明けた日の行動。
屋敷に戻ったアインは、広いリビングで会話をしていた。
ちょうど時間を持て余していたオリビアも混じり、真正面のソファにはクリスが腰かけている。
「それで、クリスがお世話をしてる……ってことなんですね」
オリビアは隠し切れない苦笑いを浮かべ、ソファに腰かけたクリスを……そして、彼女の膝の上で寝てしまっているアーシェをみる。
魔王アーシェがここにきた経緯をアインから聞くと、あの後、アインは大通りに出てから串焼きを買う。
両手いっぱいに串焼きを渡すと、幸せそうな笑顔で後ろを歩いて来たという話だ。
さて、経緯とは違って、クリスが彼女を抱いてるのには理由がある。
親子というよりは、年の離れた姉妹のような二人は、主にアーシェがクリスに懐いているのだ。
何故かと言えば、アーシェの復活の仕方に縁があったようで、
「あはは……こうして静かにしていると、魔王なんて思えませんね」
ミスリルの剣を介して、彼女の核と魔石の影響によって復活させた。
そこには他人には分からない、アーシェなりのある感情が生まれる。
というのも、早くに親という存在が消えた彼女にとって、新たに自分を生んだようなクリスは特別な存在。
母という感情とは違うのだが、シルビアに抱く姉のような感情ともまた違う、不思議な親近感である。
「んぅ……」
身体をよじるアーシェを支えながらも、その仕草が可愛らしかったからなのか、クリスが母性的な笑みをみせる。
頭を撫でれば、なんとも幸せそうに寝姿を晒す。
「昼間に頼らないなんて言ってた俺だけど、やっぱり、アーシェさんがいると頼もしいのは確かか……」
主に警備の面で頼もしさを感じる。
例えばアインが外出していた際、マルコやクリスたちが同行しているのならば、屋敷の警備力は低下する。
低下すると言っても、黒騎士だけでなく近衛騎士もいるのだが、敵戦力を正確に把握できていない今、警備を薄くするのは避けたいのだ。
今のアインには守るべき者が何人もいる。
当然、イシュタリカの民もそうだが、心の内では、家族の方が大切に思ってしまうのは致し方ない。
そんなところで、アーシェという魔王が力になってくれるというのは、手放しで安心できる助けと言えるはずだ。
「ところでクリス。その状況……どうするの?」
「……一応、お部屋は用意してあるので、そちらに連れて行く感じにはなりますよ?」
「あ、一緒に寝るとかじゃないんだ」
何を言ってるんだという顔を向けられ、アインはバツの悪い面持ちで片頬をあげる。
「冗談だってば。まぁ、今そうやって寝ちゃってるのは、水列車の旅で疲れたんだろうね」
「えっと、魔王も疲れるんでしょうか?」
彼女はアインに対してそう尋ねた。
すると今度は、アインの方が、何を言ってるんだという顔を向けた。
「あのさ、俺だって人間だからね?」
「――世界樹だと思いますよ?」
なるほど。言われてみれば人間ではなかったな。
随分とキレのあるツッコミをされてしまった。
「心は人間だからね?」
「……存じ上げておりますが、体力とはまた別の問題では?」
「身体の疲れっていうよりは、気持ちの部分で疲れたとか、あとは気怠い……みたいなのは俺もあるよ」
結局、降参してしまう。
例えるならば、長々と椅子にすわって仕事をしていた時のこと。
尻が少し重く感じ、同じ姿勢でいるのが億劫になる。
アインがいいたいのはこういうことで、決して体力的な疲れではない。
「そうですよね。アインったら、いつの間にか腕もこんなに逞しくなってるんだもの」
「え……えぇっと……ありがとうございます……?」
自然な流れで手を伸ばしたオリビアが、アインの二の腕を両手でさする。
確かに、長い間鍛え続けたせいか、彼の二の腕は筋肉質で引き締まっている。
しな垂れるとまではいかないところで、オリビアがアインに近寄る。
「オ、オリビア様ー……? 近すぎないかなーって思うのですが……?」
今にも止めに入りたいのだろうが、抱いたアーシェゆえに立ち上がれない。
ただ不満げな表情を向けることしかできなかった。
「血縁だからこその特権なの。クリスだって、妹みたいにアーシェ様を抱いてるじゃない」
「いえいえいえ! それとこれとは話が別で……!」
一方で複雑な心境なのはアイン。
オリビアは母だ。まごうことなき、聖母のような母だ。
しかし、記憶は全く残っていないが、アインには前世の経験がある。
だからこそ思うのは、今まで同様、彼女をすべて母として思えない感情。
