少しずつ。

 開けた日の朝、クリスはひどく不機嫌だった。

 それは決してアーシェの件ではなく、突然の不愉快な来客ゆえだ。



「お引き取りを。アイン様はお休みなさっておりますので」



 場所は屋敷の門のすぐ外で、近衛騎士が相手に困ったことでクリスを呼び出したのだ。

 近衛騎士たちは緊張しだした。というのも、クリスの気分が徐々に徐々に危険な領域に入り込みだしたからだ。



「ですから、我が主は爵位持ちでございます。なので、王太子殿下へと陳情する資格はお持ちです」


「はい、それは存じ上げております。なにせアイン様は王太子でありながらも、このシュトロムの領主ですから」


「――ならばッ!」


「ただし、これはいつでも可能――ということではありません。もう一度言いますが、アイン様は領主でありながらも、王太子。通常であれば、お声がけすることすら難しい事とご理解ください」



 あくまでも両者の態度は変わらず、互いに意見のぶつけ合いだ。



「ク……クリスティーナ様、随分とご気分がすぐれないようだな」


「あぁ、そりゃあそうだろ……相手は殿下だぞ? クリスティーナ様が気を寄せているあのお方だぞ?」



 と、彼女からは離れたところで、近衛騎士が語り合う。

 さて、どうしてこのような状況になったのかと言うと、それは、ギルド長が口にしていたイスト交易商会が原因となる。

 まずはじめに、やってきた者はある男爵家の使いの男で、彼が求めたのはアインへの陳情。

 いや――陳情とはいうが、直接話をする機会がほしいと言ったのだ。



 そして、この男爵家というのが、イスト交易商会と深い仲にある貴族とのこと。

 結局のところ、例の祭り騒ぎに噛ませろ! という話をしにきているのだ。



「……我が主は、殿下へとイシュタリカになる話を持っております。これからのシュトロムの発展のためにも、是非、時間を頂戴できないかと」


「それは素晴らしいことです。では、王太子補佐官へと書状をお送りください。精査した後にお返事を致しますので」


「何事も期を逃してはなりません。いかがでしょう? ほんの少しの時間でもよいので……」



 苛立ちだ。

 クリスの脳裏を掠めるのは苛立ちの一言ばかりだった。

 こんなことを想ってはいけないが、つい考えてしまう。

 あぁ、たかが男爵家の使いが何を言っているのだろうか……と。



「何事も即決はできません。それがイシュタリカの未来に関わることであるならば、なおのこと」


「――言い方を変えましょう。一人の騎士が、男爵の言葉を勝手に遮ることは許されませんよ」



 彼もまた苛立ったのか、眉間に皺を寄せてそう言ったが、クリスもすかさず言葉を返す。



「はぁ……自らが足を運ばずに、使いを送って会わせろという無礼な男爵へ伝えなさい。出直せ、と」



 通常であれば、貴族が唐突に足を運ぶことは良いこととはされていない。

 であれば、使いを送るべき――こう答える者もいるだろう。

 だが、これも相手がアインのように格上すぎる場合は、少しばかり考えるべきだった。



 まずはじめに書状を送り、約束を取り付け――という下準備を入念にするべきだ。

 いくらアインが接しやすくて、一人でも町にでる王太子とはいえ、それが仕事の話ともなれば話は別。



 クリスは内心でこんなことを考えたのだが、そもそもとして、これは一般常識のようなもの。

 彼女からすれば、アインのことを舐めてるのか? と考えてしまうのも無理はなかった。

 即位する前の新人領主とはいえ、弁えるべきは弁えるべき……こう言い返したくもあるのだから。



「そもそもとして、私はアイン様の専属護衛を務め、近衛騎士団の団長を務めております。爵位はありませんが、所持している権限としては伯爵と同等ですので」


「ッ……我が主より格上だと、そう仰りたいのですか?」


「いいえ、私にもそれなりの権限があることを伝えたいだけですよ」



 アインやオリビアにポンコツと言われようと、彼女が才媛なことに変わりはない。

 というより、近しい仲との間では隙が生じると言った方が、彼女の名誉のためだろう。

 あくまでも強い口調で返され、その迫力に使いの男もだじろいだ。



「――それでもなにとぞ、どうか一言でも王太子殿下へ……!」



 だが、使いの男も執念が強い。

 と、クリスは考えていたのだが、彼の様子が少し気になった。

 どうしてこんなにも急かしてるのか、どうしてこんなにも強気なのか。

 こんな貴族の使いは滅多にいない、それどころか、はじめてみるほどだ。



 というのも、相手が海龍討伐の英雄にして、ハイムを落とした王太子。

 いくつもの異名がある相手に対し、ここまでしつこくなれるのが不思議に感じる。



 ……クリスが一瞬考えた。その次の瞬間だ。

 男は一歩踏み出し、クリスに近寄るようにして、屋敷の敷地内の土を踏んだ。

 これは何があってもしてはならない、近衛騎士はすぐさま剣を抜いた。



「それ以上はなりません」


「これは警告です。更に一歩前に進んだ際、貴殿は反逆の意思がある者として判断致します」



 場所と規模は違うのだが、ここはいわば、イシュタリカに置ける二つ目の城といっても過言ではなかった。

 それに対し、何の許可もなしに足を踏み入れでもしたら、後のことは簡単だ。

 近衛騎士の剣は、男の首元と胸のあたりに押し当てられる。



「……私たちもアイン様の屋敷を汚したくありません。これ以上は無益でしょうから、お引き取りを」



 と、クリスが言う。

 男は緊張と恐怖から、額に大粒の汗を浮かべて震えた。

 使いなのだから、主の言うことには逆らえなかったのかもしれないが、近衛騎士としても同じことだ。

 彼らの仕事というのは、この屋敷に住まう者を守ることにある。



 彼は震える足でゆっくりと下がっていき、近衛騎士もようやく剣を収めた。



「先ずは書状を送ってください。私からの答えは以上です」


「……本日はこの辺で失礼致します」



 もう言えることは無いと悟り、男は近くに止めてあった馬車に乗った。

 すると、逃げ帰るように御者を急かし、すぐにこの付近から姿を消したのだ。



 ――ガサガサッ。



「ま、まさか侵入者が……!?」



 ふと、近くの植木から音が鳴った。

 さっきの男が何かしたのかと、近衛騎士は急いでその近くに寄ったのだが、



「ち……違うニャ! 私だニャ!」



 慌てて植木から姿をみせたのは、我らが第一王女カティマ。

 そんなところで何をしていたんだ……と、クリスは大きなため息をついた。



「一応……何をしていたのか理由を聞いてもよろしいでしょうか?」


「ニャ? 決まってるニャ、なにやら楽しそうな会話だったから聞いてただけだニャ」



 差も当然かのように言い、彼女は偉そうに仁王立ちする。



「いやー、それにしてもアルベロ男爵家かニャ?」


「え、カティマ様? さきほどの男がどこの使いかお分かりだったんですか?」


「そりゃー知ってるニャ。偉そうに家紋も付けてたからニャ」



 意外と目ざとい、というより、聞いてただけというわりには見る場所が違う。

 やはり、彼女はただのケットシーではないという事なのだろうか。



「ところで、それにしても――とはどういう意味でしょうか?」


「ギルドに馬鹿な依頼出すような家だからニャ、私もしっかり覚えてるのニャ」


「ギルドに対して、馬鹿な依頼を……ですか?」


「あれ? 知らないのかニャ? 何度かアインとギルドに言ってるニャろ?」



 はて、そんな依頼はあっただろうかと、クリスは唇に手をあてて考え込む。

 首を傾げ、アルベロ男爵家という名を反芻すると、ようやくその意味を理解した。



「――ありましたね。確か、愛犬のマックス? とやらが逃げだしたので……という依頼でしたか?」


「そうニャ!」



 アインとはじめてギルドを尋ねた際に見つけたことがあった。

 道理で覚えがあったのだと、内心で納得できたところで、



「で、カティマ様はどうしてそれをご存知なんでしょうか?」


「私も行ったからニャ。ディルを連れて、どんなところか見て来たのニャ」


「……なぜわざわざそのようなことを」



 呆れたというか、彼女の自由っぷりを再確認だ。

 きっと、ディルは何度も止めたのだろうが、結局はカティマの勢いに負けたのだろう。



「でーも不思議だニャ。リリたちの情報が上がる前に、あっちがイスト交易商会の名を出してきたなんて、不思議じゃないかニャ?」



 カティマは不思議だと言うものの、それなりの確信をもって語っている。

 あくまでも、この場では断定して語っていないだけで、クリスもそれは分かっていた。



「……確かにそうですね」


「金の流れを感じるのニャ。元から深い仲だったのニャら、そんなのもう調べがついてるのニャ」



 関係を持ったのは最近ではないかと、また、表立っての関係は無かったのではないかと。

 彼女は暗にそう言った。



「キナ臭いということですか。では、早速アイン様にもお伝えしないと……」


「いや、その必要はないニャ」



 どうしてないのか、クリスはカティマに尋ねようとするのだが、その答えは近くにいた。

 ガサガサッ、と植木から音が鳴ると、どや顔で顔をみせる男が一人。



「実は俺も聞いてたんだよね」



 なんとも凛々しい顔でアインが言ったのだが、決して締まりなんてものは存在しない。

 艶やかな茶髪には植木の葉を数枚乗せ、そこから姿を現されても、クリスはただ呆気にとられるばかりだ。

 むしろ、さっきまで気が張ってたのがあっさりと緩和する。



「うーん、でも繋がってきた気がする。龍信仰と、偽の卵の祭り……そこに出てきたイスト交易商会と、変な男爵家」


「いわゆる後ろ盾みたいなのかもしれないニャ?」


「関係があるとすれば、その可能性もあると思う。だから作戦会議でもしようかなって。リリさんも呼んで……あれ、クリス? どうしたの?」



 ただ呑気に答えるアインに対し、クリスは何度目か分からないため息をつく。



「なんでもありません! はぁ……惚れた者の負け、とはよく言ったものですね……本当に」



 と、薄く笑みを浮かべて呟いた。

 その後は、アインのすぐ傍に行って、彼の頭にある葉っぱを手で取ったのだった。



「ありがと、クリス」


「……もう。王太子なんですから、次からは、変な所に隠れないでくださいね?」



 ごめんごめん、アインは軽い態度で返したが、内心では一つ考えていた。



(俺が相手だと知って、あんな強気な態度で来るっていうのが……少し気になるかな)



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