新たな生活に向けて。

「――以上だ。初代国王マルク陛下の意思と共に、我らがイシュタリカは、偉大なる繁栄をつづけていくだろう」



 ……わぁあああ!

 大通りで行われたアインの演説。

 いくつもの逸話を持つ王太子とあってか、その演説は夜だというのに強烈な盛り上がりをみせた。

 腕を振り上げ、狂信者のようにアインの名を叫び続ける王都民。

 アインは引きつりそうになるのを耐え、壇上を降りた。



「アイン様。お疲れさまでした」


「うん。……いやー、凄い熱気だった……」



 アインがすぐ近くの馬車に歩くと、そこにはマルコと二人の騎士が待つ。

 彼らは全員が漆黒の鎧に身を包んでおり、白が基調とされるイシュタリカでは異例ともいえる姿をしている。

 すると、彼らは頭を下げてアインを迎えた。



「サイラス。クライブ。護衛ありがとう」


「世界樹の君。当然でございます」


「はっ! 殿下!」



 この二人はアインにとって、少しばかりの縁があった二人だ。

 クライブはディルの幼馴染で、二人の決闘は今でも学園都市の伝説だ。

 そしてサイラスは、エルフの里で出会ったエルフ族の戦士長で、夜の散歩では木霊についてを教えてくれた男だった。



 サイラスに関しては、恐らくクリス絡みでエルフの長に派遣されたのだろうが、クライブに関しては、ディルの推薦でこの地位に立っている。この事については、いずれディルが帰り次第語るのがいいだろう。



「アイン様。本日のご公務は以上でございます。クリス殿にオリビア様は、明日の早朝にはお戻りになるかと思いますが」


「……わかった。なら、今日はもう城に戻ろうかな」


「城下のご視察は如何なさいますか?」


「まだ祭りは終わらないから、後でいくことにするよ」



 マルコとのやり取りを終え、アインは馬車に乗り込んだ。

 すると、大きく息を吐いて首元のボタンを緩める。

 一方のマルコたちは馬に乗り、馬車を囲むように馬を動かす。



「――今日はクローネと……いや、クリスとお母様の二人とも会ってないか」



 理由を言えば、多忙の一言だ。公務が重なっているのはアインだけじゃない。

 オリビアにも公務があり、それに付随してクリスも共に王都を出ている。

 クローネの場合は、主に事務仕事が積み重ねられ、執務室と関係各所の往復で手一杯だったというわけだ。



「さすがに、そろそろ時間空いてるかな」



 馬車の窓から城を見上げる。

 城についたら顔を出してみよう。疲れてきた顔を手で覆い、一息ついたのだった。




 ◇ ◇ ◇




 城に帰ったアインは、幾人かの者達からの出迎えを受け馬車を降りる。

 マルコたち三人とはここで別れ、アインは広い廊下を一人で進んだ。



(夜になると涼しいな……)



