特別な夜の終わり。

 二人が歩く姿は目を引いた。

 隣を歩くクリスについて、あの美しい方はだれだろう。と、多方から声が聞こえたぐらいだ。

 クリスは到着まで緊張でどうにかなりそうな節もあったが、今はそんな姿は少しも見せず、周囲からは、エスコートするアインに身を任せているように見える。



「注目集めてるみたいだけど、平気?」



 と、前を向いたままアインが尋ねると、クリスは彼の腕に当てた手を一瞬震わせる。

 数秒の呼吸を置き、平静を装いながら言葉を漏らした。



「――元気です」


「あ、うん……元気なのは知ってるけど……」



 彼女なりの精一杯は伝わる。

 アインが求めた答えは平気か否かというもの。しかし、今の返事で彼女の状態ぐらい察しがついた。

 一瞬頬を引きつらせ、次の瞬間には元の凛とした表情に戻る。



「そういえば、考えていなかったんですけど……ライゼル伯爵との挨拶の際、私はどうすればいいでしょうか」


「どうって、例えば?」


「それはその――いつものように、アイン様が来たことを先に申し上げるべきなのか、それとも――」


「別にそれはいらないかな。今日のクリスは護衛じゃないし、婦人が紳士を紹介するのは違う気がする」


「……分かりました。アイン様にお任せいたしますね」


「ん。りょーかい」



 そして彼女はもう一度、アインの腕に強く身体を任せる。

 不安の表れでもあり心を落ち着けるためでもあり、他には戸惑いや、甘えたいという密かな女心。

 自分がいくつもの感情に苛まれるなか、アインが落ち着き過ぎていることが少しの悔しさを感じさせた。



「むぅ……」


「えっと、どうかした?」


「いえ、緊張してるのは私だけなのかなって思って」


「……そんなこと気にしてたの?」



 いつの間にか漂ういつもの空気は、自然と生じた二人の掛け合いの賜物。

 見上げるように不満だと漏らしたクリスに対し、アインが呆れたように言葉を返す。



「な、なんか不平等じゃありませんか……?」


「俺にどうしろと……」



 これは我がまま。クリスは分かっていてそれを口にし、アインも分かっていながら受け入れる。

 心の中で、このやり取りがいつもの二人であるために必要なことだと、よく理解していたのだ。唇を尖らせたクリスに対し、アインの彼女を宥めるような視線。

 これらすべてが交わされたところで、二人の顔に自然と柔らかな笑みが浮かんだ。



「そう言ってくるんなら、俺にも手があるからね」


「手ですか? ちなみにどのようなものなんです?」


「クリスの血統は明かされてなくとも姫君だよ。ってことは、相応の扱いをしたほうがいいのかなって」


「ッ――も、もう……! そんなことされたら、このドレスより顔が真っ赤になりますからね……!?」



 周囲の者から見ても、なんとも仲睦まじい二人。あくまでも自然で無理がなく、距離が近いのに違和感がない。

 つまり、アインの隣にいるクリスが誰なのかという疑問は、更に高まるばかりなのだ。



 ――屋敷の中はバルトらしさがある。

 冒険者が集う街とあってか、魔物の骨や皮。あるいは見事な剥製が飾られているのが印象的だ。

 それらは王都貴族とは一線を画しており、アインとクリスの二人はそれらを見て楽しめた。



 長い廊下をある程度進むと、会場の大広間へと到着する。

 両開きの扉はパーティのために開かれており、警備の騎士や給仕、執事がその場で来客を待っていた。

 その全員を侍らせ、背筋がピンと伸びた老紳士――腰に剣を携えた男こそが、久しぶりに顔を合わせるライゼル伯爵だ。



「殿下。お久しぶりでございます」



 すると、アインが近寄った事に気が付き、彼はアインの手前で膝を折る。

 彼に倣い周囲の者たちも同時に膝を折った。




「ライゼル伯爵。急な代理で申し訳ない」


「い、いえいえ……とんでもございません。殿下にご参加いただけること、我が家の宝となりましょう」



 そうしてようやく顔を上げ、アインから視線をそらしクリスを見る。

 彼女の顔を窺うようなものではなく、純粋に挨拶をするためだ。



「お初にお目にかかります。私はライゼル・バルトでございます。位は伯爵を頂戴しておりますが――失礼、もしかすると、初対面ではございませんか?」


「……近衛騎士団長のクリスティーナです。今日は縁あって、アイン様の伴として参りました」



 どことなく少女らしさがありつつ、騎士らしさから離れた婦人らしさに溢れる所作。

 一度アインと目配せを交わしてからライゼルに答え、その後、見事なカーテシーをして見せる。アインはそれを見るのは初めてで、自然でありながら目を奪うほど流麗とあってか、いつもとの落差に脈拍を速めた。



