今一度のハイム。

 王都は極度の緊張状態にあった。なぜならば、戦地から帰ってきたはずの騎士たちが、一様に口を堅く閉ざしているからだ。

 加えて、城からもなんの連絡もなく、民衆の我慢も限界に近づいた――だが、その日の夕方、港で忙しない様子で騎士たちが支度をはじめる。

 ……そして、アインを止めにいくと決意した三人は、リヴァイアサンの屋根に乗り、並んでハイムの方角を見つめていたのだった。



「――すごいね。あれ」



 ふと、アーシェがつぶやく。



「アーシェ? すごいねっていうのは、何がかしら」


「……あっちにいるの、すごい化け物だよ。もし……もしもあれが神様だーなんて言われたら、多分納得するかも」



 ぼーっとした目つきながらも、アーシェの態度は真剣だった。瞳は輝きを取り戻し、纏う力は覚醒した魔王そのものだ。

 しかし、そんなアーシェでも感じてしまうのが、海を渡った向こう側にいる存在の強さだ。



「――それに、私、もう見つかってるよ」


「見つかってる。っていうのは……アイン君にってこと?」


「そう。飢えた獣が舌なめずりするみたいに、私の方に根を伸ばしてきてるもん」


「……良く分かるわね」


「えへへ」



 褒めたとまではいわないのだが、アーシェはあくまでもマイペースに喜んだ。

 語る内容は不穏の一言に尽きるのだが、シルビアや……近くで黄昏るカインには理解が追い付かない。



「ってことは、アーシェ。お前はご馳走に思われてるってことだな」


「――あれ? 悪い気しない……かも?」


「いや、しろよ」


「はぁ……アーシェ。貴女ったら、相変わらずなのね」



 呆れたような笑顔でシルビアが声に出す。だが、アーシェも言いたいことがあるようで、



「……む。それをいったら、お兄ちゃんは理屈っぽいし、お姉ちゃんは意地悪なまま」


「あら。どういう意味かしら」



 シルビアが杖を召喚する。すると、自然な流れで先をアーシェに向けた。



「だって、あの女の子クローネに意地悪してたでしょ?」


「……いいえ。あれも一つの愛なのよ」


「――私には難しくて分からない」



 二人は意味深に会話をつづけたが、一方で、理屈っぽいと称されたカインはただ静かに佇む。……彼の内心を知る者はいない。



「そういえばアーシェ? 貴女からみて、アイン君の強さはどんな感覚なの?」


「うん? それって、例えば一対一とかだったら……みたいなこと?」


「えぇ、そういうこと」


「……私、さっき言ったよ? 種族の差を感じるって」


「確かに聞いたわ。だけど、それだけじゃ説明が足りないでしょう?」



 アーシェは決して頭が悪いわけじゃない。ただ、丁寧な説明をするのが苦手なだけだ。言い方を変えれば感覚派で、理論的な態度がとれないだけだった。



「今戦えば、一対一でも優位になると思う」


「……それなら、数時間後なら?」



 すると、アーシェは初めて表情を硬くした。唇をぎゅっと閉じると、半開きだった目をしっかりと開く。

 試しに――といわんばかりに身体中に力を入れると、すぐに『ふぅ』とつぶやいて離散する。すると、アーシェの周囲に星空のような紫色の煌きが広がった。

 ……そうして、ようやくシルビアの問いへと答えを口にする。





「――うん。数時間後なら、もう私じゃ太刀打ちできない……かも」



 今のアーシェは嫉妬の夢魔としての強さを持つという。だからこそ、それでも時間が経てば太刀打ちできない……という言葉には、シルビアとカインは大きく驚かされた。

 ……そして、この十数分後。忙しない様子でリヴァイアサンは王都の港を離れるのだった。




 ◇ ◇ ◇




 ハイムへと向かう船がリヴァイアサンに選択された理由はいくつかある。戦艦のなかで、もっとも速度が出るということや、防衛に関して並ぶ戦艦が無いという事からだ。

 また、乗組員や騎士は最低限の人員が選ばれ、シルビアたちと共に港町ラウンドハートへと向かう。……夕方となり赤らむ海原は、ところどころが少しずつ暗がりを見せ、夜の帳(とばり)が下りていく。



 そして、場所は変わってリヴァイアサン艦内の操舵室。

 シルビアたちたっての願いとあってか、彼女たち三人は操舵室でハイムへと続く海域を見守っていた。



「……ねぇ、元帥さん」


「む。どうなさったのだ、アーシェ殿」



 ふと、アーシェがロイドに語り掛けた。



「あまり近づかない方がいいよ」


「……と、いうと?」


「港町から少し距離を置いて停泊して。じゃないと、この船も壊されちゃう」



 すると、困惑した様子のロイドを傍目に、シルビアが口を開く。



「私も賛成よ。想像していた以上に、アイン君の力が高まってるみたい」


「うん。たぶん、もうちょっと進んだ海底には、世界樹の根っこ……あると思う」


「だろうな。俺も、ここ最近は、ずっと睨みつけられてるような感覚だ」



 カインも同意する。すると、彼は窓際に歩いていき、腕を組んで外の様子を見守った。



「そういえば、作戦とかないの?」


「あなた。何かある?」


「ない。強いていうなら、全力で攻めるってぐらいだ。きつくなったら引いて、魔石をかじって回復する」


「……お兄ちゃん。適当すぎ」


「はぁ。そう文句を言うのなら、アーシェが作戦を考えてみればいいだろ? ……見てみろ、あの馬鹿みたいに大きな樹に襲い掛かるっていうのに、作戦らしい作戦が通じると思うか?」