例えるなら、母と、仲のいい姉と、近所の綺麗なお姉さん――の三種類を混ぜたような、絶妙な感覚だ。
ここにはむしろ、アインの産まれ方、ドライアドの習性による産まれ方も影響しているのだろう。
産まれ方としては番を産み出す方法なのだから、完全に母と思え! というのも無理な話だったのだ。
(まぁ、王太子
以前も使った謎の単語を内心で呟き、隣に座る美女の気配に包まれる。
「だいたい、私はアインに根付いてしまってるのだから……近くに居ても仕方ないでしょう?」
「……すみません、その話を詳しくお聞かせ願えますか?」
目の色を失い、クリスの体中から冷たい空気が流れだした。
しかし、気にすることなく、上機嫌にオリビアが言う。
「覚えていない? ハイムの戦争のとき、アインが暴走してしまったときに私も身体を壊していたでしょう?」
「覚えています。今聞いてるのは、根付いたという事の意味についてですが」
「うーん、私が思う切っ掛けって言うのは二つあるのだけど――」
曰く、どちらもアインが幼い頃の話にさかのぼる。
一つ目はそもそもとして、アインが産まれた方法だ。
最初から番を産み出すような方法だったのだから、その瞬間から根付いていたのかもしれない。
こんな予想がまず一つ目。
二つ目は、アインが幼かったころのスキンシップ。
アインが可愛くて仕方のなかった彼女は、アインの頬に口づけをすることなんて何度もある。
これが影響しているのかもしれない……というのが二つ目だ。
「……分かりました、なら問題ありませんね」
ほっと息を吐いて安堵したのか、クリスが瞼をおろす。
しかし、次の瞬間には戸惑った表情で顔を上げた。
「あれ? でもそうなると、クローネさんに根付いた……というのはどうなるのでしょうか?」
クリスのそれは素朴な疑問ながらも、なかなか強烈な疑問というおかしな内容。
すると、皆が一斉に考え込むのだが、一向に答えは見当たらない。
しばらくの間つづいた思案も、アインが世界樹だからという理由で落ち着いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「おや、アイン様。今日は早いのですね」
「マーサさんこそ早いでしょ」
次の日の朝、早いうちに目を醒ましたアイン。
窓の外を見れば、まだ陽が昇る前で、夜のとばりと薄くなる蒼の境界線が曖昧だ。
もうすぐ雪でも降るだろう。という秋の終わりの寒さを感じ、少々厚めの外套を羽織って屋敷を出た。
マーサと顔を合わせたのは玄関先。
彼女はこんな早い時間から、箒を使って扉の前を掃除しているのだ。
「私の場合は昔からですので……」
「前にディルから聞いたけど、仕事が無い日も、朝早くから起きて家の掃除をしてるとか」
「えぇ、お恥ずかしい話ではありますが、もはや趣味ともいえるものですから」
ニコッと笑う彼女は、給仕こそが天職なのだろう。
彼女がベリアという頂点を超す日も、もしかすると近いうちにやってくるかもしれない。
「あれ? この木箱は?」
マーサの足元に置かれた小さな木箱に気が付き、それを指さして尋ねる。
「こちらはムートン様から頂いた刃物でして、これまたムートン様に研いで頂いたものが、ついさっき王都から届いたばかりでして」
「あー……そういうことだったんだ」
近頃は、近衛騎士の武器なども彼のお手製で質が高い。
アインとしても、また、王家としても世話になっている男だ。
「料理人たちからも評判ですよ? なんでも、ムートン様の
「へぇー、剣だけじゃなくて、そういうのも作れるなんてさすがだね」
と言ってみるが、当然のことだ。
細かな違いはあれど、同じ刃物だろ。と、ムートンならば言うだろうから。
「ところで、ムートンさんの生まれ故郷って?」
「実は我々も尋ねたことがあるのですが、どうにも色々と旅をするうちに、そうした思い出は忘れてしまったらしく」
「そっか……。ドワーフも長生きらしいし、しょうがないね」
すると、アインはおもむろに歩き出し、裏庭に足を運ぶ。
マーサとは玄関前で別れ、ある目的意識を持って歩き出した。
黒騎士が訓練をする舞台の近く、ちょっとした庭園がある場所についたところで、
「――まさか気が付くなんて思いませんでした」
「昨日の今日だし、何かあるかなって思ってたからね。偶然が重なっただけだよ。アーシェさんの件もあって、昨晩は眠りも浅かったし」
「なるほど……そういうことにしておきますね……」
アインが裏庭にやってきたところで、どこからともなく