 窓からは夜風が舞い込み、アインの火照った頬を癒す。

 自然と漏れ出す柔らかな笑みは、夜風の心地よさだけでなく、彼女と会えるという喜びも合わさっているはずだ。

 気が付かないうちに、足取りすら軽くなったように感じてしまう。



「そういえば、クローネはどっちに居るんだろう」



 頭に浮かんだのは、執務室と彼女の自室だ。

 いったいどちらにいるのだろうか。と、考えながら執務室に足を進める。

 ついさっき演説を終えたばかりなことを考えれば、彼女の仕事が終わっているとは思えなかった。



「――クローネ。いる?」



 何年も前から変わらない、彼女の執務室をノックする。

 もはやこれも慣れたもので、この一年ではそれが顕著に現れていた。

 ……すると、間を置くことなく部屋の中から返事が……ではなく、扉が開かれた。



「えぇ。お帰りなさい。アイン」



 中から姿をみせたのはクローネだ。

 アインは予想が当たったことに喜ぶと、彼女の手招きに応じて中に進む。



「ただいま。ついさっき演説が終わったんだ」


「知ってるわよ。だって、すごい熱気がこの部屋まで届いたもの」



 ははは、と、ついさっきの熱気を思い出して、アインが半笑いを浮かべた。



「アインが帰ってきたから、私も休憩にするわね」


「まだ結構残ってるの?」


「えぇっと……あんな感じかしら」



 チラっとクローネが視線を送る。

 送ったその先には机が置かれ、当たり前のように紙の束が積み重なっていた。



「……手伝うよ」


「だーめ。アインだって仕事してきたんだから、私だけ甘えるわけにいかないでしょ?」


「俺の場合は、バッツたちとの時間もあったしね」


「……なら、疲れた私のことを癒してもらおうかしら」


「癒す?……って、クローネ――ッ」



 クローネは上目遣いにアインをみた後、前触れなしにアインに抱き着く。

 アインの胸元に顔をうずめ、唐突に静かになったのだった。

 耳に届くのは、彼女の落ち着いた呼吸音だけだ。



「あ、あのさ。そんなとこで黙られても……ってか、汗掻いてるから、恥ずかしいんだけど」


「えぇ。汗かいてるみたいね」


「いや……知ってるならやめてほしい感情があるんだけど、ね?」


「私がしたいっていってるのに、アインは私を咎めるの? 朝から今までずっと頑張ってきたのに、アインは私のささやかな幸せを奪ってしまうの?」



 彼女はわざとらしく声色を変える。アインとしても、それが演技混じりだということは分かってるが、背中に回された彼女の腕からは、どのぐらい本気かという心が伝わってきた。

