十八章

あぶりだしのための第一手。

 ドライアドというのは、オリビアのように人型として生活ができる。

 世界樹というのはまさに大樹で、人型になるような存在ではない。

 アインが人型として存在しているのは、偏に進化と魔王化などの影響が強い。



 言い方を変えてしまえばアインの種族というのは新人類に近く、前例なんてものは一切存在していない。

 つまり、アインがみせる全てが史上初の出来事と言っても過言ではなかった。



 ――夜の屋敷は賑やかだった。

 微笑ましそうに見つめる給仕の群れや、なにやら楽しそうに嬉しそうに目線を送るオリビア。

 そして、うぅ……と何か言いたそうに柱の陰から目線を送るクリスに、ほほーと興味津々に声を漏らすカティマ。

 やっとですね、と安心した様子で立つマーサに、感慨深いのか涙目となったディルの姿。



 最後に、なにやら謎の決意を終えて柱の陰から出てくるクリスだ。



 皆が集まっていたのは大広間で、主要な人物たちが中央の大きなソファに腰かけている。

 どうしてこうなったのか、むしろ、大々的に何かを発表したつもりもさらさらなく、これは仕方のない結果だった。



 というのも、クローネのステータスカードの種族の欄が、誰もが知らない単語が書かれていたからだ。



「しっかし……こんな種族はじめてみたニャ―」



 誰よりも知的な猫こと、第一王女のカティマですら今回の事態は初見。

 手のひらに置いたクローネのステータスカードを、手持ち無沙汰気味に弄ぶと、もう一度その文字を声に出して読んでみる。



「――ドリアード、なんなのニャこれ? ドライアドと何が違うのニャ?」



 種族の場所にはドライアドでもなく、ただドリアードと書かれている。

 誤字ですか? と尋ねたいが誰に尋ねればいいだろうか。



「さ、さぁ……俺はなんとも……」


「ふむ。まぁ、本人がしらニャいのに調べようがないかニャ。クローネ、ちょっとこっちに来るニャ」



 肉球で手招きされ、アインの隣にいた彼女がカティマに近寄る。

 今は身体から根やツタが姿をみせていることはなく、いつも通りのクローネだといえる。

 強いて言えば、にじみでる色気が増したぐらいだろうか。


 

 例えるなら、クローネの可憐さにオリビアの色気が重なったかのような、そんな印象だ。



「意識してみるニャ。なんか出せるかニャ?」


「……い、いえ……何度も試してるのですが、一度も出せた試しがないんです」



 自発的に出せないようで、クローネが困ったように笑う。



「身体に異変はあるかニャ?」


「特にはありません。ただ……」


「ただ、なんだニャ?」


「アインの気配がいつもより強く感じられる……という感覚はあるんです」


「なるほど……惚気だニャ!?」



 ソファの上に立ち上がり、仁王立ちで指を……肉球を差し向けたカティマが、いつも以上に力強い。

 なぜだろう? 彼女もなにか募った不満でもあるのだろうか。

 声にもいつも以上に迫力がある。



「ち、違いますッ! その、本当にアインの気配が……!」


「はぁー……で、どんな気配なのニャ?」



 わざわざ座り直し、ふんぞり返るように足を組むカティマ。

 まるで、熟練のお局様のような存在感だ。



(分からない。力になってもらってるっていうのに、蹴り飛ばしたい)



 ディルの手前そんなことはできないし、まだ自制は効いている。

 深く腰掛け、すぅ……はぁ、と大きく深呼吸を繰り返した。

 さっきまで何かを言いたそうにしていたクリスが、あはは……と、渇いた笑みでアインを慰める。



「なんていうか暖かくて……その、いつもの優し気なアインではあるんですが……」


「ッ――や、やっぱり惚気なのニャァァァァアアアアッ!」



 頭を抱えてソファの上で転がるカティマ。

 クローネはこうした、甘い空気を周囲に振りまくような女性ではなかった。

 それが今、なんとも蕩けたような顔つきでそれを振りまいているのが、いつも以上に攻撃力があるのだ。



「ニャァァァァアアアアーッ! あふれ出る若さニャアアアアアアアー

ッ!」



 そもそもとして、何もないのもアインが切なくなってしまう。

 今までは自然と惚気ていた二人が、こうして堂々と惚気ることが強すぎる。

 クローネがみせた甘さは、いつもとのギャップが大きすぎたのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 閑話休題とは言わないが、やはり色々と曖昧過ぎた。