 カインの言葉に、ロイドやシルビア……そして、アーシェはむすっとした表情で椅子から降りると、窓際へと向かう。

 そして近づくハイムの方角を見ると、



「――通じないと思う」



 アーシェがカインの言葉に納得すると、シルビアは苦笑いを浮かべ、ロイドは呆気に取られてしまう。

 今は、普通であれば夕食時を過ぎた頃で、海から眺めるハイム王国は静けさと暗がりを同居させている。……と、ここまでならば特に違和感はない。不気味なまでの静けさは感じられるが、そんなものは気にならなくなる光景が広がっていたのだ。



「さすがは、自らを暴食の世界樹と称するだけのことはある……ってことかしらね」



 ハイム王都の上空には、不自然な星空が広がっていた。というのも、幾重にも重なった天の川のようにもみえ、星が燦々としすぎている。

 夜だというのに、皆がハイムの様子を窺えたのは、この賑やか過ぎる星空が理由だった。



「……あの光はいったい」



 すると、ロイドが自然と口を開く。



「馬鹿みたいに凝縮された魔力の結晶だ。近づけば、何も考える暇なくあの世にいけるだろうな」


「見事なものね。さすが、エルフが神のように崇める存在なだけあるわ――更にいえば、その存在が魔王に昇華したわけなのだけど」



 そう。ハイム上空に広がっているように見える星空は、本当の星空なんかではない。巨大に成長したアイン――その枝へと果実のように実った力の塊だった。

 蒼、緑、紫、白、見る者を魅了するかのように、瞬きながら光を灯す。幻想的の一言に尽きるが、その中身はどんな兵器よりも恐ろしい。



「アーシェ。同じ暴走した魔王同士、仲良くできないのか?」


「……丸腰で近づいたら一瞬で吸い取られそうだけど。仲良くできると思う?」


「さぁな。やってみる前から諦めるのはよくないと思うが」


「す、すまんが……本当に、力のぶつかり合いをするしか方法は無いと……?」



 カインとアーシェの冗談めいたやり取りに割り込み、ロイドが尋ねる。

 作戦らしい作戦が語られないことに、ロイドも少しばかり痺れを切らしてしまったのだ。



「――ほら。周りの方を不安にさせたら駄目でしょ? そろそろ、ちゃんとした考えを説明しておかないとね」



 すると、シルビアが助け舟を出した。考えがあったのなら始めからいってほしい……という思いを抱き、ロイドは身体から力を失う。

 そして彼女が語りだしたことで、カインとアーシェの二人も耳を傾けた。



「植物が休眠するという性質に頼るわ。劣悪な……不適切な環境に陥った際、生命を維持するために行われる防衛本能。とりあえず、それでアイン君の動きを止めましょう」



 暴食の世界樹にとっての劣悪な環境、それを作るのは苦労しそうだがやるしかないのだ。カインは深く頷くと、シルビアに答える。



「シルビアが根に働きかけ、俺とアーシェが本体に働きかける。これだな」


「えぇ。そういうこと」


「……だが、もしも休眠という本能が無ければ、どうするのだろうか?」



 ロイドの疑問も当然だ。世界樹という生き物を、魔王という生き物を、常識の範疇に置いていいのかが疑問なのだ。



「そこまで逸脱してないことを祈るだけね。あと、逸脱していたのなら、この人の言った通りにするしかないわ」



 つまりは力技でどうにかするしかない。カインの言う通りにするということは、そういうことだ。

 ……と、シルビアが絶望的な事を漏らした瞬間。リヴァイアサンが大きく揺れた。



「ここで止めてくれ。小船を借りるぞ」


「それと、私たちが降りたらもう少し離れてね? じゃないと、安全を保障できないから」


「……ん。頑張る」



 初夏のある日。

 イシュタリカとハイムの――そして、イシュタリカと赤狐の因縁が終わって間もない日。

 暴走した魔王を止めるためやってきたのは、過去に暴走した魔王の一行だ。これにも奇妙な縁を感じてしまうのは当然のことで、彼らは彼らなりの決着をつけるべく、ここハイムへとやってきた。