彼女は仕事終わりなのか、若干疲れた表情を浮かべている。
「イスト交易商会のほう?」
「いえ、そちらはまだ調査途中ですが、ローブを着た者たちを見つけました」
「場所はシュトロムで?」
「港近くです。隠れるようにして、双子を眺めておりました」
意図が分からない。
双子を狙ったとすれば、確かに奴らの炎は強力だ。
しかし、
「エルとアル、あいつらの手に負える……?」
「無理じゃないですかねー……。私だって、双子をなんとかしろなんて言われたら、全力でエレナ様を差し出しますよ? 泣く泣く我慢してエレナ様を差し出しますからね?」
随分なとばっちりだ。
アインはつい笑ってしまう。
「それもまた違う気がするけど、まぁ……だよね」
まだシュトロムにもいたのかと笑いすらこみ上げるところで、アインが言う。
「マルコ。いる?」
「――こちらに」
「わ、わわわわっ!? い、いつの間に……」
リリにすら察知されない隠密具合で、マルコが何処からともなく現れる。
彼は紳士然とした態度で、リリに向けて頭を下げるように身体を折り、アインの隣で膝を折った。
「屋敷をアーシェさんと守ってもらえる?」
「なりません。アイン様の身は――」
「言い方を変える。マルコ、俺の命より大事な人たちを守ってもらえる?」
これもまた、マルコにとっての新たな誇りとなる。
マルコはハッとした様子で体を震わせ、しばらくの沈黙の後に頷く。
「お心のままに」
アーシェとマルコ。
二人がいれば何があろうとも屋敷は落ちない。
確証を抱くのはだめだろうか? いや、こればかりは揺るがない事実だろう。
「では、供は誰を?」
「リリさんに案内を頼もうかな、いい?」
「お任せくださいませー!」
と言ったところで、アインが玄関先の方角に目を向ける。
曲がり角となった屋敷の角から、一人の男が姿をみせたのだ。
「俺はマルコのような騎士をもう一人知ってるんだ。彼なら安心して護衛を任せられるからね」
「……仰る通り。あの者もまた、忠義に生き忠義に死ぬ騎士でございましょう」
すると、アインは楽し気に返事を返して歩き出す。
マルコは霧のように姿を消し、アインの命令に従うがため、屋敷のために働きに向かう。
最後に見せた態度は決して不満げなんてものは一つも無く、忠実なマルコらしい仕草だった。
「アイン様? 黒騎士はいかがなさいましょう?」
やがて、合流した彼と言葉を交わし、アインが先頭を歩いて屋敷の外に向かう。
「黒騎士もマルコに任せようかな。シュトロムで一番強いのは俺だから、屋敷の方に戦力を回しておきたい」
「はっ。承知致しました」
彼は素直に返事を返すと、アインの隣に向かい、剣を差しだす。
「クローネ様からでございます。『どうかご武運を。お帰りをお待ちしております』……とのことでしたが」
「……はぁ。いつからバレてたのか尋ねたいけど、それは帰ってからにしておこうかな」
きっと、根付いた事での勘の鋭さもあるのだろうが、彼女らしい気遣いに感謝した。
三人はやがて、屋敷の門に到着し、外に居た門番がそれを開いた。
「討ち入りみたいなものだけど、お供が二人っていうのは寂しいかな?」
普通の王族はそんなことはしない。
もっと身の安全を守り、後ろにいて行動すべき。
だが、あくまでもイシュタリカの王太子はアインだ。
彼にその常識を解くのは無粋だろう。
本人すら、微塵もそんなことは思っていない。
だから、冗談として尋ねている。
「もーアイン様ってば、駄目ですよ? リリちゃんだってそれなりに戦えるんですからね!」
「ははっ、大丈夫。ハイムでの活躍は今でも忘れてないよ」
彼女と冗談をかわしあったところで、もう一人の彼が嬉し気に、それでいて誇らしげに口を開く。
「――金色の獅子を連れ歩くのも、また一興ではございませんか?」
と、金色のたてがみを風に揺らせて彼――ディルが言うのだ。
思えば、長い付き合いながらも、彼とこうした境遇に陥るのは初めてだ。
マルコが暴走した際は、アインが一人で決着をつけた。
つまり今日この日はディルにとって、その時からの悲願を果たせた特別な日となる。
悔しいな、ただ悔しさだけを募らせて呟いたその言葉は、大粒の涙を伴っていたのを忘れられない。
隣に立てたことで、彼の内心はハイムの時以上に燃え盛る。
「確かに悪くないかもね――さぁ、こないだの奇襲の仕返しだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます