少年期のエピローグ1
「はぁ――はぁ……ッ!」
「マ、マーサ殿?」
「申し訳ありません! 緊急ですので、このまま入室いたします!」
「は……はっ!」
朝方のイシュタリカ王都、いや……シルヴァードが住まう城ホワイトナイトにて、マーサは一枚の封筒を手に、忙しない様子で走っていた。
彼女がやってきた場所は謁見の間で、中では彼女の夫とシルヴァードが待っているはずだ。
「陛下! 失礼致します……ッ!」
「マ……マーサか? どうしたのだ、そなたにしては珍しい様子だが……」
「緊急にございますので、どうかご容赦を……!」
すると、マーサは何度か呼吸を整え、居を正して絨毯を歩く。その先に居る二人の手前に進んだ。
「オリビア様がお目覚めになりました……! まだ本調子ではございませんが、意識を取り戻し、ベッドの上で身体を起こされてました!」
「ッ――そ、それは誠か!」
「はい……! 今は軽いお食事等でお休みいただいております――」
シルヴァードは何度も頷いて喜ぶと、ロイドに目配せして安堵した姿をみせる。
だが、マーサはまだ興奮したままの事に気が付き、どうしたのかと尋ねると、
「それとほぼ同時刻に、リヴァイアサンより連絡が届きました」
マーサはこう答えて封筒をみせる。
一方のシルヴァードは、リヴァイアサンからの連絡……という言葉に慌てて立ち上がると、急いでマーサから封筒を受け取った。
「アインは……アインはどうなったのだ……!」
音を立てて封筒を切り裂き、気にすることなく地面に投げ捨てる。
中に入っていた一枚の紙がようやく姿をみせ、シルヴァードの心を強く握りしめる。心音が急激に高くなり、見たくないという思いや早く見たいという思いが交錯してしまう。
だが、その迷いも数秒程度のもので、シルヴァードは覚悟を決めて書かれた内容を目にするのだった。
「――……」
「……マーサ。中にはいったい何が」
「心配しないで。大丈夫だから」
シルヴァードが固まってしまったのを傍目に、ロイドはマーサへと内容を尋ねる。
大丈夫と言われても、内容が気になってしょうがないロイドだったが、シルヴァードの手前、大人しく振舞う。
――すると、
「ふ、ふふ……ははは……ッ!」
シルヴァードが突然笑い出したのだ。だが、彼の瞳からは多くの涙があふれ、徐々に絨毯に流れていく。
「まったく……我らの心も知らず、なんという簡潔な手紙であろうか……」
「陛下? そ、その紙にはいったい何が……?」
ロイドは心に期待を抱きながらシルヴァードに尋ねる。
「支度をするぞ。リヴァイアサンが王都に戻ってくるのだ!」
「リヴァイアサンが戻る……もしや、それは――」
目が赤く腫れぼったくなってしまうが、心底嬉しそうな笑みでシルヴァードは歩き出す。すれ違いざまにロイドに紙を手渡すと、読んでみよと口にした。
「――『王太子アイン。クローネと一緒に帰ります』……はは……はっはっはっは! アイン様……これでは、陛下が仰る通り簡潔過ぎますぞ……ッ!」
現地で別れてしまったロイドからすれば、これ以上ない吉報だ。
彼は両手でその紙を握りしめ、膝をついて涙を流す。
「ロイドよ。急いでアインを迎えに行かねばならん。すぐに支度をするのだ」
「ッ――は! 陛下のお心のままに……!」
だが、ここで喜びに浸って涙を流している場合じゃない。シルヴァードの言葉に頷き立ち上がると、目元を拭って足をすすめた。
……すると、玉座奥の小部屋から声が届いた。
「……ニャ? あのマザコン、やっと意識取り戻したのかニャ?」
「カ、カティマ様……。その言い方はさすがに……」
第一王女のカティマは小部屋から車椅子に乗って姿をみせた。
その後ろでは、カティマより二回りは大きなケットシーが立つ。彼はライオンのような毛並みを靡かせると、車椅子をゆっくりと進めた。
「さすがにも何も、言ってること間違ってないニャろ?」
「……母を愛する気持ちというのは、美しいものかと思いますが」
「そこで否定の言葉を言わないで濁すあたり、分かりやすい話だニャア……」
二人の会話がシルヴァードにも届き、シルヴァードは足を止めて語り掛ける。
そのやり取りには、表現し辛い柔らかな空気を感じる。
「おぉ、聞こえていたか馬鹿娘。そなたには無期限の謹慎を申しつけたが、今日ばかりはそれを解こう。共に参れ、アインを迎えに行くとしよう」
「ん。さすがはお父様だニャ――ほら、お父様の許可も下りたのニャ! 私が楽しめるように押してほしいニャ!」
カティマは馬鹿娘といわれてもケロッとしており、むしろシルヴァードの言葉に上機嫌に答えた。
口にした楽しめるように……というのは、言ってしまえば車椅子で速く走ってくれという意味なのだが、
「申し訳ありませんが、それはできませんのでご勘弁を」
「……お父様。お世話係が言うことを聞いてくれないのニャ」
「すまぬな。その馬鹿娘は苦労を掛けるが、アインが戻るまで相手をしてやってくれ」
シルヴァードは頭を抱えて彼を労う。カティマは唖然とした表情を浮かべるが、次の瞬間には不満をあらわにした。
「おかしいニャ! ど、どうして私がそんニャに馬鹿馬鹿言われるのニャッ!」
「そのクラゲの足でも詰めてそうな脳に聞いてみるといい。……すまんな。面倒な願いを口にするかもしれんが、話半分に聞いてやってくれ」
「……しょ、承知いたしました……陛下」
「だーかーらー! なんで承知するのニャ!」
頭を抱えたシルヴァードの近くでは、ロイドとマーサの二人が微笑みを漏らす。少しばかり目が潤んでいるのは、彼がこうしてここにいることが嬉しくてたまらないのだろう。
「ロイドよ! グラーフやエレナにも声をかけるのだ! あの者らにも、アインが迷惑を掛けたといえよう――共に港へと向かおうではないか!」
「はっ! では、そのように手配致しましょう。ところでマーサ、オリビア様は……」
「当たり前のようにベッドに括りつけていきますよ。お出迎えしたいでしょうけど、体調を鑑みれば、お城で待っていただく他ありませんから」
「うむ。マーサの言う通りであるな。まったく……我が娘たちは、どうしてこうもお転婆ばかりで……」
後ろでは相変わらずカティマが不満そうにしていたが、彼女も今回ばかりは分が悪いと理解しているようで、それ以上の文句は口にしなかった。ただゆっくりと車椅子に押されて進み、慰めるように毛並みを整え出した。
シルヴァードは皆と別れて謁見の間を一足先に出ると、一人の少女を思い浮かべる。
「……詳細なことは聞かねば分からぬが、やはり、クローネなのだろうな」
先日、クローネは双子の協力を得て、オーガスト商会の船で海を渡った。
それからのことは想像するのに難しくない。なにせ、彼女はアインの側に行きたくて海を渡ったのだから。
「――まぁ、そう思えば、クローネも我が娘たちと近い何かはあるのだろうが」
謁見の間を出たシルヴァードは一人呟く。
彼女がイシュタリカにやってきた経緯を考えてみれば、その器には驚かされるばかりなのだが。
「……一つ言えるのは、次代の王は良き縁に恵まれたということだ」
この後のシルヴァードは自室に向かった。部屋に居たララルアへと、アインとオリビアの事を伝えると、二人は喜びを共有するように抱き合う。
二人はそのまま正装に着替え、馬車に乗って港へと向かっていった。
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