彼女の悪戯。

 指先一本動かすことでも、強い痛みに襲われる。

 脂汗を浮かべ、力を振り絞って強がって見せたが、それでも心の中には少しの余裕が生まれていた。



「ッ――もう一度だ」



 暴食の世界樹は驚いたが、すぐに余裕を取り戻して力を振るう。

 幻想の手がもう一度姿をみせると、勢いを増してアインに向かっていった――が、



「なっ……何を、何をしたのだ……ッ!?」



 また同じ結末になった。

 アインに触れたと思ったその瞬間、すべての幻想の手が霧と化して消え去っていく。



「まだ終わらない……そう言っただろ」


「……馬鹿な事を言うな。貴様はすでに死にかけで、使える力なんてものは――」


「あるんだよ……いや、あったんだ」



 そして、アインは深く深呼吸を繰り返す。灼けた皮膚が痛みを催すが、体力は少しばかり回復できた。



「――祖国に広がる白銀は、人々の生彩掻き立てる希望の証だ」



 霧と化した幻想の手……その霧が辺りに漂いつづける。



「……その証を治める者として、さっきの俺は相応しくなかったかもしれない。だが、俺はまだここに立っている」



 右足で一歩を踏み出した。ただ、まだ震えは収まっていない。幼子のように勢いが弱く、これでは暴食の世界樹に太刀打ちなんて不可能だ。……もちろん、普通であればという条件が付く。



「だからこそ、俺は俺の誇りをもって……お前の前に立ち続けるんだ」


「饒舌に語ることが強さに繋がるとでも思っているのか? 貴様が死に瀕しているのは変わっていないのだぞ」


「……あぁ。知ってるよ。だけどさ――」



 周囲に漂っていた霧を弄ぶと、アインの足元に更に力が加わった。

 アインはそれを感じると、





「俺はアインだ……! 誇り高き白銀を継ぎし……お前を滅ぼすただ一人の男だッ!」





 名乗りをあげると、アインは身体全体に力を込め、一気に暴食の世界樹との距離を詰める。

 こんな力が残っているはずがない。暴食の世界樹は不可解さを顔に浮かべてしまう。



「だがな、貴様の戦いにあわせてやる必要は……ないッ!」



 暴食の世界樹がアインから距離を取る。幻想の手を伸ばしながらも、赤黒い魔力をアインに向ける。

 それに加え、多くの木の根やツタを地面から生やし、それを用いてアインの動きを止めようと試みた。



「邪魔を……するなッ!」


「ッ――掻き消しただと……!?」


「ぁぁぁああああああああ――ッ!」



 アインが暴食の世界樹との間合いに入った。すると、そのまま勢いよく剣を振り付ける。



「しかし、そんな力の入ってない剣なんぞ……」


「だったら受けてみろ! 暴食の世界樹ッ!」


「……あぁ! 受けてやろうとも! 貴様がそれほどまでに強気になれた理由……私の身体で確かめてやるッ!」



 金属がぶつかり合う音が響く。久しぶりに二人の剣が交錯し、アインの剣が暴食の世界樹へと届いたのだ。

 デュラハンの鎧に加え、アインと同じ名剣を構える暴食の世界樹は、この攻撃を受けて立ったのだ。



「貧弱だぞ……ッ! こんな攻撃で私を倒すことは」


「言っただろ! 俺はアインだ……だから、俺の戦い方でお前を打ち倒すッ!」



 ……その時だ、



「剣が……ッ!?」



 暴食の世界樹の剣が霧と姿を変えていく――なぜだ、なにがどうしてこうなった。

 状況が理解できなかった。だが、そんな中でも霧がアインの身体に吸い込まれていき……



「き、貴様……私の力をどうやって消し去って……!」


「どの口で私の力をなんて言うんだ! ぜぁぁぁあああああッ!」



 剣が消え去った事でできた隙を見逃さず、アインが追撃を仕掛ける。……その先にあるのは堅牢なデュラハンの鎧だ。



「……そう上手くいくと思うなよ、抜け殻ぁぁぁああああああッ!」



 地響きと共に地盤が崩壊し、アインと暴食の世界樹の間に距離ができる。

 巨大な岩や土がアインに向けて襲い掛かる。



「くっ……」


「はぁ……はぁ……抜け殻、貴様本当に何を……」



 そう呟く暴食の世界樹手には、すでにさっきと同じ剣が姿をみせていた。

 精神世界ということもあってか、同じものを取り出すのも可能なのだろう。



「何をした……ッ!」


「お前だって自分で言っていただろ。俺はお前の力を消し去ったんだよ」


「消し去った……? それはあり得ない! なぜならば、貴様にはそんな力は残っていないはず……!」


「――そうかよ。だったら、その理由とやらを探してみろよ。暴食の世界樹!」



 しかし、二人がこうしてやり取りをつづける最中にも、この精神世界は大きく崩壊をつづけていた。もはや初めの頃と比べても、面積は半分もなく、急いで走ればあっさりと端のほうに行けてしまう。