 前例が無いことに変わりはなく、少しずつ調べるしかなかったのだ。

 決して当人たちが困っていることはない。

 ただ、調べてみるのが困難だろう……というだけのこと。



 甘い空気もここまでに、例のウォーレン発案の計画の支度は粛々と進む。

 卵にみたてた品を大工や美術家と共につくられる。

 それがハイムで仕上げられ、とうとう計画は実行に移される。



 アインとクローネの件からおよそ一週間後。

 十二月に入ったところで、とうとう噂が流れだした。



「――そういえば、殿下。ご存知でしたか?」


「っていうと?」



 アインが足を運んだのは冒険者の集う場所、ギルドシュトロム支部だ。

 以前の騒ぎは、当然だがギルドへも通達をしている。

 彼がギルドにやってきたのは、それの報告を聞くためだった。



 報告を聞き終えたところで、世間話のようにギルド長が言ったのだ。



「なんでも……海の向こう、ハイムで龍の卵が見つかったとのこと。大きくて、炎のようなオーラを纏ってるという話です。あちらの大陸にある、古くからの遺跡で発見されたそうですよ」


「……なるほど、初耳だな」



 ギルド長は強く興味を惹かれているようで、心なしか瞳が輝いているように見える。

 一方でアインはほくそ笑むのを我慢する。

 数日でここまで情報が流れるなんて、随分と手際がいいなと。



「ハイム公が陛下へ献上するための準備に入ったとのことですが、ちょっとしたお祭りにでも発展するようです」


「まぁ、龍と聞けば騒ぎたくもなるさ。うちの双子とは別の龍みたいだし、珍しいもの見たさで人が殺到するんだろう」


「仰る通りでして、貴族も商人も色めきたってるようで」


(うんうん……そのまま、何か動きがあれば楽なんだけどね)



 すると、アインは思う。

 最終手段として、いざとなったら卵を割ってみよう、あるいは双子に餌として与える……と吹聴すればどうだろうかと。

 さすがにこれでは我慢できず、何か行動を起こす気がした。



 ……そうは言っても、残酷な情報を流布するのは些か気分が悪い。

 そんなの気にする場合じゃないという気持ちもあるが、今は様子を見てみよう。



「ところで、実は殿下にお伝えしたいことがございまして……」


「……俺に?」



 遠慮がちに、それでも確固たる意志を持ってギルド長が言う。



イスト交易商会、、、、、、、というのをご存知でしょうか?」


「いや、聞いたことが無いが……」



 しかし言葉から察するに、イストに関連する商会なのかもしれない。

 アインは無言でつづきを促した。



「イスト周辺を主な活動地域としている、以前は大商会の一つに数えられていた団体なのです」


「以前は? 今は違うのか」


「えぇ……というのも、母体であったオインク子爵家の失脚により、随分あっさりと大商会から陥落し、中小の商会となり下がったのです」



 ピクリと、アインの眉があがる。

 知っている名が出て驚いてしまったのだ。

 セージ・オインク――赤狐の調査がはじまった最初期、イストで出会った不正貴族だ。



 彼とアインの間にできた問題は、決して公表されていない。

 されたのは、セージ子爵が不正を行い、それをイシュタリカの方で罰せられ……処理されたという事実のみだ。

 そのため、ギルド長もアインとの因縁を知って語ったわけではないのだが、



「で、そのイスト交易商会というのがどうしたのだ」


「再起をかけているのでしょう。なんでも、龍の卵を陛下に献上する際、周辺の出店や催し事に噛ませてほしいと、我々ギルドにも一報を届けてまいりまして」


「なるほど。俺に伝えたいことっていうのは、なんとか噛ませてもらえないか……と、直接相談したいってことか」


「恐れながら、そういうことでございます」


「……悪いんだが」



 そうした商会が関わる業務については、誰よりも信頼できるオーガスト商会に一任している。

 バルト苺の件で縁を持った商会に関しても、すべてオーガスト商会を通してのやりとりとなっているのだ。

 だから、アインが何かを決めるのは基本的にはない。



 アインが何をしてるのかは耳に入れてるギルド長。

 事情を知ってもなお、深く頭を下げた。



「イスト交易商会はギルドにも多くの寄付をして参りました。ですので、我々としてもどうか……と、誠心誠意願いたいところでありまして……」


「はぁ……分かった。なら、後でオーガスト商会に連絡しておくよ」


「……やはり、殿下からお許しをすぐに……とは参りませんか」


「くどい。それ以上を望むのは、さすがの俺も無礼に感じるかもしれないが」



 ここが限界地点だ。

 それ以上踏み込めば分かっているな? 強い口調で警告する。



「そもそも、バルト苺のような話とは別で、俺はその祭り騒ぎなんかには関わってない」



 関わってるのはもっと深いところ、別の計画なのだから。



「いえ、申し訳ありませんでした……。少し急いてしまったようで、非礼をお詫びいたします」


(はぁ……いやいやいや。臭すぎでしょ、いろんな意味で)



 果たして本当に再起をかけたいのか疑問だった。

 ギルド長が言うように、確かに好機なのはアインも分かる。

 だが、今まで静かだったというのに、今回の件で顔を出してくるだろうかと不思議に思う。



(でも、わざわざ分かりやすく主張してきて、網にかかるような馬鹿なのかっていう)



 依然として、龍信仰のローブを着た者たちの居場所が判明していない。

 つまり、奴らはそれなりの頭脳を持ち行動しているということ。

 そうだったというのに、ここにきて馬鹿みたいに網にかかるだろうかと、アインは納得がいかないのだ。



(だとすれば、イスト交易商会は白な可能性があるんだけど、別件で面倒くさそうなのが――)



 恨み節でも抱いてないかという懸念だ。

 セージ子爵が母体のような立ち位置だったのであれば、事実上、彼ら商会を中小にまで貶めたのはアインも関係している。

 原因はセージ子爵だが、人間だれしも綺麗に生きてるわけではない。



 公表されていない事実ではあるが、調べがついてでもいれば――とかんがえてしまうのだ。



「ところで、そのイスト交易商会とやらは、セージ子爵と懇意だったのだな?」


「はい、以前聞いたところによると、会長と子爵はとても仲がよろしかったとのことです」


(いやー……くっさいなーそれ。金で繋がってた仲だろうけど、その金が消えたってことだし)



