少年期の終わり ―暴食の世界樹と、薔薇の宝石―
彼らのために。
魔王アーシェというのは、ほとんどのイシュタリカ人からしてみれば、最悪の歴史の象徴だ。
まさか王都の城で復活を遂げた――なんてことを想像している者はいないだろうが、城の中はこれまでないほどの厳戒態勢がとられる。城の一部区域は絶対的な不可侵として区切られ、ごく一部の者しか立ち入ることが許されなかった。
――そして、これからのことだけでなく、ちょっとした積もる話や、オズの件もあってか、一同は大会議室へと移動したのだった。
しおらしい態度でアーシェが謝罪を繰り返すなど、ちょっとしたひと悶着はあったものの、シルビアがアーシェを落ち着かせ、カインが大会議室へとやってきたことで、一応は区切りがつく。
「ねぇ、貴女――なんていう名前なの?」
「――私はクローネと申します。その……何かございましたか?」
「ううん。なんでもない。ただ、雰囲気が似てるなって思っただけ」
アーシェは突然クローネに語り掛けた。どうにもマイペースに声にすると、彼女はすぐに紅茶へと手を伸ばす。
「……すまんが、アーシェ殿。クリスは本当に無事……なのだな?」
復帰したばかりだったクリスだが、アーシェを復活させるという代償により意識を失う。
今はバーラの元へと運ばれていることだろう。
「うん。無事」
あまり間をおくことなく、ロイドがアーシェに語り掛けると、アーシェはあっさりとした態度で答えるのだ。
すると彼女は、ずずっと音を立てながら茶をすする。久しぶりに感じる温かみに加え、城の給仕が淹れた上等な茶にほうっと頬を蕩けさせた。
平時であれば和むだけで終わる話だったが、今回ばかりはそうはいかない。
「なぜなのだ? オズ……あの赤狐によると、確実に死に至るとのことだったのだが」
「それは血統のおかげ。じゃないと、
「……血統のおかげとは?」
すると、二人の会話を聞いていたシルヴァードがはっとした表情を浮かべた。隣の席では王妃ララルアがピクッと反応し、シルヴァードの顔色を窺う。……が、シルヴァードは意図的にララルアの顔をみようとしなかった。
二人の様子を知らずか知ってか、アーシェは淡々とロイドに答える。
「ヴェルンシュタインの――ラビオラとマール……マルクの血を引いてたおかげ。魔石がほかの人より質がいい。だから、生きてた」
魔石の質がいいという、なんとも抽象的な説明だ。しかし、それ以上に興味を惹かれる言葉をアーシェは口にする。
「――すまない。アーシェ殿が言ってることとはつまり……」
ようやくになって、ロイドがシルヴァードをチラッと見る。すると目に映るのは、どうしたもんかと頭を抱えたシルヴァードの姿だ。
「ロイド。この人は事情を知っていたようなの。でも、この様子ってことは教える気が無いみたいだから」
「……言えるはずがなかろう」
屈託のない笑顔を向けるララルアへと、シルヴァードはしかめっ面でこう答える。
ララルアも本心では分かっているのだが、こうして秘密がつづくようであれば、少しばかり指摘したくもなる。
「ごちそうさまでした」
紅茶を飲み干したアーシェ。険悪になりつつある雰囲気を気にすることなく、笑顔で満足そうにつぶやく。
「ねぇ、カインお兄ちゃん。本当に泳いできたの?」
「……ん? あぁ。途中ででかい魚に管(くだ)を刺して言うことを聞かせてな」
「――鬼畜」
「ほんと酷い事するのね、あなたったら」
「……理不尽だ」
魔王陣営の三人の雰囲気はとても穏やかだ。久しぶりの再会を祝ってるのかもしれないが、彼らをみても、緊張という様子は見受けられない。
この光景をみていたシルヴァードたちですら、徐々に気分を落ち着かせてしまう。エルダーリッチのシルビア、彼女の影響があるのかもしれないと邪推もしたが、それ以上深くは考えなかった。
「ところで、アーシェ殿」
そんな中、シルヴァードが尋ねる。
「ん。なに?」
「余は図り損ねているのだ。アーシェ殿は以前暴走した
「ん。そう。それがどうかしたの?」
「以前は暴走してしまったのだ。だというのに、今は正常な理由はなぜなのか……これを聞きたいのだ」
「……そんなの簡単だよ」
よいしょ、と声に出してアーシェが椅子から立ち上がる。するとシルヴァード達に向けて背中を見せ、着たばかりの服をめくった。
「ほら、これのおかげだから」
「ッ――そ、その傷跡はいったい?」
アーシェの背中には深く抉られたような、それでいて大きく出来上がった切り傷の跡が残る。
これにはシルビアとカインも驚き、真剣な瞳でそれを見つめる。
「これはね、マルク……あの、私たちはマールって呼んでたの。だからマールって呼ぶね」
初代イシュタリカ王を愛称で呼ぶと宣言し、アーシェが一度咳払いをして居を正す。
「マールが私を
「アーシェ? じゃないのかな、っていわれても、私たちには分からないのだけど」
「だって、私にだってしっかりとは分からないもん。でも、あの時みたいなドロドロした感情はもう消えてる」
「……ならいいわ」
シルビアが納得したことで、アーシェは服を直して椅子に戻った。
「あの子、最後まで優しかったんだよ。私の魔石を壊さないように、核と魔石の間だけを切り裂いたんだもん」
どれほどの物語があったのか。
それを知るのは、当事者のアーシェとマルクのみとなる。シルビアやカインですら知らない当時の話に、大会議室に集まった一同は、ただじっとアーシェの笑顔を眺めていた。
「――だから、今度は私が止めてあげるんだよ」
……しかし、最後に語ったアーシェの表情は精悍の一言だ。紫色に瞳を輝かせると、身体中に迸る力が周囲の者を圧倒する。
世界最強の戦士を名乗るカインですら、このアーシェの様子には生唾を飲み込むほどだったという。
◇ ◇ ◇
それからというもの、前日に話していた通り、シルビアにカイン……そして、予定にはなかったがアーシェの三人は、アインを止めるべく出発の支度をする。大した持ち物は手にしなかったが、そこそこ高級な魔石をいくつも用意させた。
……というのも、純粋な魔物の三人からしてみれば、魔石を補給物資として持っていくだけでもかなりのアドバンテージとなるからだ。
これにはシルヴァードだけでなく、カティマも伝手を頼って魔石をかき集めた。同じくクローネもアインのため……ということもあって必死に働き、この支度には数時間程度の時間を要する。
そして、支度が一段落した頃――クローネは、アインの部屋に足を運んでいたのだった。
「――あのときに話していたことが、本当のことになっちゃうなんてね」
アインと何度も語らったソファに腰かけると、クローネはいつかのデートの事を思い返していた。
王都の港で双子と戯れながらも、自分がこの先どうなるかわからない……とアインが不安そうに語っていたときのことだ。
「……ふふ。でも、アインがアウグスト邸にいるのなら、そこで新しいスタークリスタルを貰えばいいのかしら」
その時のクローネは語っていた。生まれ変わってからもスタークリスタルを贈ってくれるなら、私はなにも問題がない……と。
そして、この言葉の真意は、スタークリスタルを贈るという言葉の意味を考えればすぐにわかる。
「……頑張らなきゃ」
多くの事を考えてしまうクローネ。ふと、瞳から大粒の涙が頬を伝う。目元をハンカチで優しく拭うと、静かにソファから立ち上がった。
――すると、立ち上がったとほぼ同時に、予期せぬ客人がやってきたのだった。
「こんにちは。クローネさん」
「ッ――シ、シルビア……様?」
扉が軽くノックされたかと思えば、クローネの返事を待たずして扉が開かれる。
クローネは何事かと思って警戒するが、やってきたのがシルビアと気が付いて警戒を解いた。
「朝はごめんなさいね。意地悪なことしちゃって」
「……いえ。私は別に」
朝の事といえば、クローネがシルビアに対して尋ねたときの件だ。
シルビアたちはアインに何をするのか、それに関しての明白な答えを求めた結果、シルビアに力づくで退室され、結局答えを聞けなかったという話になる。
「嘘。別に……なんて思ってないでしょ?」
「……なら、聞いたら教えてくださるんですか?」
「――それなら、先に話し相手をしてもらおうかしら」
シルビアはまだ答えない。この態度にクローネは深くため息をつくことしかできないが、アインが関わっているということもあってか、不本意ながらも気分を落ち着かせる。
「私でよければ、なんなりと」
見るからに棘のある態度だが、シルビアは笑って受け流す。すると、シルビアはクローネが座っていたのと反対側に腰かけると、クローネを手招きして座らせた。
「ううん。そっちじゃなくて、こっちに来てくれる?」
「……シルビア様の隣に、ですか?」
「えぇ、そうなの」
どんな思惑があるのかとクローネは疑ってかかってしまうが、シルビアは相変わらずの笑顔だ。
「失礼します」
「……ふふ。ありがとう」
結局観念して隣に腰かけると、シルビアの満足そうな微笑みに目を奪われた。
「どうして隣に?」
「――このほうが、しっかりと貴女のことを見ることができるもの」
「……そういうものでしょうか」
「えぇ。そういうものなのよ」
「そ、それで、話し相手っていうのは……?」
世間話しか続きそうにない雰囲気に、クローネがしびれを切らす。愛想笑いを浮かべながらも、口元には先走る不安感を募らせた。
「クローネさんは、アイン君のことが好きなの?」
「……? いいえ、好きではありません」
クローネはなんだこんな話か、と呆気にとられる。
「あ、あら……? 違ったのかしら……私の想像だと……」
今度はシルビアが困惑した様子をみせ、対照的にクローネの心に余裕が生まれた。クローネはシルビアを見ながら小さく笑みをこぼすと、目元を緩めて続きを語る。
「私はアインの事を愛しているんです。ただの好き――なんていう言葉では収まりません」
面と向かって言ってやった。自らが募らせ育んできた想いを、初代国王の母に向けて。
すると、クローネの態度が想像以上だったのか……シルビアは口を半開きにし、何度も瞬きを繰り返した。そして、一方のクローネはこの際だ……と考えると、覚悟を決めて口を開く。
「この際ですから、お答えいただけないようであれば、私の気持ちを汲んでいただけないでしょうか」
「……え、えっと……クローネさんの気持ちを汲むっていうのは?」
シルビアが答えたことで、クローネは俯く。
左腕につけているスタークリスタルを愛おしそうに撫でると、最後はぎゅっと握りしめてアインを想う。
「私はアインの事は良く知っているんです。……だから、予想ぐらいはできています」
「……」
「アインは責任を取ろうとしたのでしょう。自分が魔王として暴走してしまったことで、魔王アーシェの二の舞にならないようにと。だからシルビア様たちを召喚し、自分自身を殺してほしい……と願った」
「……ふぅ」
クローネの力強い瞳に負け、シルビアが一度ため息をつく。
いつの間にか、ローブの袖をクローネの両腕に掴まれていることに気が付くと、自分の手をそっと重ねる。
「だから――だから、アインを殺すというのなら、」
「――私も共に死後の世界に送りなさい。とでも言うのかしら?」
「はい。その通りです」
はい。と答えた瞳に偽りはない。恐れられたエルダーリッチを真っすぐに見つめ、抱く想いをひたすらにぶつける。
受け止めたシルビアが先に瞬きをしてしまうほど、クローネの意思は強かったのだ。
……両者の見つめ合いはしばらくの間つづいたが、先に行動を起こしたのはシルビアだった。
「アーシェが帰って来てくれたのは幸運だった。おかげで、別の手段をとれるかもしれないの」
「ッ……それって」
「だからね、その別の手段をとってもいいのだけど――その前に、クローネさんにも私の願いを聞いてほしいの」
「私にできることでしたら、なんなりと」
クローネは希望を見出したような瞳に変わると、シルビアの言葉に即答した。すると、シルビアは立ち上がり、
「ふふ……。なら、少し目を瞑っていてくれるかしら?」