「お前が俺から奪っていくっていうのなら、俺はお前から奪い返してやる!」


「解せん……! 貴様が持つ力程度では、この私の力を消し去ることは不可能だ!」


「……だからさ、ただのアインは弱いんだよ。いろんな力を借りて、それでここまで頑張ってこられたんだ」



 自嘲するようにアインが微笑む。その間も剣を振り、暴食の世界樹へと攻撃を仕掛けつづけた。



「そんな偽物の剣で防げると思うな……!」



 更に力が込められた一振りだ。もはや、戦いが始まった当初よりも力に満ちているかもしれない。

 それは暴食の世界樹の剣を霧に変貌させ、その先にあった片腕に切り込み、



「そのまま……切り裂かれろぉぉぉおおおッ!」


「ぬっ……ぁ……ぁぁああああああッ!?」



 暴食の世界樹の手首から先を切り落とし、それすらも霧と変えてしまう。

 それらすべてはアインの身体に向かっていく。この光景は、まるで霧が喜んでアインの身体に吸い込まれているようだった。



「何故だ――何故、なぜ貴様が私の身体に傷を……ッ!」



 暴食の世界樹は力をみせる。幻想の手を出現させ、根やツタ、そして赤黒い魔力など……持てる全てをアインに向けた。

 だが、それらはアインがみせた不思議な力に遮られ、ことごとくが霧と化す。



「だが……不思議だな! 身体に力が戻ったと思ったが、貴様の表情はどうだ! それに、この世界の崩壊をみろ!」


「……あぁ、そうだよ。俺だって精一杯に決まってるさ」



 アインの顔はまさに死に物狂い。身体に力が漲ってるのとは対照的で、とても印象的に映えた。

 それに加え、崩壊速度が上がったことで、暴食の世界樹はそれを喜ぶ。いつの間にか戻っている手首を見せびらかし、不敵に笑みを浮かべた。



「だからこそ、さっさと……俺からもっていった全部を返してもらうんだよッ!」


『例え身体を魔物に変えようとも、例え言葉を失おうとも、私にとっての貴方(アイン)は変わらないの』



 アインを勇気づける言葉が響く。隣に彼女がいるようで、もはや負ける気がしなかった。



「ッ――そうか! 貴様、まさか……その力は……!」



 すると、暴食の世界樹が気が付いたようで、はっとした表情を浮かべる。



「分かったか、暴食の世界樹……! 俺が魔王化するまでに得た力はお前が持ってる、けどな、俺はその後も二つの力を手に入れてたんだよ!」


「貴様……貴様ぁあああああッ!」


「それに、俺が生まれ持っていた二つの力は無事だった! それはきっと、俺を俺たらしめるものだからだ!」



 毒素分解EXに、オリビアから受け継いだ吸収という二つのスキルだ。

 それら二つはアインが後天的に得た能力ではなく、魚がエラ呼吸をするのと同じく、切り離せない力だからアインにも使えたのだ。



 そして、魔王化後にアインが得たスキルは、眷属召喚以外にももう一つ・・・・ある。



「これを使ってるせいで、俺の身体も辛いんだよ。だからさ……何一つ遠慮する気はないぞッ!」


「まさか貴様、そんな脆弱な能力で……この私を――」


「あぁ、そうだ! 俺はこの脆弱な能力で……弱体化(・・・)でお前を殺すッ!」



 ――弱体化。

 ラビオラの魔石から吸収した、使い道の見当たらなかったただ一つのスキルだ。



「俺は自分の免疫力に耐性、その全てを弱体化させた……ッ! だから、この意味がわかってるだろ……!」


「……ふざけるな。そんな無理やりな使い方で、脆弱な力でこの私を……ッ!」


「暴食の世界樹! お前はもう、俺にとってはただの毒でしかない……ッ! だから俺は、この世界においてなら……」



 精神世界では、直接的な攻撃が発生しない。だからこそ、アインはこうした無理やりな戦い方ができたのだ。

 もしもここが外の世界であるならば、こんなことはできるはずもない。



「この世界においてなら、例えお前が神になろうとも……俺は絶対負けないッ!」



 そう。極論を言ってしまえば、視認して意思を抱き、ただ触れるだけでいいのだ。

 もはや、精神世界においての暴食の世界樹は、アインにとってはただの毒でしかない。



 すると、今度はアインに触れた場所から光の粒子となって消え去っていった。



「――魔王を、弱体化という力で打ち倒す……? ふざけるな、そんなことは……この私は認めるわけにいかないッ!」



 毒と認識されたすべては、アインの力で例外なく消え去ってしまう。それは徐々に勢いを増していき、暴食の世界樹の鎧が少しずつ崩れ去っていく。



「私を消すという事の意味を理解しているのか! 貴様が培ってきた力全てを失い、命を失うのだ……! なぜならば、すでに貴様の大部分はこの私に支配されているのだから……!」


