十六章 ―あれから少し経って―
一年が経って。
魔石の王アインには、いくつかの転換点があったといえる。
彼の物語は、ハイム王国――現ハイム自治領からはじまった。
将軍を輩出している伯爵家に生を受け、次男と比べられながら伯爵家で数年間を過ごす。
その身体に宿した大いなる可能性は、根株であるオリビアと共に、イシュタリカへと渡ってから開花したのだ。
――第二期イシュタル統一物語より抜粋 著 第三十八代宰相 レオナード・フォルス
◇ ◇ ◇
この日は二度目の終戦記念日だった。盛り上がりは第一回目の昨年を上回ってみせる。
特に盛り上がるのは初日と最終日の二日間だ。
というのも、初日は各地で王族の声が民に届けられ、最終日は王都にて王族がそろい踏みする。
そして、王都にある酒場。
酒場といっても少しばかり上等な店で、彼らはそこで、久しぶりの集合を祝っていた。
「――はぁ!? お、お前……プロポーズ断られてたのかよ!?」
「ちょ、バッツ……声が大きいってば。他の人に聞かれちゃうよ?」
バッツが大声を漏らしたことに、ロランが慌てて口を押える。
「ば、馬鹿な……。私の殿下が……そんな……ッ」
「いや。断られたんじゃなくて、半分承諾で半分お断りだってば。……ていうか、私の殿下ってなんだよ。レオナード」
レオナードが良く分からない悲痛を口にすると、アインはバッツの言葉に否定の意を示す。
だが、ロランの心配は杞憂でおわったらしく、他の客がアイン達に目を向ける事はなかった。
「……どういうことだよ。おい」
「実際さ、クローネの意見の方が正しいんだよね。すぐに結婚……なんて出来るわけないじゃん。だって俺、王太子だし」
つまり、いくつもの段取りを経てからでなければ、発表なんて以ての外だ。
数年がかりで行うのが定説なもので、アインとクローネがすでに夫婦になっている、なんてことにはできなかったのだ。
「そりゃな。でも、だったら断られたとはいえねえんじゃねえか?」
「まぁそうなんだけど。ちなみにクローネの意見としては、時期が決まるまでは恋人で……ことらしいけど」
「ですが殿下。念のためにお尋ねしますが、婚約――ということになるのですか?」
するとアインは、崩れ去ったアウグスト邸での会話を思い出す。
跪いてスタークリスタルを差し出し、クローネはアインの気持ちと共にそれを受け取った。
その後は、いわゆる結婚という話が決まるまでは……という内容なのだから、
「うん。そうなる。あ……内緒だからね?」
「アイン様……そんな極秘情報漏らしたらだめじゃん……」
ロランが呆れた様子でアインをみる。だが、一方のアインは気にする様子をみせなかった。
「そうはいってもなー、ロラン。アインたちの仲なんて、公然の秘密みたいなとこあるだろ」
「バッツ。だからといって、王族や一部の上層部でしか決まってない事を、そう簡単に扱うことはできないだろう?」
「まぁ……レオナードの言うことも分かってるけどよ」
バッツはそう口にすると、ジョッキに注がれた酒を一気に飲み干す。
その飲みっぷりは気持ちが良く、アイン達は自然と笑みをこぼしたのだった。
「だけどまぁ、いいんじゃねえか? 俺たち貴族は、いわゆる恋人同士らしいこと……ってのはできない連中も多い。っていうのに、王太子たちがそれをできるっていうなら、悪い話じゃねえだろ」
「あぁ。私もそればかりはバッツの意見に賛成だな」
「あ、僕も僕も」
といっても、アインとクローネの仲は何年も前からの噂だ。
何度も二人で町中を歩く姿を見られ、王太子とその補佐官という関係以上に、二人は親密な空気を醸し出していたのだから。
「――だからさ、黙ってないで意見聞かせてってば」
すると、アインはは今まで黙っていた人物に向けて声を掛けた。
「まず始めに聞きたいのだが、どうして私がここに呼ばれているのだ」
「そういうなよ、
「はぁ……いつの間にそんな仲になったというのだ。まったく」
「ハイム公。バッツは軽すぎるが、なんというか……ハイム領のことで何度も話し合ったのだ。我々はもはや友人同士といっても過言ではないのではないか?」
バッツの言葉に被せるようにレオナードが口を開く。
彼の場合はバッツのように馴れ馴れしくは無かったが、その顔には優し気な笑みを浮かべている。
「……何年も前から分かってはいたが、殿下は少し……型破りに過ぎるのではないか?」
「殿下じゃなくて、こういうところではアインでいいって、何度もいってるじゃん」
「……アイン。お前は型破り過ぎると何度も言っているだろう」
「はっはっはっは! おい、アイン! お前言い負かされてるじゃねえかよ!」
二人にやり取りにバッツが笑い声をあげ、ロランとレオナードの二人も口元に緩ませる。
アインは絶妙に言い返されたことで呆気にとられ、ハイム公と呼ばれた男はグラスの酒を一口飲み込む。
「ふぅ……。それと、レオナード殿。私のこともティグルでいい。ハイム公と呼ばれるのは、公(おおやけ)の場で十分だ」
「はは――承知した」
「ちょ、ちょっと待ってってばティグル! お、俺がどうして型破りだって……」
どことなく勝ち誇った顔のティグルを見て、アインは慌てた様子でその心理を尋ねる。
「今までの行いを思い出してもみろ。王太子らしからぬ……まぁ、英雄的だというのは認めるが、随分と陛下のお心を乱した記憶はあるのだろう?」
「え、えっと……そりゃ、無いわけじゃないけど」
「それに加えて、なんだお前は。私の以前の想い人との話を目の前でするなんて、いやがらせでもしたいのか?」