 関わりたくない、臭すぎるから蓋をしてどこかに放り投げたい。

 しかし、後々になって、あずかり知らない所で面倒事が発生することもさけたいところだ。



「――っと、すまない。実は昼過ぎからも仕事があるんだ、今日はこれぐらいで失礼する」


「左様でございますか、ではお見送りを――」


「いや、今日も必要ない。外に出て部下と一緒に帰るとするさ」



 思い出したように立ち上がり、急ぎ足で外に向かう。

 扉を開くと、そこでは二人の女性がアインを待っていた。



「リリ、聞こえてた?」


「それはもーガッツリと聞こえてましたよ、私もうんうん……って頷いてましたから!」


「そのせいで私はやきもきされたんですからね? なんですか! 何があったんですか……! って聞いても、リリさんったら教えてくれませんでしたから」



 その状況を察するのは容易い。

 今日も彼女はからかわれてしまったのだろう。

 隠密を主な生業としているリリのほうが、エルフであろうともクリスより数段耳がいい。



 アインは苦笑してからクリスの頭をぽんぽんと撫でると、一人先に歩き出す。



「ほら、役得だったじゃないですか」


「む……そ、それとこれとは話が別で……そもそも足りないですし……」


「――リリ? 悪いけど、何人か派遣してもらえるかな?」



 じゃれつく二人に苦笑しながらも、アインがリリに指示を出すと、



「はいはーい、お任せくださーい! 今日中にイスト近辺に人員を手配しますね」


「あ、あれ? どうしてイストが……? アイン様! 私にも説明を……!」


「屋敷に帰ったら教えてあげるから、少し待ってね」



 帰ったらまた別の仕事だな、辟易とするが避けられない。

 すると、リリはいつの間にか姿を消し、彼女の仕事に向かって行った。



「そういえば、マルコは今晩戻ってくるんだっけか?」


「えぇ、そうですよ。シルビア様から聞いた情報を持ってきてくれるはずですから」



 マルコは魔王城へ尋ねに行ったのだ。

 数日かけての日程だが、シルビアへ尋ねることがいくつかあったからだ。

 正式に命令を受けた彼は、それはもう気合の入った状況で支度していたのを覚えている。



「――やっぱり、お三方の力を借りるべきではないでしょうか?」


「カインさん、シルビアさん、それと……アーシェさんの?」



 すると、クリスは静かに頷いた。



「お三方は大変な時代、経験をされてお休みされたいという思いがありました。ですが、こうして不穏な状況となっているのですから……正直言って、他の誰よりも頼りになるのではないかと……」


「……クリスが言いたいことは分かってる。でも、頼りっきりじゃだめなんだよ。あの三人は強いし知識もある、だから、俺たちが頼るのはその知識だけにしておくべきだ。だって、何かあったときに自分たちで何もできないなら……そもそも、俺も王になんてなる資格は無いしね」



 最後にアインは言いつくろう。

 だが、もしも民に大きな被害が起きそうな……そんな状況になった時は、恥なんて関係なしに頭を下げて頼るからと。

 今はまだ大きな何かが発生しておらず、まず、この状況で三人の力を借りたら大事にもなりかねない。



「俺一人でなんとかしようなんて粋がるつもりはないよ。ただ、まだ頼り切るには早すぎるから……もう少し頑張ろうって感じかな」


「分かりました。それなら、私も頑張ります……!」



 ぐっと両手を握って胸の前で構えるクリスは、今日も美しい容姿とは裏腹に可愛らしい。

 気合を入れた彼女を見て、アインもふっと笑って気を引き締めた。

 しかし、シュトロムでの生活は落ち着きがなく、言い方を変えれば混沌としている。



 アインが望まなくとも、騒ぎと言うものは騒ぎの方から近寄ってくるのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 この日の晩、アインが屋敷に戻ってからの話だ。

 シュトロムの町中――大通りにある屋台の通りに、一人の少女が足を運んでいた。



「がーっはっはっはっはっ! どうだい嬢ちゃん! うまいだろ!」



 屋台の店主が大笑いをし、自慢の串焼きを頬張る少女に語る。

 少女は満面の笑みで何本も頬張っており、店主はそれが面白くてついサービスを重ねていたのだ。

 口の中は脂の乗った海産物でいっぱい。

 そのため、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべて頷くばかりだったのだ。



「この町は大きくなるぜぇッ! おれぁな、以前はマグナで屋台を営んでたんだが……英雄様が領主になるって聞いてよ、大急ぎで商業ギルドに話を通して、なんとかしてこの屋台を構えてんだよ。嬢ちゃんもきっと、それが目当てでここまできたんだろ?」