 身長差がある二人は身体を密着させ、アインの逞しい腹筋へと、彼女の柔らかな身体が押し付けられる。



「――そもそも、汗掻いたから駄目っていうのがおかしいと思うの」


「えっと、どういうこと?」


「私たちが料理に使う香草だって、嫌いな虫は山ほどいるでしょう?」



 アインは頷く。場合によっては虫よけに使うこともあり、言いたいことは理解できた。



「そりゃ……そうだけど」


「結局のところ、好き嫌いだと思うの。逆に、生き物が誘われる香りだってあるもの」


「つまり、クローネがいいたいのは?」


「香りというものは、相手によっては媚薬にもなりえる……ってことかしら」



 濁した表現となったが、アインの汗の香りは彼女の何かを刺激するのだろう。

 アインは返事すら濁したくなり、人差し指で頬を掻く。

 そんなアインの戸惑いが面白いのか、クローネは嬉しそうに微笑んだ。



「蝶を惑わす花が悪いのか。惑わされる蝶が悪いのか――どっちかしらね」


「惑わしたつもりがない時はどうなるの?」


「あら。そんな酷いお花があるのなら、蜜を吸いつくさなきゃいけないわね」



 彼女がつま先立ちになると、二人の唇が重なった。



「んっ……ほら。貴方の蜜も、こうして吸われちゃうのよ?」



 彼女の年齢に見合わない妖艶さを醸し出し、唇をペロッと舌で撫でる。

 若干潤んだ瞳でアインを見つめ、幸せそうに口元をほころばせる。



「ふふ。でも、吸い過ぎちゃうと頭が蕩けちゃうかも。……さぁ、座りましょうか」



 長い長い再会の挨拶を交わし、二人はようやくソファに向かう。

 クローネがアインの手を引き前を歩き、アインはされるがまま彼女についていった。

 すると、アインだけがソファに座らされ、



「冷たいお茶でいい?」


「あ、俺が淹れるよ」


「いけません。ほら、座ってて」



 クローネはすぐ近くの魔道具を使って茶を淹れる。

 中からは冷たい水が流れ、喉が渇いていたアインは生唾を飲み込んだ。



「でも、クローネ。俺が知ってるなかでは、祭りの仕事はそんなに多くなかったと思うんだけど……」


「――そうね。私が最近してるのは、お祭りの仕事じゃないもの」


「……え?」



 全く聞いてなかった言葉に、アインはあっさりと呆気に取られてしまう。



「そんなこと聞いてないんだけど。あれ? クローネって俺の補佐官のはずじゃ……」


「準備段階だったの。だから、そんな不貞腐れた顔しないで」


「え? 準備段階だった……? って、どういうこと?」



 茶を用意し終えたクローネが、二人分のカップを持ってソファにやってくる。

 彼女はカップをテーブルに置くと、仕事用の机から一つの紙の束を取り、アインの隣に腰掛けた。



「半年ぐらい前からかしら。ウォーレン様と赴任場所の選定を行っていたの」


「ふ、赴任って……誰の!?」


「あなたのよ。アイン」


「……俺が赴任? 赴任って……どこかに行くっていう意味の、あの赴任?」



 クローネが頷く。しかし、アインはまるっきり一つも情報を耳にしていない。

 赴任といわれても、なにをどうするうのか。どうすればいいのかがさっぱりだ。



「アイン? 貴方は未来のイシュタリカ国王――そうでしょ?」


「もちろんそのつもりだよ」


「そんな未来の王様が、統治の経験を積まない……なんて考えられる?」


「ッ――そういうことか……それって、つまり」


「えぇ。アインにしばらくの間、どこかの統治を任せるってことよ」



 貴族の跡取りの場合、拝領した領地で経験を積むことができる。

 しかし、アインの場合は話しが別だ。

 シルヴァードの代わりに統治の経験なんてものは不可能で、こうなってしまえば、どこかの都市を任せて経験を積ませるしかない。



「ちなみに、その赴任地っていうのは?」


「それがね……アインの場合は、いくつも制約があるでしょう?」


「あ、あぁ。王太子だからってこと?」



 思えば、昔は今以上に制約が多かった。

 学園に行くにも細かなことがあり、町に出る際にはリリやその部下たちが辺りを警戒していたこともある。



「ううん。どちらかといえば、双子たちの問題とかね」


「――双子の問題?」



 それは果たしてアインの問題なのだろうか。

 クローネの目をみてそれを尋ねる。



「あの子たちは、アインの事をお父さんって思ってるのよ? 去年の戦争の時だって、アインがいなかったことですごく不安そうにしてたんだから」


「……それはその、本当にごめんなさいって感じだけど」


「漁師の人たちとも仲良くできるんだけど、やっぱりアインが一番なの。だから、双子もいける場所……って考えれば、海沿いになるのよ」



 すでに双子は川を通ることは難しい。通れないことも無いのだが、そこに自由があるかと聞かれれば、答えは否だ。



「それにね、双子が海沿いにいれば、変な襲撃があっても対処が容易だもの」


「確かに。海からの攻撃は考えられなくなるよね」


「だから選定条件として海沿いになるの。後は、水列車が通ってるってのも必須かしら」


「公務とか色々考えてってこと?」


「えぇ。そうなるかしら」



 結局のところ、アインが赴任されたところで、ずっとその地に留まるわけじゃない。

 王都や別の場所での公務はあるだろうし、水列車の利便性を踏まえれば、無いことは考えられない。



「なんかマグナしか思い浮かばないんだけど」


「そうね。でもマグナじゃ意味が無いの。すでに繁栄している都市だから、アインの経験にはならないもの」


「じゃ、どこに?」



 その言葉を待っていた。と、クローネが紙の束から一枚の資料を取り出す。

 描かれているのは簡略化された地図に、周辺の状況。そして、書かれていた都市についてアインは目を向けた。



「えっと……下記の港町は、海龍艦リヴァイアサンの停泊港としての機能を最優先とされている」



 アインはクローネが持つ紙を覗き込み、声に出して内容を読み上げる。



「しかしながら、昨今はマグナと王都を結ぶ新たな港町としても繁栄しており。また、水列車の新たな路線として、イストへの直通便を整備する予定が存在する。近い将来のイシュタリカにとって、新たな重要都市となることは明白――」


「王都からは水列車で3時間もかからないと思うわ。文字通り、マグナとのちょうど中間地点になるの」



 耳元でささやかれる彼女の声がくすぐったい。

 しかし、アインはそれに耐えて情報を読み漁る。



「以上を踏まえ、臨海都市・・・・シュトロム・・・・・を推薦する――宰相ウォーレン」


「いつも王家専用列車に乗ってるから、私も行ったことがないの。マグナ、イスト、バルト……この主要三都市に比べれば小さな都市だけど、ここ数年は成長を続けているところなのよ」


「……確かに行ったことないね」



 というよりも、リヴァイアサンがそのシュトロムという都市に停泊してるのも知らなかった。

 リヴァイアサンは大型すぎて、王都の港にはおさまらない。それ故、別の港に停めるしかないのだが……。



「でも、安全の問題とかは大丈夫なの?」


「安全の問題……? それって、アインの身の回りのってこと?」


「うん。その辺りは結構厳しそうだなって思ってたんだけど」


「――もちろん、しっかりと選定条件に入ってるわよ? だけど、その難易度は、以前と比べれば遥かに低いの」



 クローネとしてもあまり気にしていない様子で口にした。



「暴食の世界樹さまがそんなに柔だったのなら、アーシェ様たちも苦労しなかったでしょ?」


「……仰る通りです」



 つまりこういうことだ。

 王家やその周辺としては、アインの身の回りの件はしっかりと考えている。

 しかし、現状のアインを倒そうと思えば、それこそアーシェたちの協力を求める必要があり、現実感に乏しかったのだ。



「それなら、黒騎士も一緒に行くことになるのかな」


「えぇ。なにしろ、黒騎士はアインのために新設された騎士団ですもの」



 アインの脳裏に浮かんだのは、ついさっきも共に居た黒い鎧の騎士たちのことだ。

 クローネは彼らのことを、アインのための騎士団と説明すると、アインはそりゃそうか、と頷いた。



「俺のためなのは分かってる。だけど、その黒騎士の団長が第一王女のお世話係してるんだけど。クローネはこのことをどう思う?」


「陛下やマーサさんたちは、ディル団長のおかげで助かってるそうよ。アインは違うのかしら?」


 シルヴァード達が助かってるというのは、彼が優秀なお世話係だったからだろう。

 最近のカティマの被害というのは、大概はディルにしか向かわない。つまり、城の者達はその分のゆとりを得たということだ。



「――シュトロムに向かうのが楽しみだね」



 さしあたって、クローネの言葉に何かを返すのはやめ、話をさらっと変えるアイン。

 クローネもその事に気が付き、口に手を当てて微笑んだ。



「ふふ……。えぇ、私もよ。お屋敷も新しく建築してる最中だから、楽しみにしててね」


「相変わらず、俺が知らないところで話が進んでる……」


「赤狐の件が終わったから、ゆっくりできるって思ってた?」



 昨年までは、大陸中を調査していたアイン。

 その件が終わったことで、最近では王都から出ていなかったのは否定できない。



「いや。イシュタリカは賑やかな国だから、きっと何かあるかなって思ってたけどね」


「よかった。アインなら、きっとシュトロムでも頑張れるわ」


「……え? なんか、言い方に含みがあるような気がするんだけど」



 クローネがみせるのは、彼女が得意ないたずらっ子の表情だ。

 上機嫌に立ち上がり、軽快な足取りで窓際に向かう。すると、涼し気な夜風が彼女の髪を撫でる。

 青白い月明かりのように美しい髪が、彼女特有の華やかな香りを風に乗せた。



「――成長をつづける臨海都市シュトロムにはね。たくさんの異人種が居て、さくさんの冒険者が居て、たくさんの商人が居るの」



 ……これまた、随分と賑やかそうな都市だ。

 アインは苦笑いを浮かべるが、風に乗って届けられた彼女の香りに慰められる。

 これからの生活も退屈することはなさそうだ、と、クローネが淹れた茶を飲み干したのだった。



 今度の冒険(・・)はどうなるのか。アインは期待に胸を膨らませた。


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