「これは驚きました。クリスティーナ様がお美しいのは存じ上げておりましたが、なるほど……今宵はどの淑女も霞んでしまいそうだ」



 周辺にいる使用人たちも一様に驚かされた。

 シルビアが口にしたように、クリスがアインの伴をすることを邪推する者もいれば、惚れ惚れするような見目好いクリスに目を奪われる者も居る。

 少なくとも、アインが代理でやってきたことに重なって、強く驚かされていることは事実だろう。



「すると……殿下は今宵、一人の護衛も連れてらっしゃらないのですか?」


「あぁ。そうなる」


「ふむ……一人の民として申し上げるなら、いささか問題ではないかと愚行いたしますが」


「どちらかというと、今日の私は守る対象がいるからな」



 アインが横目でクリスを見ると、ライゼルがその視線に気が付き意味を察する。

 確かに、紳士が連れの淑女を守るのは当然だ。今日のクリスは騎士としての立場にないと、アインが明確に吐露したことになる。



「……?」



 小首をかしげるクリスに微笑みかけ、彼女に対し左腕を差し出す。

 すぐに彼女が応じたところで、アインが歩き、ライゼルがすぐ隣を歩いて進む。

 ライゼルは「ほぅ」と短く吐息のような声を出し、今回のクリスの件が騒ぎにもなれば――と警告のように言う。



「ふふ。ですが英雄がただ一人を守る――羨む令嬢もおりましょう」


「それはどうかな。ただ、今日の私の両腕は埋まってるとしか答えられない」



 余計な詮索はやめてくれと、暗にそう伝える。



「おや? 今は右腕が開いているようですが」


「何かあったとき、剣を抜くために開けてあるだけだ」


「なるほど、仰る通りです。以前お会いしたときと比べて、更に王としての器量が備わったようですな」



 言い方は遠回しだが、彼が言いたいのはアインが大人びたということ。

 アインは受け答えも以前より慣れ、相手をやきもきさせるような答えもするようになった。

 何かの答えを直接的に口走ることなく、潜ませる意図を伝える術も長けてきたのは、ウォーレンという男から多くを学んだからだった。



「冒険者の町の長に言われるなんて、私も成長したものだ」


「ははは……お戯れを、殿下」



 三人はそのままパーティ会場入ると、噂を聞きつけていた貴族たちが一斉に膝をつこうとする。

 当然、アインはさっきのようにそれを手で制するのだが、やはりそう簡単に落ち着きは戻らない。幾分かの申し訳なさを感じながら、三人はそのまま奥の一席に向かう。



「ライゼル伯爵。シルビア様から聞くのを忘れたのだが、今宵のパーティは何か意味があるのか?」


「いえ、よくある貴族のパーティでございます。定期的に行わなければ、回る金も回りませんからな」



 と、髪の毛と同じロマンスグレーのひげをさすり、ライゼルは小さく笑った。



「――失礼いたします」



 ここでグラスを合わせて乾杯でも。三人がテーブルの上からグラスを手に取ってすぐ、中年の給仕が三人のいる場所へやってくる。

 他の給仕と比べて服装が違い、彼女が給仕長に値する人物なことが分かる。この席にいるアインを見てか、そうした人物が足を運んだのだろう。彼女は声をかけると、アインとクリスに頭を下げてからライゼルに言う。



