俺はさ、ただのアインなんだ。
(……ラスボス、ね)
物語の終わりを締めくくるにはラスボスがつきもの。
それはごくありふれた話だが、必要性があるかといわれれば、答えはいいえだ。
「お前は少し不思議な力を持つ人間として、強大な魔王を打ち倒さなければならない。覚えてるだろ? あぁ、なんと陳腐な物語だろうか」
暴食の世界樹はアインの前世の記憶まで知ってるのだろう。ラスボスやゲームという単語をあえて使うあたり、揺さぶりをかけてきてるのがわかる。なにせ、彼は自分もアインだと言い張っているのだから、知っていてもそう不思議ではない。
「……とりあえず、つづきをしよう。悪いけど、早く勝負を終わらせたいんだ」
アインが花畑の端に視線を向ければ、徐々に崩壊している光景が映る。
こんな気に入らない問答に付き合う必要はない。アインは剣を構え、暴食の世界樹を睨みつける――すると、足に力を入れて一気に距離を詰めた。
「おっと――そういえば、意識を失う直前、マルコから受け継いだ能力を使ったのは正解だったな。あのせいで私は追い詰められ、挙句の果てには、残ったお前の意識のせいで手加減するはめになった」
「あぁッ! そりゃ、何よりだ……!」
「だからな……邪魔をされた私は気分が悪い。つまり、お前には手加減してやるつもりはないということだ」
アインの剣を難なく受け止めた暴食の世界樹。彼はそのまま不敵に笑うと、デュラハンの手甲でアインの剣を掴む。
すると、暴食の世界樹の容姿が変貌しはじめた。声色すらも変わり、不気味な雰囲気を醸し出す。
「これが
黒い髪が地面近くまで伸びると、顔つきがアインと比べて十歳ほど大人びる。一回り身長も高いようだ。
色気溢れる男らしい顔つきだったが、目つきを見れば圧倒的な殺意に溢れている。
語り口調まで変貌した彼は、まさに魔王という雰囲気を窺わせた。
「なッ……!」
剣をなんなく受け止められ、アインが一瞬狼狽える。通常ならば気にするほどでもない隙だったが、
「私の抜け殻なのだから、そのような情けない姿は見せないでくれないか――ッ」
相手は魔王だ。それも、嫉妬の夢魔アーシェをも凌駕する魔王で、この世界で最も神に等しい存在だろう。
例え精神世界での戦いであろうとも、その強さに変わりはない。
「か……はぁ……ッ」
アインは暴食の世界樹の剣を防ぐが、重すぎて強すぎた。防御をあっさりと貫通し、強い衝撃が全身に走る。
そのままさっきのように吹き飛ばされ、ブルーファイアローズの上に何度も転がった。……だが、
「はぁ……くっ……そう言うなよ、抜け殻も捨てたもんじゃないだろ……!」
暴食の世界樹は頬に灼けるような熱を感じた。無表情で手を伸ばすと、流れる黒い血液に気が付く。
アインはただ弄ばれたのではなく、自らも一撃を加えていたのだ。
「――ほう。やるじゃないか。おかげで私も恥を感じずにすんだよ」
しかしながら、アインの受けた損傷と比べれば、暴食の世界樹はかなりの軽症だ。
たかだが頬に一筋の傷を受けただけで、アインが有利になったわけではない。
「……わざわざ俺を模すなんて、あまりいい気分じゃないな」
暴食の世界樹はアインと別の自我を持っている。性格も違うのだから、本来はアインと似ていない……というのもしっくりきた。
ただ、妙に冷静で大人びた態度がアインに苛立ちを募らせる。
「今度はこちらからいこう。さぁ、立って剣を構えるといい」
すると、暴食の世界樹が姿を消す。膝立ちで身体を癒していたアインの背後に現れると、小さな動きで剣を振り下ろす。
「諦める気がなければ、受け止めるべきだぞ」
「ッ――!?」
速すぎる。クリスと……いや、今までに出会った強者全員と比べても、暴食の世界樹は遥かに速い。
剣にまとわりつく黒いもやが濃さを増し、アインの首筋を切り裂こうと襲い掛かる。
「諦める気があったら……もう剣なんて振っていないッ!」
剣を盾にするように振り上げると、アインは皮一枚のところで難を逃れた。
「暴食の世界樹ッ……! 俺の今までの人生は……お前に決めつけられるほど薄くはないぞッ!」
思えば、波乱に満ちた生活ばかりだった。海を渡り、王族になり、海龍討伐の英雄となった。
大陸の各都市を周って調査をし、その中でも多くの出会いがあった。
「生まれて少ししか経ってない奴に、俺は俺を譲ってやるつもりはないッ!」
その全てが、アインの貴重な財産だ。
アインが気に入らなかったのは、決して命を落とすことじゃない。
「……譲ってやるもんか。俺の大切な全てを、お前なんかに……お前なんかに渡す気はないんだッ!」
自分が過ごしたその全てを、突然やってきた魔王に上塗りされるのが何よりも気に入らなかったのだ。
思いの丈を必死に乗せ、アインはこれまでないほどの力強さで剣を振るった。
「ッ……私を生んだだけのことはあるか……!」
すると、初めて暴食の世界樹の世界樹が怯む。アインの勢いに押され、少しの間攻め手に迷う。
アインの剣が暴食の世界樹の髪を切り裂き、頬に新たな切り傷をつくる。だが、
「ならば……! この私も、その誇りには敬意を示すことにしよう!」
防戦に徹していた暴食の世界樹がふわりと浮かぶ。
「受けよ。我が暴食を――我が渇きをッ!」
青空が広がっていた空に黒い球体が現れた。地面からはこぶし大程度の光りが浮かび上がり、黒い球体を目指して飛翔する。
「なにしてんのか知らないけど……好きにさせるわけがないだろッ!」
「そうだろうさ。だがな、私もただ無防備になるはずがない」
「だったら俺が先に――」
「いいや。私が先だ……ッ!」
アインが無理に攻撃を仕掛けたのは理由がある。というのも、
(駄目だ。どうあがいても少しずつ力が抜けていく……。急いでこいつを倒さないと……ッ)
徐々に体力が奪われつづけ、疲労が溜まり、身体の自由が利かなくなってきたのだ。
無理をしてでも持久戦を避けなければ、万が一の可能性すら消え去ってしまう。焦りをなんとか飲み込みながらも、一撃必殺を狙って攻撃を仕掛けた。
「届けぇぇぇぇええええええ――ッ!」
「……」
目指すは暴食の世界樹の首元だ。喉仏のあたりを狙って剣を伸ばす。
スローモーションのように感覚が研ぎ澄まされ、アインの額からゆっくりと汗が流れ落ちた。
「――ふふ。敬意を示した甲斐があったな」
アインの必死が功を成した。
喉元にアインの剣が深々と突き刺され、黒い血液がドロッと流れ出した。
この事を確認すると、アインは目を見開きながら荒い呼吸を整える。しかし、暴食の世界樹は余裕を崩さなかった。
すると、彼はアインを優しく抱き留めた。
「ッおい……お前、何を……!」
抱き寄せることでアインの剣が更に深く突き刺さる。
口元からは黒い血液が漏れ出し、確実に攻撃が伝わった……という認識があるというのに、拭いきれない不気味さが心を揺さぶる。
「詠おう。これこそが、その身体から生まれた世界樹の力だ」
アインは死に物狂いで逃れようとするが、背中に回された腕は一向に動かない。
……そして、とうとう始まってしまうのだ。
「本来、私が使いたかった力の奔流だ。この世界でしか披露できない悲しみはあるが、その相手が敬意を示すべき抜け殻ならば、そう悪い気分ではない」
彼は上機嫌に語る。幸せそうに黒い球体を見上げると、口を半開きに呟くのだ。
「――降り注げ。わが祝福よ」
耳が狂ったのかと思わせるような、鍵盤楽器の音が響き渡った。
讃美歌を歌うかのように響き、黒い球体が赤黒い光を漏らす。……そして、雛が卵からかえるように
「お前、自分の身体ごと……!?」
赤黒い光が爆風のように広がりだしたというのに、暴食の世界樹はアインを愛おしそうに抱き留めつづけた。
「最期は共に過ごそうじゃないか――それに、少しぐらいは感謝もしているのだ。さぁ、抜け殻よ。我が腕の中で祝福に浸り、永久の眠りにつくといい」
「やめ……ろ……ッ! 俺は、お前なんかと心中する気は――」
アインが火事場の馬鹿力をみせたものの、暴食の世界樹は幻想の手すら用いてアインを留める。
二人は対照的な表情と態度で立ちすくんだが、赤黒い光は、とうとう二人を飲み込んでしまったのだった。
◇ ◇ ◇
一面に広がるブルーファイアローズは変わり果てた。
からからに乾き、美しい花びらを醜く散らす。とりわけ、二人が立つ場所はその影響が大きく、地面すら赤黒く変色してしまっている。
「――我が渇望へと、心地よい充実感が見え隠れしている」
ぼとっ。物言わぬ身体のアインを地面に落とし、暴食の世界樹が一人呟く。
両手が歓喜に震え、表情には柔らかな笑みを浮かべた。
「これが一つになるということだ。……そうだろう?」
地面に倒れたアインを見た。だが、アインは返事を返すことがない。
「……悲観する事はない。そこでゆっくりと休んでいるといい。きっと、素晴らしい世界が待っているはずなのだから」
優し気に語り掛けると、暴食の世界樹はゆっくりと歩き出す。
「さて、それでは、根に施された面倒な封印を弾かねば……」
アイン本体の意思はもう倒れた。この精神世界を抜け出し、さらに力を高めよう――そう考えて、彼は少しの間歩き続けたのだが、
「……何故だ」
ふと、歩くのをやめた。
不可解だと表情に浮かべ、世界の端を見つめる。
「……もう、どこまでも枯れ果てているではないか」
余すことなく、ブルーファイアローズが枯れ果てている。そして倒れたアインを思えば、もはや勝負は確実についた。
暴食の世界樹はそう考えたのだが、一向にこの精神世界から抜け出せる気配がない。
「――なぜだ。もはや身体に残されたのは、この私の意思のみのはず。であれば、どうしてここから抜け出せない……?」
「抜け殻の世界は死んだ。ならば、どうして……」
