世界樹のふもとで。

「人、居ない?」



 小船を漕ぎ、港町ラウンドハートへと上陸した三人。

 すると、アーシェが辺りの様子を窺い呟いた。



「どこか遠くに避難してるんじゃないかしら。昨日だって、一般市民……って感じの人たちはみなかったから」


「――ふうん。残っても吸われただけだろうし……どうでもいいけど……」



 イシュタリカ・・・・・・以外の人々に深い興味は示さない。これはアインの母オリビアとも似た傾向だ。

 どうでもいい、と若干冷たい態度で語ると、プリンセスオリビアの主砲によってできた一直線の道に立つ。



「二人とも、早く向かうぞ。じゃないと、本格的に手遅れになる」



 カインは目と鼻の先にあるハイム王都に目線を向け、煌びやかな灯りで迎えたアイン……暴食の世界樹を見る。

 この一秒一秒にも成長をつづけ、徐々に太く高く身体を伸ばしていくその姿は、人知を超えた力を誇ることだろう。



 そして、アーシェとシルビアの二人は頷き、先を歩くカインを小走りで追いかけていくのだった。




 ◇ ◇ ◇




 町中に残されていた手ごろな馬を拾うと、乗りつぶす勢いで走らせる。シルビアは当然の権利と言わんばかりに魔法を使い、馬を強引に走らせた。

 そこいらの軍馬なんかよりもよっぽど早く走ったせいか、彼ら三人はハイム王都均衡へとすんなりと進むことができた……が、



「少しここで待っていろ――俺が話す」



 ハイム王都の外壁には、当たり前のように大きな門が設けられている。カインはその手前に立つ人物に気が付くと、身振りを加えてシルビアとアーシェを止め、自分一人で前に進んだ。

 すると、その人物もカインが近づいたことに気が付き、ゆったりとした足取りで前に進む。



「……お久しぶりでございます」


「何を言ってるんだ。昨日、すれ違ったばかりだろ?」


「はは……こうして言葉を交わすのが、という意味でございますよ」


「言われてみればそうだな――マルコ」



 マルコの身体は夜だというのによく目立つ。

 血管のような管が全身に行き交い、脈動するたびにうっすらと光を発するからだ。

 これは、アインがマルコと一対一を行った時と比べても格段に色濃く、マルコが全盛期の力を持っているという証明に他ならない。



「アインを通じて、任務の完了を通知したと思うが」


「頂戴しております。その節は、私の忠節を慮(おもんばか)ってくださったこと……心よりの僥倖でございました」



 マルコはこう答えると、胸に手を当てて腰を深く曲げる。



「黒騎士副団長マルコへと、新たな任務を告げる。我らと共に、アインの暴走を止めるために力を貸せ」



 カインは手を差し出した。すると、マルコはその手に対して縋るように何度か指を伸ばす。

 だが、最後は吹っ切れた様子で首元を左右に振ると、虚空から巨大な剣を取り出した。



「団長。恐れながら、私はすでに新たな任務を頂戴しております。……ですので、団長の意向に沿うことはできません」


(……やはり、こうなってしまうか)



 内心で寂しげにつぶやくと、カインも同じく剣を持ち出し片手で構える。



「団長の命に従えないというのだな? それが意味することは、忠義が死したということになるが」


「お戯れを。わが忠義は死なず……ですから、こうして私も剣を手に取るのです」


「――マルコ。私のお願いでも、聞けない?」



 すると、二人の会話を聞いていたアーシェが語り掛ける。



「……アーシェ様。私は貴女様への礼を失してはおりません――ですが、お分かりかと思いますが、私が仕えることに・・・・・・なっていたお方・・・・・・・というのは――」


「もういい。力づくで分からせるぞ。マルコ」



 アーシェが胸元をギュッと抑え、俯いて悲しさを滲ませた。すると、シルビアはそっと近寄り慰めるように手を掛ける。



「俺たちはアインを止めにいく。邪魔をするつもりがある……そうだな?」


「……私は偏(ひとえ)に、主君の幸せのために忠義を尽くしましょう」



 アインとの一騎打ちの時とも違えば、オズを打ち取った時とも違う。マルコが全身に力を籠めると、彼の足を中心に地面が腐りだす。

 煙のように空気が立ち込めると、カインたちの鼻を少しばかり刺激する。

 はっきりとしないマルコの態度が憎らしいが、彼のスタンスは変わらないだろう。



「お前のような男が、幸せの定義を間違えるとは思わなかったな」



 両者の距離がじりじりと詰まる。歩きながらマルコが口を開き、苦笑いを浮かべたような声で話しかけた。



「いいえ。私はアイン様の幸せ……というものを思い違えたことはございません。強いて言うならば、暴走を止める……とお考えの団長よりは、私の方が強い想いを抱いていることでしょう」


「マルコ……お前、なんのつもりで」



 こんな意味のない戦いで消耗したくなければ、一目散にアインの元へと向かいたい。

 カインが内心でそんな苦労を考えていると、



「――ッ!」


 

 突然、頭の中に閃きが走る。マルコとの会話が何度も頭の中で繰り返されると、とある事実に気が付くことができたのだった。



「……最後に問いたい。マルコ、お前はアインの幸せを考えている……これに違いは無いのだな?」


「えぇ。ございません」


「……シルビア。アーシェ。先にアインのとこにいってろ。俺はすぐに行く」


「あなた――私たちも一緒に」



 一緒に戦う。シルビアがそう答えようするとが、



「いや。いいから先に行っててくれ。むしろ、俺だけの方が都合がいい・・・・・


「あ、あなた? ならせめて、もう少し説明を――」



 都合がいいと答えたカイン。

 すると、突然姿を消すと、マルコの目の前に現れて剣を振るった。だが、マルコは難なくそれを受け止めると……



「お互い、全盛期同士の戦いはそう経験がないな……マルコッ!」


「ッ……さすがは団長です。腕が痺れてしまいましたよッ!」



 強く、早く、そして巧い。剣を扱う者ならば確実に憧れるであろう全てが凝縮され、ハイム王都、その城門にて繰り広げられる。



「――アーシェ。行きましょ」


「でも、お兄ちゃんが」


「あの人なりに考えがあるんでしょう。それを教えないで戦いだしたのは気に入らないけど、今は時間が惜しいの」


「……うん」




 ◇ ◇ ◇




 二人はカインたちを傍目に、急ぎ足で王都に足を踏み入れた。

 王都のほとんどは既に瓦礫の山と化し、ラルフ達の自慢だったハイム城も崩れ去っている。残っているのは少しの民家ばかりだったが、その民家もアインが生みだした根やツタに覆われ、ここがアインの領域ということを知らしめる。



 ふと、ハイムの兵士たちは何処に消えたのかとシルビアが疑問を抱くと、その答えはすぐに見つかった。



「なるほどね。あの子にとっての邪悪な存在は、あっさりと吸い殺されていた……ってわけなのかしら」



 通路脇を見れば、いくつもの白骨化した遺体が転がる。ハイム兵の鎧が近くに散乱しているのを見れば、彼らが元ハイム兵というのは明白だ。



「敵なら、殺されて当然じゃないの?」


「えぇ。当然ね。……ただ、そこにアイン君の意思があったのかどうかが気になっただけよ」


「……ふぅん」


「アーシェの時はどうだったの?意識はあった?」


「少しだけあったよ」



 すると、驚いた様子でシルビアがアーシェを見つめる。



「……なのに、どうして暴走ってことになったの?」


「――説明が難しい」



 むむむ、と唸ってアーシェが考え込む。シルビアは辺りを警戒しながらも、アーシェの答えを待つ。



「けど、寝不足が酷かった日の進化系かもしれない」


「……はい?」


「いらいらして、身体中がなんとなく痛くて、すっきりしない。ベッドに横になっても寝付けなくて、シーツの感触、足がこすれあう感覚全部に苛立って、自分の身体を切り刻みたくなる。枕に落ちた一本の髪の毛に舌打ちをして、おさまりの悪い布団を燃やしたくなる」