 うんうん、と少女は大きく頷く。



「だろぉー? さっき言ってたもんな、人がいっぱいいるとこに来るのなんて久しぶりだ―って。生まれは田舎の方なんだろ?」



 そう言うと、少女は再度頷いた。



「泊まる場所はあるんだよな? ないんだったら、もう夜遅いんだ。さっさと決めてきた方がいいぞ!」


「……」


「おぉ、それは決まってんのか。なら話ははええ、夜道は気を付けろよ! 女の子一人で裏道なんて通るんじゃねぇぞーッ!」




 すると、少女は手を振って店主と別れた。

 両手に持った串焼きは湯気を立て、香ばしい魚醤の香りが溜まらない。



 ――空を見ると、どこまでも暗い夜のとばりがつづいている。

 そろそろ泊まる場所に行かないと……と、少女はととと――音を立て軽い足取りで駆けていく。

 だが、シュトロムどころか、こうした都会にくるのすら久しぶりだと店主と語り合っていた。

 そんな彼女が道を間違えてしまうのは、なにもおかしな話ではない。



「……ッ!」



 あっちかな? 目的の方角に駆けていくと、途中にあるのは裏道だ。

 大通りを通れば回り道となるかもしれない……少女はそう考えた挙句、裏道を通ることを選択した。

 別になんともないだろと高を括って、器用に串焼きを食べながら夜道を走る。



 こうした裏道にも街灯があるのは、アインが徹底して夜道を照らそうとしているからだ。

 なぜかといえば、やはり防犯のために他ならない。

 犯罪の軽重に関わらず、後ろめたい者たちは人通りのない箇所を好むからだ。



 当然、街灯を増やしたことは効果があり、他の都市でも同様に街灯を増加させる傾向にある。

 しかしながら、すべてが解決したということではなく、まだまだ悪いことを考える者はいるようで、



「こんばんはー、お嬢さん」


「どこ行くの? こんな道通ってたら危ないし、お兄さんたちと大通りに行こうか」



 声をかけたのは荒くれた冒険者でなければ、決してローブの男たちでもない。

 むしろただの酔っぱらいで、お兄さん……というには歳を召している。

 カティマであれば、何の遠慮もなく、酒臭いおっさんだニャ! なんて言ってくれるだろう。



「……」



 ううん。少女は首を横に振った。

 大丈夫だから心配しないで、じゃあね。

 そんな態度で二人の横を走り抜けようとしたのだが、



「まぁまぁ、いいじゃないの。少し小さいけど……売ってるの? こんな道で一人なんだし、そうかなーって思ったんだけど」


「いくら?」



 腕を掴まれた少女は、むすっとした顔で眉間に皺を寄せて振り返る。

 違う、離して。娼婦じゃない。

 首を大きく横に振って走り去ろうとするのだが、存外、男の力が強くてしぶとい。



「まぁまぁまぁまぁ……! 違うなら別にいいって! 俺たち旅行できてるんだけどさ、男二人で暇だったんだよね。ちょっとお話しにいこうよ」



 そういって引っ張る方向は大通り。

 宿に連れ込もうとしないところには、まぁそこまで下種ではないかといったところ。

 酔っぱらってることで気がつよくなってるのか、二人は馴れ馴れしい手つきで少女の手を握ろうとしたのだが、



「っとと……お嬢ちゃん、痛いって」



 パン、と音を立てて少女が男のすねを蹴った。

 ふん! そう言わんばかりの得意げな顔が、酔っぱらった二人の苛立ちを誘う。



「はー……いいだろ少しぐらい。ところで、お嬢ちゃん名前はなんていうの?」


「そうそう、仲よくしようって」



 結局、ごろつきでもなければただの酔っぱらいだ。

 裏道を通った少女にも責任はあるかもしれないのだが、酔っぱらって他人に絡むのは更に問題だ。

 名を尋ねられ、少女は口に含んでいた串焼きをもぐもぐと咀嚼する。

 名乗るかな? と思ったところで、少女の手を掴んでいた男の様子が変わる。



「ッ――あ……あぁぁあああああッ!? おい、やめろッ!? 熱い……熱いッ!」



 少女の手を放し、震える身体を両手で抱き、慌てた様子で走り去っていった。

 呆気にとられたもう一人の男が、酔いが醒めた様子で少女をみる。



「え?」



 間抜けな声はただの酔っぱらいゆえだ。

 やがて、どうしたもんかと戸惑いながらも男は走っていった男を追っていく。

 少女は口の中の串焼きを咀嚼し終えたところで、去っていく男たちの背に向けて名乗るのだ。





「……私の名前はアーシェだよ?」





 嫉妬の夢魔、彼女がみせた悪夢は格別だっただろうか?