 経験したことのない強大な相手。それが自分たちの子孫にあたるとなれば、不思議な空虚感に苛まれてしまうが、同時に心に沸き立つ使命感に立ち上がれる。

 ……こうして、本当の最後といえる戦いが開戦へと近づくのだった。




 ◇ ◇ ◇ 

 ――閑話にもなりきれなかったおまけっぽいなにか――




 ロイドたちが港町ラウンドハート近郊に到着した頃。

 夜のイシュタリカ王都――城の中では、とある王女がシルヴァードに見つからないように行動をはじめた。



「……カティマ様。その、どうしてディル護衛官を?」


「ニャ? そりゃ、私が天才的な頭脳を持ってるからに決まってるニャ」


「……な、なるほど」



 口が固い……のは近衛騎士が全員そうなのだが、カティマはその中でも、何度か会話をしたことのある近衛騎士を一人呼びつけ、王族令を使っていた。

 そのせいもあってか、彼はバーラの元へ出向くと、ベッドに寝かされたディルをカティマの命令で連れ出すことに成功し、ベッドに寝かせたままカティマの地下研究室へと連れて来たのだ。

 聞いたところによれば、マーサが付き添って泣きはらしていたそうだが、彼女も疲れ果てて倒れてしまい、城内の部屋に運ばれているとのことだ。



「――でも、よく寝てるニャ」



 地下研究室に連れ込まれたばかりのディルを見て、カティマが微笑む。



「そうですね。バーラ殿の治療も功を成したので――」


「別に私を気遣わなくていいのニャー。このままだと、ディルは明日の夜までもたないからニャ」


「……失礼致しました」


「んむ。……さてと、これがお駄賃だニャ。受け取って帰るといいニャ」



 すると、カティマが近衛騎士に手渡したのは上等な革袋。揺らすと金属の擦れる音が響き、中に多くの金貨が入ってることを教えてくれる。



「受け取れません。カティマ様」


「駄目だニャ。受け取るニャ」


「――いけません」



 近衛騎士はカティマの態度に不穏な何かを感じ、受け取ることを頑なに拒否する。が、カティマの方が頑固なのは言うまでもなく、



「王家への忠義を示すニャら、受け取るのが当然のことだニャ。……それとも、また王族令でも使わなきゃだめかニャ?」


「……カティマ様。貴女様は、いったい」


「ほい! 渡したからニャ! 受け取ったニャ!? さーさー、それじゃ退室するニャ―」



 だが、最後はカティマには珍しく力技だった。

 近衛騎士の懐に革袋を強引にしまい込むと、彼を強引に外に押し出す。

 小柄なカティマにどうしてそんな力が……と彼は思ったが、カティマの事だ。何か魔道具を使っているのだろう。



「ッ――カティマ様! 開けてくださいッ! カティマ様ッ!」



 ドンドンドン、と音を立てて研究室の扉が強くたたかれる。

 しかし、カティマは既に答える気が無く、扉に幾重にも重なる鍵をつける。アインが閉じ込められたときに使ったような、中からでなければ開けるのが厳しい特別な鍵だ。



「いやー、でも運がよかったニャ―。オズのおかげで、こんな方法が思いつくニャんて」



 すると、カティマは大きな木箱を開けると、中に詰まっていた魔石を床にばらまいた。

 いつの間にかかっぱらって・・・・・・いたクリスのレイピアを手に取ると、奇妙なダンスのように振り回す。



「ニャッ! ニャッ! ニャッ! ……あれ、私ってば、剣の才能もあったのかニャ……?」



 見る者は確実に苦笑いを浮かべるだろうが、当のカティマは上機嫌に笑みを浮かべる。すると、近くに置いていた大がかりな魔道具を操作しはじめ、研究室中に緊張感が漂い出す。



「単純な話、核っていう器が出来てしまえば十分なんだニャー。ほいで、核は魔石が作用してれば自然と生まれるから」



 カティマは独り言をつづけると、机の上に置いていた小さな空の魔石を手に取る。

 くるくる回して様子を確認すると、満足したようで深く頷く。すると、ディルの服を爪で破き、痛々しい傷跡に目を向ける。



「ほい。痛み止めニャ」



 すると、患部へと軟膏のような痛み止めを塗りたくり……



「ほっ!」



 気持ちのいい動作で、ディルの体内に・・・空の魔石を埋め込んだ・・・・・。ディルは衝撃で大きく息を吐いたが、昏睡状態から目を覚ます事は無い。



「それでー、この管を繋ぐニャー」



 稼働させた魔道具から数本の管を伸ばし、自分の身体の数カ所に巻き付ける。すると、地面にばらまかれた魔石から徐々に中身が吸われはじめ……。



「うむ。万事問題なし! だニャ!」



 明るい声で宣言し、クリスのレイピアを構える。



「ま、人間じゃなくなるかもしれニャいけど、そんなの大した問題じゃないニャ」



 この時のカティマは、慈愛に満ちたなんとも神々しい表情だった。

 すると、最後にカティマは深く深呼吸をし……



「――それに、私はまだ……お世話係ディルを首にしたつもりはありませんよ?」



 ……王女らしい声色で淑やかに言葉にすると、カティマは微笑みながら、レイピアの切っ先を自らの胸に突き立てるのだった。




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