考えても考えても答えが見つからない。訳も分からず暴食の世界樹は振り返り、倒れたアインの方角を見た。
「まさか、まだ――」
まだ意識が死んでいないのか?暴食の世界樹は歩き出した。
すると、
「……けふっ……ぐっ……ぁ……」
頃合いよくアインの腕が動き出し、アインが顔を上げた。
顔は灼けたように色が変わり、いたるところから血を流していた。だが、アインの目はまだ強い気持ちに溢れている。
「馬鹿な。冗談だろう……? さっきのは外の世界でやれば、それこそ大陸すら崩壊させるような――」
「は……はは……む、昔から……俺は頑丈だった……そうだろ……っ?」
いくら精神世界とはいえ、アインが耐えるとは思えなかった。アインは這いつくばりながら少しずつ体を動かし、半笑いで暴食の世界樹をみる。
「……素直に称賛しよう。いや、むしろ、誇らしさで感動してしまったよ」
暴食の世界樹が拍手でアインを見つめると、すぐに背中から幻想の手を出現させる。
「だからこそ、もう一度だ。もう一度……その意識を殺しにかかろう」
「――最期だっていうのに……遠くから、なのか?」
「何が起こるか分からないだろう? だからこそ、私はここからその意識を刈り取ることに決めたのだ」
「……たく……嫌になるな。その臆病すぎる警戒心は……」
剣を杖にして膝をついたが、アインの身体はもうこれで精いっぱいだ。俯きながらも、とうとう終わりか……と考えてしまう。
(ん……? はは……そうか、お前たちが残っていてくれたから、俺はまだ死んでなかったのか)
アインの倒れた地面には、数本ほどのブルーファイアローズが残っていた。踏みつぶされてしまっているが、その美しい蒼は健在だった。
最期はこの花と共に居たい。手を伸ばして優しく撫でると、ズボンのポケットが膨らんでいることに気が付く。
「……なんだ、これ」
何か入れていただろうか。不思議に思って手を入れると、中に入っていたのは……
「ラビオラ様の魔石……? なんでここに……? 城に置いてきたはずなのに」
手に取ってみると、やはり感じる暖かな幸福感。アインは小さく笑みを浮かべると、それがズボンに入っていたことに喜んだ。
なぜここにあったのかは分からないが、最期にいい気分に浸れた――と感謝の心を伝える。
――すると、
『ねぇ、アイン? あの日の夜みたいで、私とっても幸せよ』
「……クローネ?」
突然、アインの耳にクローネの声が届いた。小さな息遣いまで届き、彼女が隣に座っていると錯覚してしまう。
『でも帰ってきたら口付けしてあげる……なんて、勿体ぶらなければよかったかしら?』
「……はは。確かに、勿体ぶらないでほしかったかな」
『でもね、あそこで口付けしてしまったら、見送るのが辛いでしょう? だからね、私だって我慢したの』
「……分かるよ。俺だって、きっと離れられなくなったと思う」
アインの足に力が蘇る。といっても、ごく僅かな灯(ともしび)のようなものだった
『――だからお願い。戻ってきて……アイン』
震えるクローネの悲しげな声が、アインの心を強く揺さぶった。
握力が戻り、鼓動を高め、ラビオラの魔石を握りしめて立ち上がる。
「悪いな。もう少し……頑張らなきゃいけないみたいだ」
もはや空元気に他ならない。
足は震え、剣を振り上げる力はほぼ残っていない。だが、アインは暴食の世界樹をじっと見つめる。
「は、はは……ははは……はっはっはっはっは! そうか、そうなんだな! 私が強いのは、そもそもの貴様が強いからだ……! 随分と単純で、納得しやすい話ではないか!」
アインが立ち上がるの待っていた暴食の世界樹。彼はアインの力強い声に身を震わせ、嬉しさをにじませた。
幻想の手を何十本も生み出すと、それらを一度に襲い掛からせる。
(……っていっても、何もできないしな。最期に思いっ切り剣を振るぐらいはして――)
ラビオラの魔石をズボンにしまおうとしたその時。アインは、ふと、
それに加え、暴食の世界樹が語っていた力のことを考えた。
「……そうか。まさか……これって」
目を見開いて魔石を見つめる。すると、魔石の中が一瞬煌き、アインに答えたような気がした。糸口だ……まさに、ようやく見つけられたただ一つの糸口だった。
「これで終わりだ――アインッ!」
数十本の幻想の手が襲い掛かる。もう数センチも進めばアインを突き刺し、今度こそ勝敗が付く……と思われたその瞬間、
「――いや、まだ終わらないみたいだ」
「なッ……い、今のはいったい……!?」
幻想の手はアインに近い方から消え去っていき、少しもすればすべてが霧となって消え去った。
「お前が言っていたことだろう? 俺はさ……
折れかかった心に炎が灯される。
……まだだ。まだアインという男は終わっていないのだから。
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