「旦那様。料理長が念のために最後の確認を――と」


「分かった、すぐに向かう。……殿下、大変申し訳ありません。数分ほど席を外す無礼をお許しください」


「あ、あぁ……構わないが、当主自ら料理の確認をするのか?」


「勿論普段はしておりません。ただ、殿下のお口にあう料理になるか、私も最後に確認して参ろうかと思いまして」


「……気を使わせたな」


「とんでもございません。シルビア様方に招待状を出したときから、こうするつもりでございましたので」



 すると、ライゼルは深く腰を折って頭を下げる。



「こちらにいるのは我が家の給仕長でございます。私の代わりに彼女を置いて行きますので――」


「彼女にも仕事があるだろう。私はクリスと二人で話しているから、そのような気遣いは無用だぞ」


「――ですが」



 王太子に遠慮させるなんてあってはならない。ライゼルが食い下がろうとするのだが、アインの目線からそうしたものじゃないという意図が伝わる。



「すぐに戻ります。何かありましたら、会場の者へなんなりとお申し付けください」



 最後は訳知り顔で二人の下を後にしたライゼル。

 それから間もなくして、クリスがアインに語り掛けた。



「ほんと、アイン様はいつもお優しいんですね」


「ん? なんのこと?」


とぼけなくても分かってますよ。私のこと気遣ってくださったんですよね」


「……調子はどう?」


「自分でも不思議に思うぐらい落ち着いてます。アイン様のおかげなんですよ?」



 やはり今日の彼女の笑みは柔らかい。

 いつもが固いということではないのだが、今日は格別柔和だった。

 下から騎士ではなく、クローネのように貴族令嬢だったのではないかと錯覚させるほど、今日のクリスは所作や化粧、服装のすべてが似合っている。



「俺は何もしてないと思うけどね。ただ手を引いてるだけだったし」


「えぇ、私にはそれだけで十分なんです。お伽噺のお姫様なんかより、ずっとずっと素敵な時間を送れてますから」


「……」



 会場の雰囲気や二人の出で立ちによるものか。クリスはいつもと比べて言葉に積極性がある。

 アインが黙ったのはそのせいで、照れくささから視線をそらしたのだ。



「あの、さ。騎士として来てるときと比べたら、やっぱり今日の方が楽し――」


「あっ……いえいえ、そんなことはないんです。今日がすごく楽しいのはそうなんですけど、騎士としての私も、アイン様の隣を譲りたくないっていう気持ちはありますから……」



 時折ディルに対抗心を燃やすこともある。アインの専属を務められるようになったことも、彼女にとってかけがえのない財産に違いない。



「ただ、今はこうしてるのが一番好き……っていう感覚なんです」



 ――それから二人は乾杯を交わし、今日という日のパーティを楽しんだ。

 ライゼルが戻ってからは、参加している貴族の挨拶がつづくこともあったが、少し経てばすぐに二人はゆっくりとする時間を得る。

 シュトロム行きの水列車の時間になるまで、いつもと違う夜を過ごしたのだった――が、まだ夜は終わっていないのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ライゼル伯爵邸でのパーティはつづくが、アインとクリスは一足先に会場を後にした。

 水列車に乗り込んだところで、クリスが名残惜しそうに着替えに向かうとしたことにアインが気が付く。

 会場は後にしたが、ここでパーティのような時間を楽しむことは出来るはず。アインはそう思い、着替えに向かおうとした彼女を止め、借りた車両備え付けのバーカウンターに腰かける。