「――いや、ティグルって今、あの孤児だった給仕の女の子と付き合ってるって……」
「ッ!? ど、どうしてそれを知っている!」
ティグルが勢いよく立ち上がってアインを見る。だが、その顔は少しばかり紅潮していた。
それはきっと、酒のせいではなく照れたせいだと一同は予想する。
「リリが言ってたよ。というか、ハイムに仕事で行くときも連れて行ってるんでしょ?」
「……あ、あの女の口は秘密というものを知らんのかッ!」
すると、ティグルは力を失ったように椅子に座り込む。
アインは言い返せた、というちょっとした満足感に浸っていた。
それに加えて、ティグルが元孤児と恋仲にあるということに、アインは心が温まるような充実感を得る。
「ははっ。ところでティグル殿」
「……ん? なんだ、レオナード殿」
「近ごろのハイム領の様子はどうなっているのだろうか」
「あぁ。近頃のハイム……そうだな」
さっきまでのことを忘れ、ティグルは口元に手を当てて考えだす。
「復興は順調だ。旧王都を廃して新たに都市の建設途中だが……港町ラウンドハートは、っと。失言だったか」
「いや。名前なんかに執着はしてないから、つづけていいよ」
アインの手前、ラウンドハートと口にしたことを悔いたティグル。
だが、アインが気にしないと答えたことで彼は咳払いをして言葉をつづけた。
「……で、その港町だが、つい先日で復興は終えた。復興といっても、イシュタリカの技術もあってか、以前のハイム王都より立派に仕上がったのだがな」
そう語るティグルの顔は、どこか自嘲していながらも、これでよかったんだという心に覆われる。
「ちなみにだ。解体作業の際は、クリスティーナ殿がやってきて、旧ラウンドハート邸があった箇所を、龍のような勢いで整地なさっていったぞ」
「……すごい鮮明に想像できる」
「後はそうだな。皆が知っての通り、私は月に何度かイシュタリカとハイム自治領の往復をして、ウォーレン殿に報告をあげている……といったところだが」
「うんうん。順調そうで良かった良かった」
最後はロランが嬉しそうに何度も頷く。
すると、ティグルがはにかむんだ様子でアインをみて、
「今一度礼を言う。滅亡するところだったハイムを、こうして残してくれたこと……そして、復興に携わってくれていることを」
「――元凶だった奴らはイシュタリカから渡ってるんだ。だから、俺たちとしても責任を放棄することはしたらいけないからね」
「だが、ハイム王家にハイム貴族がアインのことを――」
「それはもうよそう。すべてを水に流そうなんて言えないけど、未来に生きるべきなんだ」
「……感謝する」
ティグルが静かに頭を下げると、彼はおもむろに胸元に手を差し込む。
そのまま一枚の紙を手に取り、それをアインに手渡した。
「最近の調査結果だ。受け取ってくれ」
「ん? 調査結果?」
「……アルマの。グリントの母のことだ」
「あ、あぁ……あの人のことか。何か分かったの?」
「少しだがな。とりあえず目を通してみろ」
その言葉に、レオナードとバッツ、そしてロランが立ち上がってアインの後ろに回る。
ティグルが手渡した紙を後ろから覗き込んだ。
「――なるほどね。やっぱり生きてたんだ」
紙に書かれていたのは、アルマの目撃情報だ。各地を転々としているらしく、いくつかの場所に印がある。
「別にさ、死刑にしたい……なんて気持ちはさらさらないんだ。だけど、やっぱりあの戦争の時何があったのか……それは聞いておきたいんだよね」
「だと思って、すでに陛下とウォーレン殿にも伝えてある。調査隊を組織すると仰っていたが」
「うん。ならウォーレンたちに任せる方がいいね」
彼女は今何をしているのだろうか。アインは心の片隅にそれをおくと、受け取った紙を胸元にしまい込み、代わりに一枚の金貨を取り出して机に置いた。
「俺はそろそろいくよ。この後、祭りのための公務が一つ入ってるんだよね」
「で、殿下! この金貨はさすがに……」
「大丈夫だよ。俺個人のお金だから――今日は楽しかったよ。また今度!」
「おう! 気を付けてな、アイン!」
「またねー、アイン様!」
学園時代の友人に加え、新たにできた友人に別れを告げる。
そして、アインは酒場の入り口に向けて歩いていき、外に出ると、火照った体に涼しい夜風が気持ちいい。
「アイン様。ご歓談を楽しまれたようですな」
「うん。久しぶりに全員揃ったし、ティグルも元気にやってたよ」
「ははは――それは何より。では、参りましょう」
「……ところで、マルコ。町中に居ても、全然騒がれなくなったね」
アインは入り口で待っていたマルコと合流すると、彼を伴って足を進める。
「有難い限りでございます」
「あれ? そういえば、ディルは?」
「
なるほど。とアインが相槌を打つ。
それと同時に、強めの申し訳なさに苛まれる。
「祭りの日まで御守りだなんて」
「ですが、団長もカティマ王女殿下のお傍で楽しんでらっしゃるかと」
「……まぁ、そう思いたいところだけどね」
苦笑いを浮かべ、二人は何をしているだろう……と想像する。
きっとカティマが振り回しているのだろうな。と考えてしまうが、二人はきっとそれでいいのかもしれない。
「さぁ。今日も公務を頑張ろう」
友人たちとの語らいで、アインは大いに楽しむことができた。
今度は王太子としての公務のため、リビングアーマーのマルコを伴い、仕事に向かう。
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