「め、目を瞑って……? その、それだけでいいのですか?」
「えぇ、そうよ。それだけでいいの」
「――これでよろしいですか?」
突拍子もない言葉だったが、クローネは素直に従って目を閉じる。
きつくぎゅっと閉じられた目元には、深く皺が刻み込まれ、シルビアは満足した様子で答える。
「そのままでいてね? えっと、この部屋にあるはずなんだけど……」
クローネの耳には、シルビアが歩き出した音と、何かを探している様子が届く。
どうせ聞いても教えてくれない……と考えたクローネは静かに待ちつづけ、シルビアが戻るのを待った。
「あっ! こんなところにあったわ……ふふ、本当に……綺麗な色」
机の引き出しを開けた音につづき、シルビアが喜んだ声をあげた。
すると、彼女はようやくクローネのすぐ隣に戻っていき……
「お待たせしました。クローネさん。……さぁ、両手を出してくれるかしら?」
「……こう、ですか?」
「そのまま器を作るように……ね?」
言われるがまま両手を差し出すと、クローネは手のひらを合わせて器を作る。
いったい何をするんだ、と若干困惑してしまう。
「心配しないでね。もし何かあっても、私がいるから平気よ」
「……分かりました」
クローネが納得したのをみて、シルビアは目的だったものを布の袋から取り出した。
そして、シルビアは取り出したものを、迷うことなくクローネの手のひらに置いたのだった。
「あ、あの……何をおいたんですか?」
「……秘密。絶対に目を開けたら駄目よ?」
「え、えぇ……開けませんけど……」
シルビアはクローネの顔と手のひらを注意深く観察した。
時折、眉間に皺を寄せて考え込む様子をみせたが、目を固く閉じたクローネには分からない。
「クローネさん」
観察は数十秒ほど続いたが、突然、シルビアがクローネを呼んだ。
「……ねぇ、クローネさん。今の気分はどう?」
「ど、どうって言われても……何を持たされたのか気になってるぐらいです」
「それだけ?
「いえ……まったく」
問いの真意は分からないが、クローネは真面目に答える。
「何か
「……ありません」
「――ふぅん……そういうこと。なるほど……試してみるものね」
言葉だけをみれば重苦しいが、最後のシルビアは満面の笑みに加え、これ以上ないほど上機嫌な声で語りかけた。
つづけて、クローネの手のひらに置いたものを布袋に保存し直し、その布袋を懐にしまい込む。
「ありがとう。クローネさん。もう目を開けていいわよ」
「えっと、今のはいったい……?」
「秘密。でもね、私は満足がいく結果だったわ」
一人満足げなシルビアは立ち上がり、軽い足取りで扉に歩き出す。
「クローネさん。貴方の願いを聞き入れましょう」
「ッ――ほ、ほんとですか!?」
「私たちにできる最善を尽くします。それじゃ、私はそろそろ行くわね」
すると、クローネはシルビアの背中に向けて深く頭を下げ、嗚咽を堪えながら小さく礼を口にした。
「あ……ありがとう……ございます……ッ」
シルビアは振り返ることなく頷くと、雅やかな所作で扉を開ける。
複雑な感情に苛まれながらも柔らかい笑みを浮かべ、扉の外に居た人物に語り掛けた。
「――あなた。おまたせ」
「あぁ。……で、どうだったんだ?」
外に居た人物――カインと並んで歩き出すと、シルビアは首を縦に振って肯定の意を示す。そして、懐にしまったばかりの布袋を取り出し、カインに手渡した。
「これが……?」
「えぇ」
簡素なやりとりを交わし、カインが布袋の中身を大事そうに取り出す。
すると、中から現れたのは一つの宝玉だ。大きさは手のひらに乗る程度の小ささだが、
カインはそれを懐かしむように見つめると、丁寧に布袋にしまってシルビアに手渡した。
「――これも因果か」
「いいえ。これは運命……っていうんじゃないかしら」
重苦しい様子のカインへと、シルビアは慰めるように答えるのだった。
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