 串焼きを食べる時間を邪魔された、その怒りはとうに鳴りを潜め、残っていた串焼きを頬張った。



「すん……すん……」



 同時に鼻を済ませ、目的の場所の気配を探る。



「ん。クリス……クリスお姉ちゃんはあっちにいる……!」



 とととっ、小走りで裏道を掛けるアーシェ。

 長い銀髪をゆらゆらとなびかせ、ハチミツのような香りを漂わせて夜の裏道を走る。



 すると、彼女を探していた人物と合流に至る。



「はぁ……はぁ……い、居た……!」



 大きく呼吸を身だし、額の汗を拭ってそう言った。



「ッ――あ、久しぶり」


「久しぶり……じゃないですってば……! 探しましたよ……!」



 艶やかな茶髪の少年はアインで、王太子自らが町中を駆けまわって探す相手、それがアーシェ。

 元を辿ればイシュタリカ王家の元祖にあたる彼女なのだ。アインが探しに来るのはおかしなことじゃない。

 おかしな話というのは、彼女が一人で町中を歩いていることだ。



「どうしてマルコから隠れるようにはぐれて、わざわざ気配まで隠してたんですか……」


「……隠したつもりはない。いい匂いがしたから……それに集中してただけ」



 無意識のうちに、なぞの隠密性能でも発揮していたのだろう。

 これ以上を尋ねても意味は無い、アインはつづきを諦めた。



「――わかりました、そういうことにしておきますね」



 彼女はマルコの帰り道に、一緒にシュトロムへと足を運んだのだ。

 しかし、マルコが気が付いたら彼女は姿を消し、シュトロムの町に身を投じていたという事になる。

 理由は彼女がいったように、いい匂いがしたからつい……らしい。



「マルコが急いで屋敷に戻ってきて、アーシェさんがどこかに行った……なんて言ったから、みんなで探してたんです」


「ん。迷惑かけた、ごめん」


「……とりあえず屋敷に行きましょうか。道中で、騎士とかにアーシェさんを見つけたって教えてからいきましょう」



 アインが振り返り、夜の裏道を歩いて進む。

 すると、アーシェも同じく彼の後を追って歩き出した。



「マルコが慌てていたんで、アーシェさんが来た理由までは聞いてないんですけど、何かあったんですか?」


「……ん! その事なら私に任せる!」


「……はい?」



 どん! と胸元を叩いて頼もしさを伝えようとするのだが、アーシェの体つきでは可愛らしくしか見えない。



「あっ……私の串焼き……」



また、胸元を叩いた際に、残っていた串焼きを地面に落としてしまい、涙目になってアインに視線を送ってくるのだ。

唇をきつく縛ったと思えば、悲痛な面持ちで口を開く。



「ッ……うぅ……わ、私は……シルビアお姉ちゃんに……手伝ってきなさいって言われて……」



魔王に命令できる姉、ここだけ聞けばなんとも恐ろしい話だ。



(串焼き、買いに行こうかな……)



内心でそう考えてしまうのも当然。

アーシェの泣きべそ姿があまりにも不憫で心が痛い。



「わ、私も……! 私も償い……みたいなので……手伝えるなら頑張る……! って思って来たの……!」



裏道で串焼きを落とした魔王と言うのはきっと前例がない。

つまり、それで泣きべそをかいた魔王なんていうのも前例がないはずだ。



閑話休題。

彼女が言ってるのは、以前、自分が暴走した時代の話だろう。

赤狐の支配下にあったとはいえ、その時の行いを悔いている彼女は、こうして手伝える機会があるということで張り切っているのだ。



小さな犯罪組織から龍信仰、そして、その中の過激派たちが出て来た現状。

全面戦争をすればアインが居る方が有利。

だが、手は足りていない。

猫の手でも、駄猫の手でも借りたいこの現状で派遣されてきた魔王アーシェ。



五百余年前の災厄だった彼女が協力することになる。

日中には、あまり頼らないでいこうと口にしていたアインも、彼女がやってきた理由を聞き、強い頼もしさを感じたのだった。



――頼もしさどころか、魔王二人が揃うというのは過剰戦力な気もした。

なにせ、二人とも暴走魔王としての過去を持つ曰く付きなのだから。



「大通りに出れば、マルコたちとも合流しやすいと思うんで……串焼き買って待ってましょうか」


「ッ!? い、生きづらい習性を持つ種族のくせに、なんて優しい魔王……!」


(それ全然関係ないじゃん。いやまぁ、生きづらい習性だけどさ)



締まらないなぁ。

首を傾げてこめかみを掻き、アインはアーシェを連れて大通りまで戻っていった。


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