またある者は、結晶馬の威風堂々とした姿に感銘を受ける。
辺りは寒々とした空気が漂うが、婦人や令嬢は肩や足を晒そうがこのぐらいは慣れたもの。
一人の騎士が馬車の扉に手をかけ頭を下げる。やがて、まずは男性が姿を見せるのが流れとなり、次に男性が女性の手を引いて下し、手を貸してエスコートするのが習わしだ。
今日は重要な賓客が来ると緊張していた騎士は、二人が下り終わるのを頭を下げて待つ。
「ありがとう」
ふと、男性の言葉が騎士の耳に届いた。
頭を下げたまま返事を返すのは無礼。騎士はおもむろに顔を上げ、その声の主に答えようとしたのだが――。
「ッ――あ、貴方は……もしや……!?」
「あちらにいらっしゃるのは王太子殿下では……?」
「こ、今宵のパーティに王太子殿下が?」
見間違えるはずがない。騎士や貴族ならば特に、英雄と謳われる王太子を見間違えるはずがないのだ。
なぜここに? そんな疑問より先に、騎士は自然と膝を折って首を垂れる。
隣に立つ美しい女性に見とれそうになりながら、王太子アインへと礼を尽くした。
「シルビア
「も……勿論でございます。そのままライゼル伯爵の下へ向かわれますか?」
「あぁ。代理で来たから、挨拶の一つぐらい先にしておこう」
その言葉を聞き、近くに居た騎士が慌てて屋敷の中へ向かう。
様子を見ていた他の貴族も、アインへ向けて膝を折ろうとしたのだが、
「硬い挨拶は不要だ。膝を汚さなくて構わない」
アインが言葉と態度でそれを制し、振り返ってクリスに小声で語り掛ける。
「クリス。行こっか」
「――はい」
緊張する。照れくさい。まだ心配だ。
彼女の内心は多くの感情に苛まれながらも、アインに手を引いてもらえることの喜びが勝る。
月も嫉妬するような笑みを浮かべ、しずしずと一歩近付いて、彼の左手に腕を許した。
こんな状況で共に歩くのは初めてだ。
しかし、腕から伝わるアインの頼もしさに加え、こうしていて幸せに感じる自分に気が付かされる。
自然と手のひらにも力が入り、同時に距離はすっと近づいた。
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