「……」


「見える全部が害虫みたいに汚らしく思えて、お風呂に入った時だけはすっきりできる。……暴れた時はそんな気分だった気がする」



 初めて聞くアーシェの当時の心境。彼女らしさに溢れた表現だったが、彼女の葛藤はシルビアに届く。



「でも、それなら、寝不足なんかじゃ効かないわね」


「だから、説明が難しいって言った……!」



 地団太を踏むアーシェを見て笑うシルビア。そして、一度大きく深呼吸をすると、



「それなら、そんな辛い思いは消してあげないとね」


「……ん!」



 アウグスト邸を中心に根差した暴食の世界樹――アインに向けて、杖を向けたのだった。

 隣にいたアーシェも気持ちを切り替えると、ぼぅっと身体中にオーラを纏い、戦いに向けて気を引き締める。



「お姉ちゃん。ところで、どうして私たちここまであっさり来られたの? 港町にいたときから思ってたんだけど」


「……さぁ、なんでかしらね。もしかしたら、心の内ではアイン君が頑張ってるのかもしれないわよ?」


「――なるほど」



 ……と、二人が会話をしていると、突然、戦いの火ぶたは切って落とされた。

 閑散とした王都の街並みに立っていた彼女たち二人の元へと、死角となった陰からいくつものツタが這いよってきたのだ。

 そのうちの数本がシルビアの背後に周ると――



【――ッ!――……ッ】



 シルビアは振り返ることなく、ハイム兵にしたのと同様に輝く砂に変貌させる。



「どう?」


「この程度ならなんともないわ。所詮、伸びてきたツタだもの」


「……ならよかった」



 すると、つづけてアーシェも動いた。

 ふぅ……と息を吐き、纏う紫色のオーラを空気に乗せてツタに届け、ツタは干からびるように萎びていった。



 はじめは小手調べだろうか。二人がほっと一息つきながらも警戒をつづける。

 だが、その様子をあざ笑うかのように、上空に広がる枝についた結晶がほろほろっと地面に落ちてくる。星の数ほど存在するそれは、数十個ほど二人の周囲に落ちると、



【アハハ――アハ……ハ……?】


【ッ――フゥ……ハァ……エヘ……ヘヘ……】



 と、奇妙な笑い声をあげて周囲のツタと根を集めた。それらは結晶を囲うように蠢くと、すぐさま新たな生物が誕生した。



「なに、あれ」


「……初めて見るけど、友好的な相手じゃないのは確かね」



 高さは二十メートル程度だろうか。一輪のバラのように現れたそれは、花びらの全てにサメのような牙を備え、柱頭の部分には醜悪な舌が伸びる。粘液を垂らしながらシルビアたちを見るが、地面に垂れた粘液は、石畳をいとも容易く溶かしてしまった。異様な姿に寒気を催すが、問題なのは、その生物が二人を囲むように数十体生まれたということだ。



「強いと思う?」



 その数十体は、皆がアーシェを舌なめずりするように体を向けた。

 ……見ていて気分のいい生き物ではない。アーシェは嫌々な声でシルビアに尋ねる。



「元となった結晶を思えば、決して弱くはないと思うの。……だけど、それより面倒なのはこの数かしらね」


「それはわかる。だけど、どうしてみんな私をみてるのかが疑問」


「……あ、もしかして」



 ぽん、とシルビアが手をたたいて気が付く。



「私たちはアイン君に召喚されたのだけど、アーシェはアイン君経由じゃないから――」


「……それで、目の敵にされてるって事?」



 クリスによって復活させられたアーシェは、決して召喚された存在ではない。自らの魔石を中心に限界した存在で、アインとは一切の関係がないのだから、アインが……暴食の世界樹が強い敵対心を持って見るのもおかしなことじゃない。



「私もすぐそうなるんじゃないかしら。今は、まだそんな暴れてないもの」


「ひ、ひどい話……。こんな小さな女の子を、寄ってたかって慰み者にするなんて」


「――はいはい。されたくなかったら、一緒に頑張りましょうね」


「……はぁ。ひどい、ひどすぎる」



 すると、アーシェがシルビアを差し置いて前に歩く。



「あ、ちょっと、アーシェ?」


「……ふぅ」



 シルビアの呼び声に答えず、静かながらも威圧感に満ちた足取りをつづける。

 風を一身に浴びたかのように長い銀髪が広げ、つづけて両手をゆっくりと左右に開き、暴食の世界樹本体を見て口を開いた。



「眠りましょう? 甘美な悦楽に浸るために」



 ピシ、ピシと空気が鳴きだし、アーシェの立つ場所を中心に、地面や民家がうっすらとひび割れる。あたりの空気が薄くなったかのように呼吸が辛くなると、後ろに立つシルビアの身体すら重圧感を感じた。



「眠りましょう? 蕩けるような快楽のために」



 もしも王都に人が残ってさえいれば、この異常を感じることができただろう。アーシェが言葉を発するごとに、王都に漂う空気が歪みを生じた。



(蜃気楼……? 視界が歪んできたけど、何をするつもりなの)



 歪んだ視界の中に立つアーシェを見守りながら、シルビアは内心で呟く。

 ……そして、五百年前に暴走した魔王は、その強さをハイム王都に知らしめる。



「――さぁ、永久(とわ)の眠りにつきましょう?」



 ハハハハッ、アーッハッハッハッハ、フフ……フフ……、ヒヒヒヒヒヒッ、ウフフフフ……。

 アーシェではない声で、老若男女まばらな声がいくつも王都中に響き渡る。反響し、耳に強く入り込み、身体中にまとわりつくように声が周った。



 ――すると、王都に存在する全てが例外なく、大きな衝撃を身体に感じたのだった。

 グググググッ、と脳天を押されたかと思えば、高い所から地面に蹴落とされたかのような、そんな強大な衝撃を一身に受ける。

 それからは間をおくことなく、崩れていなかった民家が一斉に崩れ去り、バラのような生物も、顔となった花の部分を一斉に石畳へとぶつける。

 その後は痙攣を少しの間繰り返したが、程なくして動きを止めてしまう。



 ……アーシェを中心に沈み込んだ王都。それは、眠気に堪えきれなかった幼子によく似ているのだった。



「うん。よし」



 さっきまでの凛々しい態度は一変し、ぼんやりとした表情でアーシェがぐっと手を握る。

 だが、この説明をされていなかった者からすれば、よし……と素直には頷けず、



「なにが……なにが『よし』なのよッ! いきなりあんなことして……危ないでしょッ!」


「ピ……ピィッ!?」



 後ろで見守っていたシルビアの額には汗が浮かんでいる。片膝をついて杖に身体を任せていたが、アーシェの一撃が影響を与えたのは言うまでもない。アーシェはシルビアの怒った声に怖気ると、頭を抱えてしゃがみこんだ。



「お、怒らないでよ……お姉ちゃん。私、頑張ったんだよ?」



 しゃがみこむと、シルビアを見上げるように顔を上げる。こうされると、シルビアもそれ以上は強く叱責する気になれず……



「あのね? 頑張るのは咎めてないの。だけど……はぁ、もういいわ。それで、今のはなに?」


「――今の? 今のは、みんな寝てくれたら幸せだよー? って思って、無理やり寝かしつけただけ」



 なんだ、ただの力技か。とシルビアは呆れて頭を抱えたが、やはり魔王というのは格別の存在だ。加えて、攻撃手段にも夢魔らしさを感じた。

 なんだかんだと、こうして、王都全体にまで影響を与える力をみせてくれたのだから、それ自体はとても頼もしいといえるだろう。



「きっと、アイン君にも攻撃が届いたと思うわ。まぁ、悪い事だけじゃないのはわかったから……さてと、それじゃ――」



 追撃開始だ。シルビアが気合を入れると、暴食の世界樹に新たな動きが起きる。

 ぼと、ぼと……と、腐った果実を地面に落とすかのように、魔力の結晶が何個も何個も降り注ぐ。だが、今回はそれだけでなく、地面から太い根やツタが何本も現れると、シルビアたちから距離を取って構えだした。



「アーシェ。本番みたいよ」


「今の……何度もはできないよ?」


「知ってるわ。だから、死なない程度に頑張ってね」



 クスッ、と妖艶に笑ったシルビアが杖を振った。一方のアーシェは、厳しめの言葉に口を開いてショックを受けていたが、数秒すると持ち直して身体に力を込める。



 ――二人は魔力の結晶がバラに姿を変えるのを見て、長期戦になることを覚悟したのだった。



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