「いや。残念だけど。そうはならないよ」



 何度も何度も新たな剣を出現させ、アインと剣を交わした暴食の世界樹。

 だが、その全てが容易になかったことにされ、少しずつアインに飲み込まれていく。



「それはあり得ない! なぜならば、根付いた世界樹がその証だ!」


「……違うんだ。その全てが勘違いなんだ」



 アインは落ち着いて答えながらも、容赦なく剣を振る。

 ……そして、とうとう暴食の世界樹の両手を切り裂いた。



「だから、言ってるだろ。倒れるのは……お前だけだ」


「……私も言ったはずだ。大部分を私に奪われた貴様は、私が死ねばもろとも――」



 暴食の世界樹が不敵に語ると、アインは慰めるように暴食の世界樹を抱きしめる。

 まるで、アインがついさっきされたように気持ちを込めて抱きしめた。



「――俺は今までと同じことを繰り返すだけだよ。毒となってしまったお前を浄化して、その全てを俺が吸いつくす」



 そうだ。アインがすることは、分解されていく暴食の世界樹をただ吸いつくすだけでいい。

 そうすれば、すべては元通り……自分の力が戻ってくる。……戦い方は最後まで、アインらしさに溢れていた。



「ッ――うぁぁぁぁぁああああああああああああッ……」



 暴食の世界樹の身体が光の粒子となって浮かび上がる。全てがアインの身体に吸収されていき、暴食の世界樹の姿が徐々に透明になっていく。

 アインは強く抱きしめると、最後は小さな声でありがとう……と呟くのだった。




 ◇ ◇ ◇




 クローネがアインの隣にきてから、もうすでに一晩が過ぎた。

 時刻は日が昇る頃で、そろそろハイム王都が光に満たされる……そんな時。

 かさっ……と、アインの根元に生える根が動いたのだ。すると、ラビオラの魔石が光を発し、数秒つづいたかと思えば、あっさりと空の魔石となってしまった。



「……アイン?」



 アインを見守り続けたクローネは、若干疲労した様子でその動きを感じる。

 すると、アインの頬をそっと両手で包み込む。



「……ほら。頑張って。アイン」



 優しく微笑みかけ、彼を勇気づける。すると、アインの頬が少し動いた気がした。



「――お人好しな男の子で、少し奥手。ときどき楽観的で……無計画」



 アインと過ごした時間を語りはじめ、頬を優しく撫でた。



「でも、そんな貴方は……きっと一人になろうとしたのよね?」


「一人で全部終わらせようとしたアインの言うことなんて、絶対に聞いてあげないわ。一人になんて、絶対にさせてあげないんだから」



 シルビアたちを召喚し、始末をつけようとしたことを指摘すると、力をいれずにアインの頬を抓る。



「そうでしょ? 私の気持ちを鷲掴む……この世で誰よりも、わるい人愛しい人



 パラ、パラ……木の根が少しずつアインを切り離す。



「ッ――」



 すると、勢いよくアインの身体が前方に倒れだし、クローネが慌ててアインの身体を抱く。

 しかしクローネの身体ではアインを受け止めるのが難しい。倒れるような形で後ろにおされ、なんとか膝枕の形で受け止められた。



「……」



 膝の乗せたアインは暖かく、時折動く身体が彼が生きていると教えてくれた。



「……お寝坊さん。そろそろ朝よ?」



 乱れたアインの髪を手櫛でそっと掻き分け、世界樹と分離されたアインの頭を愛でる。

 ……徐々に朝日が二人の場所にも差し込みだし、ひときわ眩しい輝きがアインの目を刺激した。


「――……ん……」



 眩しい。そう言わんばかりにアインの目が深く皺を刻んだ。クローネはそれを見て手を口に当てて笑うと、自分の背中で小さな影をつくる。

 小鳥のさえずりが目覚めを促し、アインはゆっくりと目を開けていった。



「……」



 目が開くと、目の前には会いたかった女性の顔、そして、自分が彼女の膝の上に寝かされていることが分かった。

 すると、彼女は嬉しそうに……それでいて、じゃれつくように口を開くのだ。


 



「ねぇ、アイン? あなたが最初に口にする言葉は何かしら。おはよう? それとも、膝を貸してくれてありがとう?」





 ……再会した日と比べ、さらに美しく可憐になった彼女。

 だが、いつ聞いても心地よい。……そんな、鈴の音のような声がアインの耳を通り抜ける。

 少し悪戯心を込めて微笑みながら、アインがなんと口にするのか……それを尋ねたのだった。



 ――当時のアインは、少しの間なんて答えるのかを考えた。

 だが、今のアインは何も考える必要が無かった。なぜならば、口にする言葉は最初から決まっていたのだから。

 




「……愛してるよ。っていうのはダメかな?」





 クローネが一筋の涙を流し、アインの頬を撫であげる。

 長い間待たせてしまった大切な言葉。クローネはそれを聞き、小さく頷いて答えるのだ。





「――私も、貴方の事を愛しています」





 朝日が差し込み、小鳥がさえずる。

 そんな二人だけの空間で、二人は宝石を渡し渡されたこの場所で、

 自然と近づく二人の身体は、静かに唇を重ねたのだった。




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