 隣り合わせに腰かけ語り合い、シュトロムを出てからの日々を回想していた……のだが、



「もー……私だって、いつも頑張ってるんですからね……? アイン様ばっかり強くなって……」


「分かってるってば……。その、眠そうだけど……そろそろ休む?」



 既に日付は変わったころ。

 いつもと違うことを続けたせいか、クリスの身体が休息を求めている。

 瞼はトロンと下がり、口調も少しずつおっとりと変わった。



「もう少しだけお話したいんです……駄目でしょうか……?」


「駄目ってことはないけど、疲れてるなら休んだ方がいいんじゃないかなー……って思うよ?」


「いいえ、駄目なんです……。今日はせっかく一緒にパーティに参加できたんですから、もう少し……お話したいんです……」



 そう言うが、無理をしているのは一目瞭然。

 グラスを持つのは危ないと本能で理解しているのか、彼女は数分前からカウンターに両腕を置いて支えにしている。

 豊かな胸元が強調され、アインとしては彼女に目を向けるに困るところ。煽情的ながら、まるで幼子のような仕草の彼女の落差が強く印象付けてくる。



「あっ……これ――」


「まだ少し寒いから着てるといいよ」



 アインはおもむろに上着を脱ぎ、それをクリスに着せる。

 車両内は温かくて必要ないはずだが、着せたことで、彼女の露出された両肩と胸元が隠される。

 すると、クリスはもぐりこむように身体をよじらせ、アインの上着の中に身体を収めた。



「暖かいです」


「そりゃよかった。ほら、部屋まで送るから。立って」


「……むぅ。ですから、私はまだ寝ませんってば……!」



 眠たそうに瞼をかくのをやめてから言えと、アインは内心でつっこみを入れる。

 カウンターの椅子に細長い足が力なく揺らされ、上半身はアインの上着に収まり満足げ。いつ寝てもおかしくなさそうな表情で、そろそろ限度なはず。



「分かった。なら、最後に一杯だけだからね」



 そう言ってアインは立ち上がり、奥にある魔道具に近寄りドアを開ける。

 中にある酒を一本手にとったところで、振り返ってクリスの隣に戻ってきたのだが――。



「え、えぇー……この少しの間にってこと……?」



 彼女は腕を枕に顔を乗せ、幸せそうな顔で寝息を立てている。

 目を閉じた彼女は、今日の化粧や姿もあり、いつも以上に幻想的な寝姿を晒していたのだ。



「……やっぱり俺の懸念は正解だった。うん、間違いじゃなかった」



 ただ一つ間違いを挙げるなら、少し強引に彼女を寝室へ送るべきだったろう。

 既に寝付いた彼女を送るのは少し憚られる。寝室に連れていき彼女をベッドに横にする。相手が良く知るクリスとはいえ、こればかりはそう素直にできない。



「少ししたら起こそう……。それまでは」



 あのソファでいいか。

 バーカウンター近くに置かれたソファを見れば、貴族向けとあって大きく寝心地も良さそうだ。

 仮眠程度なら問題ないと踏み、アインはクリスの背中に手を当て、膝裏に手をまわして彼女を抱きかかえる。

 軽いな。と考えてしまったのは、寝ている彼女に対し失礼だと自らを律した。



「言わんこっちゃない。でも、今日は楽しかったみたいだし、多めにみよう……かな」



 クローネとも話したが、余裕があれば彼女の買い物にでも付き合うつもりだった。しかし、それはシュトロムに帰ってからのお預けの様子。

 パーティを供にできたこと、そして、クリスが楽しんでいたことをアインも喜ばしく思う。



「んぅ……」


「はいはい。少しの間だけだからね」



 ソファに下し身じろいだ彼女に言い聞かせ、アインは反対側のソファに腰を下ろす。

 すると、アインの瞼も徐々に重みを感じ出す。



「俺も疲れてるのかな……。シュトロムに帰れるって思ったら、気が抜けたのかも」



 上半身を伸ばし気だるげに大きめの欠伸を漏らすと、シャツのボタンを2つほど外して身体を休める。

 やがて、柔らかなソファに埋めるまま、アインは逆らうことなく身体を任せた。



「俺も少しだけ休もうかな……クリス一人置いてくわけにもいかないし」



 ――ここまでが、アインが覚えている最後の記憶だ。

 それからすぐに寝付いたアインは、数十分、あるいは一時間程度休むぐらいの気持ちでいたのだが、彼の想像以上に身体に溜まった疲れは重い。

 結局、目を覚ましたのは、それから数時間経ち外が明るくなった頃のこと。



 目を覚ました時に感じたのは身体のこわばりと何かの重さ。

 甘い香りと柔らかな感触に加え、じゃれつかれることで擦れる髪の毛のくすぐったさだ。



「――あれ、もう日が昇って……」



 失敗した、寝すぎてしまった。

 クリスはどうしただろう? 彼女が寝ている方のソファを見ようとしたが、身体がどうにも自由に動かない。

 上に何かが乗っていることに気が付いて、その正体を探るべくアインは顔を上げた。



「ク、クリス――ッ!? どうしてそんなとこに……ッ」


「ん……アイン様……まだ眠いです……」



 アインのシャツを掴み、顔を擦り付けている彼女。身体は重なり、甘えるようにアインに覆いかぶさっている。

 なんとも寝づらそうな恰好ながら、彼女は依然として幸せそうな表情だ。

 夢の中では素直に甘えられているのだろうが、現実でもそうしているということは知る由もない。



「……寝ぼけたんだろうけど、なんて器用な……」



 アインとクリス。二人は知らないがこれは偶然の結果だった。

 魔王城でシルビアに焚きつけられたこともあり、クリスは寝ぼけながらもアインの近くへ向かう。すると、現状のようになったところで精神が満足に至り、彼女は無意識のうちにそのまま寝付いたということだ。



 こうして身体を密着させていたことに関して、内心でクローネへ深く強く謝罪をすると、アインは身体をゆっくりと起こしてクリスを抱き上げる。

 寝る前のように彼女を真正面のソファに横にさせ、今度は二度も勝手に抱き上げたことについて、内心でクリスへ謝罪したのだった。



 彼女が寝ぼけてアインと共に寝てしまったこと。シルビアに焚きつけられたことが心の中で無意識に働いたのは、言うまでもない至極当然のことだなのだが、そんな話を知らないアインは、いつもと違い大胆なクリスに驚かされていた。



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